あかべこ日記ワルダクミ編
「春弥生百花繚乱過積載無茶之旅」
平成15年弥生
by 古森 雲雄<ベベパパ>
<蒲生の大楠>
湯量たっぷりの天然温泉に二度入り、まったりぐったりして眠りに落ちた。
早朝気分良く目覚めて窓の外を見ると、道路が濡れている。
夜のうちに降ったらしい。
見上げる空は鈍色に曇り、見えるはずの桜島は白い霞の向こうに隠れている。
やむを得ず合羽を引っ張り出して着込み、走り出した。
ヘルメットのシールドにぽつぽつと雨滴が当たる。これから鹿児島県内の巨木を巡るのに、厭な雨になってしまいそうだ。
蒲生方面の標識通りに県道を走っていると、流石南九州だけあって、コバノミツバツツジとヤマブキがあちこちで満開になっており、紫色と黄色い花の競演が目に楽しい。

山肌に這い上がる新緑も萌葱色から遷りつつあり、早い春の訪れを告げている。
蒲生町に入ったところで、道に迷ってしまった。
「御食事処」という暖簾がかかっている中で、とんてんかんと金槌を振るっている大工さんに尋ねた。
「すみませ〜ん、蒲生の大楠ってどう行けばいいんでしょうか?」
「あぁ?どっちから来ましたぁ?向こうの信号からだと、逆の方に来てるよ。あそこを右折して街中に入って、小学校の横の道を左に入ればありますよ。」
「ああ、そうだったんですか。ありがとう。ところで、まだ店開かないですよね。」
「えっ?・・あぁ、まだ店の中作ってるとこだから。」
笑う大工さんの後ろには、ハナカイドウとモモの花が鮮やかなピンクに輝いていた。

云われた通りに走っていくと、街中には至る所に「大楠」の案内看板が立っている。
何と云っても日本一の大きさなのだ。蒲生町のシンボルなのだ。
神社の横の駐車場にバイクを置き、鳥居越しに見る「蒲生(かもう)の大楠」は、遠目にもその巨大さが分かるほどだ。

推定樹齢は1500年だが、樹高は30mもあり、目通り幹周りは24m以上である。
確かに日本一の大きさであることは数字の上では納得できるのだが、神社の本殿や奥の民家、周りに設えた木道と柵、あまりにも周囲に比較する大きな人工物が多すぎて、巨木本来の大きさが実感できないのだ。

傍に寄れば視野いっぱいに苔生した木肌を見ることはできるし、カメラのレンズでは収まりきれないことは確かである。
微視的に見ることは十分できても巨視的に全体像を捉えることが難しい環境になってしまっている。
「あぁ、大きな木だね。日本一?ああ、そうですか。」
と、あまり感動することのない日本一の「蒲生の大楠」だった。
<塚崎のクス>
鈍色の空からは絶え間なく小雨が降り続いている。
蒲生から姶良、加治木、隼人を抜けて、国分市から大隅方面に走る。
路面のステージでは雨足が激しいステップでタップダンスを踊っている。
うねうねとくねりながら続く県道、降りかかる雨の飛沫で曇るシールドを何度も拭いつつ走る濡れた道、行けども行けども店どころか人家も見えない道、この先永遠に続くのではと不安になっていたとき、ふと見たメーターの距離計が、88888キロを示していた。

確実に走った距離を記録しているのを見て勇気づけられ、再び濡れそぼった鉄馬に鞭を入れた。
大崎から東串良に入ると、ますます雨足は激しくなり、道も何やら変な畦道に迷い込んでしまった。
どこを走っているのか皆目見当が付かないまま闇雲に走っていると、細い路地から少年の乗った自転車が飛び出してきた。
急ブレーキをかけて止まると、びっくりした表情の少年の肩越しに「塚崎のクス」と書かれた文字が見えた。
ひょっとこ面と過積載の馬鹿でかいバイクのオッサンを見て、一瞬たじろぐように身を引いた少年だったが、
「どうぞ、行ってちょうだい、その道を行きたいから・・・。」
オッサンの発した言葉に従って、自転車を漕がずにヨタヨタと歩いて行ってしまった。
よほど怖くて腰が抜けたのかもしれない。
細い路地に入り込み、くねくねと角を曲がった奥に小さな赤い鳥居が見えた。

