天然記念物 五十谷の大スギ

一、名称 五十谷の大スギ

二、県指定年月日 昭和五十年十月七日
 

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宮崎へ                           1月25日

2005年度の全国巨樹・巨木林の会総会があるため、宮崎入りすることとなった。
事務局のお手伝いという感じの遠征だが、事前に宮崎入りして椎葉村の平家伝説について取材をし、次回発行の会誌の原稿にもしようと考えていた。
11時過ぎの飛行機に乗るため、家は7時頃に出ることになる。
東京に住んでいながら、この時間のかかりようといったらどうだ?

それでも羽田には早めに到着してしまい、搭乗ロビーから何機もの着陸する飛行機を、もしかして目の前で落ちるんじゃないか?と期待して眺めていた。
機種や大きさが違っていても、どの飛行機もほぼ同じ地点に着陸していくのを見て、ほとんどコンピューター制御で着陸していることが分かるようです。
中にはひねくれ者もいるらしく、着陸が一番面白いんだから手動でやらなきゃ!という機長さんもいるらしいですが。
それにしても、あんな鉄のかたまりがどうして宙に浮くのか不思議でたまらりません。かつての片桐機長みたいな人がいないか、大変気に掛かるところなのですが、命を任せるしかないのだなぁ・・・と考えるとちょっぴり鬱入ります。

さて、搭乗する機種はダグラスのMD81型。これには初めての搭乗となるのです。
中は狭く、5列シートという変わった配置になっている。今回は運良く隣の席が空席だったため、思いっきりゆったりできたのはありがたかった。
なんだか知りませんが羽田発は30分ほどの遅れで離陸。
途中の大島上空からは三宅島の噴煙、御蔵島や伊豆七島もくっきりと見渡せ、またとない眺望を目の当たりにしました。
宮崎にはやはり30分遅れで到着し、そのままマツダレンタカーへとなだれ込む。
どんな車が用意されているのかハラハラものだったが、出てきた車はアクセラであった。
これでもDOHC、可変バルブタイミング付きだ!
どこぞのメーカーみたいにハイメカ(笑)だのツインカムだの言わないところがエライッ! です。

すっかり時間が押してしまったので巨樹巡りは無理そうである。
椎葉村に到着するだけで、ほとんど余裕がなさそうです。日向回りか米良回りか悩んだが、そこは林道好きの選択、当然山回りコースの西米良村廻りを選択することとなります。
ようやく宮崎市街地を抜け、田園地帯の中を行くがカラスが田圃の中に多数いらっしゃる。
車を停め、カラスたちが何をしているのかのぞき込もうとすると、数百羽ものカラスが一斉に飛び立つではありませんか。これは凄い迫力で一瞬ビビリが入ります。
そしてちょうど頭上をぐるぐると旋回し始めるではないですか。
これは手をこまねいて見ているだけではなく、カラスを減らす努力をしないと手遅れになりそうな多さである。

途中に上穂北のクスがあるので、これだけには寄ってみる。
相変わらず立ち姿の良い、見栄えのするクスである。境内には掃除のおばさま方お二人がしきりに掃除をしている。ちょうど初詣で汚れた境内の後かたづけのようです。一言二言言葉を交わし、お礼を言ってから辞します。
いよいよ車は西都市から西米良村に入る。
道は一昨年の台風により寸断されたところが多く、そこら中で工事用の信号に掴まり、なかなか進まずにイライラする。
頼みの国道も通行止めの箇所があり、かなり細い道に誘導されることもしばしば。
最後の難関、265号線の飯干峠は完全通行止めで、地元の軽トラしか走らないような道に誘導され、肝を冷やしながら入ることになる。しかも入り口にはチェーン規制とあるではないですか!。
これが通れなければ椎葉村には入れず、西都市まで戻り椎葉に向かっても深夜となってしまうであろう。
心の中ではもう賭けに出るしかなかった。
「行くしかない」
最悪のパターンは3つ考えられる。
1. 完全氷結し峠の途中でにっちもさっちもいかなくなる。
2. 氷で滑り、谷底に落ちる。
3. 脱輪し、亀の子状態になり、半べそをかきながら車で一夜を明かす。
ともあれ、そろそろと車を峠に向かって走らせる。
頂上までは氷もなく、すんなりと行ってしまった。楽勝じゃん?なんて思っていたら、サミットを越え北斜面に入ったとたんであった。
「ゲッ!」 道が真っ白!
凍ってはいないが、普通タイヤでは絶望的な積雪だ。しかも下り坂ときたもんだ。 
過去の運転経験の中でも、最高の緊張の瞬間である。
ずるぅっ!ずるずるりと約15分ほど悪戦苦闘の末、何とか雪のないところまで降りてきました。もう大丈夫そうだ。
もうあたりは真っ暗である。
予約しておいた鶴富屋敷では、「お客さんまだかいな〜」なんて言いながらやきもきしているかもしれない。はやる心を抑えるのに苦労したのです。

