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5月15日 トロッコ道へ

早朝の3時45分にロビーに全員が集合する。
天気は雲ひとつ無い快晴で、南国特有の漆黒の闇の中、夏の第三角形を探し出し星に安全を祈願する。
ともかくも雨の心配はまったく無さそうなのはありがたい。
緊張して寝られなかった方、期待にワクワクし興奮気味な方、無事到達できるか心配している方など表情は様々であったが、まだ夜も明けぬ満天の星空の中、縄文杉への登山口である荒川ダムへ向け出発する。

荒川ダムには4時45分に到着し、ヘッドライトを点灯させての出発となる。



この早い出発は、足腰の弱い方への配慮のためでもあり、落伍者を出さないためにゆっくり歩く決意の表れでもある。
さすがにこの時間の出発は相当早いらしく、この日の縄文杉への出発はダントツの一番乗りであった。
トロッコ道を30分ほど歩くと夜明けを迎える。
空気が澄み渡りなんとすがすがしいことか。


緑深いトロッコ道全線に渡ってコマドリが「ヒンカララ…」とさえずりはじめ、参加者の中からは「命の洗濯をしに来たようだなや・・・」との声まで聞こえてくる。

我々は順調に、そしてゆっくりと縄文杉めざし歩を進めた。
1時間ほど歩いたあたりに現れる小杉谷集落跡で朝食を済ませる。


以前、ここには一握りの砂を縄文杉の根元まで運んでもらおうという「生命の砂、一握り運動」のための砂が置いてあった。
縄文杉の根元の土砂が年々流されており、少しでも流出を防ぎたいという考えであったが、展望台が設置され、根元付近に立ち入ることができなくなってしまった現在では、まったく無意味なものとなってしまった。
当時は一定の成果を見ることが出来たようだが、訪問者にも積極的に保護に参加してもらおうという考えに先鞭をつけた意味において、非常に価値のあるものだといえるだろうか。

ほどなくして、このコース最初の巨木である「三代杉」が現れる。


ちょうど根元付近は広い平坦地が広がっており、水場が近いことも手伝い登山者には格好の休憩場所となっている。
縄文杉を目指すコースで最初に出会う巨杉でもあり、荒川歩道の番人とでも言えそうなスギであろう。
根元は二代目のスギのもので、三代目はその切り株の上に成長したもの。
根元にある空洞が初代の痕跡なのだというが、脈々と1200年もの間、この場所で命を守り抜いてきた姿には感動せずにはいられない。
鬱蒼とした森の中で1本の巨杉が倒れるとそこに陽が射す。
長年の間、成長できずにいたスギの実生が生き延びる環境がそこに生まれるのだ。
屋久島内の森では切り株や倒木の上に幼木が立ち上がる姿をいたるところに見かけることができる。
人間の持つスパンで考えては、理解できない時間の流れがそこには存在しているのだ。

大株歩道

その後も歩道脇に突如現れる巨杉たちに驚かされつつ、3時間ほど歩くといよいよ本格的な登りとなる境界点、大株歩道入り口に到着する。
予定時刻より早く到着したのだが、ゆっくりと歩いているため疲労感は少ない。
ここで最後のトイレ休憩の後、いよいよ縄文杉に向け本格的な登りに立ち向かうこととなる。
大株歩道は、世界遺産登録前の姿とは似ても似つかない整備された道になったのには驚ろかされた。
かつては這いつくばるようにして登った急傾斜も、現在は木製の階段が作られており、以前に比べると簡単に標高を稼ぐことができるのである。
しかしハイキング気分では決して登れるような道ではない。
ところどころ急斜面には梯子まで掛かっているのだ。

そんな道を30分ほど進むと忽然と「翁杉」が現れる。



ここから翁岳の眺望がよいことから名付けられたと聞くが、そのスギの姿自体も紛れもなく「翁」である。
翁杉自体、他のスギに隠れて表舞台には出てこないスギであるが、どうしてその姿は巨大な野生のスギそのものであった。
全身を苔で纏った姿が何とも屋久島らしくて、いかにも森の主であるかのような姿には圧倒され通しであった。
しかし、他の登山者達はほんのわずかな休息だけで翁杉を後にする。
やはり彼らは縄文杉以外は目に入らぬようで、何とももったいないことをしているんだなぁ〜。早い話が、単なる中継点なのであろう。

翁杉から20分ほどで標高1030mのウイルソン株に到着する。


ウイルソン株はまさに休憩には打って付けの場所で、ポッカリと大きな空間が広がりベンチも設置してある。
我々は朝一番に出発したものの、各駅停車並みの鈍足ゆえ、ここまで50人ほどには抜かれてしまっているであろう。
その先行した方々が休息をとっており、ウイルソン株の周囲はちょっとした賑わいを見せている最中であった。
このスギの切り株は、豊臣秀吉の命により京都方広寺建立のために切り倒されたとされている切り株であるが、現存していたなら縄文杉よりも巨大であった事は間違いなさそうだ。
南方向には伐り倒された幹が現存しており、材として運び出すために幹をくりぬかれた痕跡が明確に残り、見るからに痛々しい姿で横たわっているのだ。材は一部を除いてほとんどが残っている。