そして、その向こうに巨大な木の影が聳えていた。

「塚崎のクス」は樹齢1300年で幹周り14mとあるが、数字では言い表しきれない大きさ、「幽大」と表現したくなる
木霊を感じるのだ。
過去に何度も太い枝を落とした痕跡が見えるものの、樹勢は旺盛で瑞々しい青葉を繁らせている。
周囲には若い木立が残されており、この巨木を取り囲むように護っているようだ。
さほど人の手が加えられた様子もなく、支柱など一本もない。
周りをぐるぐる回って様々な角度から大楠を見たが、何と云ってもこの木には「色気」が感じられる。
太い幹が斜めに持ち上がった途中から、分かれた枝が美しいバランスで上へ伸びている。
その艶っぽさは人のそれとは異なり、精気が溢れる逞しい力強さが「色気」となって滲み出ている。
生け花の美の様式を自然のままで生かしているようだ。
枝を落としたことによって、それなりにバランスがとれている。
そう考えると、これまで出会ってきた巨木には、枝が折れないように多くの支柱が立てられているのを見てきた。
それによって折れずに済んだかもしれないが、木にとってはその枝に養分を送らねばならず、その枝を支えるための幹が太くなる努力をしないまま朽ちてしまっている。
本来ならば余計に伸びた枝を落とし、より強く幹を太らせて上に大きく伸びようとしていたのかもしれない。
ところが人が余計なことをしたために、上に伸びる力を失って木そのものの精力が失われている。
老木が倒れるのは後に新たな命を育てるためでもある。
倒木が自然ならば、枝が折れるのも自然なのではないだろうか。それによって、木全体のバランスをとって力強く伸びているのだ。
塚崎のクスを見ていて、改めて確信した。
巨木は自然のままでおくのが一番いい。
人は何もしないのが一番いいのだ。
枝の上の方にはオオタニワタリが宿っていた。
他にも多くの植物が大家さんに間借りしている。
あたりの地面にはマムシグサが鎌首をもたげるように花を咲かせていた。
大楠の艶姿をカメラで撮ろうとしたが、激しく降る雨に阻まれてしまった。
どうしてもレンズを上に向けなければならず、雨に濡れたレンズでは画像が大ボケに歪んでしまい、カメラ本体もびしょびしょに濡れてしまった。防水ではないので故障が心配だ。
沢山の元気をもらったような気がして、鄭重にお礼を云って挨拶をすると泥道の中を帰っていった。
<志布志のクス>
再び雨のラインダンスをかいくぐり、志布志へ向かった。
途中で朝から何も食べてないのに気が付いた。
昼時でもあったし、回転寿司の店にピットインすると目の前に回ってきた皿をささっととり、ぱぱっと食べて1分のピットタイムで、再びコース上に戻った。店員は呆気にとられて見ていたようだ。
志布志の役場に行けば町の案内図があるかと思い探したが、詳しいものではない。
たまたま弁当の出前に来ていたおじさんに尋ねた。
「志布志の大楠ってどこでしょう?」
「ああ、そこの坂道をずーっと上って、最初の信号を右に曲がって、あとは道なりに真っ直ぐ行けば、山宮神社があります。そこに大楠はありますよ。」
仕出し弁当が旨そうな匂いを漂わせていた。
役場の横の坂道をぐいーんと上り、信号を右折してびよーんと走ると、正面に山宮神社の鳥居が見えて、横に支柱の立った大楠があった。


塚崎のクスに比べると、何とも杖をついた老人のようで、あまり生気が感じられない。
それでも、銘板には「天智天皇の御手植と伝えられており、我が国の大クスの中でも樹形正しく樹勢盛んなことで知られ日本一と称されています。」と、実に傲り高ぶった文が書かれてある。
どこの巨木でもそれぞれが尤もらしい文言で必ず「日本一」と謳っている。
一体どれだけ日本一があるのだろうか。
そういう木に限って、沢山の支柱に支えられ、哀れなよぼよぼの老人の如き姿を曝している。
大事にしているつもりが、かえって痛め付けていることに誰も気が付いていないのだ。
なんだか虚しい思いを抱いて、その場を後にした。
役場のところまで戻ると、先ほどの仕出しのおじさんがいたので、「どうもありがとう、ありました、見つけました。」と叫んで手を振ると、ぺこりとお辞儀を返してきた。
小降りになった雨の中を、日南海岸沿いに北上し続けた。

