あかべこ日記ワルダクミ編

「春弥生百花繚乱過積載無茶之旅」
平成15年弥生
by 古森 雲雄<ベベパパ>




春ダコキャンプ>

 
そもそも今回の九州遠征の大義名分は、今が旬の「春ダコ」を食すことだった。
有明海で獲れるイイダコが産卵の前で腹一杯に卵(飯)を抱えているのだ。
ビールのCMで一気に有名になったのが島原の春ダコなのだが、あちこちに宣伝看板が出ているかと思いきや、「焼きガキ」の看板ばかりで、「春ダコ」の文字はどこにも見あたらない。
しかし、九州のバイク仲間の呼びかけで遙々やって来たのだから、まずはその言い出しっぺのいるキャンプ場を探すことにした。

「有明の森キャンプ場」という場所すら地図になく、有明町という狭い町だからすぐに見つかるだろうと高を括っていたのが間違いの元だったようだ。
普賢岳の麓に扇状に広がる町ゆえ、溶岩ドームの盛り上がる火山を目安にあちこち走り回っていた。
場所を聞こうにも携帯電話は圏外になっており、無線の呼びかけにも一切応答はない。
午後の日差しにハクモクレンの花が白く輝いている。
焦る気持ちを花に託して落ち着こうとしたら、花の向こうに小さな札がひらひら風に揺れていた。
「@9・第4回九州オフミキャンプ会場」
何度もその前を行ったり来たりしたのに、気が付かなかった。

細い路地に入り込んでみると、いたいた、2人のオッサンが手を挙げて迎えてくれた。
近場の福岡からLさんと大分のHちゃんが、先発隊としてテントを張っていた。
「何だぁ、こんな近くにいたんなら、無線に応えてよ。」
と、文句を言ったものの、周波数を聞いたら全くかけ離れていた。
とりあえず、過積載の荷物を下ろし、テントとタープを張り、人心地ついた時、Hちゃんが、
「今日は一旦大分に帰るね。また明日、子供と来るから。」
と、いきなり帰り支度を始めた。

「だったら、せっかく持ってきたカキを食べてからにすれば?」
せっかくの美味しいワルダクミの犠牲者を逃してはならじと、荷物の中からポータブルグリルを引っ張り出し、付属の炭を入れて近くで拾った小枝を燃やす。
ぱちぱちと炎が上がって、やがて炭が熾りだしたら網を載せてカキを並べる。
数時間前に鱈腹食べてきたから、今度は焼くことを専らとする。
コツは十分承知しているので、手際よくナイフをこじ入れてぱかっと殻を開け、身を崩さないように貝柱を刮げる。
「ほい、焼けたよぉ〜、食べて食べて。」
LさんもHちゃんもはふはふ云いながらカキを頬張っている。
やはり30個近くあったカキはひとつもぶしゅーっと熱い逆襲をすることなく、ことごとく胃袋に収まってしまった。
「じゃ、これで一旦帰るけど、今夜はLさんと二人きりだよ。お熱い夜を楽しんでね。」
と、Hちゃんは帰っていった。

残された二人のオッサンは、互いにもじもじしながら見つめ合うと、
「夜は冷えるから、たき火しようか。」
「そうだね、じゃ、薪を集めよう。」
少し離れた野原に落ちている廃材や枯れ枝を集めに行った。
仲良く手をつないで・・・
そんな訳はない・・・。

 昼間はわりとぽかぽかした陽気だが、陽が落ちると途端に冷気が忍び寄ってくる。
見上げると普賢岳の溶岩ドームの頂上付近に白いものが見える。
この山は、1990年に噴火を始め、翌年には火砕流で大きな被害をもたらした。
思い返せば、噴火の半年前にこの島原を訪れていた。
ちょうど仕事で諫早に来て、そのまま車で島原半島を巡り、フェリーで熊本に渡ったのだが、あの頃の普賢岳の形は今とは全く違っていた。
当時は恐ろしい悪魔のような山であっても、怒りの治まった現在の山は穏やかな姿になり、すぐ麓で人々は平穏な暮らしを続けている。
人の世の戦争も夢であってほしいと願うが、現実は痛々しい傷跡が今尚残り、記憶の中に棲み続けている。
自然の災害は抗えないものとして記憶に残るが、愚かな人間の欲望から起きる戦争の傷跡は拭い去れない虚しい記憶として残る。
そして、今尚人々の暮らしに傷を作り続けている。