そして何とか鶴富屋敷に到着だ。
もうほとんどここで精根が尽き果てていた。
早速風呂に入り疲れを癒す。出てきたご馳走は、そりゃもうこれ以上ない贅沢なものであった。
シカ刺、イワナの塩焼き、数々の山菜、ゴマ豆腐、キビご飯、すべて椎葉村で採れたもので作ったのだそうだ。したがって海のものは一切無い。
ここまで潔いと感動すら覚えるのであった。

1月26日

昨夜は疲れもあって熟睡してしまう。
ただ2時半頃に誰かが戸を開け、私の名前を呼ぶ声がして目が覚め、きょろきょろ部屋中を眺めたのはハッキリと覚えている。
朝にはそのことはすっかり忘れてはいたが・・・・・

8時過ぎに車に行ってみると、フロントガラスは一面の氷。
外気温は−3℃くらいにまで冷え込んでいる。これは関東の山奥と何ら変わらない冷え込みである。

車のフロントウインドーの氷を溶かす間に鶴富屋敷の全景を撮ってみる。
といってもかなり巨大な建造物なので、17mmレンズを持ってしても全景は入らなかった。これが鶴富姫と大八郎が住んだ家の跡だ。800年も前の家としては巨大なものであったに違いない。
大八郎も平家の人々に受けいられていた証拠でもあろうか。

その那須大八郎宗久が平家の残党の追討の為に最初にやってきたのが十根川集落。現在八村杉がそびえる十根川神社がある地である。
しかし十根川集落の平家の残党たちは、もうすでに源氏に対して立ち向かう士気は消え去り、焼き畑をしながら長閑で平和に暮らしていたのだ。
大八郎は誰も討つことはなく、鎌倉には追討終了との連絡をし、三年の間平家の落人たちと生活を共にする。
そんなとき出会ったのが、上椎葉に住んでいた平家のお姫様、鶴富姫だったのだ。
八村杉には、そんな二人のせつない伝説が語り継がれている。

数年前まではこのサイトでも相当批判したように、誰も入れないように頑丈な鉄条網で囲まれていた。
それが見事に取り払われている。そして周囲にはなるべくスギから遠ざけるような形で木道が設置されてあった。この状況で考えられる最良の方法を選択したかのようである。

台湾で患った巨木不感症のリハビリもここで済ませる事ができました。
やはり八村杉はすごい!の一言です。

十根川神社から望む十根川集落です。
本当に長閑な山村といった雰囲気が伝わるでしょうか。

十根川集落のもう一つの売りはというと、それは石垣の見事さです。
文化庁も平成十年のクリスマスの日に、重要伝統的建造物群保存地区に山村集落として十根川を指定してしまった。早い話、石垣そのものを指定したようなものなのだろう。
これは何を意味するかというと、無許可で周辺の景観を変えてはならないこと。自分の土地であっても、むやみやたらと工事ができないことを意味する。十根川の方は、この指定が足かせにならなければいいのだが・・・・と心配しているご様子であった。