<西都寝具で休む>
宮崎の少し南に清武の大楠がある。
殆ど幹だけのような姿で中は空洞になっているが、樹勢は旺盛で大きな枝の折れた穴がその在りし時の力強さを物語っている。
支柱もなくほったらかしにされているのだが、十分元気に生きているのだ。

雨も上がり、少し気分が良くなって走り出したが、そろそろ夕暮れがせまっていた。
携帯メールを見ると、キャンプに来ていたFさんが西都に住んでいるので、寄ってうなぎを食べて行けばいいよと、仲間の書き込みがあった。
うなぎと聞いて腹の虫が騒ぎ出した。
清武から西都まで高速道路をすっ飛ばし、西都の街角で、犬と散歩をしていたおじいさんに問うた。
「この辺にF酒屋はどこですか?」
すると右の方を指さして、「この先の信号を左に曲がって・・・」今度は左手をひらひらさせながら、「最初の点滅信号を右に行けばある。Fだね、うん、あるある。」
口と動作が真逆だったが、口の方を信じて走っていった。
Fさんが西都の酒屋だと聞いていたので、酒が好きそうなおじいさんに聞いたのが正解だったようだ。
すぐに酒屋を見つけてひょっとこを乗り付けると、一昨日島原で別れたFさんが店から出てきた。
「ずっとメールのやりとりを見ていて、もうすぐ来る頃だと思ったんだ。今日は泊まっていきなよ。ここの二階に一人で住んでるから、遠慮はいらないよ。」
インターネットは便利なもので、自分の動向がすべて全国の仲間に分かるようになっている。
どこに行っても仲間の手が差し伸べられるのは実にありがたいことだ。
遠慮なく泊めてもらうことにした。
「この辺に温泉ない? 雨に濡れて冷えちゃったから一風呂浴びて温まりたいんだ。」
「すぐ近くにあるよ。その先の信号を左に行って橋の袂を左に入ったとこ。すぐ分かるよ。」
バイク乗りの道案内は口と動作が一致していた。
たっぷりまったりぐったりして温泉から上がり、メールを覗くと、早速Fさんが書き込んでいた。
「今日はうちに泊まります。今温泉に行ってるので、戻ったら入船にウナギを食べに行きます。」
湯上がりの火照った体で戻って過積載の荷物を下ろし、軽い服装に着替えると、軽トラックに乗ってその噂のウナギを食べに行った。
「入船」は結構有名な店らしく、店とは別棟の待合室があって、混んでる時は外に呼び出しのアナウンスが流れるのだそうな。
Fさんは予約していたらしく、すんなりと店に上がれた。
やがて出てきたウナギ定食は、一匹分の蒲焼きと大豆を摺った熱々のご汁に酢ぬたしら焼きが初めての味で大感激だった。ただ、ご汁が熱すぎて舌をヤケドしてしまったが・・・。
店を出たところの生け垣に「上穂北のクス」と銘板があった。
「あれ? こんなとこにあったのか。この木にも会いたかったんだ。」
「そんならうちのすぐ前の神社にも大きな木があるけど、妻のクスっていったかな?」
「へっ、そこも行くつもりだったんよ。そんな近くにあったんだ。」
実にいい場所に拠点があったものだ。
家に戻ると、部屋にはちゃんと布団と枕の寝具が置いてあった。
翌日は文字通り「西都寝具(Sight-Seeing)」となりそうだ。
<ひむか街道>
朝は絶好の晴天が広がっていた。
すぐ前の神社にある「妻のクス」を見にFさんと行くと、大きく無惨に裂けて倒れた幹が痛々しく、殆ど生気がないように見える。

過去に何度も空洞から出火したり台風で折れたりとか被災を繰り返し、踏んだり蹴ったりの可哀想な巨木である。
荷物を軽くして尾八重(おはえ)の椿と一本杉を見に行くことにした。
テントやシュラーフを詰め込んだズタ袋を下ろして走り出した。
「ひむか街道」と銘打った219号線は宮崎の山深い所を通る道だが、適度のワインディングがあってバイクでは走りやすい快適な道だ。
20キロほど走った所から尾八重の村に続く細い脇道に入る。
アルミ岡持三点セットを付けている車幅一杯の狭い道で、雨上がりでもあり路面には苔・泥・砂のちゅるりん三兄弟が延々と寝そべっている。
ひゃあひゃあきゃあきゃあ悲鳴を上げながら、ずりずり滑りながら、何とか転けずに山奥の尾八重の村にたどり着いた。
村の路地の角に標識がある。
「尾八重の一本杉2.5km」「尾八重の有楽椿0km」

