天然記念物 五十谷の大スギ

一、名称 五十谷の大スギ

二、県指定年月日 昭和五十年十月七日
 

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昨年まで連載していた、とある機関誌の巨樹シリーズが大好評で、一年契約だったものがなんと3年間に延長され、長きにわたって掲載していただいた。
しかし、さすがに4年目の更新とはならず、それならば単発のシリーズでもある、「ぶらり探訪」というコーナーでルポを書いてくださいということになった。
今回はその取材のための旅で、鳥海山麓にスポットを当て、記事を書くことにした。
取材費も出るので、今までにない私にとっては最高に贅沢な旅なのであった。

久々の東北旅行                          5月23日

年に2,3回ではあるが、東北にはほぼ毎年出かける。
昨年も秋田県湯沢市や、裏磐梯などに環境省巨樹調査のために出かけたりはしていたのだ。
しかし、いつもの旅行とは違い、現地に赴き役場に顔を出して巨樹調査を行ってハイさいなら!というパターンで、自分の見たい巨樹に訪れる余裕などは全くなかった。
そういった意味からも、今回の旅は久々の鬱憤晴らしとなる予定であったのだ。
その証拠に、秋田・青森方面の下調べは十分。どんとこい!という意気込みで出かける予定であった。

22日の夜は早めに就寝し、夜中のうちに出かけて、とても悔しいがETCカードを使い高速代を浮かせようという魂胆であったが、ほぼ予想どおりに寝過ごしてしまっい、目が覚めたのは日も高く昇った朝であった。あいや〜。
それならばと、翌日の午前0時に高速に乗っているような設定で家を出ることにする。少々時間がもったいないが、高速代が安くなるなら仕方のない選択である。
さいたまさいたまを一般道で抜け、三国峠の手前で関越道に乗る。
あとは日本海東北道までゆっくりと走るばかりだ。
適当なところで居眠りを決め込み、まったりと走れるあたりまで来たら一般道に降りようと考えていた。

車も、いよいよ13万km目前だ。だが、調子は結構良く、リミッターなんておそらく(苦笑)あっという間に行ってしまうほど快調?でもあるらしい・・・し。
平日深夜の関越下り線はさすがにガラガラ。

寝坊のお陰で、あまり睡魔に襲われることなく新潟を通過してしまった。
新潟というのは嫌なところで、国道8号線など幹線道路を走っていても、深夜であるにもかかわらず絶対、信号に引っ掛かる設定となっている。
つまり黄色の点滅がほとんど無いのである。訳の分からん車の一台も通過しない信号にちょこまか停められては精神的にもつらい。
そんなわけで豊栄市の先まで行ったところで日東道を降り、幹線道路の一本裏道をひたすら北上することとします。
ここも国道7号線は使わずに、迷わず海岸っぺりの345号線を選択する。
ほどよくコーナーがあり、車もほとんど走っていない快適な道だ。
午前2時頃だろうか、休憩ついでに越後寒川駅に立ち寄ってみる。
・・・と、駅前の草むらにドバトが落ちていた。

車のライトを当て、超スローシャッターで撮影してみる。さすがIS付きのレンズ。ブレていないようですねー、効果絶大です。ハトは目を覚ましたが、やはり鳥目のようで、動きがほとんど無い。
目は見開いているようだが、頭は爆睡しているらしい・・・・。
都会のハトと違って、綺麗な色にはなはだ感心するのであった。
ハトを起こしてしまって申し訳ないと、ハトには詫びを入れてから駅前でお茶を買う。暗闇と静寂の中の駅、何とも良い雰囲気である。

その後、ほとんど眠くならずに山形県最北部遊佐町までやって来た。
午前4時過ぎのことである。
ここの道の駅は、駐車場が二段構えとなっており、うるさいトラックとは別の場所で睡眠をとることができる、お気に入りの道の駅なのである。
早速上段の駐車場に車を停め、おもむろに2列目の椅子を前に移動し、1.8mほどの平坦面を作る。そこに簡易の布団を敷いて毛布を掛けて眠りに落ちる。
「あぁ、極楽極楽・・・・・。」
ものの数秒で記憶がどこかへ消え去ったようだ・・・

