あかべこ日記ワルダクミ編

「春弥生百花繚乱過積載無茶之旅」
平成15年弥生
by 古森 雲雄<ベベパパ>



<可愛いテロリスト>

 春弥生は水も温み長閑な気候になるはずだった。だが、どうだろう、朝晩の冷え込みは厳しく、山間では氷点下となって霜が降り、雪が舞っているほどだ。世界の情勢と共に気候もかなりおかしくなってしまっている。

 そんな世間に背を向けて、我が愛しの猫は幸せな日々を送っているようだ。
どうも猫というものは満足して不安が無いと鳴かないものらしい。我が家に転がり込んできてからもうすぐ半年が経とうとしているのに、未だにまともな「にゃん」という猫らしい鳴き声を聞いたことが無い。ぐるぐるぐるぐると甘えて喉を鳴らし、か細い声で囁くように「にっ・・にっ・・」と云うだけなのだ。

京都にいる全く吠えないピレネー犬同様、この猫にも手話を教え込まないといけないのかもしれない。
だが、先代の猫に実によく似た、というより年齢と模様以外全く同じで生まれ変わりとしか思えない新型の猫は、若いこともあって実に活発、且つわがままではある。
寝ているときはべったりとくっついてきて実に可愛くおとなしいのだが、一旦目が覚めて遊び始めると部屋中を引っかき回すテロリストに変身するのだ。
テーブルやデスクの上にある物は、ことごとくちょんちょんと前足で下に落としてしまう。床に置いて
ある物は、すべてひっくり返し、倒してしまう。縦の物はすべて横にし、上の物はすべて下に落とす勢いだ。お陰で机やテーブルの上は綺麗になったようだ。
その代わり下回りには雑多に小物が散乱している。叱っても全く無視してちょんちょんとタマをとり続けている。実に可愛いテロリストなのだ。

そんな可愛い猫に長期留守番の役目を負わせる時がやってきた。
九州のバイク仲間が主催して集まる「春ダコオフミ」略して「ワルダクミ」に参画すべく、あかべこGSにアルミ岡持三点セットを装備して、テント、シュラーフ、タープ、マット、ポールなどぎっしり詰め込んだ巨大なズタ袋をどっかと載せ、部屋中を引っかき回して慌ただしく準備しだした。
そんな様子を見て猫は何を思ったか、同じように忙しく部屋の中から外のバイクの周りを駆け回り、はしゃぎ回っている。
自分が置いてきぼりを食らわされることに気が付いていないようだ。
そして、夜明けと共に出かけようとすると、自分の置かれた立場を悟ったのか、寂しげに座って見送っている。
後ろ髪を思い切りびんびんと引かれながら、心の中で手を合わせ、過積載のあかべこGSを横浜のまだ疎らな車通りの中に滑り込ませた。

<急がば回り道>

 急ぐ旅ではないにしても、渋滞に巻き込まれての遅延は芳しくない。
関東平野をさっさと東名高速で乗り切り、御殿場から静岡の裏街道を走ることにした。とは言え、清水まではどうしても国道1号線を通らざるを得ず、大型トラックの群の中をひょっとこ面を付けた過積載バイクがひょいひょいと舞うように疾走していった。

静岡市内から362号線に入り、寸又峡の方に向かって走り出したのだが、山間に派手なショッキングピンクの木の花を見つけ、思わず小径にあかべこを突っ込んでしまった。

目にも鮮やかなピンクの花はハナモモなのか緋桜なのか紅梅なのか、近づけなかったから樹種は判明しなかったが、十分花好きの目を楽しませてくれた。
満足してバイクに戻ったら、そこには苦難が待ち受けていた。
小径はやや下り坂になっており、砂利と泥と水溜まりの中に過積載のバイクを乗り入れていた。到底Uターンはできそうにないし、バックするにもあまりの荷重でびくともしない。
思い切り踏ん張って後ろに下げようとしたら、前輪が泥の中でぐんにゅりと滑って横に動き、傾きが急にきつくなって踏ん張っていた腰に途轍もない荷重がのし掛かってきた。
「んぐうぇうわぉ!!」
声にならない呻き声を発して必死に踏み止まり、何とかサイドスタンドを引き出したものの、泥の中にめり込んでしまって傾きは止まりそうにない。
仕方なくセンタースタンドで何とか立ち直ったものの、さて、そこから如何に脱出するかが問題だ。
小径の先を歩いて検証してみた結果、少し先の用水路にかかった1mほどの幅のコンクリートの箇所を見つけた。そこまでバイクを押してゆき、何度も何度も切り返してやっと小径から脱出する事が出来たのは、30分以上も経ってからだった。
出だしから花に見とれて大きなタイムロスをしたようだ。
そこから気を取り直し、まだ新緑の芽吹きを待ち侘びている山の木々を横目に数キロ走ったら、またもや黄色い木の花が目に留まってしまった。

ミモザだった。
ギンヨウアカシアかフサアカシアよく分からないが、黄色いポヤポヤした花が鮮やかに輝いている。
やはり小径を通っていったが、一度酷い目に遭っていたので、花を見ながらも脱出ルートを確認していた。
ピンクと黄色の花のご馳走を目一杯楽しんで気分良く走り出したら、今度は工事での通行止めに出くわしてしまった。
若いガードマンが走り寄ってきて曰うた。
「この先通れるまで1時間ほど待ってください。」
「ええっ!?1時間も?バイクだけでも通れないの?」
「駄目です。」
すると、やはり通せんぼうされてトラックから下りていたオヤジが喚いた。
「おい、行けるよぉ、バイクぐらい通してやれよぉ!」
「いや、駄目です。規則ですから・・・。」
はぁ・・何とも頭の固い若者だこと。何でも規則に縛られて融通がきかなくなっている。地図で確認すると、すぐ先から県道で川根方面に行けるようになっていた。
「この県道には行けるの?」
「はい、行けます、どうぞ。」
まだ1時間も待たされる車の列の横を通り越して脇の県道に入り込んだ。
ちょっと工事箇所の方を見遣ると、狭い道幅いっぱいに大きなダンプがはまり込み、荷台を上げてアスファルトを下ろしていた。確かにバイクでも無理かもしれない。