その十根川からさらに遡ること十分。大久保の集落がある。
ここには全国有数の大久保のヒノキがあるが、最近開発に熱心ですっかり木の周辺の雰囲気が変わってしまった。
以前は中に入っていくのがはばかられるほどのジメジメとした薄暗い森であったが、周囲の木々を伐採してしまったため、あっけらかんとして拍子抜けするほどである。
どうしてこうも行政に携わる方の考えって超奇天烈なのでしょうか?
一般人の考えとは発想が違っており、やってはいけないことをどうもやりたがるようですな。

やれ環境保護などと、そんなことは私は一切言うつもりはありません。
どうもそのような活動をなさっている方々の考えは、実際に本当に現場のことを知っていて発言しているとは思えないからです。
今後も環境保護・・・などと私が言うことはおそらく無いでしょう。
ただこのヒノキに関しては一言言わせていただきたい。
「ヒノキが泣いている」

前日に鶴富屋敷で、明日十根川に行くんですと話すと、食事するところがないけど大丈夫?などと聞かれてしまった。それは困った〜、と落胆していると、なんと無料で弁当を用意しましょうとの申し出てくれた。これはありがたい。
大久保集落が見渡せるところで、鶴富屋敷さんが無料で用意してくれた弁当を食べ、向かいの斜面にタカが出ないか小一時間ほど眺めてみる。これがまた至福のひとときでもある。弁当も無料とは思えないほどのボリュームで、今後椎葉村に来るときは鶴富屋敷に泊まらないとバチが当たる、などと思いながら心のこもった弁当をほおばります。
残念ながらタカは見られずじまい。弁当を食べ終わり坂を下ると、民家の庭先に巨大なイノシシが飼われていた。
見た目とは裏腹に、とてもおとなしく、なんとなく可愛い奴だ。
顔を近づけると、鼻をくんくんいわせながらこちらへ寄ってくるし。

いかにも山村の佇まいです。
籠が東京ものにはとても珍しく映る。私には、もうこのような山村生活は無理なのであろうか?と自分に問いかけてみたりする。
さて、資料を収集するには民俗資料館にも行かなくてはならない。後ろ髪を引かれる思いだが、大久保集落とはお別れの時間だ。

夕方の三時頃に上椎葉まで戻ってきて、ここでも資料集めに没頭。
鶴富屋敷とは道一本はさんで資料館が建っている。幸い撮影は自由とのことで、片っ端から撮影しまくる。
現地に赴かなくても、それぞれの集落で行われる御神楽の詳細が見られるのはありがたい。ホログラムによって再現してくれるのだ。北海道芦別の星の降る里記念館だったかな?以来のホログラムだ。これは金がかかってます!
仕上げは館長と直に話を聞かせていただきます。しばらく話し込むうちにこちらの素性が分かったらしく、しきりに事務所内で話しましょうと勧められますが、時間がないからと固持します。入って聞いた方が良かったかな?と、あとになって後悔することになるのですが。

資料館から出ると、朝には気が付かなかったのだが鶴富屋敷の前に土石流の跡が残っているのであった。いきなりぽっかりと空間があるので、よくよく見てみるとビルの一,二階部分が破壊されているではないですか。
偶然ちょうど近くに油を売っている叔母さんがいたので根ほり葉ほり聞いてみると、九月五日の朝、いきなりの土石流の発生で三人が土石流に飲み込まれ無くなったのだそうだ。
ここで昨日の深夜に聞いた不思議な声を思い出すことになる。
後ろにチラッと写っているのが、宿泊先でもある鶴富屋敷です。あまり多くは語りませんが、この時顔から血の気が引いてしまったのは言うまでもありません。

このような状況ですが、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
鶴富屋敷の裏手は緩斜面で、地滑りの危険個所として指定されていなかったそうで、そのことが被害を寄り一層大きくしたのかも知れないと、その油売りのおばさんは語っておりました。
その後は沈鬱な思いを引きずりながら椎葉村内を散策します。

この後は宿に真っ直ぐ戻り、昨日夜半の不思議な体験と、今日見た悲惨な光景をダブらせてあれこれと物思いに耽っておりました。
この日の夕食はイノシシ鍋です。
初めは鯨鍋?と思うような脂身の多さです。ちょっと癖がありましたが、何とか完食。
この日も少々熱が出たみたいで、夜中にトイレに起きたとき足をケガしてしまい、かかとから血を流しながら寝ました。
自分では段差を越えて足を降ろしてつもりが完全に越えておらず、段差部分にかかってしまい1cmほど皮がめくれてしまったのです。歳なのか、それとも寝ぼけていたのか?