先に一本杉に会うべく標識の通り走っていくと、今度は苔・泥・砂・小枝の四銃士が立ちはだかってジャマをしていた。
それらの苦難を乗り越えて一本杉のある尾根道の入口に着いた。
ロープで通せんぼうしてあるので、そこから歩いて行くしかない。
5分ほど落ち葉の積もった道を下りてゆくと、独特の風貌の大杉が聳えていた。
太い根がタコの脚のように四方八方に張って地面から顕わになっている。


見上げると地上2mほどの高さから、根と同じようにタコ脚のような枝が四方八方に張り出している。
銘板によると、「この山道は昔南郷村渡川へ通じた要路で、天正五年伊東三位入道義祐一行が、島津勢に追討された時の由緒の土地でもあって、・・・」とあり、その由緒からなのか、根っこに錆びた刺股(さすまた)が突き立ててあった。

再び苦難の道を戻り、尾八重の有楽椿を見に行こうとしたが、それらしき木が見あたらない。
野良仕事をしていたおじさんに尋ねると、「ああ、有楽(うらく)椿は枯れてしもた。向こうの山の方に元気な椿があるで、見
に行けばよか。」
教えられた場所に行くと、そこは「有楽椿の里」としてきれいに整備された公園になっていた。
「樅木尾有楽椿」は昔中国から輸入された椿属の原種と日本のヤブツバキの交配種らしいが定かではないようだ。

結局、苔・泥・砂の三兄弟の寝そべる道を戻り、ひょんひょんすっ飛ばしてFさんの家まで戻ると、再び過積載となって走り出した。
昼時でもあり、「上穂北のクス」に会ったついでに、入船の暖簾をくぐってしまった。

出てきたウナギを頬張り、ご汁をかぽっと口に含んだ瞬間、げぼっと戻した。
全く冷めてない熱々の汁で、また口の中をヤケドしてしまった。

上顎のびろんと剥けた皮を舌でれろれろしながら219号線を怪走する。
西米良の村所から265号線に入る。路傍にはソメイヨシノが五分咲きになり山間には山桜が満開になって山肌をピンクに染めている。


飯干峠の近くの滝の前に差し掛かったとき、何やらハンドルのあたりから異音がするのでブレーキをかけて止まったら、からんからんからんと手元から金属の部品が転がり落ちた。
何じゃい!?と拾い上げると、右のナックルガードを留めている金具のネジが緩んで外れていた。
六角レンチの入っている工具箱は大荷物の下だ。
仕方なくセンタースタンドを立てて荷物を全部下ろし、リアシートを外して工具箱の蓋を外して置き、レンチを取り出してきこきこネジを締めていると、いきなり突風が吹いた。
目の端に、ひゃらり〜と何かが飛んでいくのを捉えた。
見るとさっき外した工具箱の蓋がない。
押さえていたスポンジシートもない。
慌ててガードレールまで駆け寄ると、遙か谷底にスポンジシートがひらひらと落ちていくのが見えた。
スポンジは仕方ないにしても、蓋は無いと困る。

崖の下を覗くと、4mほど下の灌木の枝に引っかかっている。
ほぼ直立した崖でもあり、どこにも手がかり足がかりがない。
落ちたら最後100mはありそうな深い谷底にダイビングだ。
何かないかとあたりを探すと、ガードレールの切れ目に張ってある虎ロープを見つけた。
外して伸ばしてみると5mほどしかない。
腹の周りに巻き付けて結び、片方の端をガードレールの支柱にくくりつけると、正味の長さは3mほどになってしまう。
それでも恐る恐る崖に乗り出し、ロープをしっかり握って降りていく。
ところがあと1mというところでロープがぴんと張りつめてしまった。
蓋は枯れ枝に引っかかってぷらぷら揺れている。
またそこから落ちていかないように祈りつつ、腹に巻き付けたロープを解き、右の手首に巻いて思い切り左手を伸ばした。辛うじて指先が蓋に触れ、人差し指と中指で挟んで無事救出した。