 誰も通らない、車の影さえ見えない県道を気持ちよく駆け抜け、清笹峠に差し掛かった所で、高台に聳えて大きく枝を広げているイチョウの木に出会った。
静岡県指定天然記念物の「黒俣の大イチョウ」で、まさに小高い丘から下界を睥睨(へいげい)しているような威厳のある巨木だった。さぞや黄葉の時は鮮やかに映えることだろう。

その木はオスであるために、銀杏の実はならない。
おそらく、数百年昔に旅の仏教僧がこの地を訪れ、持ち寄った銀杏の実を手植えたものと思われる。
そもそも銀杏と茶は中国大陸から仏教と共に日本に渡ってきたものだ。茶の実も銀杏と同じように仏教僧の手によって広められたとすれば、清笹峠を越した山間に広がる川根の茶畑がそれを証明しているのではないだろうか。
茶の湯も仏教僧の嗜みから始まった事でもあるし、それぞれの大陸から渡ってきた歴史的経緯を鑑みると、一本のイチョウにも、一杯のお茶にも、遙か遠く古代ロマンが甦ってきそうな心地に陥る。
何だか空想の世界に遊びながらくねくねと山道を下りてくると、綺麗に刈り込まれた川根の茶畑が春の日差しを浴びてきらきらと輝き、規則正しい幾何学模様を描いていた。



<黒の舞>

 川根から少し北上して再び362号に合流し、狭く曲がりくねった山道曲道をかなりの速度で快走していた。
すると、前方上空から何やらひらひらくるくると回りながら落ちてくる物があった。
バイクを急停止させて、しばらくその落ちてくる物を見ていると、何と、2羽のカラスが絡み合って落ちてきたのだった。
喧嘩でもしているのかと興味半分に見ていると、地上から5mほどまで落ちたところでパッと2羽は離れ、上の方に飛び上がって行き、遙か上空で落ち合うと互いの足で掴まり、互いの片方の翼だけを広げてそのまま落ちてくるのだ。
その際、互いの片方の翼だけを広げて体をくっつけているために、2枚の羽が作用してちょうどカエデの種の羽のようにくるくるくるくる回りながら落ちるのだ。そして、また地上5mほどの所でパッと離れて上空に飛び上がり、再びくっついて片方の羽を広げてくるくるくるくる・・・何度でも飛び上がっては回って落ちる事を繰り返している。
まさに、「黒の舞」即ち「クロウ(烏)の舞」である。
明らかに遊んでいるのだ。
しかも自由落下の回転運動を2羽が共同で行っている。カラスの知能の高さを実感してしまった。

普通の鳥はエサを捕り獲物を狩り子を育てる事に専念して、生きることで精一杯という動物なのだから、遊びという意識は無いはずだ。しかし、カラスにはかなり高レベルな知能的「遊ぶ余裕」があるようだ。
しばし、バイクを止めて口をぽか〜んと開け、その「黒の舞」を舞台のバレエを見るように眺めていた。
まさに「黒鳥のグラン・パ・ドゥドゥ」なのだ。
しばらくして、華麗なるバレエは終わり、2羽のカラスは只一人の観客に向かって鄭重な挨拶をすると踊るようなステップで舞台袖に引き上げていった。

<春の装い>

 浜北の街外れに差し掛かったとき、道端に華やかなピンクの花園を見つけた。
桃があでやかな花衣装を纏っているのだ。思わず立ち止まって、しばし見とれてしまった。

世の中にピンクの花は数あれど、桃の花ほど心浮き立たせてくれるピンクの花はないと自分では思っている。それほどの桃の花の大ファンなのだ。
ひょっとこ面がピンクの花に囲まれて嬉しそうにしている。

通りかかったお婆ちゃんがにこやかに微笑んで声をかけてきた。
「あんりゃ、ひょっとこさんが似合ってるだなぁ。・・・おおけな単車だなぁ。・・・どえりゃあ荷物だにゃぁ・・・」
花に誘われて綻ぶ笑顔もひょっとこに誘われて洩れる笑顔も心の底から優しく暖かい思いから溢れ出るようだ。
ひょっとこ面を付けて走り出してからというもの、道行く人の顔にも車のミラーに映る顔にも必ずといっていいほど笑顔を見て取れる。
厳ついバイクのひょっとこ面は癒しの効果があるのかもしれない。

気分良く走り出した道沿いの家々の庭先にあるコブシの花のつぼみは、まだ固く握りしめられていた。
綻ぶのはもうすぐだろう。ひょっとこが通った後には、間もなくコブシの花がぷっと吹き出して開くかもしれない。


 浜名湖の北岸をかすめて三ヶ日方面に向かった。
名古屋市街を回って伊勢方面に行くのはかなりの混雑が予想される。
以前にも利用した伊良湖からのフェリーに乗ろうと、渥美半島へひょっとこの顔を向けた。
豊橋市役所前の交差点から左折して、ひたすら伊良湖崎へひた走る。
地図ではそれほどの距離に思えないのだが、いざ走るとなかなか着きそうにない。単調な道が延々と続いている。
半島の先っぽに到着してフェリー乗り場に入ると、係員がおいでおいでをしている。
「フェリーに乗りますか?」
「は〜い。乗りま〜す。」
「じゃ、すぐにチケット買って乗り込んでください。すぐに出発しますよ。」
間一髪、間に合ったようだ。
ヘルメットをかぶったままチケット売り場に飛び込み、買ったチケットを口にくわえてバイクに戻り跨ると係員が走り寄ってきた。手が離せないので口にくわえたまま、アゴを突き出すようにすると、係員は口からチケットをとり半券をちぎって、また口に戻してくれた。
「んがんぎんがんご・・・(ありがとう・・・)」
口がふさがっているので腹話術のような口調になってしまった。
イッコク堂の腹話術のようには話せない。マ行やパ行など、どうして発音するのだろうと感心してしまう。

船倉の脇に過積載のあかべこを乗り付け、サイドスタンドで立たせるように係員に云われたものの、とても自立できるような状態ではない。
あちこちに木製のストッパーを咬ませて何とか支えたが、係員曰く、「この状態で倒れても責任負えないからね。」
と、釘を刺されてしまった。


