あかべこ日記富山編
「雪の降る前に」
平成15年師走
by 古森 雲雄 <ベベパパ>
<夕暮れの旅立ち>
思い立った時はすでに夕暮れ近く、些か無謀とも思える北への旅立ち。
とりあえずカメラと雨具を忘れずに、キャンプ道具が入ったままのアルミケースを装備して帰宅ラッシュの始まる街へ乗り出した。
まず関東平野から抜け出す。
横浜青葉から東名高速道路に乗り、御殿場を目指す。
平日だけに厚木からは車の影が薄れる。
折良く一台のメルセデスが高速ペースカーとなって先を走っていた。
ところが、足柄山のワインディングに入った途端ペースダウンしてしまい、仕方なく過積載のバイクが先導する羽目に。
横浜を出るときは割と暖かかったのだが、御殿場近くになってぐんぐん気温が下がってきた。ハンドルカバーを付けてくれば良かったと後悔するも、指先はじんじんと冷えてくる。
吐く息が白く、ヘルメットのシールドを曇らす。
見にくくなったシールド越しに御殿場の出口の標識を見つけて高速道路を下りた。
料金所で言葉を交わす。
「いやあ、さすがにここまで来ると寒いねえ。」
「そりゃそうさ。これからどこまで行くの?」
「ちょっと北陸方面に。」
「ええっ、今から? 寒いよ。」
「うん、分かってる。雪が降る前に行かなくちゃね。」
「じゃ、気を付けて。」
「あいよ。」
ほんの短い言葉のやりとりだったが、旅人には暖かい心の贈り物を受け取ったような気分だ。
ぐみ沢から富士山スカイラインを経由して朝霧高原に抜ける。
樹海を覆う闇を、一条の光芒が切り裂くように疾走する。
霧が白い帷を降ろす中、路肩の白線だけを頼りにひたすらアクセルを捻り続ける。
ぼんやりと気温表示が読みとれた。
「2℃」
これから行こうとする北陸の山中も同じくらいの気温だろう。
袖口で剥き出しになっている手首の肌が、冷たさを通り越して痛さを訴える。
朝霧高原の道の駅で束の間の休息をとり、再び鉄馬に鞭を入れた。
本栖湖の水面に星の瞬きが映るのを横目にトンネルへ突入する。
出口は闇に溶け込んでおり、反響の無くなったことで外に出たことを察する。
ヘッドライトの光芒は、ただ崖の先の虚空を照らすのみ、ひたすらつづら折れの曲道を勘に頼って駆け下りる。
走り慣れた道故の暗中走行。
深夜の下部の街中を駆け抜け、富士川沿いに少し遡り、韮崎への裏街道を突っ走る。
遠く八ヶ岳の峰々は暗い雲に覆われ、稜線を定かに見ること能わず。
山麓線に近く寄れど、重たく暗い雲が垂れて峰々を隠している。
原村から一旦茅野の市街に下り、諏訪大社の横を掠めて、諏訪湖の外周を巡る。
岡谷から塩尻峠に上ると、鉢伏山の山麓道路から松本の市中を抜けて豊科に入る。
そのまま19号を進んで、明科から池田方面に折れると、大町までほぼ直線道路で北上する。
西方の北アルプスを見遣ると、暗い雲を背景に白い雪峰が浮き上がっている。
白馬を過ぎる辺りから、雨粒が落ちてきた。
路面が黒く濡れて、白線が見えなくなる。
小谷から続く幾つものトンネルを抜けると、一段と雨足が強くなってきた。
時間は午前2時過ぎ。
旧道はいくつもの峠を越えたものだが、新潟に抜ける新道は、殆ど山を登らずにトンネルで繋げられている。
以前は冬の時期、豪雪の峠が立ちふさがる難所だった。
最後のヒスイ峡に下りる辺りだけは、まだ急坂曲道が残っている。
その急坂を下りる頃に、雨足はぴたりとその歩みを止めた。
糸魚川の海岸線に出ると路面は乾いており、雨の足跡は見られない。
深夜にもなり、睡魔が忍び寄ってきて、瞼の重量が大きくなってくる。
親不知の道の駅で仮眠をとるべくベンチに横になるが、賑やかな潮騒のコーラスで眠れたものではない。早々に逃げ出す。
魚津のコンビニで軽く腹を満たしたのは、午前4時。
時間を潰す手立てのないまま、片貝川沿いの道をとろとろと走り出す。
上流に近づくにつれて、道は細くなり、外灯も疎らになってくる。
