亀仙人見参
「愛〜in蕎麦街道啓蟄通輪」

平成12年弥生
by 古森 雲遊 (ベベパパ)

<序>
 物憂い朝の目覚めに何となく気怠さを感じ布団の温もりに暫し弛んだ体を委ねる。頭を横に巡らすと猫はまだ夢の中らしく安らかな寝息を立てて眠っている。窓から差し込む陽光がまぶしく壁を輝かせ光の束の中に静かに漂う細かな埃を際立たせて見せている。今日は何の日だったかと霞のかかった視界の中で脳細胞の記憶を呼び戻そうとする。うっかり目を瞑ると再び夢の中に引きずり込まれそうになる。そのまま睡魔に魅入られて猫と同じ夢を見るのが望ましいのだが指先が盛んに蠢いて何かを求めている。その何かを探るためにも眠ってはならないと思い切って身を起こした。同時に猫も目を覚まして起きあがり大きく伸びをして欠伸をする。そうだ、山梨から長野に蕎麦街道啓蟄通 輪に行くのだった。
時計を見ると7時前で余裕のある目覚めだった。10時の集合までにたっぷりと時間がある。いつもなら通 輪の前の日は浮き浮きして眠れないのだが、最近はかなり疲れが溜まっているらしく心身共に休息を求めているようで浮かれる気分になれない。重い体を引き起こしよたよたと小部屋で身を軽くした後徐に荷造りを始めた。差し当たり持ってゆく物は衣類中心の防寒具で纏める。長野は氷点下だということなので宿の寝具の大きさが足らないことを見越して寝袋を追加する。外に出て先日初回点検を済ませたばかりの真新しい亀仙人(R12C)を引き出す。シートを被せてあるにもかかわらず折からの強風で砂埃を巻き込み全体にうっすらと埃を被っている。
まだ艶がある状態なので下手に擦ると傷が付いてしまう。そのままにしておくのが得策と自分で納得して薄汚れたまま走り出す。後ろで猫の見送る姿が小さくミラーに映っていた。
<香>  近所の住宅街を駆け抜けるとどこからともなく甘い沈丁花の香りが漂って くる。春を感じる香りなのだがその姿を確かめるべくあたりを見回していた らとある家の庭先の植え込みにそれを発見した。 即座に亀仙人を停めて降り立ち植え込みに歩み寄ると小さな白い花びらが赤 紫の襟巻きをしてお互いに身を寄せ合ってかたまっている。鼻先を近づける とより強く甘い香りが鼻腔にまったりと溜まり春の酔いを感じさせてくれ る。思わず頬が弛んでだらしない表情になるが沈丁花のみならず周りにはコ ブ シやマンサク、ちょっと気の早いキクモモかハナズオウが春の微笑みを返してくれている。横浜の街にはすでに春の微笑みが満開なのだ。 気分を良くして再び走り出し信号待ちで大きく息を吸い込むと杉花粉の仕業か盛大な嚔をしてしまった。 多くの箱車蠢く街道を行くと花の香りは何処へやらやたら黒き煤煙の中をゆるゆると進むことを余儀なくされる。 談合坂に向かう道すがら道志の周りの山々は未だ冬の装いのまま、蒼き杉の集まるところは梢が褐色になって盛んに花粉を放出している様子が窺える。 ともすると鼻先がムズムズしてきて走りながら大きな嚔をしてしまう。咄嗟にバイザーを上げようとするが間に合わず飛沫が視界を一瞬の内に曇らせてしまう。何度途中で亀仙人を停めて悪態をつき ながらその汚れを拭ったことか。呪うべきは杉花粉なのだが元はといえば人の手による植林で山野を覆い需要が無くなったといって放置され杉自身の種の保存のために盛んに花粉を放出しているの だ。 日本人は昔から杉と共に生きてきた。なぜ最近になってアレルギー症状が蔓延しだしたのだろうか。そもそも日本人の食生活の中には杉材を使った道具や食器が数多くあった。杉のまな板、杓子、 箸、弁当箱、お櫃などの家庭の食器類はもちろん店で味噌や納豆、肉などを買ったとき杉の経木で包んでくれたものだった。生活の中の杉材によってそのまま微量 ながら成分を人の体内に取り込み自 然に免疫ができていたのだ。ところが最近はどうだろう、杉材に代わってプラスチック製品が殆どを占めるようになり免疫を作るどころではない。プラスチックの食器や発砲スチロールのパックでは 逆に化学薬品のアレルギーが発症しそうな感じがする。 先人が杉を植えたのは木材資源の発展のためだから仕方がないにしてもそれを維持管理する現代人の無作為が花粉症を始めとする諸アレルギー症状の元凶と言わざるを得ない。従って花粉症は公害だ と断言したい。 四日市喘息や川崎公害などと同じレベルで取り上げられて然るべき問題ではなかろうか。  嚔一発で斯様な問題を考えてしまったのだが、花粉症とは無縁な亀仙人は強大なトルクをもって山道坂道うねり道を軽快にひらりひらりと走り続けていた。 道志の路傍にはまだ紅梅白梅のめでたい色彩の残り花が咲いている。残念ながら残り香は感じられないが、それも花粉症により嗅覚が麻痺しているのかもしれない。
<群>
 啓蟄は過ぎてはいたがあちこちから春の温もりに促されてもぞもぞ這い出してきた鉄馬乗りが談合坂に集合した。顔見知りもいたが初顔もちらほら窺える。皆走ることが好きなのか蕎麦を食べたいのかいずれにせよこれから入り込む蕎麦街道への期待で表情が輝いている。
約1名飛び込み参加の壮年の御仁がいたが鉄馬乗りに年齢差は存在しない。同じように浮き浮き気分で頬が綻んでいた。
春の声が聞こえるとて高速で頬に当たる風はまだ冷たく感じられる。