口ではいいが、タイヤには釘を刺さないでもらいたいものだ。船室に入ってパンチカーペット敷きの床にごろんと寝ころぶと一気に夢の世界にワープしてしまった。

「間もなく鳥羽に到着です。」
という船内アナウンスで目が覚めた。
今寝付いたところなのにと目をしょぼしょぼさせながら気怠い体を持て余し気味に船倉に下りる。
バイクは1台だけで最後の乗船だったから、下船は一番最後にされてしまった。
夕暮れ迫る伊勢の海岸縁の小径をゆくが、行けども行けども道は更に細く狭く険しくなってくる。
どうやら道を間違えてしまったようだ。
たまたま通りかかった漁師のおじさんに問うた。
「すみません、この道はどこに行くんでしょう?」
「はぁ? こっちはちょっと先で行き止まりやで。あっちの道はずーっと行けるけど、狭いでぇ。最初の十字路を右に行ったら、県道にぶつかるからそっちに行ったらええでぇ。」
「は〜い、ありがとう。ははは、道に迷っちゃったみたい・・・」
「ははぁ、その魚籠に何入れるんや?」
「はい、ウナギでもドジョウでも何でも入りますよ。」
ひょっとこ面に似合う魚籠に目を付けた漁師のおじさんは、にこやかに話し終えると、颯爽と軽トラックで走り去っていった。
道幅が次第に細くなり、1mぐらいになってくる。
リアス式海岸の縁を律儀になぞっている道故、なかなか目的地に到達しない。
もどかしく危なっかしく過積載のあかべこを操って、おじさんの云っていた十字路に辿り着いた時には、かなりの時間が経っ
ていた。
県道に入り込む頃、夕日はすでに地平線深く沈み、背後の地平線からまん丸な満月が昇り始めた。

<ホルモン開戦>

 夕暮れの260号線をひた走る。
満月の明かりで前途は明るく照らし出されている。
全くと云っていいほど車の通りは無く、時折不安が脳裏を過ぎるが、孤独なライダーは脳天気に大声で歌を口ずさんでいた。
同時に腹の虫も食う食うと喚きだしたものの、あたりには店どころか人家さえも見あたらない。
今しばらく我慢せよと腹の虫に言い聞かせ、紀伊長島の42号線と合流したところで、目の前に「ホルモン焼き肉」の看板を見つけた。見回してもその店にしか明かりが入っていない。
ひょっとこが店の中を覗き込むと、お爺ちゃんとお婆ちゃんが所在無げにぼーっと座っている。
「ああ、腹減ったあ、寒かったあ!」
と、大声を張り上げながら入ってきた大男に一瞬たじろいだような様子だったが、すぐに客と悟って慌てて身支度を始めた。お爺ちゃんが小さな湯飲みにお茶を出し、お婆ちゃんが厨房に入り込む。
「何にしますか?」
「そうさなあ、ハラミと・・・あ、ないか・・・じゃ、カルビに、コブクロ・・・も無いと・・・じゃ、ミノにタン塩ね、・・・あぁっと、ホルモンとセンマイを刺しでちょうだい。あと、野菜もね、ご飯大盛りで。」
矢継ぎ早に注文を出すと、久しぶりの客なのだろうか、お婆ちゃんもお爺ちゃんも嬉しそうに立ち働き始めた。

小さな湯飲みのお茶を飲み干すとすぐに新しいお茶を差しにくる。
お婆ちゃんは、さっき戴いた物だからとイチゴを3つ小皿に載せて差し出す。
さっさと焼き肉を食べたいのに、お茶とイチゴが先に出てきてしまった。

ようやく出てきたタンもカルビもミノもホルモンも、冷凍庫から出てきたばかりだと主張するようにカチカチに凍り付いていた。そのカチカチの上にタレがかけてあるために全く肉に馴染んでいない。

一通りタレを揉み込んでこそ美味しくなるのだが、老夫婦の営んでいる小さな店ではそこまでやらないのかもしれない。
それでも、空腹にはありがたいご馳走だったようで、あっという間に平らげてしまった。
折しもテレビではイラク開戦の様子が流れており、盛んにお婆ちゃんが電話で話している。
「へえ、そうか、戦争が始まったんで旅行は止めになったんか。で、そっちにまだおるん? ええ子にしてんとあかんでぇ、なあ。」どうやら話は息子としていたらしい。
孫と電話を代わったのか、お婆ちゃんの口調が年寄りの冷や水っぽい様子になっている。
こちらが食べ終えても、延々と電話は続いていた。
ようやく話し終えると、算盤でぱちぱちと代金の計算を始めた。
「はい、3800円です。どうもありがとうございました。遠いところ、ようこそおいでくださいましたねえ。また来てくださいね。」
哀調を帯びたお婆ちゃんの口振りではあったが、些か高いのと不味いのとで、また来るとは口が裂けても云うことができなかった。
巨大な荷物を積んだバイクが走り去るのを、店の外まで出て見送る姿がしばらくミラーに映っていた。

 腹が満たされると瞼が垂れ下がってくるのは自然の摂理であろう。
しかし、走行中でもあり必死で睡魔を振り払おうと大声で歌っていた。
歌詞が分からなければ、訳の分からない即席の歌詞で歌う。
メロディを忘れたら、奇声を発してごまかす。
めちゃくちゃな歌のリフレインが、夜の静寂にエンジン音と共に響き渡っていた。
30分ほど経った頃、何やら下腹に異様な圧力を感じるようになった。
さっき食べたホルモンなのか、我が腹のホルモンの中で戦闘が始まってしまったのだ。下
腹でグルグルキューキュー・・・キュイ〜ンという戦火が鳴り響く。
口から平和の歌は消え去り、ただ奇声とも悲鳴ともつかぬ呻き声が洩れる。

深夜にならんとする42号線は人通りも車通りもなく、明かりの灯った家さえも影を潜めてしまっている。
「トイレ♪トイレ♪ウンチ♪ウンチ♪トイレ♪トイレ♪ウンチ♪ウンチ♪・・・・・」
と、小さな子供が云うような単語をひたすらリズムに乗せて叫び続けている。
目はきょろきょろとトイレのありそうな場所を探している。それでも、なかなか見つからない。
ふと、目の端にミラーの中できらきら輝く赤い光を捕らえた。
どこに潜んでいたのか、パトカーらしき車影が猛スピードで走ってくる。
ここで、捕まってはトイレに行けない。漏らしてしまっては一大事だ。菊座の回りの括約筋をぎゅっと引き締め、ぐっと
アゴを引いて目を上目遣いにし、遠近両用の老眼鏡の遠用のレンズを通して路面を見据えると一気にアクセルを開けた。海沿いのワインディングは、ともすると海を挟んで真横に追尾する車が見える。
カーブの向こうに見えなくなっても、カーブのこっちではっきり見えてしまう事があるのだ。
ひょっとこ面を付けた過積載の巨大なオッサンの乗るバイクなど他にあるはずはない。
視認されて通報されたら、待ち伏せを食らう事もあり得る。
幸い夜でもあり、遠目が利かない事を祈って、ひたすらアクセルを煽り続けた。
凄まじい速度で海岸縁を疾走する。
凄まじい圧力が下腹に加わってくる。
括約筋と眼球筋に神経を集中し、アクセルを煽る右手とブレーキをかける右足をフルに活躍させていた。
串本を過ぎ、すさみ町の「イノブータンランド・すさみ」という道の駅に飛び込んだ時には、くるくる輝く光の車は遙か遠くへ置き去りにしてきたようだ。
しばしの時の過ぎ去りし後、トイレで自由解放されて戦火の収まった下腹は穏やかな開放感に満ちていた。