この巨大さゆえ、伐るには伐ったがあまりの大きさで運び出せなかったというのが本当のところであろうか。
ところで、この倒れている幹を詳細に調べた研究者がおり、その横たわった幹の長さから導いた樹高は、なんと60mほどであっただろうとのこと。
高さ40m地点でも幹の直径は2.5mほどあったというのだから、もうこれは常識に当てはまらないスギであったことは明白である。
伐採時の樹齢も3000年を経たものといわれ、合体木ではないかとの報告がある縄文杉とは違い、完全な一本のスギが究極にまで成長した希有な例であろう。
まさに現存していたなら日本一のスギとして君臨していたことであろう。
樹形も素晴らしかったと想像されるため、材として利用されるために真っ先に伐採されてしまったのだろう。
一方の縄文杉や大王杉は材に問題があり伐採を免れたようで、大王杉に至っては、木の裏側に試し切りの跡さえも残っており、不良材として烙印を押された形だ。
ウイルソン株の空洞は広さは10畳を優に越えるほどの空間があり、その中には木霊神社が祀られ、なんと小さな水の流れまであるのだ。



伐採から400年もの時間が経つが、一向に朽ち果てることもなくその姿をとどめている。いかに屋久杉が優れた材であるかを、身を以て証明しているかのようである。

さあ、ウイルソン株まで来た。
目指す縄文杉はあと1時間ほどである。
ウイルソン株まで到達できたなら満足され、ここで満足される方もいるだろうと考えていたのだが、全員が縄文杉まで行くという。
ここまで来れば全員で最後の関門に挑戦である。
ここからはさらに坂が急傾斜となり、疲労から一行の進む速度もかなり鈍くなり、隊列も崩れがち気味となる。

やがて標高1190mにある「大王杉」があらわれる。



縄文杉が知られるようになる前は最大の屋久杉といわれ、「大王杉」の名にふさわしく屋久杉のシンボルとして君臨した。
かつては大王杉のすぐ脇を通る登山道も存在し、その道からはスギの背後に残された試し切りの痕跡、空洞内の様子なども伺うこともできた。
この道は大王杉の根元を通っていたため、その後大王杉を迂回した登山道一本にまとめられてしまったようである。



縄文杉とはまた違ったスギらしいスマートな姿が印象的で、まさに古くは屋久島のシンボルとされてきた威厳が伝わってくる。
急傾斜の連続に疲れがピークに達する。
そんな時にホッとさせてくれるのが動物たちであった。縄文杉が近づくにつれ、ヤクシカも結構な頻度で顔を見せてくれた。
人をまったく恐れず、愛らしい仕草が一服の清涼剤となったのは言うまでもない。
やがて縄文杉の寸前にある夫婦杉と対面する。


このスギは登山道から離れているため、ほとんど人が根元に立ち入らない。
また、その為でもあろうか太さの割には地味な存在であり、あまり脚光を浴びることもないスギである。
本人は「ふんっ!その方がいいさ(゚Д゚)ゴルァ!!」なんて思っていそうで、少々愉快でもある。

そして、縄文杉に会いたい・・・・という必死の願いからか、落伍者は誰も出ぬままついに目的地に到達することとなる。

縄文杉

巨樹といえば「縄文杉」、縄文杉と言えば「巨樹」と言われるまでに有名となってしまった、日本の代表的なスギである。
縄文杉が再発見されたのは、つい最近の昭和41年のことだ。
”再”と敢えて付けるのは、昔の人はその存在を知っていただろうからである。この節くれ立った姿ゆえ、材には適さないと判断され伐採されずに残った事を忘れてはならない。
そんな強運の持ち主である縄文杉が、わずかな距離を隔てて展望台の陰に存在している。


そして期待に胸躍らせながら展望台の階段を一歩一歩踏みしめながら登る。遂にこれまでの苦労が報われる瞬間が訪れるのだ。
階段を上りきり視線を前方に移すと、そこにはしわくれ顔の縄文杉が立っていた。



夢にまで見た縄文杉との対面に感極まって泣き出すもの、口をぽかんと開けたまま呆然と立ちつくすもの、感動の表現方法は人それぞれだが、その感動は縄文杉の素晴らしさだけから来るものではなく、苦労して登ってきたゆえに、自分自身の内部からもやり遂げたという達成感とあいまって、より深い感動が起こっているようだ。
一部、巨樹マイスター(笑)の中の2名ほどは、なんだこの程度のスギであったか・・・・と思った方もおられたのは事実であり、あまりにも名前だけが有名になってしまった弊害でもあろうか。



縄文杉発見当初、樹齢は7200年と発表されてしまったのだが、現在では2000年から3000年位であろうとの見方が多い。
また、数株が合体して成長したものだろうと考えられているようだ。
再発見されて以来、縄文杉は望まざる人間との付き合いが始まってしまった。周辺の木々を伐採したことによって、根元の土壌流出、大枝の枯損、表皮の剥ぎ取り事件など話題には事欠かないが、間違いなく縄文杉は樹勢を失速させている。
多くの観光客が訪れるようになって作られた物見台。
自然の中に人工物が忽然と現れるのは、何とも味気ないものである。
登山道もあまりにも整備されすぎた。
そのお陰で老若男女、誰でもが縄文杉と対面できることとなったが、行き過ぎた保護政策も仇となることも多く、増えすぎたシカ、サルなどによって生態系にも影響が出始めている。
そろそろ縄文杉周辺はもちろんのこと、屋久島全体を視野に入れた積極的な保護を再考する時期に来ているのではないだろうか。
こうして我々は往復22km、標高差700m、約10時間の道程を完歩し、皆の表情は満足そのものであった。
カルチャーで出会うような、すぐ傍まで簡単に行けるのとは違い、自分の足でやっとの思いでたどり着いた感動を、心にしっかりと刻み込んでくれたようであった。


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