 冷たい風に凍える体を、たき火で温めながら二人のオッサンは遅くまで話し込んでいたようだ。
もう一人キャンプ場に来るはずなのだが、なかなか現れない。
燃やす薪も無くなって、炎も小さくなってくる。
「火が消える前に寝ちゃおうか。もう、待ってられないよ。」
「そうだね、じゃ、おやすみぃ。」
二人は20mほど離れたそれぞれのテントに別々に潜り込んでいった。

 早朝目覚めてテントから這い出すと、新しいテントが張ってあった。
中からかすかに鼾が聞こえる。
どうやら深夜に到着したらしい。
Lさんも起き出して、朝食を作っていた。
「昨日はカキをご馳走になったから、朝はパンでよかったらどうぞ。」
「ほいほい、結構結構、いただきます。ところで、あれ誰?」
「夜中に来たみたいだけど、福岡のTやんです。起こすの可哀想だから寝かしときましょう。」
と、奥さんの手焼きパンだというクルミとレーズンの入ったパンをかじっていると、噂のTやんが冬眠から醒めた熊よろしく巣穴から這い出してきた。
「おはようございますぅ・・・」
パンダのような丸い顔が、寝ぼけ眼で現れた。
「お昼は、漁協で2500円の春ダコづくしが食べられるんだけど、行きますか?」
Lさんは、昨日のうちに予約していたらしい。
「その春ダコを食べるために来たんだもん、行くよ行くよ、もちろん行くよ。」
三人で行く旨決定して、午前中の行動を相談した。とりあえず雲仙まで走りに行って、頃合いを見て春ダコを攻略しようと相成った。

 三台のバイクは、キャンプ場を後に、雲仙に向けて走り出した。
前日見かけたハクモクレンの白い花が朝陽に眩しく輝いている。
上りばかりのワインディングをぐんぐん駆け上ってゆく。
やがて雲仙温泉街に入ると、道の両側から白い噴気が吹き上がり、硫黄の臭いがあたりに漂っている。
「今日と明日、みんなが入る温泉探しておかないといけないんだ。どこがいいかなあ?」
Lさんは先発隊員として、現地調査をしているらしい。
「ビジターセンターに行けば、いろいろ情報があるかも。」
温泉街を右往左往してビジターセンターに着いたとき、何やら見覚えのある建物が目に入った。

それもそのはず、以前いた会社で手がけた施設だった。
中に入ると展示してあるカラーコルトンの写真は経年変化により褪色してしまっている。
ホールの映写機は稼働していなかった。

「あのう、マルチスライドは見られないんですか?」
「ああ、壊れてるんですよ。どこが壊れてるか分からないんですけどね。」
職員が申し訳なさそうに応えた。
「えー、実は以前このシステム作ったことがあるんですけど、見ましょうか?」
職員の顔が急に明るくなって、縋るように話し出した。
「お願いします、お願いします。ここんとこ全然点検にも来てくれないし、困ってたんです。」
思わぬ所で昔取った杵柄を握ることとなった。
診ると映写機には異常なく、制御器に問題があるようだ。
「あの空調のところから滴が垂れて、このあたりがべたべたに濡れたんですよ。」
結局、その場で修理できるような故障ではなかったようで、携帯電話にまだ入っていた業者の連絡先を教えてその場を辞した。
映写室に入っている間、連れの二人は時間潰しにうろうろしていた。
「さてと、そろそろ春ダコを食べに行こうか。」

三台のバイクは、来た道を勢いよく下っていった。

海岸縁まで下りきると、国道を横切って漁協の前に乗り入れた。
「まだ、準備できてないとよ。少し待っとって。」
作業場の水槽にもバケツにも桶の中にもうじゃうじゃとイイダコが蠢いている。

水槽の中のバケツの縁から脱走を謀っているタコが、まんまと成功したと嬉しそうにしゅーっと泳いだものの、おばちゃんがひょいと掴んでくるんと腹をひっくり返し、墨袋をぶちっとちぎってちゃぱちゃぱと洗ってぽいっとまな板の上に置くと、今度はおじちゃんが脚をぶったんぶったんぶった切りパックにぽいっと投げ入れた。
イイダコにとってほんの束の間の自由だったのかもしれない。
おばちゃんが1匹のタコを持ってきて見せてくれた。
「ほらここに金色の模様があるでしょ、これが有明のイイダコの証拠なんよ。春の今だけ卵を抱いてるのを獲って、この殆どは大阪に出荷するんよ。もうすぐトラックが来るから、それに積み込まんといけんのよ。」
せっせと手を動かして墨袋をとり続けるおばちゃんは、まだまだ沢山タコの入った笊を持ってきて、デンと目の前に置いた。あまりにも忙しそうなので外に出ていようとすると、Lさんは笊の中のタコにちょっかいを出していた。
「あ、吸い付いた、吸い付いた、いててて・・・あ、離れた・・・あ、吸い付いた吸
い付いた、おーいててて・・・あ、離れた・・・」