緊張感から解れた体をゆったり構えて、それからはゆっくりとしたペースで走り出した。
田辺から御坊にかけては制限速度ぴったりでのんびり走ったほどだ。
深夜2時を回って和歌山に入ったが、泊まるような宿があるはずもなく、偶々見かけたラーメン屋に飛び込んだ。

フェリー乗り場への道を聞くつもりだったが、ついでだからと和歌山ラーメンを食す事にした。
やがて出てきたラーメンは見た目は黒っぽいスープでぎらぎらと脂が浮き濃厚な感じだが、口に入れると意外にあっさりした味わいだった。

いりこ出汁が利いているのか、魚介類のさっぱりした口当たりが喉越し良く胃袋に収まってゆく。
ホルモン戦火で焼け野原になった戦場に、平和の鳩が舞い降りたかのようだ。

 食べ終えて店のお兄ちゃんにフェリー乗り場の場所を尋ねたところ、ものの数分の場所だという。
宿の事は問わずもがなで、とりあえず乗り場だけでも確認しようと走り出した。
そして、港に着いた時、数台のトラックがフェリーに乗り込もうとしていたではないか。
こんな深夜に出航するのかと、慌てて窓口に駆け込むと、またもや間一髪で2時半の徳島行きに間に合ってしまった。
そして、2時間の航海の間、再び夢の世界に平和の鳩は羽ばたいていった。

<加茂の大楠>

 徳島港にフェリーが着いたのは午前4時半、まだ黎明さえも訪れない闇夜の支配する街だった。
満月はすでに西の地平線に沈み、時の経過が着々と進んでいる。
爽やかな目覚めの顔に冷たい朝風が吹き寄せる。
春とはいえ、まだまだ朝晩は冷え込むようだ。
吉野川沿いに遡ればいいはずと、埠頭から一気に川沿いに出たのが拙かった。
闇夜も手伝って道に迷ってしまい、畑の真ん中の畦道に入り込んでしまった。
右往左往している内に何とか広い道に出て、標識通りに走ることにした。
あまり勝手に近道をしようなどと傲った考えは、時としてとんでもない蹉跌を生み出すようだ。

 10年前に一度訪れたことのある地だが、時は忘却の彼方に追いやってしまっている。
吉野川沿いにあった「加茂の大楠」という巨樹に会いたさ見たさで県道、国道をひた走る。
川面を過ぎる風は冷たさを増し、頬に当たるとあまりの寒さに歯がカチカチと震えて鳴る。
192号線を美郷村あたりに来たところで、ようやく背後から黎明が訪れてきた。

朝陽を背景に巨樹を撮りたい。
そんな気持ちからアクセルを開けると余計に冷たさが増して、今度は手の甲がじんじんと冷えてきた。
路傍の気温計は氷点下2度を示している。まだまだ真冬が居座っているようだ。
三加茂町に入ってもまだ土地勘が鈍っており、巨樹の在処がはっきりしない。
すでに太陽は地平線からちょこっと高く昇ってしまっている。
脇の交番に起きたばかりの格好のおじさんが居たので道を尋ねようとひょっとこを乗り付けた。
「おおっ、ひょっとこかあ、おもしれえなあ。」
そのおじさんはお巡りさんだった。数時間前はお巡りさんの手から逃れようとすっ飛ばしていたのに、今はお巡りさんの手に縋ろうとしている。
「あのねえ、この辺に加茂の大楠って大きな木がある筈なんですけど、どこだったでしょうね?」
気のよさそうなお巡りさんは親切に教えてくれた。
「さっきは100うんキロですっ飛ばしていたんですよ。」
などとは口が裂けても言えない言えない。
云われたとおりの道を行くと、川岸の野原の真ん中に森のような巨木が大らかに傘のような枝を広げている。
樹齢1000年を越えるその大楠は、柔らかな朝陽を受けて旺盛な葉の繁りを輝かせていた。

あたりの地面を見ると、真っ白に覆われている。
近寄ってみるとホトケノザやオランダミミナグサの葉に霜の花が咲いていた。
朝陽を背景にしようとしたが、以前無かったゴルフ練習場の巨大なネットがどうしても背景に入ってしまい諦めざるを得なかった。
これが夏場になると、大楠の木陰に憩う人々の姿が見られるようになる。
川面を流れる涼風を浴びながら大楠の木陰に居ると時の経つのを忘れてしまいそうになるのだが、今の寒さではさっさと走り去るのが関の山だった。

<阿波の土柱>

 吉野川沿いの192号線を穴吹町まで戻り、193号線を高松方面に北上しようとして、路傍の案内看板の「阿波の土柱」の文字が目に入った。
砂岩や礫岩を含む地層が風雨に浸食されて奇観を呈しているのだが、ミニチュアのデス・バレイかデヴィルス・タワーといった類に見える。

せっかくだからとちょいとひょっとこを脇道に乗り入れてしまった。
まだ7時過ぎの早朝で土産物店もどこも開いていない。
5分ほど歩いて奇観の崖の方に行くと、以前には無かった無粋な鉄塔が建ち、照明灯を付けているようだ。
その鉄塔の建つ場所が、何と100mほどしかない土柱の崖のど真ん中なのだ。
せっかく見晴らし場所として設えてある所から、風景を真っ二つに分断してしまっている。
鉄柱が無く、土柱だけをズームアップして見ていると、何だかコロラド渓谷に来ているような気になるのだが、無粋な物のお陰でちっぽけな現実に引き戻されてしまう。
一体何の為にあんな無粋な鉄柱を建てたのか。
照明灯で夜間ライトアップでもしようと云うのか。
昼間でもあまり訪れる人が多くない場所に、夜来る人が何人いるのだろう。
呼び物であるはずの奇観を人工的なもので台無しにしたら、ますます人の足は遠のくのではないか。
更に遊歩道を崖の上や下に造って、フェンスで仕切っているから、どこからでも人工物が目に入り興醒めも甚だしい。
「終わったな、こりゃ・・・。」
そうつぶやいて、さっさと立ち去ってしまった。