 途中の休憩で立ち寄った場所から臨む甲斐の山々は麓が霞み峰峰が雪を被ってまるで天空に浮かぶ羽衣のごとく見える。
その美しい風景を楽しむためにも逸る鉄馬を押さえ込みのんびりと高速道路を群れなして流していたのだが、何が幸いするか分からないもので、最後尾には白と黒に塗り分けられた獲物をねらう野獣のような車が追尾していたらしい。
群が整然とゆっくり走っているので道から逸れたときには歯噛みして悔しげな表情で走り過ぎていった。
甲府昭和で遅れてきたメンバーと合流して一路蕎麦街道に入り込む。
暦は春とはいえ八ヶ岳の峰峰には雪が白く残り吹き下ろす風は冷たい息吹となって群を惑わす。
以前見かけた白袋花満開の桃畑は枝のあちこちにまだ固い蕾が春を待ち望んでいる。整然と街道を進む群に走りへの気負いは感じられない。無線で交わす会話の中では移り変わる風景の変化に感嘆の声が多く聞こえる。皆大いに風景を楽しんでいるようだ。先導する者が走り慣れているだけに親亀の後に続く子亀達のように挙って安心しきった群を形成している。
やがて目的の蕎麦屋にたどり着く。
まず親亀の亀仙人が駐車場にゆっくりと進入し適度な場所を示して停めようとした。そして道端に溜まった泥濘に乗り入れた瞬間、にゅるどてっ!とものの見事に転倒してしまった。
咄嗟に足をついて下敷きにならないように避けたのだが真新しい車体は泥濘の中に突っ伏していた。
振り返ると後続の群はすぐ後にいたものを含め狼狽して安全そうな地面を探して散らばっていた。
親亀が転けたら子亀は皆転ける筈なのにその時ばかりは脱兎の如し。何とか泥の中から這い出したものの見るも無惨な姿に成り果 てていた。
真新しいとは言えこの亀仙人は端から災難続きなのだ。
このような逸話が残っている。

「皆の衆、お聞き下され、それはそれは悲惨な痛ましいお話でございます。
今朝ほど山葉の鮪丸殿を里子に出さんとてその巨体を駆って横浜の動き研く店へ赴いたのでございます。
寒風切って進むに前の風防無きに殊更冷たさが身に凍みたのでございました。今日がお輿入れとのことで亀仙人殿磨きをかけてお待ちでありました。早速鮪丸殿に着けていた風防を亀仙人殿に移植しようとしたのですが、手元不如意につき何かと道具やら金物が手から滑り落ち、真新しい艶やかなお体に音激しうして当たり落ちてしまいました。あちこちに小さき傷を作り重ねるに何とか風防を着け終わり、今度は足下の支え棒のふにょろと突きいでし金棒を足の置き場の邪魔になるとてぐいと踏み下ろしたのでございます。一度支え棒を畳んで見るとまだ邪魔をしておる。こ奴め、まだ逆らいおるかと今一度ぐいと踏み下ろすと、ぽっき〜ん!!・・と折れてしもうたのでございます。横で見ていた店の女御よよと泣き崩れ腰砕け、『なあにい!まだ、納車もしていないのにもう壊しちゃったあ!?』『・・・あれえ、簡単に折れてしもうたわいなあ・・・。』
折れた金棒ひょいと拾い上げ、呆然と立ちすくむ私めでございました。
『溶接で付かぬものかいなあ・・?』
『うちには溶接の道具はございませぬ。』
『然からば、近所の山葉の店に頼もう。』
と涙で見送る女御を残して、颯爽と悲しみの背を向けて走り去ったのでございます。
そして、川崎の山葉の店に赴き、『頼もう! この折れた金棒を溶接して下され。』と述べたものの、『うちでは斯様な舶来物の金棒を溶接できる機械はござらぬ 。別の舶来物を取り扱う店に行ってたもれ。』といなされ、仕方なく羽田の本田屋敷に出向いたのであります。
羽田でも溶接の機械はあるものの、斯様な細き金棒を付けてもすぐにまた折れるのは必定。新しく付け直すのが良策とのこと。新しいのは当然おろし立てであるからして新しいのだが折れてしまったものは新しくても無用の長物、結局大枚一枚半の出費で新たな支え棒を付けるに至った次第。
自分で折った手前誰に咎め立て出きる筈も無く、泣く泣く家に帰り着いたのでございます。