タコで遊んでいるのか、タコに遊ばれているのか、よく分からない風景だ。
作業の邪魔にならないように外でぶらついていると、沢山の貝殻が結びつけてあるロープの束があった。

赤貝の殻を海に沈めておくと、その中にイイダコが入り込む。
それを引き上げて、ぱかっと貝を開けると中からぞろぞろぞろぞろとタコが出てくるのだ。
蛸壺のミニチュア版ということだろう。
「は〜い、準備できましたよ〜、どうぞ〜。こっちの方がいいでしょう。」
先ほどまで忙しく作業していた所にテーブルが出してあり、上に茹でた春ダコがてんこ盛りになった皿が並んでいる。

真っ二つに割った飯(卵)のぎっしり詰まったアタマ(正確には腹)が8つ(4匹分)に、切り落とした脚が8×4=32本どばっと盛りつけてある。
他にアンヨの天ぷらとサラダ、煮付けの小鉢が付いており、ご飯とみそ汁がある。
「アタマは醤油で、脚は酢味噌がおいしいよ。」と、おばちゃんがこそっと教えてくれた。

「いっただっきま〜す!」
三人は一斉に「春ダコ」にかぶりついた、むしゃぶりついた、食べまくった、頬張った、がっついた・・・が、なかなか皿の中の脚の数が減らないように思える。
食べる端から新しく生えてきているのではないかと思えるほどだ。脚はぷりぷりとした食感で、弾力のある歯ごたえが楽しい。
飯の詰まったアタマ(正しくは腹)は、噛みしめると卵がご飯に似た歯触りで、ねっとりとした味わいがあり美味である。

半分までは旨いと思って食べ続けたが、残り半分になると、ほぼ惰性で食べているようでもある。
Tやんが真っ先に食べ終えた。Lさんはというとまだ沢山残っている。
「もう食えません。持ち帰ります。すいませ〜ん、持ち帰りのパック下さい。それと、キャンプ場に持ち帰るんで、あと2パックお願いします。」
キャンプに来る人たちの分を持ち帰らないと、全国から来る春ダコ目当てのライダーに顔向けできなくなってしまう。
何といっても「春ダコオフミ」なのだ。
「ああ、苦しい、もう食べられないよぉ。タコの顔も見たくないよぉ。」
見ようとしても、タコの顔はそう易々とは見られない。
「どうする?キャンプ場に戻る前に、風呂にでも入ろうか?」
漁協の近くに銭湯があるのだが、島原半島ではどこの風呂屋でも天然の温泉が出ている。
恐ろしい火山ではあるが、ありがたい温泉をもたらしてくれる。
300円で天然温泉に入れるのだ。

まったりとしたひとときを過ごして、ぽかぽかと温まった体をキャンプ場に持って帰ると、前日カキを食べて帰ったHちゃんが子供を連れて来ていた。
さらに、テントの数が増えて、賑やかになっている。
他にも子連れのMさん、食材満載で宮崎からやって来たFさん、とっておきのハムを持ち込んだAさんなど、それぞれがいろいろ食材を持ち込み、準備を始めていた。
聞けば、その夜は前夜祭なのだそうな。
ということは、横浜から遙々と前々夜祭に来てしまった訳である。
もっとゆっくり四国を回ってくれば良かったのかもしれない。

たき火の準備をしている頃から、空模様が怪しくなってきた。
時折ぱらぱらと雨粒が落ちてくる。
調理器具をタープの下に移動していると、自ずとみんな集まってきた。
たき火にあたるより、雨にあたる方がみんないやなのだ。