遊佐〜象潟へ                            5月24日

前日、かなり長時間寝たとはいえ、さすがに長距離を運転するとかなりの疲れが溜まっている。
早速道の駅で、恒例の朝の行事を済ませ、お土産を眺める。

ここは庄内地方。
庄内といえばササニシキだろう。
マンガの美味しんぼの初回で、「宮城のやない!庄内地方余目のササニシキ」
などとやっていたが、実は庄内で最も味の良いササニシキの獲れるところは、余目などではない。
はっきり言ってしまって余目の方には申し訳ないが、平野で獲れた米より間違いなく山間部で獲れた米の方が美味しい。
新鮮な良い水がよどみなく流れるからもっともな話だが、欲を言えば棚田が良い。
魚沼産のコシヒカリも、地図を眺めていただけるとお分かりと思うが、ほとんどが山間地だ。平地で獲れたものがあったにせよ、すぐ裏手には山があり、良い水が田圃には入ってくるのだ。
これと同じ理屈で庄内のササニシキでも、できるだけ山に近い所、それも名水が直接入る田圃がいい。
こうなると遊佐周辺か、南側の羽黒町方面となる。
さらに都合の良いことに、どちらも火山山麓の名水が湧き出て、直接水田に入っているという幸運。これで美味くないわけがないのだ。
農産物直売所に寄ってみるとササニシキは置いてあるが、鬼畜のJAを通した物であり、購入をとまどってしまう。
横に置いてあるひとめぼれの方が値段が高いが、これは現在のブランド価値そのものの価格なのであろうか。
JAを通していては仕方がないので、米は購入せずにそのまま店を出てしまうことになってしまった。
さあ、いよいよ象潟は目と鼻の先、有耶無耶の関を越えるとそこは秋田県象潟だ。

県境の集落、遊佐の吹浦は自分の生まれ故郷でもある。
かつては特急も停まった駅であるのだが、現在は鈍行(死語)が停まるのみ。
田舎の駅がどんどん寂れていく姿を見るのは、なんとも寂しいものである。
この吹浦には十六羅漢岩という名所がある。
鳥海山の猿穴溶岩流が日本海に注いだ地点で、その溶岩をノミで削りだしたのが現在見られる羅漢岩なのだ。
母方の祖先がノミを振るったと聞いており、今回が3回目の訪問となる。荒波にさらされる環境下にあり、やがては浸食されてしまうのだろうが、自分にとっては貴重な遺産のようなものと感じてしまうのだ。

羅漢岩から北上すると、ほどなくしていよいよ秋田県象潟町に入る。(現在はにかほ市象潟)
象潟といえば、まずは蚶満寺(かんまんじ)に寄らなければならないだろう。
この名刹は、比叡山延暦寺の慈覚大使が開山したと伝えられており、かつては松島と並び称される風光明媚の潟湖の中にあった。
世に言う文化元年(1804)6月4日の象潟地震によって2m以上も地面が隆起してしまい、入り江の中の小島は陸地の中の取り残された小島と化してしまった。現在でも田植えの時期や、雨に煙る象潟の景色は当時を彷彿させるものがある。

駐車場から山門へと続く遊歩道には、芭蕉の銅像も建っており、境内には句碑も建っている。この草で覆われた参道は、紛れもなく芭蕉も歩いた道。
芭蕉が『おくのほそ道』の旅で目的としたのが平泉と松島、そして象潟であるといわれているが、最も行きたいと心に思っていたのは、おそらく象潟であっただろう。
それは同紀行文の日光のくだりで弟子の曾良を紹介する際に「このたび、松島・象潟の眺めをともにせんことを喜び・・・」と記されていることからも知ることができるのだ。
しかし、芭蕉が象潟を訪れたときは雨が連日降り、鳥海山を眺めながら象潟の絶景を眺めることは、どうやら叶わなかったようなのだ。

芭蕉は象潟に滞在中、かつての船着き場である象潟橋から、雨の象潟の様子を何度も何度も眺めたと伝えられることからも、やはり芭蕉の心も象潟が最大の目的地であったのだろう。

蚶満寺の境内奥にはタブの巨木がありました。
入場の際にいただいたパンフレットには、樹齢1000年のタブノキ!!とありましたが、北限の地でここまで大きくなったタブノキ。いろいろと?の点もあるのですが、あら探しすることはやめとしましょう。
それにしても枝振りは見事で、雨が降っていなければじっくりと撮影してみたいタブノキではありました。

蚶満寺はヌコがいっぱいいます。
本堂脇やら、山門脇、料金所の窓口etc・・・
ネコ好きにはたまらないでしょうが、猫が嫌いな方も大勢いるわけで、これは改善して欲しい点であります。
個人的には、ヌコは好きなので問題はありませんが。

雨も相当激しく、まったくもって厳しい状態。
レンズを車の窓からにょっきっと出してみると、たちまちフィルターが雨粒で濡れてしまう。一瞬の勝負でとったのがこの写真。
露出が5fg8yふ9おpです。
写真どころではなくなってきたので、急遽宿泊先の猿倉温泉鳥海荘にしけ込むこととしました。

途中にはなかなかの棚田がありまして、電柱が邪魔ですが結構良い雰囲気の棚田だろうと感じます。
植えている苗はあきたこまちと思いきや、ひとめぼれだったりするようですが、このあたりで獲れる米はランクから言うと特Aとのこと。
鳥海山の清水が直接流れ込むのですから、そりゃあたりまえでしょう。

霧に煙る雰囲気が何とも言えません。
明日は天気予報では曇りのち晴れ(・∀・)!と出ましたがはたして・・・・・?
希望に胸ときめかせ、ひたすら猿倉への山道を疾走するのでありました。

 

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