長野、三重、滋賀、福井の旅

2002年 3月 16日〜

3月16日
16日の夜に家を出て20号線を一路西へと向かう。これといった目的地はなく、ただひたすら気が向くに任せる気ままな旅だ。当然、大切な出合いをやり過ごしてしまう高速を一切使わない貧乏の旅であることはいうまでもない。
諏訪大社の脇から杖突峠に入り、峠を越えたあたりで白々と夜が明ける。雪はもう消えてないものの車外の温度計をと見やると、ちょうど0度を指しており山の上はまだまだ冬の佇まいである。
日の出前の色温度の高い青白い視界が睡魔を誘い、道路脇の空き地に車を乗り入れシュラフに潜り込む。極限に疲れた状態から即眠りにつける旅先の車中泊は、実は人生の中でも至福のひとときなのである。車中泊も慣れるまでは翌朝の節々の痛みが大変だったが、今となっては懐かしい症状となってしまった。慣れとは恐ろしいものである。

3月17日
5時間ほどがたち、10時過ぎにトラックの爆音で目を覚ます。
空を見ると雲一つない快晴で、気温は10度まで上がっている。起きたばかりの目には日差しが眩しいほどだ。
今日は伊那谷ではなく長谷村から大鹿経由で上村へと、中央構造線沿いに南下しようと心に決め込む。
ほどなくして桜の名所、高遠の町中を抜けるが、サクラの蕾はまだまだ固いようだ。長野県ではよく見られるが、住民総出で町の清掃する文化度の高さは見習うべき点だと感じる。4月上旬のサクラの時期に向け、着々と準備が進んでいるようだ。
長谷村に入るなり、日本最大クラス幹周13mとの噂がある非持のトチを探すが、かなり昔に枯死したとのこと。現在ではトチノキの名を冠した公共施設が建っており、当時をしのばせる。
大鹿村への256号線は、断層沿いに造った道であるから想像以上に直線が多く快適で、対向車も後続車もなく「健康ドライブ」(笑)が思う存分に楽しめた。また念願だった中央構造線の露頭も観察でき大満足。
考えてみたら中央構造線沿いって巨樹の宝庫だったりする。茨城の海岸に始まって富岡市、諏訪、伊勢、紀ノ川沿岸、クスの宝庫吉野川流域、大分から熊本・・・・。スゴイかも知れない。

 

時間も2時を過ぎ、山塩でも有名な谷あいの集落大鹿村に到着する。ここには数本の巨樹が存在しているが、詳細な調査が行われたなら、かなりの数にのぼる巨樹が発見されるはずである。
さっそく町の中心部から南アルプス方面へと進路をとることにする。さらに山奥の入沢井集落にある逆公孫樹に会いに行くのである。山を何度も巻きながら標高を稼ぎ、谷を遡るにつれ山肌にへばりつくような集落が目につくようになる。隣の上村とともに、まさに落人集落の景観を呈する地域といえよう。3000mを越える高峰の塩見岳までわずか7kmほどの距離で、まさに都会に住む人々の憧れる風景が目の前に雄大に展開する。

    

入沢井の集落は想像以上の大きな集落で、公孫樹の背が低いこともあって不覚にも素通りしてしまう。
さて、肝心のイチョウだが、片側にだけ大きく枝を伸ばした姿はなかなか名木の雰囲気を漂わせており、樹齢は940年とのことだ。実際にはもっと若いようで600年前後が妥当な線だろうか。
お堂の前にはお手玉風のオッパイが奉納されており、中にはリアルに色を塗ったものさえ見かけほほえましい光景だ。
イチョウの全国に共通した風習の一つ、乳授けの伝説がここにも語り継がれてきたことが確認できた。

 

日も傾きはじめ、谷を挟んで向かい側西集落のアラカシに会いに行く。
根元には道路が通っており、道にかかる邪魔な枝は切り落とされている。人間で言えば片手をもぎ取られたようなもので、その傷跡が痛々しい。道路をわずか2mほどずらすだけで回避できると思うのだが、机上の設計者にはそれが理解できないのだろうか?
日没と同時に、谷を挟んで向いの斜面にある夜泣き松に辿り着く。村指定天然記念物ともなっているアカマツの名木だ。

   

手早く撮影するも山の日暮れは駆け足で、あっという間に日も暮れてしまった。
上村へ行く予定だったが、いまだ峠が積雪通行止めのため伊那谷に出て、名古屋経由で三重県に抜けるとしようか。
かつてのF1レーサー中嶋が毎晩通った治部坂峠から豊田までをなぞるように。
夜間の移動距離をいかに稼ぐかが充実した旅の基本なのである。

3月18日〜

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