それから必死の思いでロープを頼りに崖をよじ登り、無事生還したのである。
蓋を取り戻し、荷物を積み下ろす苦労よりも、自分の体のあまりの重さに苦悩を覚えてしまった。

虎ロープを元通りにして、ふらふらしながら走り出した。
存在するだけで相当量のエネルギーを消費するのに、崖をよじ登ったのだから完全にエネルギーを使い果たしてしまったようだ。
椎場村に下っていく道をのんびり走っていると、軽トラックが追い抜いていった。
荷台に二匹の犬が乗っており、ひょっとこを見てなのか盛んに尻尾を振ってニコニコ笑っている。

あまりにも可愛い表情なので、しばらく後ろに付いて走っていると、運転しているおじさんが先に行けと合図をした。
もう少しワンちゃんたちを見ていたかったが、おじさんにとってひょっとこバイクは不気味だったのかもしれない。
国道からまたまた脇道に逸れて奥地に入っていく。
そこには「八村杉(やむらすぎ)」という国指定天然記念物に指定されている美しい姿の大杉がある。
一般的なイメージ通り、真っ直ぐにすっくと天に向かって聳えて上の方の樹冠がぱあっと広がっている。
まさに上を向いた大きな矢印「↑」なのだ。


折しも周りに張った鉄条網の代わりに木道を造っている最中で、おじさんたちが忙しく立ち働いていた。

八村杉から更に奥へ行った突き当たりに「大久保の大ヒノキ」がある。
これもまた国指定天然記念物なのだが、ヒノキとしては日本で最大級のものであることは間違いない。
根本から主幹に絡み付くように伸びた枝が、巨大な炎のように赤く燃え上がっている。
以前来たときは周りに鬱蒼とした森があってじめじめした環境だった。

木肌もヒノキの名の通り真っ赤に見えたのだが、今は周囲を切り開かれ、陽の光が燦々と降り注いでいる。
そのためかヒノキの木肌が乾燥肌になってしまい、煤けたような色になっている。
ここでもまた、人間が余計なことをしているようだ。
再び国道に戻って、更に北上の旅を続けた。

五ヶ瀬から蘇陽、高森に至る頃には、前方に根子岳がうっすらと霞んでそのぎざぎざの峰々を見せている。
爆裂噴火の跡なのだろうか、猫の舌のようにざらざらの感じが猫岳と呼ばせていると思ったが、字が違っていた。
高原を縫うように走る道の周囲には、枯れ草のベージュの絨毯が広がっている。

これらも初夏になれば青々とした美しい絨毯となって、瑞々しい爽やかな高原の風を吹かせてくれるのだ。
その時には、また訪れよう。
何度も何度も訪れる度に、同じ季節の表情を見せてくれる風景は、人間の諍いにも顔色ひとつ変えないようだ。
<再び四国上陸>
「今夜あたり四国に再上陸するようです。Mちゃん迎撃よろしく。」
「了解、讃岐のうどんで撃墜します。」
このような怪文書がネットで飛び交っていた。
臼杵まで下ってきた時、すでに日は暮れていた。
翌朝のフェリーで渡ろうかとも思ったが、二時間の航行時間を考えると、午前の半日はロスしてしまう。
もったいないので夜の内に四国に渡ってしまうことにした。
昼間の走り疲れで、船室に入った途端意識が途切れてしまった。
八幡浜に着いたものの、9時を回っており、意識も朦朧としていたので、手近に見つけたビジネスホテルに投宿した。
早朝、ホテルの窓口が起き出すのを待って、朝靄の中を走り出した。
国道197号線檮原(ゆすはら)街道を快適にすっ飛ばす。
須崎まで1時間弱でラップしてしまった。
一体何キロで走ったのだろう?
須崎港を回り込んだ半島に「大谷のクス」がある。
10年前に来た筈なのだが、全く道の記憶がない。
海岸縁をうろうろしても見つからず、通りかかったお婆ちゃんに尋ねた。
「おばあちゃん、この辺に大谷のクスって大きな木がある筈なんだけど、どこですかね。」
「ははぁ、クスノキかい、ここまで来たら来過ぎ来過ぎ、もっと向こうに戻って広いとこに出たら、大きなんが見えちょるきに。ははぁ、でっけ荷物だな、ははぁ・・・。」
ちっちゃなお婆ちゃんはでっかいバイクとオッサンをニコニコ笑顔で見送ってくれた。
広い所まで戻ってみると、確かにそれらしきこんもりとした繁りが見える。
だが、それが大楠だとは云われないと分からない。