明るい内に野菜などを刻んで下準備していたから、あとは中華鍋を振るうだけだ。
大量のキャベツや椎茸、ニンジンと豚肉を鍋に放り込み、じゃっじゃっじゃと本格中華料理が始まった。
横ではチキン南蛮の調理、前では焼き肉にアジとイカの刺身に件の春ダコがみんなの間をぐるぐる回りだした。
下戸の料理人をよそに酒瓶もぐるぐる回り、差しつ差されつのやりとりが目まぐるしく行われて、全員の血中アルコール濃度が高まっていく頃、雨足も次第に密度を増してきた。

そんな雨の闇夜を裂いて2つの光が到着した。
茨城と神奈川からひたすら高速道路を走り続けてきTちゃんとNちゃんだった。
神奈川のNちゃんに至っては、直前までメールで行けない旨云っていただけに、
「あれれ、Nちゃん、来ちゃったの? 来れないって云ってたじゃん。」
「へへ、やっぱり来ちゃいました。何とか無理矢理都合つけましたけど。」
どんな理由付けであれ、1000キロの道程を殆どノンストップで走ってきた仲間の到着は嬉しいものである。
Tちゃんに至っては茨城県だけに、プラス100キロなのだ。
残っていた食べ物にちょこっと手を付けると、雨の闇夜に溶け込んでいき、テントの設営をしているのか、2つのライトが蛍のように蠢いていた。

 やがて、雨中行軍の二人も加わって四方山話が続いたが、強い雨も続いていた。
タープの端に雨水が溜まり、Mさんの頭上でぱんぱんになっている。
最初は、ぱんぱんのタープの端を持ち上げて、じょぉ〜っと垂らしたが、ものの10分ほどでまたぱんぱんになってしまう。
江ノ電最中を振る舞っていたNちゃんが、料理の終わった中華鍋をタープの端に持っていき、じょぉ〜っと移すとタープの外にばしゃっと投げ捨てる。
3,4回じょぉ〜ぱしゃを繰り返すと、汚れていた中華鍋がきれいに洗えてしまった。
雨水の無駄のない利用法だ。
降り止まない雨の中に、一人、二人と塒に潜り込んでゆく。
やがて、ざあっという雨音に混じって、様々な音色の鼾が暗闇の中から蛙の合唱の如く聞こえてきた。

<増殖>

 
雨は夜更け過ぎに上がったようだ。
梢の葉の先に朝露がきらりと輝いている。
キャンプサイトの周囲には桜の木が植わっており、ちらほらと五弁の花が咲いている。
まだ一分にも満たないが、来週には花開いて桜祭りが催されるらしい。
タープの下の春草には兵どもが夢の跡の残骸が転がっている。
それらを避けつつ、草の上に立ち見回すと、前日陽の光の下で見たのより多くのテントが張られていた。
今夜にかけてどんどん増殖していきそうな雰囲気だ。
皆各々の持ち込んだ軽い朝食を作って食べていたが、こちらは連夜の大判振る舞いで殆どの食材を使い切ってしまった。何かないかと探していると、あった、「たむらのうどん」の箱が残骸の中からここにいるぞと云わんばかりに自己主張している。
早速、中華鍋に水を入れ、バーナーで熱して沸騰するのを待った。
やがてふつふつと沸いてきたので、「たむらのうどん」の箱から生麺を取り出すと、ばらばらと湯に落とす。
茹で上がるまでに、別のバーナーで小鍋に湯を沸かしてうどん汁をつくり、別の小鍋に卵を割り入れて醤油を少し垂らして溶いておく。
うどんが茹で上がると、半分は汁の中へ、もう半分は湯を切って熱いまま溶き卵の中へ入れて素早くかき混ぜる。
かけうどんと釜玉うどんのできあがりだ。
もちろんネギを入れるのは忘れない。
キャンプ場では朝から豪勢な食事かもしれない。

 数人が連れ立って雲仙の100円で入れる温泉に行くことにした。
あとはばらばらで勝手気ままにあちこち走りに行くらしい。
無線の周波数を合わせて、前日と同じコースで雲仙温泉まで駆け上がってゆく。
雨上がりの普賢岳は霧に隠れていたが、時折晴れ間に見える頂上は真っ白に冠雪していた。
高いところで、雨は夜更け過ぎに雪へと変わったようだ。季節はずれのクリスマスといった風情か。