 そもそも土柱のある吉野川は、日本列島の巨大な断層の上にある。
中央構造線と呼ばれるその巨大な断層は、茨城県の霞ヶ浦あたりから房総半島の付け根を通り、三浦半島をちょんぎって箱根をぶったぎり国道1号線と並行して浜名湖大橋を渡り伊良湖崎から鳥羽に上陸して鈴鹿の麓から吉野に分け入って紀ノ川沿いに和歌山からフェリーで徳島に渡り、吉野川を遡って石鎚山脈を望んで伊予のおちんちんと呼ばれる佐多岬半島を通り、三崎からフェリーに乗って別府から阿蘇の外輪山を掠めると島原の普賢岳を仰いで東シナ海にドボンと飛び込むという、どっかのバカなオッサンがデカイバイクに過積載で走るのと同じコースで日本列島を縦断しているのだ。
ランドサットの衛星写真で見れば一目瞭然の巨大断層の上に、様々な奇観絶景が点在している。
今にして思えば、今回の旅は中央構造線を辿っているのかもしれない。

<うどん三昧>

 土柱を後にして193号線を北上している頃、腹の虫が空腹を訴えてきた。
出かける前に携帯メールで発信していたので、出先のバイク仲間がそれぞれの地で迎撃すべく待ちかまえている。
高松のMちゃんに連絡したが、生憎週末はどこかに缶詰になっていて会えないとのことだった。
その代わりSちゃんが「讃岐うどん」の店を案内してくれるということで、高松のBMWの店で待ち合わせをする事にした。

公衆電話備え付けの電話帳で店の住所を調べ、コンビニや交番で道を尋ね、何とか店に辿り着いたが、その日は定休日だったらしく、シャッターが下りていた。
やがてSちゃんが現れ、「初めまして」の挨拶を交わす。
これまでネットで会話していたが、顔を見るのは初めてという仲間はごまんといる。
それでも初顔合わせの堅苦しさが微塵もないのは、同じ価値観を持つ者同士、心の壁が無いからなのだろう。
過積載のバイクでは地元のうどん屋を回るのに不適切と、Sちゃんのワンボックスに同乗した。
ちょこまかと裏道抜け道を走り回って、最初のうどん屋に着く時、Sちゃんは云った。
「Mちゃんはこの病院に入ってるよ。」
「へっ?なんや、缶詰って入院のことかいな?」
「そ、原チャリで転けて肋骨にヒビ入ったみたい。」
「よっしゃ、うどん食べたら見に行こ。」
バイク乗りの決断と行動は早い。
まして讃岐の人間のうどんを食べるのも早い。
小さな店の駐車場に車を停めて、中に入ると数人の客でいっぱいになっている。
「あつあつの小ね。」
「ひやあつの大。」
いろいろ組み合わせがあるらしい。
熱い麺に熱い汁、熱い麺に冷たい汁、冷たい麺に冷たい汁、それぞれお椀に麺を受け取ると自分で汁を入れネギとショウガを適当につまんで入れて勘定を払うが、100円200円と実に安いのである。
毎日食べるファーストフードだから、その値段でないと地元の客は来ないのだそうな。

ちゅるちゅると啜ってくちゃくちゃ噛んでいると、隣のSちゃんはすでに食べ終えている。
讃岐人はうどんを噛むなんてことはしない。
喉の奥に啜り込んで胃袋に流し込むのだそうだ。
舌で味わうことはしないのかもしれない。
うどんは喉で味わうのが讃岐のうどん道なのだ。
「さ、次行く前にMちゃんのとこに行こう。」
病院の満車の駐車場に何とか突っ込み、二階に上がって病室をSちゃんが覗き込む。
「へへ、連れて来ちゃった。」
後ろから馬鹿でかいオッサンがひょいとカメラを構えて覗き込む。
「ばぁ、来ちゃったぁ。へへへ、なんや、仕事で忙しくて缶詰かと思ったのに、病院のベッドに磔(はりつけ)の刑かいな。」
Mちゃんは左腕に点滴の針を刺されてベッドの上に張り付けられていた。
「ははは、面目ない。肋骨にヒビが入ってて動けんことはないんやけどね、1週間は安静にしとけって云われたから、まあ、こんな状態なんやわ。」
Mちゃんも私同様デカイオッサンではあるが、目の前にどでんと横たわっている姿を見ると、何だか自分の姿を見るようでもある。
1月に大風邪で寝込んで栄養失調になったとき、医者に云われたのが
「あんたみたいにデカイのは、存在するだけで相当量のエネルギーを消耗するのだから・・・」
とかくデカイ人間は、じっと動かないでいると邪魔者扱いされがちである。
それだけ存在感があるのだと云えばそれまでなのだが、何かしら動いてエネルギーを消耗する様を見せておかないと、存在するだけで無駄なエネルギーを消耗する云々云われてしまうのがオチなのかもしれない。

 Mちゃんの元気そうな様子を見て安心したせいか、再び腹の虫が喚きだした。
また、九州の帰りに寄る旨伝えて病室を後にした。
「今度の店は坂出まで行きますから、30分くらいかかりますよ。」

折しも道路は工事中で、渋滞が発生していた。
それでも、東京など首都圏の渋滞に比べれば可愛いものである。
やがて到着したところは「がもう」という名の店だった。

あたりの田圃の畦道にまで車が停められ、店の前には行列ができている。

Sちゃんが、「最近は観光バスで乗り付ける店もあって、そんな店はもう味も落ちてるし、地元の人間は行きませんよ。テレビで紹介されたら、もうあきません。そやから地元の人間しか知らない店を確保しておいて、あまり人には云わないんです。」
それでも、何らかの情報を得て来ている部外者の客の姿があり、店の外で立ってうどんを啜る者あれば、しゃがんで食べる者、石垣に腰掛けたり用水路の縁に座って足をぷらんぷらんさせながら食べる者、それぞれが気ままな格好でうどんを啜っている。