樹齢2000年とも云われる「大谷の大樟」は、四国最大の巨木だと謳っている。
日本一と云わないだけ、少し謙虚さが伺えるようだ。
この木も可哀想に周りを石垣やコンクリートで固められ、もこもこと暴れまくった根回りを見せている。
どこでもそうだが、もこもこと奇怪な形状を自然の造形だと賛美している。
しかし、どう見ても人の手で足元を固められ、苦し紛れに根本を歪めざるを得ない状況になっているとしか思えないのだ。
ここにも、人間のエゴで苦しめられている悲惨な巨木があった。
次第にあちこちにある「日本一の巨木」に会うのが億劫になってきた。
どこでも傲り高ぶった人間のエゴの犠牲者ばかりなのだ。
もうこれで今回は最後にしようと、次の目的地の大豊まで高知自動車道に乗った。
高速道路なのだが、今朝の檮原街道よりもかなりゆっくり走っていたようだ。
大豊インターで降りて、目指す「杉の大杉」のところまでは直ぐだった。
昔は無かった「美空ひばり記念碑」があって、至る所のスピーカーから「ひばりの歌」が流れている。
日本一の大杉にあやかって、その昔、美空ひばりが「日本一の歌手になれますように」と願掛けた由縁から、記念碑が建てられたらしい。
そう言えば、福島の塩屋崎にも、美空ひばりの記念碑と歌碑があったようだ。
何やら「美空ひばり」も「与謝野晶子」ばりになってしまった。

「杉の大杉」もまた、「日本一の大杉」と謳われている。
あちこち枝が折れて修復した形跡が見受けられるが、何だか満身創痍のでっかい怪我人のような風情だ。
10年前に来たときは近くの茶店にしゃべるカラスがいて、「コンニチワ、オッハヨ」と愛嬌を振りまいていたが、もういなかった。
その怪我人のような大杉を見て、高松のMちゃんに電話した。
病院のベッドで磔の刑にあっていたでっかい怪我人も何とか退院したようで、うどん屋を案内してくれるという。
国道32号の途中の道の駅で待ち合わせをすべく、大怪我杉の元を辞した。
四国では九州より少し春の訪れが遅れているようだ。
ハクモクレンの開きがまだのように見える。

道の駅で待っていると、出所したばかりのMちゃんがニコニコとやってきた。
「ははぁ、まだハンドルを回すと痛いんやけどね、車で来たから後に付いてきて。」
走り出すと、ひょっとこがぴったり付きまとうのを盛んにカメラで撮っていた。
最初の店は琴平の近くで、結構混み合っていた。