温泉街の奥まった所にある大衆浴場の「新湯温泉」の前に7台のでかいバイクが並んだ。

寒くないだろうと高を括って薄着で来てしまったLさんは寒さでガタガタ震えていた。
「こんなに寒いとは・・・思わなかった・・・雪積もってるんだもん・・・早く温泉に・・・入りたい・・・」
親子連れを含む8人が、ぞろぞろと100円の温泉に入っていくが、Lさんだけは真っ先に服を脱いで、真っ先に湯に飛び込んでいった。
「あっちぃ〜!! なんじゃ、これ、熱すぎるよぉ〜。」
一旦、湯に入ったもののすぐに飛び出してきた。

慌てて桶を持ってきてそろそろと掛け湯をし、少し熱さに馴染んだ頃に、再びじんわりと湯に入っていった。
Lさんが浸かったのを見て他のみんなが湯船に入っていったが、
「なんだ、そんなに熱くないよ。Lさん冷え切っていたから熱く感じたんだろ?」
実に結構な湯加減の温泉だった。


しばしまったりゆったりして温まった一行は、温泉街を散歩すべく表に出た。
すると、今朝ほどばらばらに走り出していった仲間がやって来た。
「なんだ、結局みんなこの温泉に来るんだ。これから地獄巡りしてくるから、風呂から出たらおいで。」
ぞろぞろそぞろ歩いて地獄見物と洒落込む。

至る所で噴気が上がり、ぼこぼこと温泉が湧き出している。
硫黄の臭いがあたりに漂い、風向きによっては真っ白な蒸気に巻かれて見えなくなってしまう。
と、その時、白い煙の中から一人の老婆が現れた。
「みなさん方、温泉卵食べていきんしゃい。うまかとよ。」

温泉の蒸気を利用して卵を蒸しているのだが、普通は温泉卵というと半熟のようなものを想像するのに、ここの蒸気の温度が高いため、完全な固茹で卵になってしまっている。
更に、箱根の大涌谷や草津温泉の温泉卵は60〜80℃の温泉にどぼんと浸けるのに、ここでは100℃以上の高温蒸気で蒸しているのだ。
だから、ちょこっと温泉卵のイメージとは異なっていた。
宮崎のGさんが、「ここはボクがみなさんに奢りますよ。どうぞ食べてください。」
各人が一斉に手を出して卵をとると、卵売りのおばあちゃんが云った。
「ここで食べると通行の邪魔になるけん、裏の方で食べちょって。ほれ、こっちこっち、このバケツに殻入れればよか。うまかとよ。」
「あれ?塩ないの?塩は?」
「ああ、袋に一緒に入ってる、一人一個ずつあるみたい。」
薬包みたいな紙に塩が入っていた。

あっという間に食べ終えて、道路の方を見遣ると、また三台のBMWが走ってきた。
「あ、あれ鹿児島のRさんだ。Mさんとどっかで一緒になったんだな。」
結局、みんなバラバラに出たものの、同じ場所に集結してしまったようだ。
「じゃ、ここでみんな揃うのを待とうか。」
一族郎党ごわごわのライダーウエアで着膨れた集団がぞろぞろと地獄巡りをする図が出来上がった。
只一人薄着のLさんを除いては。
「じゃ、お昼ご飯を食べに行きましょうか。案内します。」
と、「ハムの人」Aさんが先導して一行は走り出した。
路傍にはサンシュユが黄色い花を付けていたが、前夜の雪で凍えたのか、蕾が咲いていいものかと戸惑っているように見えた。

やがて一軒の民家風の店にどやどやと大量のバイクがなだれ込んだ。
お姉さんが注文を取りに来たので、「お勧めはな〜に?」
「はい、具雑煮なんかおいしいですよ。」
「じゃ、それ。」
メンバーの半分ぐらいは、「具雑煮」にしたようだ。

出てきたのは白菜や椎茸などの水炊き風の中に餅が入っている。
あとで聞いたら島原の名物らしい。さほど珍しいものではないような気がするのだが・・・。

昼食を終えて、その場から別々の道を走りに行くグループに分かれた。
Lさんは、薄着が祟って寒いのと、バイクの不調でさっさとキャンプ場に戻っていった。
「ハムの人」Aさんの先導で、島原の県道農道を巡ることにした。
九州は、幹線道路を除けば走りやすい道が多いように思う。
殆ど他の車の姿が見えない道を、Aさんと鹿児島のRさんに続いてひょっとこがひょいひょい付いてゆく。
あまり人には言えない速度でかっ飛ばしていたが、実に爽やかで気持ちのいい走りを堪能できた。