「これから何軒かハシゴするんだろうけど、うどんだと腹に溜まらんから大盛りにするね。」
と、今度は「あつあつの大」を注文して天ぷらをトッピングしてみた。

今度のうどんはいりこ出汁が利いたコシの強い麺でなかなかの味だった。
やはり部外者はどうしても舌で味わってしまう。
ここでもSちゃんはあっという間に喉元奥深くうどんを流し込んでしまった。
「いや、朝ご飯食べてきたんで、あんまり腹減ってないんですよ。」
とは云いつつ、うどんを吸い込むのを見ると、讃岐人にとってうどんは別腹なのかもしれない。
「じゃ、次行きましょ。」

再び車であちこち道を走って、何の変哲もない人家の前に停まった。

小さな看板で「たむら」とあるその店には、先ほどの「がもう」で見かけたカップルがいた。
彼らもハシゴしているらしい。
「こういう店は、もともと製麺屋なんですよ。昔からあるんやけど、たまたま茹でて客に食べさせたらうけて、地元に広がったんですけどね。ここ数年で一気にブームになってしまいましたね。」
ここでもSちゃんは、大を注文していた。
ところが、目の前で親父さんが麺棒で延ばして打っているし、その後ろで茹でているのだが、出てくるのは玉になった冷たいうどんがお椀に入ってくる。

Sちゃんの仕草を見ていると、傍に湯の入った釜があり、自分でうどん玉を湯通ししてポンとお椀に移すと横のタンクの蛇口からじょぉーっと汁を注ぎ、振り返って刻みネギの盛りつけてある器から好きなだけネギを載せ、おろしショウガを添えていた。

同じようにしてうどんを湯通ししてじょぉーっとやってがさっとネギを載せたが、値段は同じ100円だという。
そんなに安くていいのだろうかと、些か心配になってきてしまった。
「たむら」のうどんは汁のいりこ出汁がかなり濃く、関西人の自分には好みの味だった。
さっさと食べ終えて車に戻ったが、もうこれ以上入らない旨告げると、Sちゃんは「ちょっと買い物に行ってきます。」と店に戻っていった。
缶コーヒーを飲んでいると、Sちゃんが戻ってきて、
「これ、おみやげにどうぞ。荷物になるかもしれないけど。」
と、「たむらのうどん」の箱詰をくれたのだ。
何という嬉しい心遣いだろう。
「ありがとう。じゃ、キャンプに持っていってみんなに振る舞うよ。」
胃袋も心も満たされて高松の店まで戻る間、少しウトウトしてしまった。
通りがかりの道端にはハクモクレンが咲いていた。



<伊予のおちんちん>

 過積載の荷物の上のネットに「たむらのうどん」の箱を挟み込み、走り出した時には午後3時にならんとしていた。
三崎のフェリーに乗る頃には日が暮れてしまうかもしれない。
結局、新居浜から松山自動車道に乗ってしまった。
終点の大洲までガラガラの高速道路を快適に飛ばし、夕日を真正面に見ながら八幡浜から佐多岬半島のメロディラインをひょんひょんと倒し込んで駆け抜けていく。
伊予のおちんちんの先っぽに近づくにつれ、西の地平線と水平線が交互に現れるようになる。
方や伊予灘、此方宇和海、両者見合って半島の仕切線を挟んでいる。
次第に沈み行く夕日に海面がきらきらと輝き、航行する船の影がゆらゆらと揺らいでいる。
長く引く澪のうねりが微妙な綾となって海面に織り込まれていくようだ。

 ようやく三崎の港に入り込んだものの、埠頭にはフェリーの船影は見あたらない。
時刻表を見ると1時間も先になっている。
どうやら出航した直後だったらしい。
高松からノンストップで走ってきた疲れが一気に出てしまった。
同時に睡魔も襲ってきて、これからフェリーで九州に渡ることが辛くなってしまったのだ。
思い返せば、横浜を出てから丸二日間、ほとんど眠っていない。
伊良湖から鳥羽までのフェリーと和歌山から徳島までのフェリーの中でウトウトしただけなのだ。
これでは体力が保たないと悟って、三崎の宿を探すことにした。
案内図を見ると二軒しか宿がない。細い路地に馬鹿でかいバイクを乗り入れ、小さな宿の小さな玄関の扉を開けて大声で叫んだ。
「ごめんなさいよ〜、でっかいオッサン一人なんですが、泊めてもらえませんかぁ〜!?」
奥から小さな宿の小柄な女将さんらしき人が出てきた。
「はい、おひとりでお泊まりですか?・・・ちょっと待ってください。」
と、奥に引っ込んでしまった。やがて出てくると、
「すみません、今日はいっぱいなんです。申し訳ないですねえ。」
「ああ、そうですかぁ、じゃあ、他を当たります。」
小さな宿に大きなオッサンは入りきらないのかもしれないと思い、もう一軒の宿を訪ねることにした。
狭い細い路地の先に抜けられるのかと、一応歩いて確認したが、まさに1mほどの幅の路地が続いており、過積載のバイクの幅ぎりぎりではあった。
左右の家の壁や窓枠に当たらないようにそろそろと確認しつつ路地を進む。
案内地図の通りに行けども、目当ての宿が見あたらない。
それらしきスナックの二階を見たが、カーテンが引かれ、明かりも無く人気もない。
そのスナックも、看板が倒れ扉の前に埃が積もっているところを見ると、かなり前に営業を止めてしまった様子が見受けら
れる。これで、宿泊の目処は無くなってしまった。
テントを積んでいるから、どこかでキャンプすればいいかとも思ったが、旅の途中の予定外の場所で荷解きをする気力は失せていた。
「やっぱりフェリーで渡っちゃおうかな・・・」
誰に聞かれるでもなく、そう呟くと重い体と重いバイクを埠頭の方にもたもたと運んでいった。
窓口でチケットを購入し、ふと港の先を見遣ると夕暮れのあやふやな光の中にこんもりとした樹影が見えた。
ここには「三崎のアコウ」の巨樹があったのを思い出し、エンジンに火を入れてぐい〜んと走り寄った。

 国指定の天然記念物であるアコウ樹はクワ科の常緑樹である。
三崎のアコウは樹齢600年以上で自生の北限とされ、無数の気根が空間に絡み合って奇観を呈していることから「タコの木」とも呼ばれている。