1月27日

今日も快晴です。
11時20分宮崎着のANAで、事務局の皆さんご一行が到着の予定。
これを迎えに行かなければなりません。
8時に出たら間に合うだろうと考えていましたが、やはり寸断信号道路のお陰で大幅に遅れてしまいそうな状況となってしまいます。
飛ばしに飛ばし、途中で白バイのお巡りさんと遭遇し、ヒヤッとする場面もありましたが何とか宮崎市内まで達し、一つ葉道路を走っているときに「到着したよ〜、お迎え(゚д゚)キボンヌ〜」と連絡がありました。
5分遅れほどで出迎えに行くことができましたが、やれやれです。
ここで良く走ってくれたアクセラ君(・∀・)スンスンスーン♪ ( ゚Д゚)ハッ!ともお別れです。
午後には、超お忙しいOさんとともに市内の巨木見学に出かけてきます。

タクシーを拾い、瓜生野八幡(・∀・)キボンヌ! と言ってみますが、タクシーの運ちゃんはそれは何処?と言ってきます。
これはダメと思い、後ろから来ていた個人タクシーに乗り換えです。さすがは個人タクシー、場所は当然ながら知っておりました。

瓜生野八幡のクス群、以前にも来ましたが幼稚園が併設されており、がらっと雰囲気が変わってしまっています。
これにはOさんも顔をしかめています。神社の雰囲気がいいだけに、幼稚園がすべてを台無しにしているようです。

その後は生目神社に向かいクスとイチョウを見ます。
Oさんはたいそう喜んでくれたようですが、もうちょっとゆっくり巡りたかったですなぁ。

厚生年金会館に戻り、会場の準備具合を覗いてみますが、もうほとんど終了していてあとは飲みに行くだけ。
4人で近所の居酒屋さんにしけ込み、地元の料理に舌鼓を打ちます。地鶏とラーメンとビールなんかで夕食をとりますが、これが結構美味です。

今晩は、牢屋のようなホテルで就寝で、女性は嘆いておりました。可哀想です。

ホテルの向かいは何故かアデランス。
市内の繁華街は駅前のここではないらしく、ネオンも地味です。
また夜中にトイレでかかとの同じ場所を切ってしまいました。まったく同じ事をやってしまいました。
また血を流しながら寝ます。シーツを汚しては申し訳ないので、ティッシュで傷口を押さえ、靴下を履いての就寝です。

1月28日

いよいよフォーラム当日です。

夜明けの遅い九州、会場に向かうもまだ陽が昇ったばかりです。

まだ誰もいない会場内。
これから戦いが始まるのです。Uさんは準備に余念がありません。
最終のチェックをしております。

9時になりました。いきなりお客さんが大勢なだれ込んできます。
いきなりてんやわんやで、準備していた本なども飛ぶように売れていきます。
これには私も(・∀・)ビクーリ!

いよいよ総会の始まりです。
私はカメラマンの役目も仰せつかっているので、受付とホール内を往復です。

会場内はご覧通りの大盛況。朝のニュースで宣伝してくれたのが効いているみたいです。

講演を任された平岡氏は絶好調です。
会場の皆さんを何度も笑わせます。と同時に人使いも荒かったりして・・・(笑)

最後にはボランティアで働いてくれた女子軍団によって、大会宣言が読み上げられました。
この日は講演を聴いたり、本を売ったりして大変な一日でした。
夜は何処にも行かずに皆さん牢屋に籠もり、ぐっすりと寝ました。