橋の袂でライトに浮かび上がる標識があった。
「蛇石・洞杉巨木群」
その場所からまだ10キロ先という表示が見える。
悴(かじか)む手でハンドルグリップを握り、そろそろと走り出す。
林道に入るところから、外灯も途切れてしまった。
その先は闇の支配する山間へと続いている。
夜明けにはまだかなりの時間がありそうだ。
最後の外灯の下にバイクを停め、とりあえず暖をとることにする。
さもないと凍えそうな寒さなのだ。
アルミテーブルを組み立て、ボンベとミニバーナーを取り出し、コールマンのヒーターアタッチメントを載せる。
これはなかなかの代物で遠赤外線のストーブになる。
小さなヒーターに手をかざしながら、小さなスツールに腰掛ける大きなオッサンは、傍目には不気味な物体に見えただろう。
手は温まっても、背中はじんじんと冷えてくる。
小一時間ほど小さく縮こまっていたが、一向に明けぬ夜に堪えられなくなった。
いそいそと小さな暖房器具を片づけると、県道をひとっ走りして国道際のコンビニに一時避難した。
「温かい肉まんとあんまんちょうだい。あ、それと、この辺の夜明けは何時頃?」
「はい、えっ? 夜明けですかぁ・・・6時半とか7時頃ですかねぇ。」
「そっかぁ、東に立山があるから、日の出もかなり遅くなるんだね。」
時計を見るとまだ6時前だった。
<洞杉群>
30分ほどコンビニで過ごしていると、東の空がうっすらと明るくなってきた。
徐(おもむろ)に鉄馬に火を入れ、片貝川の上流を目指す。
白んだ空の下、一時を過ごした外灯の横を通り林道に踏み込む。
しばらく舗装道路が続き、やがて砂利道に変わり、前日降った雨によって出来た水溜まりが点在し始める。
川沿いには広葉樹の林が広がり、落ち葉を踏み締めて走っていると、時折ずりっと滑る。
小さな橋を渡った所で、「蛇石」の標識を見つけた。説明板には「龍石祠の由来」とあり、北陸電力株式
会社の署名がある。
「この龍石祠は片貝川水系の農業と電力事業の守護神をお祀りし、御霊代の石は、『龍石』または『蛇石』と称し雨乞いの石として著名です。伝説によれば昔三太という狩人が、この谷で道に迷い巨岩を抱いた龍を発見し、金と銀の弾を撃ちこめたところ、大雷鳴とともに石にからみついて死に絶え、その恨みが大洪水を起こしたと言い伝えられております。今でも片貝川に洪水があるとその祟りと人々は恐れ、また干ばつの時にはこの石をうちたたけば必ず雷雨を伴うと信じられています。北陸電力においても、春秋二回地元民と共に厳かに祭礼をとり行っております。」
何だか、さらりと読んでいると何となく由緒を感じないこともないが、よく読むとどうにも怪しい由来に思える。
そもそも三太という狩人が金と銀という高価な弾丸を持っていたこと自体、おかしな事だ。
どうせなら、川原に落ちていたヒスイを弾にして撃ったという方がもっともらしくなる。
それに、狩りなどせずに金銀の弾丸を売った方が金になる。
まして、電力事業の守護神など、電気の無い時代の昔話にあるはずがない。
どう考えても、当時の電力事業での山林開発によって洪水が起きたのを龍の祟りにすり替えているようだ。
そのうち原発事故も八岐大蛇(やまたのおろち)を素戔嗚尊(すさのおのみこと)が退治した祟りじゃなどと言い出しかねない。
とかく犠牲になるのは庶民と自然なのだ。
更に林道の奥へ入ってゆくと、あちこちにねじ曲がった根や枝を持つ裏杉の姿が見えてきた。
この地域に生息する裏杉は、立山杉とも呼ばれ、吹き付ける強風や冬の積雪に堪えるため、岩を抱え根を張ることによって樹木自体を支える知恵を身につけていたのだ。
多くは山の斜面にあることから、柔らかい土に根を下ろしても、浅い根ではとても風雪には堪えられない。
また、フォッサマグナの大断層にほど近く、岩盤が剥き出しになっている川沿いでもあり、岩に根を張った杉だけが生き残ってきたのだろう。