ここでもやはり讃岐人はうどんを啜り込み流し込んでいたようで、こちらがまだ半分でくちゃくちゃやっているときには丼を
空にしていた。
「これが讃岐人の食べ方や。うどんは噛むもんやないで、飲むもんや。」
直ぐに次の店に行くので、慌ててバイクに乗って後を追ったが、口の中に残ったうどんの切れっ端を舌でれろれろしていた。
高松近くに来て、急に「しょうゆうどん」とでかでかと大書してある店に飛び込んだ。
「そやそや、この店があったん忘れとった。」
割と新しそうな大きな店構えだが客の数はさほどでもない。
テーブルにつくと、まず下ろし金と大根がまるのまま出てきた。
「いきなり大根が出てきて、自分ですり下ろすんがこの店の特徴なんや。」
がしゅがしゅがしゅがしゅ大根を下ろしていたが、試しに残った大根を囓ってみた。
なかなか甘くて旨い。
かしゅかしゅと大根を囓っていると、Mちゃんが笑って云った。
「大根を囓る人なんて初めて見たわ。その手もあったんやね。」
結構長い時間待たされて来たのは、丼に入ったうどんの玉だった。
茹で時間が結構かかるようだ。
下ろし大根をぶっかけて醤油を垂らし、がちゃがちゃと掻き回して啜る。
ここでもMちゃんはうどんを飲み込んでいるようだが、真似したら噎せて咳き込んでしまった。
やはり京都人はうどんを噛んで食べますねん。
更にうどん三昧は続く。時間が午後2時を回り、あらかたのうどん屋は営業を終えてしまうのだ。
「釜玉うどん」の店に行ったが、すでに締まっていた。
仕方なく電話で確認して、まだやっているうどん屋に向かった。
高松の川沿いにあるその店は、Mちゃんのバイク仲間らしい。
暖簾をくぐると店には客が一人もいない。貸し切りのような感じだ。
「時間的にここが最後の店かな? だったらぶっかけの大をちょうだい。」
濃いめの汁で食すうどんはしっかりしたコシがあって、なかなか噛み切れない。
そんなときは飲めばいいのだろうが、慣れない人間は思い切れないものだ。数回でも噛まないと飲み込めない。
ようやく食べ終えて表に出る。
最初の四国上陸の時にSちゃんと待ち合わせた店に行こうと、先にMちゃんの車が通りに出て待っていた。
急いで過積載のバイクに跨り、道路に出ようとしたら、一台の車が来たので一旦停止して右足を出した。
ところが、ちょうど歩道の段差のあるところに足を着いたためバイクの傾きが大きくなり、過積載の荷重がどーんと右足にかかってしまった。
とても片足で支えきれる重さではない。
踏ん張っても傾いたバイクはじわじわとのし掛かってくる。
「ああ、だめだ、保たない!」
諦めた拍子に諸共どっでーんと倒れてしまった。
同時に、くわっしゃ〜ん!という厭な音が聞こえた。
右前のウインカーが砕け散る音だ。
かつて一度同じウインカーを同じような状況で砕いて高く付いた事を思い出し、
「あぁあ、やっちゃったぁ・・・」
と、後悔するも後の祭りだ。
車から駆け寄ってきたMちゃんも手を掛けて起こそうとしたが、ビクともしない。
過積載ゆえ、一度転けたら頑として起きないのだ。
うどん屋の中から店主も飛び出してきた。
三人掛かりで何とか起こせたが、一人は病み上がりの怪我人だ。
正味二人掛かりだったのかもしれない。
起こして見ると無惨に右ウインカーがコードを剥き出しにしてぶら〜んと垂れ下がっていた。
「BMWの店に行けばいくらでもあるよ。ちょうどいいや。」
よくはない。
最後の最後に転けてしまった。

これまで転けそうな危ない道でも全く転けずに走り抜いてきたのに、走ってもいないところで、立ち転けするなんざ、過積載ライダーの面子丸潰れである。
すっかりしょげ返ったひょっとこで、ちょこまか走るMちゃんの車に付いて行った。
店に着き、どこかから部品を探し出して修理してくれている間、それからどうするか悩んでいた。
淡路鳴門架橋を渡って神戸から京都に行くか、徳島から和歌山に渡って、また紀伊半島を回るか、いろいろ見て回る気力が残っているかどうかが問題だった。
何とか修理が終わって、店主がパソコンで価格を見ていたが、
「たっかぁー!? こんな部品がこんな値段なんや、たっかぁ・・・。」
高いのは分かっていた。
でも、壊してしまったものは仕方ない。
時間も夕方近くになり、徳島から和歌山に渡るコースで決定して、過積載ひょっとこは四国の迎撃隊に別れを告げた。
「またおいでよぉ〜、今度来たらうどんだけやなくて、○○の方も案内するからねぇ〜。」
素晴らしい加速で走り去っていくひょっとこには、○○の方は聞き取れなかった。
地図では少しの距離だが、徳島市内の渋滞にも阻まれてフェリー埠頭に着いた時にはとっぷりと日が暮れていた。
出航までに少し時間があったので、近くの中華料理店で麻婆ナスを食べ、フェリーに乗り込むと本土上陸の最後の夢の世界に意識は溶け込んでいった。



