縄文杉(国指定特別天然記念物)


縄文杉
九州の最高峰でもある宮之浦岳を擁し、洋上アルプスとも称される屋久島。スギの自然分布で南限とされるこの島に、屋久杉が分布している。
しかし、そのすべてを屋久杉と呼ぶのではなく、樹齢1000年を越えるもののみを屋久杉と呼び、それに満たないものはコスギとして区別して呼んでいる。
その屋久杉の代表が縄文杉であるのは皆さんご存じの通り。
縄文杉といえば巨樹、巨樹といえば縄文杉とまで言われるくらい有名となった縄文杉だが、もちろん日本のスギの中では最大の幹周りを誇るスギの王者であると共に、日本を代表する巨樹の一本であると言っても過言ではないであろう。
縄文杉は1966年屋久町役場の岩川貞次氏により紹介された。周辺に生育するスギの大きさから導き出された樹齢が約7200年との結果が導き出され、縄文時代からの生き残りという理由から、縄文杉として呼ばれることとなるのである。
現在では7200年説は否定する考えが一般的となったが、今から考えるとこの樹齢の判断が、縄文杉の運命を大きく左右することとなったのである。

この衝撃的な樹齢とネーミングにより、縄文杉の存在は年とともに人々に広く知られることとなり、一躍屋久島観光の中心的存在と化してしまったのである。
また1993年には世界遺産への登録もなされ、さらにこの木の名声に拍車をかけることとなってしまい、年間一万人以上の見学者が次々と訪れるようになっってしまった。
人々に根元を踏まれ続け、樹勢の衰えが心配され、早急な対策が必要とされる事態へと向かっていったのは御存知の通り。当時の対策は、一握りの砂を縄文杉の根元まで運んでもらおうという”生命の砂、一握り運動”という活動を行っていたのであるが、現在でもこの活動は屋久島においては広く登山者に浸透しており、ある一定の成果を見ることが出来る。この運動は現在、屋久島のみならず各地にて実践されつつあり、見学者にも保護に積極的に参加してもらう考えに先鞭をつけた意味において、非常に価値のあるものだといえる。

縄文杉までは、安房より荒川ダムまでは自動車で入ることができ、そこより森林軌道沿いに登山道を登ることで縄文杉との対面を果たすことが出来る。私が訪れた日は雲一つない晴天に恵まれた日で、荒川ダムを朝の4時に出発。
森林軌道沿いに行くと、まず最初の巨樹である三代杉が挨拶代わりにその姿を現す。森林軌道終点より大株歩道へと歩を進め、屋久島第2の巨樹である翁杉、そしてウイルソン株との対面。ここからいよいよ傾斜がきつくなり、大王杉、夫婦杉と相次ぐ巨樹の出現に驚きながら歩き続けること約5時間、ようやく縄文杉と出会うことが出来た。
あこがれの巨樹と対面し、感動に浸りながらその根元に立ちつくし、しばし呆然と眺める。今まで見てきたどんな杉ともその表情は似てもにつかないものであった。
深く刻まれた皺、いたる所から盛り上がる巨大な瘤、巨体を支えるために盤踞する根、幹の太さの割に樹高は低く、ずんぐりとした樹形など、自然の厳しさに対抗するために自分自身でそうさせたのであろうか、杉独特のスマートさはそこには微塵も感じられない。しかし、この姿ゆえ伐採からも免れていたのかと思うと感慨もひとしおである。
太古より原生林の中で人との接触に頼らず、ひとりで生き抜いてきた孤高の巨樹といった感が強く感じられる。屋久島の厳しい自然と融合し、神々しいまでの杉の王者がそこには存在していた。
近年、年々増加する見学者に対する対策として、ついに根元への立ち入り制限がなされ、近くに展望台を設けることにより、そこより展望するように改善された。根元の踏み固めによる弊害、土砂流出を防止するとともに、周辺の植生の復活など、計り知れない効果をもたらすであろう事を望んでいるのは私だけではあるまい。
巨樹への関心が高まっている現在、この処置は称賛に値する決断であり、このかけがえのない島の偉大なる自然を後世に残すことこそが、現在を生きる私たちの使命であると考えたい。


  
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