岩を抱えて育ったものの、やがて岩は風化して砕け、抜け落ちた所が「洞」となって残っているから、「洞杉」(どうすぎ)と呼ばれて群生しているのだ。
林道沿いに聳える曲がりくねった杉には、苦難の年月の経過が読みとれる。
それから少し坂を下ったところに、少し毛色の異なった杉があった。
根元は沢山の蛇がうねるように根が露出しており、太い幹が大きく分かれて台座のようになっている。そこから幾本もの細い彦生えが真っ直ぐに立ち上がっているのだ。
恐らく、そう遠くない昔に垂木として利用されていたのだろう。
真っ直ぐな材木をとる台杉として利用されてきた杉があれば、利用価値なしと放置されている杉もある。
広葉樹や照葉樹はある程度大きくないと材木としては利用できない。
そのかわり沢山の葉を繁らせ、実をつけ、落ち葉は土壌を肥やしてきた。
その点、杉は手をかければ真っ直ぐに成長して若いうちから材木となって利用できる。
だからこそ、昔から植林されてきた経緯がある。
しかしながら、自然の繁殖に逆らって杉を植え続けたために、近年大きな弊害が起きている。
本来、森の養分が川に流れ込んで海に届き、海藻や魚介類を育んできた。
それが、砂防ダムや河川工事で森の養分が川に流れ込まなくなり、その森さえも養分のない杉に植え替えられている。
それが海洋生物の減少に繋がっているのだ。
現代の大人たちは、未来の子供たちのために、自然を大切に残さなくてはならない。
では、一体何をすればいいのだろう。
答えは簡単である。
自然に対して何もしないのが一番いい。
あるがままにしておくことで、自然は自らの知恵でバランスをとってきた。
川の向こう岸に小さな発電所があり、「日本海発電 片貝南又発電所」と銘記してある。
山の斜面にパイプが走っていることから揚水式発電所と見える。
人工的な向こう岸に対し、林道沿いにはこぢんまりとした滝ができていた。
雨の後だけに清冽な白水の流れに心洗われるようだ。
更に上っていくと砂利道のあちこちに深い溝ができている。
雨が小さな流れとなって削り取った溝が、急傾斜の砂利道を縦横に走っている。
過積載の大柄なバイクゆえ、溝にスッポリはまった時には立ち往生となるのは明白。
五十肩で思うように動かない体では、押したり引いたりなどとてもできない。
儘(まま)よとばかりにアクセルを煽って溝を飛び越え、砂利を跳ね飛ばして急坂を上っていった。
前方を見上げると真っ白な雪衣を纏った毛勝山の頂きが青い空をバックに輝いている。
かなり登った所で、あたりに洞杉の姿が見えなくなっているのに気が付いた。
ミズナラやクリの若木ばかりが目立つ。
更に周りを見回すと、くっきりと白く雪の等高線ができている。
美しいと思った。同時にそれ以上先へは進めないと悟った。
雪中行軍は苦い思い出しかない。そこで引き返した。
発電所の所まで戻ると、尾根に登る階段があった。
えっさほいさと上っていくと、ミズナラの落ち葉とドングリがいっぱいだ。
何となく嬉しくなって弾むような足取りで駆け上がる。
尾根のあちこちに洞杉が突き出ており、周りに生える木の太い枝を選んで掴まりながら渡り歩く。
写真を撮ろうとして枝に左手を伸ばした。
ぶらんとぶら下がった瞬間、「(ずっきーん!) い゛っでー・・・」
悶絶してしまった。
五十肩で痛めていることをすっかり忘れていた。
しばらく痛みが治まるまで根元にしゃがみ込む。
ずきんずきんという痛みが次第に弱まってくる。
やがて目尻の涙を指でそっと拭うと、恐る恐るカメラを持つ手を伸ばしてシャッターを押した。
枝に幾つも付いた雨の滴が美しく光っていた。
上りとは逆に重い足取りで階段を下りる。
些か膝小僧が苦笑いしているようだ。
肩の痛みと膝の笑いを堪えて過積載のバイクを操り、朝陽を背に受けて魚津市街方面へ突っ走った。
<ほたるいかミュージアム>
魚津漁港の近辺をうろうろして手頃な食事処を探したが、午前9時では時間が早すぎてどこも開いていない。