  哀れ亀仙人殿、端から災難でござったのう。  で、詠みけるうた一句

   おはつとて よけいなしわざで あざいくつ 」 る風はまだ冷たく感じられる。

<食>
 一同蕎麦屋に上がり込みほぼ占拠してしまった。
前もって連絡を入れておいたから早々に山盛りの蕎麦が卓上に並ぶ。一斉に各自の箸が延び挟み上げ汁に浸け啜り込む。ただひたすら啜り込むのみ。皆全くの無言。
咀嚼するのももどかしく殆ど丸飲み状態で嚥下する。瞬く間に大笊の蕎麦は各自の胃袋に収まってしまう。再び追加の笊が現れても消え行く速度は変化なし。一人の者笊の目に詰まった蕎麦の切れっ端を裏からトントンと叩いて飛び出させてはちまちまと口に運ぶ。当に欠食児童の如しと表現される。上がり込んでから狂宴を終えて出てくるまでさほどの時間は経っていない。疾風の如き蕎麦喰いの一群であった。
蕎麦屋の看板の前で飽食の限りを尽くした一群が記念写真を撮り満足げに漫ろ立ち去って行く。
少し行ってからまた群を形成して八ヶ岳の麓の鉢巻き道路を目指す。が、山裾に向かって北上する路傍には白い雪が堆く積み上げてある。しかも所々残った雪が路面 にへばりついて避けようのない苦難の前途を呈している。
先導車は恐る恐る成る可く乾いた路面を選んで進むのだが如何せん圧雪路が出現する。
泥濘で転けた記憶も生々しく雪上ではより激しい転倒の図が脳裏を過ぎる。
無線で飛び交う声は最早感嘆のそれではなく驚嘆と驚愕、畏怖の念の籠もったものであった。
鉢巻き道路の更なる奥に進むには剰りにも危険が多すぎる。早々に踵を返して南下する方向の道を辿る。
山裾の八ヶ岳文化会館の一郭にある店で一服せんと一同駐車場に進入するがそこも辛うじて雪を除けた間隙に鉄馬達を犇めかせて落ち着いた。
軽くコーヒーを啜って語り合うも時は流れ落ちる雪解けのように過ぎて行く。
見はるかす南アルプスの山々は遠くに霞んで白い雪を頂いている。
程なくして再び群を成すも雪の残る駐車場で記念写真に収まる。極めのポーズは「愛〜in!」

諏訪湖の畔の味噌工場で土産の味噌を購い傍の間欠泉を見学して日帰り組の二人と別 れる。
次第に互いの距離が遠ざかるにも関わらず無線の電波だけは何時までも等距離にあるようだ。それも塩尻峠を越す頃には最早届かぬ 距離になっていた。
例によって訳の分からぬ裏道ばかり選んで走ると後ろに続く群は必死で付いてくる。少しでも遅れて曲がる角を見失えば即座に路頭に迷うのは必定。田圃の畦道、農家の庭先、獣道を曲がりくねって進む群は巨大なバイクばかりなだけに些か窮屈な道中に感じられる。
やがて美ヶ原温泉の民宿に着き荷を解く頃一同腹の虫が騒ぎ出していたのは言うまでもない。
一風呂浴びて食卓に付くといつもの種々雑多な料理が並びだした。
山葵の花のお浸し。一番旨い食べ方はやはりざく切りにした山葵を鍋に投げ入れ上から熱湯を注ぎそのまますぐに蓋をして冷め切るまで決して蓋を開けない。決して加熱をしてはならない。後は鰹節をまぶし少し醤油を垂らして食すとぴりりとした山葵の辛味が生きて絶品となる。
鯉の甘露煮。黒砂糖と生醤油で煮込むことで全く臭みがなくなる。
山ウドの糸掻き。山ウドを白髪ネギのように細く掻いたものにポン酢を加えて食す。また旨し。
海老と甘鯛の真薯。甘鯛の擂り身に自然薯や木耳、海老を和えて蒸し上げ餡をかける。
アスパラの天麩羅。皮を剥いてから衣を付けて揚げると別物のようになる。
蕗味噌。蕗の薹を細かく刻みごま油で炒めて塩、味醂で味を調えると香しい蕗の薹味噌ができあがる。ほろ苦さがまた格別 の春の味。
五穀飯は米に麦、黍、小豆を混ぜて炊き込む。香り豊かな赤飯となる。
酒は地酒の真澄「荒走り」と「山廃」の冷酒仕様。さっぱりとしたフルーティな味わいに爽やかな喉越し。つい酒がすすむが酒精度18度と結構高い。一同旨い料理にいたく満足したらしい。食後は部屋に屯して心ゆくまで語り合った。

 翌日は天気予報で雨とのことなので早々に出発して高速の風となったのだが、結局その日は一滴の雨にも出会わなかった。だったらもっとゆっくり過ごしたかったというのが群の思いだったようだ。


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