<再び本土上陸>
和歌山に着く頃には勝手に意識がぷっかりと浮かび上がり、本土の地を踏んだときは夜10時を回っていた。
「さてと、一気に走るか。」
和歌山から紀ノ川沿いにひたすら国道24号線を突っ走る。
橋本から五条、御所と街灯も疎らな道をひた走る。
途中追いついた車の中では、後ろに迫るひょっとこを見てパニックに陥っていた。
盛んに後ろを振り返り、信号待ちでは窓から体を乗り出して後ろのひょっとこを見ようとしている。
あんまり間近に見たそうだったので、信号が変わった瞬間一気に前に走り出てにっこり手を振った。
車の中では二人の女の子がきゃっきゃとはしゃいでいた。
橿原から天理に回り込み、25号線を通って福住から名阪国道に突入する。
さすがに大型のトラックなどの交通量が増え、一気にペースダウンしてしまう。
伊賀上野の健康ランドで一休みしようと入った。
「午前二時から宿泊料金になって3000円になりますけど、どうしますか?」
「いや、風呂に入るだけだから、この2時間1000円のでいいや。」
「すみません、もう深夜料金の2000円になってしまうんですけど、泊まりでしたら3000円でいいんですよ。」
「だから風呂だけ入りたいんだから、はい、2000円。」
「いいんですか?」
「いいんです!」
申し訳なく思っているのか、ただしつこいだけなのか分からないフロントの対応に苛々してしまった。
天然温泉とはいえ、よくあるスーパー銭湯と同じ湯船にさっさと入ってさっさと出てきてしまった。
「ええっ、もうお帰りですか?」
「はい、もうお帰りです!」
時計を見ると、入ってからものの15分しか経っていなかった。
普通の銭湯ならば400円、雲仙の温泉なんか100円だったから、2000円の風呂代はえげつなく高いものだった。
おまけに気分が悪い。
悪くなった気分を吹き払うように、名阪国道を突っ走り、亀山から国道1号線に降りると一気に23号線まで走る。
名古屋市内を抜け、知立から再び1号線に戻る頃、行く手の東の空に三日月が昇ってきた。
思えば、横浜を出発した頃は満月を背に走っていたのだ。
数えると10日間の長旅をしてきた。
満月も三日月に欠けてしまう筈である。
豊橋から浜名湖バイパスを抜ける頃に、猛烈な睡魔が襲ってきた。
ともするとカクッと頭が落ちてしまう。
アクセルを捻る力が抜けてきて、走る速度も段々落ちてくる。
矢も楯もたまらず、道路脇のどこかの駐車場に乗り入れ、センタースタンドを立てて跨り、タンクバッグにヘルメットのまま突っ伏してしまった。

瞬間的に意識が遠のき、眠ってしまったようだ。
ふと目が覚めると、朝ぼらけの中にぽつんと過積載ひょっとこバイクが佇んでいた。
時計を見ると1時間ほど眠ったらしい。
睡魔はどこかに退散していた。
さっぱりしたところでエンジンに火を入れ走り出す。
ひたすら1号線を突っ走る。
掛川バイパスの時限有料化5分前にゲートを突破して、200円浮いたとほくそ笑む。
富士川の橋の袂の道の駅に立ち寄ってボーっとしていた時、うろうろしていたお兄ちゃんが声を掛けてきた。
「すごい荷物ですねえ、どこに行ってらしたんですか?」
「四国をお遍路して、九州を一周して、また四国をお遍路して10日ぶりに帰ってきたとこ。あんたは?」
「一週間前に金沢を出て、ずーっと歩いてここまで来ました。」
「あ、そう・・・ええっ?歩いて?ずーっと徒歩で?」
「はい、1日30キロぐらいですねえ、歩けるのは。途中、トンネルですねえ、一番辛いのは。トラックなんかが迫ってきて怖いんですよ。」
と、日焼けした顔を綻ばせて話す。
旅にもいろいろあるものだ。
バイクで過積載して長距離を走り回る旅あれば、北陸から東京目指して徒歩でゆっくりゆく旅もあるのだ。
自由な旅では時間の観念が無くなってしまう。
行く先々での一期一会に旅の価値を見いだしている。
時刻表を睨んでスケジュール通りにあちこち見て回り、行列をつくってぞろぞろ見物の旅もあるだろう。
だが、本当の旅の醍醐味は時間に縛られない、目的地を定めず場所に縛られない、まさに行き当たりばったりの自由な旅こそ、様々な出会いの楽しみという醍醐味があるのではないだろうか。
道すがら、旅の始まりで出会った固く握りしめられていたコブシの蕾と思っていた花は紫色のモクレンとなって花開いていた。

横浜の我が家に着いた時、どこからかしゃんしゃんしゃんしゃんと鈴の音が聞こえてくる。
愛猫が嬉しそうに踊るようなステップで駆け寄ってきた。
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