鮮魚卸しの店先では、揚がったばかりのズワイガニを茹でていた。
漁港の周りには、あまり食事ができる店がないようだ。
海縁の道を西へ進むと、滑川の街に入る。
当て所無く彷徨っていると、奇妙な形の建物を見つけた。
近づくと「ほたるいかミュージアム」とある。
9時に開館したばかりなので、早速本日のお客様第1号として入館した。
インストラクターのお姉様たちがにこやかに迎えてくれる。
800円也の入場券を自販機で購入していると、一人のお姉ちゃんが話しかけてきた。
「あのう、お客様、順序としては二階の展示室からなんですが、もうすぐライブシアターでの上映が始まりますので、お先にご覧になりますか。」
「ん?ライブシアター、はい、ご覧になりますです。」
「じゃ、どうぞ、こちらにお入り下さい。」
と、受付カウンターの後ろのホールに通された。
もちろん観客は着膨れたでっかいオッサンひとり。
それでも、きちんと手順通りの解説をしてくれる。
「ようこそ、ほたるいかミュージアムにお越し下さいました。このライブシアターでは、ほたるいかの生態の映像をご覧いただき、実験水槽での発光実演を致します。どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。」
薄暗いホールにうら若き女性とでっかいオッサンの二人きりなので、少し緊張気味のようだ。
やがて、前のスクリーンにボケボケのビデオ映像が映し出される。富山湾で
も滑川の少し沖合の海域にだけ、ホタルイカは産卵に上がってくる。
成長期の殆どを富山湾で過ごし、昼間は深海で、夜間には海面に上がってくるのだが、詳しい生態は
まだ明らかになっていないそうだ。
その寿命はほぼ1年で、4月から5月にかけて産卵を終えたホタルイカは滑川の海岸に累々と打ち上げられる。その時期が漁期なのだ。
「ホタルイカって、天然記念物じゃなかったっけ。そんな天然記念物を食べちゃってもいいの?」
「はい、ホタルイカそのものが天然記念物ではなくて、滑川沖のホタルイカが群遊する海面が天然記念物なんです。ですから限られた漁師さんでないと獲ってはいけないんですよ。」
「はぁ、そうなんだ。物じゃなくて場所なんだ。」
「いえ、物と場所が一体となって天然記念物なんです。」
「てことは、他の場所なら獲ってもいいの?」
「どうでしょう、でも、富山湾の限られた所にしかいないみたいですよ。」
「まあね、あんなちっこいの釣ろうったって、釣れないもんね。はい、分かりました、じゃ、次いきましょう。」
映像が終わると、ホール中央の床にホタルイカのレプリカが仕込んであり、発光ダイオードで光る群遊の様子が10秒ほど演じられた。
そして、小さな水槽の前に近く寄るように云われ、覗き込むと、お姉ちゃんは横のスイッチをポチンと押した。
シャーンシャーンと超音波の発する音がして、水面に漂う細かいゴミと思っていたモノが青白く光る。
海ほたるの仲間の発光プランクトンのようだ。
その発光実演も、ものの数秒で終わってしまった。
「あれ、もうおしまい?」
「はい、終わりです。どうもありがとうございました。」
何だか呆気なく終わってしまって、何となく消化不良気味だったが、お姉ちゃんもでっかいオッサンと二人きりで長くは居たくなかったのだろう。
明るいエントランスに戻ってきょろきょろしていると、二階へどうぞと案内された。
長いスロープを昇って二階の展示室に入ると、先ほどのお姉ちゃんが展示物ケースの照明スイッチを入れて待っていた。
「あ、ごめん、待っててくれたの。」
「はい、じゃ、説明しますね。」
「あ、いいよいいよ、解説を読めば分かるから。今、団体さんが来たみたいだし、あっちの方に行った方がいいよ。ボクはひとりでゆっくり見ていきますよ。」
「そうですか、・・・じゃあ、・・・ごゆっくりどうぞ。」