 薄暗いながらも、デジカメのシャッターを切り続けたが、さすがに暗部までは詳細に撮せなかった。
それでも、迫力のある巨木の姿はカメラにも己が目にもしっかりと焼き付けることができたようだ。
フェリー埠頭まで戻ると、一台のホンダ・ホーネットに乗ったお兄ちゃんが話しかけてきた。
「すっごい荷物ですねえ。どこまで行くんですか?」
「九州に渡って島原でキャンプして、あとはぐるぐる走り回るつもり。ねえ、晩飯には、そこの屋台のジャコ天弁当が旨そうだよ。」
船内で食べるつもりで、近くの屋台で売っていた「ジャコ天弁当」を揃って買い求めた。見るとお兄ちゃんのバイクは大分ナンバーだった。
「これから大分に帰るんだ。」
「はい、別府なんですけどね。」
「じゃあ、別府あたりに格安の宿知らない? さっきここの宿に泊まろうとしたんだけど断られちゃったんだ。」
「じゃあ、時々仕事が遅くなって泊まる大分市内の宿がありますけど、そこでいいですか? 大きな温泉もあるし、値段も高くないですから。」
「あ、そこでいい、いい、お願い、案内してくれる?」
実にありがたい出会いだった。
伊予のおちんちんの先っぽで「渡りに舟」とは、まさにこのことだ。フェリーに乗り込んで、しばしジャコ天弁当を味わいながらバイク談義に花が咲いた。
佐賀関に着いた時には、夜の帷が下りていた。
「ボクの後に付いてきてください。ペースが遅いですけど、すみません。」
「ひょっとこがぴったり付いていくけど、不気味じゃない?」
「はあ、ちょっとコワイです。」
街灯も殆どない暗い夜道を、二台のバイクは駆けていく。
確かに暗闇にぼわっと浮かび上がるひょっとこ面は気色悪いかもしれない。
いずれ目の中に電球を仕込んでやろう。

 しばらくして大分市内の駅の近くの裏道に入ると、「豊の国健康ランド」のネオンサインが見えてきた。
「あそこです。」
「ほお、結構、結構。」
お兄ちゃんは、駐車場の発券機から駐車券をとると、それを手渡してきた。
「ボクはこのまま帰ります。ゆっくり休んでくださいね。」
「ありがとう。また、どこかで会えるといいね。じゃ、気を付けて。」
ホーネットは甲高い排気音を残して暗い街角に消えていった。

<爽やかなやまなみを越えて>

 大浴場の打たせ、薬湯、泡風呂、電気風呂、寝湯、圧力湯、温水プールなどをちょこまかと渡り歩いて十分温まった後、部屋に戻って布団に潜り込んだ途端、一瞬にして意識は奈落の底に沈んで行ってしまった。

 朝7時にぱっちりと目覚めた時には、睡魔も体の気怠さも消し飛んでいて、実に爽やかな心地だった。
窓の外には青空が広がっている。
そそくさと朝食を済ませ、いそいそと身支度を整えて、颯爽と朝の大分の街頭に乗り出した。
半分寝ぼけ顔で運転する人や道行く人が馬鹿でかいひょっとこ面のバイクを見て、一気に目が覚めたような表情をする。
一様に皆口元が綻んでいるのが見てとれる。
朝から爽やかな癒しの風を吹かせているようだ。
大分から八女までひたすら442号線を走ることにする。
巨視的に日本列島を見下ろすと、中央構造線にほぼ沿って走っているようだ。
所々道を逸れてあちこちふらふら迂回していろいろ見て回っているために、直線で1000キロのコースを2000キロもオーバーランしているのはご愛嬌だろう。

竹田までは割と広い道で快適に走っていたが、久住町から小国町にかけては山間の細く狭い道になったりして、少しペースダウンを余儀なくされた。
しかし、あたりの景色は十分見るに値する絶景が続き、時折バイクを停めてカメラのシャッターを切っていたから、そもそも走るペースなど考える余地は無かった。

 途中、久住山を仰ぎ見る場所では、かなり長い間その景色に見とれていたようだ。
時折ぽっぽと白い煙が上がるのが見えた。硫黄山が活動しているのだろう。
真っ青な空に白い噴煙が、雄大な景色の中に可愛いワンポイントアップリケとなっていた。

 瀬の本でやまなみハイウエイを横断するあたりの高原は、まだ草原が枯れ草で覆われ、所々で野焼きの煙が上がっている。
大分県と熊本県の県境であるこの地では、のんびり草をはんでいる牛の色が赤と黒で分かれている。
豊後の黒牛、肥後の赤牛と云われるように、県境の442号を走っていて右の大分県側には黒い牛が草をはみ、左の熊本県側では赤い牛が寝そべっている。
時折、赤と黒の混ざった所もあったが、どちらかが脱走して亡命を企んだのかもしれない。

 小国町に差し掛かって、ふと「阿弥陀杉」の標識を見かけた。
数年前台風で殆どの枝が折れてしまい、無惨な姿になったと聞いていた。
見るに忍びなかったが、元気な頃の姿を見知っているだけに、哀れな姿も見届けてやろうと脇道に入り込んだ。
以前は仏様の掌を広げたような大らかな枝振りを誇っていたのに、目の前にある阿弥陀杉は、親指と人差し指だけを残して、あとは全部指を摘めたような形になってしまった。

どんなヤクザでもここまで指を摘めることはしないだろう。箸さえも握れないのだから。

 快適な山道を抜け橋を渡った所で、最近名前を知られるようになった中津江村に入った。

サッカーのカメルーンの選手を迎えて揚げた「Bienvenue a Nakatsue!! 笑顔の村!中津江村へようこそ!!」の横断幕がぱたぱたとはためいていた。

村役場の屋上には、日の丸とカメルーンの国旗が仲良く並んでいる。

すると、一台の黒塗りの車が役場に入ってきた。
降りてきたのは、よくテレビで見た顔の村長だった。
同じ「村」でも、明るい話題で有名になるのはいいが、「上九一色村」のようなオーム真理教のサティアンで有名になったために悪いイメージが払拭できず、結局は市町村統合で消えてしまう「村」もあるのだ。