 キャンプ場に戻ると、広島のMKさんから一斗缶でカキが届いていた。
そして、ますますテントの数が増殖していた。
先に戻っていたLさんは、その日のうちに帰るという。尤も今回のメンバーの中では一番近場だったのかもしれない。
二日にわたり一緒に熱い夜を過ごした仲間を見送ると、三日目の夜の宴の準備に取りかかった。
尤も、野菜類を刻んで炒めるだけの八宝菜なのだが、何でも余った食材をぶち込める実に便利なメニューでもある。

広場の真ん中では盛大な焚き火が始まった。

暖をとるだけでなく、ゴミなどを焼却処分するにも、焚き火は有効である。
「ほ〜ら、カキを焼くぞー。みんな食べにおいでぇ〜。」
そう叫ぶと、わらわらと集まってきた。
このキャンプでは春ダコとカキをげっぷが出るほど食べてしまったので、今となってはカキ焼き職人に専念する。
カキを網の上に並べていると、また、一台やって来た。
ランタンの光芒の中に現れたのは、埼玉からのAさんだ。
「あれえ、Aさんも来ちゃったのぉ? バカだねえ、ホント、バカだなあ。」
心から嬉しくなって歓迎のバカを連発してしまった。
青森の竜飛でもそうだったが、みんな社会人でいるときはバカになれないし、バカなことはできない。
だからこそ、遠く離れた地でも、バカになりたくてやってくる。
大変だったねえ、偉かったねえと誉められるより、バカだねえと云われた方が、苦難の道を走ってきたライダーにとっては最
大の誉め言葉であり、仲間の絆を強める連帯感の現れなのだ。何
と云っても、バカだバカだと云っている本人が、誰しも認める最大級のバカなのだから。

「ほい、焼けた焼けた、どんどん食べて、どんどん焼くから。」
次々にぱかっと口を開けるカキを、せっせと貝柱を刮いでみんなに配る。
ひたすら焼き続けるバカなカキ職人の周りで、ぼーっと口を開けてバカたちが待っている。
ぱちぱち燃える炎を見ている彼らの表情は少年に戻っていた。
社会の憂さを忘れて、心からリラックスし、炎の動きに癒されながら旨いカキを頬張る姿には何の外連(けれん)
もない。
「バカ」は「少年の心に戻れる大人」なのだ。

 夜も遅くなってヤマハTDMの集団がやって来た。
別のグループかと思いきや、先頭のBMWが福岡のNさんだった。
Lさんと入れ違いの今回のキャンプの主催者である。
みんなバイクの車種は違えども、同じライダー同士和気藹々とキャンプを楽しんでいた。

 一通り全部カキを焼き終え、食べるものも全部無くなり、酒だけが残った時点で、下戸のオッサンはテントに潜り込んだ。外ではいつまでも果てしなくたわいないバカ話にきゃっきゃと笑い転げる「子供たち」の声が続いていた。

<ガキゲカ>

 
爽やかな三日目の朝が来た。
みんなそれぞれの家路に就く日だ。
関東から1000キロあまりを走ってきて一泊した後、また1000キロ走って帰る者、あちこちうろちょろしながら2000キロ走って来て三泊し、まだこれからどこに行こうか迷っている者、それは自分自身なのだが、それぞれの楽しい思い出を胸に帰路に就いてゆく。
先に旅立つ仲間を笑顔で見送るのは、ライダー仲間にとって無事に家まで帰れと祈る表情でもある。
「またどこかで会おうね、気を付けてねぇ〜!」
必ず再会を約束して別れるのがライダーの常である。
いつかどこかで無事な姿で再会出来るのが、ライダー仲間の最大の幸せなのかもしれない。

 鹿児島に帰るRさんと一緒に走ることにした。
島原半島の口之津からフェリーで渡り、本渡を経由して牛深からまたフェリーで長島に渡り、出水の鶴を見て鹿児島に至るというルートだ。
無線を合わせて走っていれば、いろいろ話ながら行けるし、退屈もしなければ眠くもならない。
キャンプ場から走り出した道からは、遙かに聳える普賢岳の溶岩ドームがうっすらと雪を被って見えた。
走りながら無線で会話をしていると、話題が段々深刻な内容になってきてしまった。
彼は小児外科の医師であり、人の命を扱う職業として、医の倫理の中での命の尊厳と地球という生命の星の中での命の尊厳について問うてきた。
かなりの速度でコーナーを攻めながら、アクセルとブレーキを駆使しつつ、命の尊厳について語り合うほど自分のとっている行動との矛盾を感じていた。
一歩間違えれば、自分の命が無くなりかねない走りを楽しんでいたのだ。
裏を返せば、それだけバイクの性能が安全・安心・安定しているからこそなのかもしれない。