と、明るい所で見たオッサンが結構いい男だったので、お近づきになりたいと思ったのだろう、未練がましい様子をありありと見せながら展示室から出ていった。
展示室内にはいくつものケースがあり、ホタルイカ漁のジオラマ模型や舟の模型の他、ホタルイカの一生、漁の歴史、発光の仕組みなどが事細かに解説してある。
文字ばかりがごちゃごちゃ並んでいると、近眼乱視老眼の目には悪影響を及ぼすので、早々に部屋を出た。
すると、今度は別のお姉様が次の展示室の案内をすべく待ちかまえていた。
せっかくだから、かねてより確認したかったことを尋ねた。
「えーっとねぇ、この辺じゃなんて呼ぶか知らないけれど、ミズベコとかゲンゲンボウとかいう深海魚を食べさせてくれるような店なぁい?」
「は?・・・あ・・・あぁ、ゲンゲですね。どこのスーパーでもありますよ。でも、料理して出す店だと、・・・富山の駅前にゲンゲ料理を出す店がありますけど、お昼の時間にはどうでしょうかね。ちょっと聞いてみますね。」
と、彼女はインターコムを使って誰かに店の場所や営業時間を聞いてくれた。
「やはり、昼の時間にはやってないみたいです。夜になれば開くらしいんですけど。あと、そうですねぇ、魚津の方に行けばゲンゲを出してくれる店は結構あると思いますよ。」
「そっかぁ、魚津の方から来たんだけど、また戻るのかぁ。で、何、この辺だとスーパーで売ってるの?」
「はい、結構食べますよ。美味しいですものね。」
「よっしゃ、じゃ、スーパーで買って横浜まで持って帰ろうっと。」
「下の展示室の水槽にゲンゲの仲間の魚がいますよ。すごく可愛いです。」
「あ、そう、じゃ、見てくるね。どうもありがとう。」
なかなか親切なお姉様達である。
このでっかいオッサンに気があるのかもしれない。
云われた通りに1階の水槽に行くと、深海に棲んでいる筈のトヤマエビやズワイガニ、イバラエビ、ニジカジカに混じって、薄いピンクのにょろりとした魚がのんびり泳いでいる。
正しくゲンゲの仲間でポォっとした表情が何とも愛くるしい。
深海を再現しているので、水温は1〜2℃しかなく、手を浸けるとしびれるような冷たさだ。
あまり見ていると情が移って食べられなくなりそうだから、一頻り写真を撮って出口に向かった。
受付ブースにいたお姉様達に丁寧な挨拶をしてミュージアムショップの方に行くと、背中に見送る彼女達の熱い視線を感じた。
これは相当惚れられたのかもしれないと、相当自惚れながらショップに入った。
売り場のおばちゃんが、ケースに並んだベニズワイガニの脚を一本ペチンと折って身をずるずると引きだすと、目の前に差し出した。
「はい、食べてみて、美味しいよ。」
「あぁ、この前、能生の店で食べたけど、ものすごく不味かったよ。だって、解禁前のカニだから冷凍モンだし、やたら水っぽかった。」
「これはもう獲れたてだから、不味くないわよ。」と、勧められるまま、口に放り込んだ。
「うん、まあ、カニの味がするね。1パイちょうだい。」
「はい、持って帰るんなら氷入れようか。」
「いんや、今ここで食べるから。」
800円のベニズワイガニをお盆に載せて、おしぼりと一緒に渡される。
テーブルにどでんとカニを置き、記念写真を撮って、いきなりばきぼき脚を捻り折り、べちっじゅるぅじゅぱじゅぱずずずふにゃふにゃんごんごくちゃくちゃべちっぽきっじゅるじゅるむにゃむにゃ・・・ひたすらカニの脚にむしゃぶりつきかぶりつき吸い付いていた。
ふと気が付くと、周りには遠巻きにして奇妙な生き物を見るような目つきの老若男女の一団が群がっていた。
中には美味しそうに食べているのを見て、「儂も食べてみようか。」
と、次々とカニを買い求めるおじさま達がいたようだ。
脚の身の味はともかく、ミソは水っぽくてあまり旨くなかった。
値段が値段だけに、文句は言えない。
歯の間に挟まったカニの筋を舌でれろれろしながら表に出ると、数人のおじさま達がひょっとこ面と魚籠を付けた巨大な過積載バイクを囲んで何やら談笑している。