 悲喜こもごもの人々の思いを頭に描きながらワインディングを八女の街へと下っていった。

<牡蛎の逆襲>

 市街地に入った途端、大渋滞が始まった。
八女から大川までの442号線は、ほぼ10キロあまり直線道路が続くのだが、見通せる限りの前方には大小の差はあれど箱車の行列が続いていた。
裏道や脇道を行こうかとも思ったが、地図を見ても手頃な道が見あたらず、結局ずりずりと両足を引きずりながら行列に付いていってしまった。

筑後川を渡って444号線に入ってからは、再び快調に飛ばせる道となった。
有明海の干拓地なのだろう、広い野原が広がっているが、別段耕地として使われてはいないようだった。
何のために干拓したのだろうか、疑惑の荒野が不毛の地として横たわっている。
有明町から207号線に合流し、海岸縁の長崎街道を走っていると、至る所に「焼きガキ」の文字が見られるようになる。
大分の健康ランドでの朝食から何も食べておらず、時間も昼をとっくに過ぎていたので、軽い腹ごしらえのつもりで鹿島の道の駅にひょっとこを乗り入れた。

殆ど人のいない道の駅だったが、テントが設えてあって「焼きガキ」と手書きの看板があったのでふらりと覗いてみた。
ドラム缶を切り落としたような鉄板の桶の中に焼け焦げた牡蛎の殻が無造作に放り込まれている。
畳一畳分ほどの大きさのバーベキューテーブルもどきの台の中で薪がぶすぶすと白い煙を上げて燻っている。
ここで牡蛎は食べられるのかと、きょろきょろ見回していると、奥の売店からおばさんが出てきた。
「カキ食べるんですかぁ?」
「はい、カキ食べたいんですぅ。ここで食べられるんでしょう?」
「じゃ、薪をもっと燃やさないとね。」
と、近くに積み上げてある薪の束から2,3本の切れ端を持ってきて燻っている薪の中に放り込んだ。
「先に精算の方をしてください。」
そう言うと、おばさんは奥の売店の方に歩いていったので、仕方なくひょこひょこ付いていった。
「カキ一袋1000円と薪代500円と消費税で1575円です。」
どれだけのカキが出てくるのか分からなかったから、1000円と云われても、はい、そうですかとしか思わなかった。
しかし、あの切れっ端2,3本の薪が500円とは少々、いやかなり高いと思ったが、口には出せなかった。
図体はデカイが根っからの小心者のオッサンは代金を払うと、白い煙ばかり出している薪の所に戻った。
火ばさみでちょこちょこいじくっているうちに何とか炎が上がり出した。
するとおばさんがビニール袋に入ったカキを抱えてやってきた。
地面にでんと袋を置き、燃える薪の上に横にあった金網をがさっとかぶせると、2,3個のカキの殻を金網に載せながら曰
うた。
「このふくらんでる方を下にして焼いてください。焼けたら口を開けるから適当に食べてね。食べ方分かるでしょ?ここに軍手と箸を置いておきますから、あとは自分でやってください。」
と、言い残すとさっさと売店の方に歩み去っていった。
残されたのは一抱えのカキの入ったビニール袋とボーっとしたオッサン一人だけ。
ぱちぱち燃える薪の火を見つめながら、一人悩める存在となった。
きょろきょろあたりを見回しても誰一人いない。
空きっ腹ではあるが、所在なく腰掛けているだけで何となく時間は通り過ぎてゆく。
どうすればいいんだろう、どう食べればいいんだろう、何時になったらカキは口を開けるのだろう。
ただ、疑問符だけが頭の回りにぽっぽと浮かんでは消えてゆく。
そもそもカキの殻はその合わせ目が分からないし、どこが口なのかも分からない。
まして同じ形の殻はひとつも無いのだ。

途方に暮れてぼんやりしていると、5分ほどした時、ひとつのカキの殻が、ぽしゅーと音を立てて幾重も重なったミルフィーユのようなヒダの一部から白い泡を吹き出した。
「おお、ここが口なのか、どれどれ・・・。」
と、箸と一緒に置いてあったテーブルナイフを少し浮いた口にこじ入れる。
手探りでぐりぐりやっていると、大きく口を開けたので軍手をはめた手でぐいっと押し開いた。
中にはぷりぷりのカキの身が湯気を立てて・・・と思ったら、ナイフでぐりぐりやってしまった為に、身がぐちゃぐちゃに潰れて無惨な姿でお目見えしてしまった。

すると別のカキが、ぶしゅーと吹き出してぱこっと大きく口を開けた。
今度は身が見えるので、崩さないように貝柱を刮いで切り離し、綺麗な形のままで口に放り込んだ。

熱々のカキをほふほふしながら噛んでいると、口の中いっぱいに磯の香りが満ち、ほんのりとした塩味が実に美味である。大体コツが分かったところで、徐にカキの殻を金網の上に並べ始めた。
横から火ばさみを突っ込んで薪の燃える範囲を広げる。
直接炎が当たってもお構いなしにカキを並べる。

ものの5分ほどであちこちそちこちのカキがぶしゅーぼしゅー・・・と文句たらたらで口を開ける。
次々とナイフをこじ入れて上手く貝柱を切り離し口に運ぶ。
中には3個のカキがくっついているものもあり、ひとつが焼けて食べたあと、ひっくり返して別の面のカキを焼く。

半分ほど食べたときだった。
なかなか口を開けないカキを持ち上げ目の前に持ってきたら、いきなり、ぷしゅー!と、熱い液体を吹き付けられてしまった。
「あっちぃー!!あちゃちゃちゃちゃあ!」
額のど真ん中にヤケドをしてしまった。
天下御免の向こう傷ならぬ焼き印を押されたのだ。

「こんにゃろお、無礼者めがぁ、成敗してくれようぞ!」
ナイフでこじ開け、口に放り込み、くちゃくちゃ咀嚼してごくんと嚥下し、胃袋の底にたたき落としてやった。
その後も次々とこじ開け口に放り込む動作を繰り返し、結局30個あまりのカキを完食してしまった。

軽く遅い軽食のつもりが、結構腹に溜まる遅い昼食になったようだ。
「すみませ〜ん、もう一袋カキをください。これからキャンプするんで、持っていきますね。」
1050円支払い、一抱えのカキの袋を「たむらのうどん」の箱と一緒にネットで覆った。
「さあて、誰がカキの逆襲を食らってヤケドするかなあ・・・。」
ワルダクミを企んでほくそ笑んだオッサンは、ひょっとこバイクを諫早方面に走らせていった。

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