1月29日

いよいよ帰る当日です。
今日は巨木巡りのツアーがあり、それぞれ3コースの中からお好きなコースを選べるようになっておりました。私は飫肥コースを選択です。

朝いちで宮崎神宮に向かいます。
そこそこの大きさのクスが2本立っております。

バスは全部で7台。
今までのフォーラムでは最大の台数ではないでしょうか。やはり平均年齢は50代後半?悲しいかな、若い方は数えるほどしかおりません。

清武の大クスに到着です。
皆さん必死の形相で先を争いながら見物しております。
集合写真をどこかで撮影しなければならず、先のことを考えるとここしかありません。
ボランティアの方のお力も借り、皆さん方に苦労して整列していただき、3カットほどパチリと収めさせていただきます。会報にもこの写真が載ることでしょう。

もう既に時間が押しています。
三ツ岩林木遺伝資源保存林という、飫肥の林業の中心地のようなところにお邪魔させていただき説明を受けますが、20分ほどの駆け足ですぐに出発。
雰囲気の良いところだっただけに、皆さんもうちょっとゆっくりしたかったご様子です。

飫肥城には11時頃に到着です。
地元のガイドのあとについて金魚のフン状態で練り歩きます。
歴史のある町に感心することしきりです。

飫肥杉と呼ばれているものです。一直線上に並んだ杉が見事です。
木が好きな何人かは一団からだんだんと遅れていきますが、その度ボランティアのお姉さんからお叱りを受けます ( ゚Д゚)ゴルァ・・・と。

駐車場まで戻り、お待ちかねの昼食です。
切り干しダイコンと飫肥天がとても美味でして、この後皆さん売店で飫肥天を買い漁っておりました。
それほど美味しい揚げ物なのです。私も九州にこんな美味しいものがあるなんて意外でした。

出発の1時までには30分ほど余裕があります。
八幡神社には大クスがあるのを知っていたので、一か八か行ってみることにしました。結果からいうと大正解です。
想像以上の素晴らしいものに大感激です。

急斜面に成長したため、崖側の幹が自重によって垂れ下がり、地面に接したというのが本当のところでしょう。もしくは重みに絶えかね、地面がちょっと地滑りしたとか。
それにしてもこんなシチュエーションのクスって、他にあったでしょうか?
時間がなかったため、本当に駆け足での訪問でしたが、ゆっくりと訪れないといけませんな。

バスが1時ちょうどに出、すぐに町の中で停まりました。
願成就寺にあるウスギモクセイと、イヌマキを見るためです。
幹周は3.5mほど。この種の木としては相当な巨木であります。

私を含め、数人が宮崎発16:10のJALのチケットを持っているため、バスは焦って日南市内を巡ります。
峠越えして向かったのが国指定天然記念物の東郷のクス。
このクスにはみなさん大感激だったようです。
私も3回目の訪問ですが、かなり痛みが進んでいる状況で、宮崎の巨木たちはここ数年でかなり状況が悪化しているようです。

最後に内海のアコウに寄ります。
私の乗ったバスはすべての方が県外の方となっておりました。もちろんアコウを見るのが初めての方が大多数です。
さすがにこの幹のグロテスクさには度肝を抜かれているようです。
皆さんのご協力もあり、バスはほぼ定刻通りに宮崎空港に到着です。
搭乗手続きをし、1時間後には日向灘上空の人となっておりました。
東京には10分ほど遅れて到着し、空港が相当混雑しているらしく、とんでもないところに飛行機が誘導されてしまい、バスにて運ばれる始末です。
札幌便などでは絶対こんな事はないだろうと考えますが、どうなのでしょう?
それにしても東京は寒いです。

来年は東京の新宿御苑にて開催とのことですが、まだまだ紆余曲折がありそうで、これからの頑張り次第にかかっているようです。
ともあれ、今回のフォーラムは大成功のうちに終了しました。
中心になってご活躍いただいた池田様、本当にお疲れさまでした、事務局のKさん、Uさん、お世話になりました、ありがとうございました。
次回のフォーラムで、東京にてお会いしましょう。

 

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