「これお宅のバイク? 面白いねえ、この魚籠には何を入れんの?」
「あぁ、ウナギでもドジョウでも何でも入れますよ。カニも入れたいけど、脚が邪魔で入らないかな。」
「ははは、こりゃええわ、こんなん始めて見たわ。」
「はいな、そりゃそうでしょう。BMWのバイクにこんなもの付けて喜んでるバカは、ボクぐらいしかいません。」
「いやあ、でも、結構いいセンスだと思うけどなあ、ははは。」
ひょっとこ面と魚籠を付けた巨大バイクは、結構「癒し系バイク」としての存在価値があるのかもしれない。
駐車場から走り出す時、観光バスの中から大勢の笑顔が見送っていた。
<ゲンゲ>
滑川の街中で最初にあったスーパーに飛び込んだ。
鮮魚売り場に行くと、陳列ケースの三分の一が「ゲンゲ 新潟産」として1パック280円で山のように並んでいるではないか。
海底をのろのろ泳ぐことから「ノロゲンゲ」と名付けられたこの魚は、北陸では相当ポピュラーな魚のようだ。
3匹入りのパックを3パック買った。
「すみませ〜ん、これ横浜まで持って帰りたいんで、氷入れてもらえますぅ?」
「あ、じゃあ、発泡スチロールの函に入れた方がいいかな?」
「は〜い、お願いしま〜す。」
280円のパック3つを大きなケースに入れて氷パック(氷のままだと溶けて水が漏れるので、ビニールに入った氷の小袋になっている)を詰めてくれた。
念願の魚が思いの外簡単に手に入り、うきうき気分でバイクの荷台にケースを縛り付けると、一目散に横浜まで帰るべく走り出した。
国道8号線を富山まで行き、41号線「ノーベル賞街道」をびょんびょんと南下する。
神岡から上宝方面の471号線に入り、平湯まで一気に突っ走る。
安房峠はすでに冬期閉鎖されていたので、トンネルを行かざるを得ない。
あっという間に安曇村に抜け、梓川沿いの幾つものトンネルを潜る内に、段々瞼が重くなってきた。
ともすると一瞬カクッと首が落ちる事もある。
つらつら考えると、前日の夕方から夜通し走って北陸に来たのだから、35時間近く不眠でいたのだ。
こりゃやばいと、道の駅で休もうとするが、仮眠をとろうにも場所がない。
横浜まで保たないと悟って、徐に電話をかけた。
「もしもし、べべちゃんのパパで〜す。あのね、今日のお宅の家族はみんないるの? 晩ご飯、家で食べるの?」
「ええっ、何よぉ、一体。」
「今、安曇村に居るんだけどね、富山でゲンゲって珍しい魚を買ってきたんだけど、食べたい?」
「な〜にぃ、どんな魚なの?」
「とっても変わってるけど、とっても美味しいお魚だから、今晩ご馳走するね。」
「は〜い、何だか分からないけど、待ってま〜す。」
小淵沢のいつもの蕎麦屋「なかしま」までなら、何とか眠らずにたどり着けそうだと判断した。
松本空港方面の裏通りを抜けて塩尻から長野道に乗り、一気に中央高速の諏訪南までかっ飛ばした。
前夜、暗い雲に隠れていた八ヶ岳の峰々は、今、明るい青空の下で白い雪衣を纏っている。
電話をしてから30分ほどで「なかしま」に着いてしまった。
「ちわ〜っす、クール・バイク便で〜す。」
勝手知ったる他人の家の玄関に上がり込む。
オヤジが出てきて函を開けた。
「なに、これ? 初めて見たなぁ、こんな魚。」
「これが噂のゲンゲンボウ、ミズベコ、して亦の名をゲンゲと申す実にうんみゃあ魚なんよ。」
時間は午後3時を回ったばかりで、夕食の準備にはまだ早い。
お茶の入った湯飲みを片手にソファに座っていると、いつしか睡魔の虜になってしまった。
「あれ、何だ寝るのか。布団敷いてやろうか。」
「ふにゃ、もうさん・・ゆう・・ごりらんねれないひゃら、ねふぐれひょうがにゃい、ほひぇ・・・(もう35時間寝てないから眠くてしょうがない)」と、譫言のように呟いてカクッと首を垂れてしまった。
慌てて別の部屋に布団を敷いたらしく、抱えられるように移ってごろんと転がる。
夢の壁の向こうから、家族の語らう声が聞こえてきた。