フェリーに乗っている間は、なぜかたわいもない話になって、小児外科だから「ガキ外科」だねとケラケラ笑っていたが、走り出して無線の会話になると、戦争の話や哲学的倫理的話題に終始してしまうのだ。
それでいてびゅんびゅん走っている。
「お昼は、出水のバイク仲間で歯医者がいますから、彼に案内してもらいましょう。」
電話で呼び出したDさんは長島まで迎えに来てくれた。
漆黒のK−RSに乗って現れた彼は、皮のライダースーツに身を包み、コーナー手前になるときゅっきゅとお尻をずらして体重移動をしていた。
どでかい図体で過積載のバイクだと思うように体は動かず不動の体重移動を余儀なくされる。
自ずと力任せのごり押し走法になってしまうのだ。
阿久根の脇本海岸に地鶏と蕎麦の店があるからと、案内してくれた。
そこは東シナ海を見渡せる海岸にある店で、地鶏の刺身に始まり、地鶏の網焼きが続き、最後に掛け蕎麦が出てきた。
地鶏は臭みもなく、締まった身が歯ごたえ良くなかなか旨い。

 昼食を終え、出水の鶴の飛来地まで案内してくれるという。
ひょこひょこひょっとこバイクで付いていくと、観光バスが乗り付けていた。
鶴の飛来地が、そこまで観光地化されているのかと驚愕したが、ナベ鶴がものすごい数で屯しているのを見ると、もっと驚いて逆に落胆してしまった。
来るまでは北海道の丹頂鶴のような絵になる姿を期待していたが、目の前にいるナベ鶴の団体さんは灰色の薄汚い群で、人の餌付けで居座っているとしか思えないし、カメラのファインダーを覗いても全く絵にならないのだ。
「なんだかなあ・・・まるで鶴のブロイラーだなあ・・・ブロイラーならまだ食べられるけど、こいつら食えないもんなあ・・・。」
さっさと走り出してしまった。県道か広域農道か分からないが走りやすそうな道まで来て、Dさんが無線で云った。
「この先からはRさんの華麗なるライディングフォームを見せてくださいね、どうぞ。」
「了解です。」
そう言うと、「ガキゲカ先生」は一気にアクセルを開けてすっ飛んでいった。
最後尾に付けて走っていたが、過積載の巨大なひょっとこバイクがつんつん直後に付きまとうのをミラーで見て、
「あ、ボク、ペースが遅いんで先に行ってください。」
「はいよ。」
今度は、ひょっとこが巨大な荷物を抱えたまますっ飛んで行った。
過激なコーナリングを、過積載の荷重を利用して力任せにぎゅんぎゅん押し倒して行く。
荒れた路面など気にしている暇はない。
強引に進めば滑る路面は一瞬で通り過ぎるし、すぐにグリップが回復する。
下手にゆっくり走れば、滑りやすい路面に接する時間が長くなり、自ずとスリップする時間も長くなる。だから、マンホールや継ぎ目の上を通るときは、スピードを落とさずにそのまま素早く乗り越えた方が、かえって安全なのだ。
障害物を避けるようにふらふらラインを変えていたら、過積載の場合は重心が揺らいでかえって危険なことがある。
そんなこんなで後ろを気にせずに走っていたら、何時しかDさんは遠く離れてしまった。

「いやあ、すごいですねえ、あんなスピードでそんな過積載のバイクをよくあれだけすいすいと操れますねえ。」
「いや、バイクの性能もさることながら、こんな過積載だとゆっくり走る方が危ないし、あちこち走り回って自ずと身に付いた過積載仕様の走法ですよ。ボクには走法のセオリーなんて論理的な走り方はできないし、いつも行き当たりばったりで力任せに走ってるから、人馬一体になった我流の走法なんで、良い子は真似しちゃだめよ。」
「いや、後ろから見て勉強させてもらいました。ありがとうございます。」
「こういうことはやってはいけない、反面教師だね。」
鹿児島に近いところで、Dさんは引き返していった。
日はすでに傾きかけている。
Rさんに鹿児島のホテルを紹介してもらうことにした。
鹿児島港に近い桜島温泉ホテルに着き、再会を約束してガキゲカ先生は帰っていった。

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