1時間ほど眠って、しゃっきりと復活したオッサンはかなりタフなバカのようだ。
ドアを開けると、キッチンの横だった。
「とりあえずワタだけは取っといたよ。後はお任せします。」
オヤジがゲンゲをきちんと下処理してくれていた。
「はいよ、じゃ、昆布とみりんと酒と塩だけ出しておいてね。それとネギもね。」
下の蕎麦打ちの厨房から二階の居間へとドタバタドタバタ、オヤジは駆けずり回って昆布とみりんと酒と塩を集めてきた。
まず、鍋に3分の1ほど水を入れ、火にかけると昆布を放り込む。
湯が沸くまでの間に、ゲンゲを切り分ける。
30cmほどの長さなので、頭、腹、尾の3つにぶった切る。
半透明のプリプリした体は触っていても気持ちがいい。
少し沸いてきたところに、酒、みりん、塩を適量入れる。
この適量が、料理人の勘であってデータとして表記することは難しい。
出汁が馴染んだら、ぶつ切りにしたゲンゲをドバドバドバっと入れる。
後は中火で少しグラッと沸くまでおき、グラッときたら素早く弱火にして、じっくりコトコト20分ほど煮込む。
ここでの注意点は、中火や強火でグラグラ煮込むと、柔らかい魚なので身が崩れてしまう恐れがある。寒天質の衣に包まれたデリケートなお魚なのだ。
「はーい、できたよ〜。ひとり一匹ずつ取り分けるからね。骨は口に入れてちゅうちゅ
う身を吸い取ってから、ぺって吐き出せばいいからね。」
娘と息子とオヤジとカアちゃんが食卓について、ゲンゲ初体験となった。
「うおっ、おいしい。なんだ、これ、うわ、こんなの初めてだぁ。」
「こんなゼリーみたいなの、面白いわね。コラーゲンたっぷりでお肌によさそう。」
「うーん、いい出汁出てるぅ。うんまいなあ・・・。」
「へえ、面白いけど、骨をはずしにくい。」
「あのね、そんなチマチマ箸で取らずに、ずずっと啜り込んで、口の中でちゅうちゅうしなさい。」
「いや、この人達は魚を食べるの下手なんだよ。」
「ぷはー、ホントうっめえなあ、この汁。」
「味の決め手は、塩加減だよ。薄すぎても辛すぎても駄目なんだから。」
「この子は昔から汁好きなのよね。」
北陸限定の珍魚ゲンゲは、一家には大好評だった。
食後、近くの温泉施設に行ってじっくりコトコト肥満体の「ダシ」をとった。
ほかほかと湯気を立てて戻ったものの、またもや睡魔が訪れる。
「今から帰るの無理だよ。泊まっていきなさいよ。さっきの部屋で寝ればいいじゃない。」
もう、どうにも堪らなくなって、再び布団に潜り込んだ。
夜を徹して北陸の富山まで突っ走り、夜明けと共に山中に分け入って洞杉の群生地を巡り、ほたるいかミュージアムで若いお姉様達と知り合って滑川のスーパーでゲンゲを買い込み、久しぶりの珍味を食べたいが為に北アルプス山麓を駆け抜け、八ヶ岳山麓で引っかかってゲンゲの味を楽しんだのが、ほんの昨日のように思える。
いや、実際、昨日のことだった。
そんなこんなを思い浮かべる間に、意識は夢の壁を越えて行く。ゲンゲが一匹、ゲンゲが二匹、ゲンゲが三匹・・・と数える内に、五十肩の痛みも次第に薄れていった。
気味悪さも、一度食べれば至極の味わいになる。
見てくれだけで判断して、本当の旨いものを味わわないのは不幸としか思えない。
何事も経験しないと、その真実が見えてこないのだ。
遠く離れて批評するのは、誰でもできるが決して真実は伝わらない。
現場での経験者が、一番真実を知っている。
後で知ったことだが、洞杉の群生地にほど近い場所で、坂本弁護士の遺体が見つかったそうだ。
想像するだにおぞましい光景だ。
オウム真理教の白装束の一群が、立山山麓の山深く遺体を埋めている。
何も知らずに、その場所近くを通ったが、何となく邪悪な波動を感じたのは決して言い繕いではなく、現場で感じた真実の波動だった。
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