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あかべこ日記・新・心の旅
「雲に遊び、風に聞く」
平成13年9月
by 古森 雲遊 <くらうど> (ベベパパ)
<鉄馬の嘶(いなな)き>
殆ど一睡もしないまま夜明けと共に琵琶湖の西を駆け抜けて福井に来てしまった。眠いながらも一通り所用を済ませると、せめてゆっくり眠れる場所を求めて福井市内から越前海岸を目指した。夕暮れ迫る海岸、沈み行く夕日、巨大なあかべこGSの楽しげな鼓動を眠たく気怠い心に響かせながらワインディングを駆けていった。4時頃にはどこかの民宿に転がり込まないと、せっかくの海の幸の料理にありつけなくなる。目指す越前町で民宿を探すも、これと言って決め手がない。町はずれの駐在所に駆け込んで訊ねようと思ったら、生憎不在だった。仕方なく向かいの釣具屋にヘルメットを抱えて入り込んだ。
「さすらいのライダー一人泊まれるいい民宿ありませんか?」
すると、店にいたおばさんが、「いい民宿と言われてもねえ、近所付き合いの手前あんまりはっきり言えんよ
ねえ。」
「ああ、そうか、じゃあ聞き直すね、近場で手頃な民宿はある?」
「ほんなら、そのすぐそこのK野さんなんかどう?」
「決めた。一番手近なのがいいもんね。ありがとう。」
その民宿はついさっき巨大な図体のバイクを突っ込んだら袋小路になっており、
必死にぎっちょんぎっちょんしながら抜け出してきた所だった。そして今一度変な角度で停めないようにして、徐に玄関先に訪ねた。
「ごめんくださ〜い。流れ者のライダー一人泊まれますか?」
「は、はい、いいですよ。どうぞ。」
どでかいオッサンにちょっと気圧された様子の若い女将さんが受け入れてくれた。荷物を下ろして部屋に案内される途中、以前から気になっていた魚の事を訊ねた。
「この辺でズベとかグベとかゲンゲンボウとかミズウオとかいう魚ありませんか?」
「はあ、今、底引き漁が始まってカレイなんかと一緒に上がってますよ。ええっ? あんな魚がいいんですか?」
「そう、40年ぐらい昔子供心になんじゃこれって魚だったのが、15年ほど前に食べたら結構いけるじゃんと思いましてね。それから食べたい一心で探し求め
ていたんですよ。いやあ、ここで食べられるなら嬉しいなあ。」
「どういう風に味付けしますか? 薄いしょうゆ味でよければ・・・」
「そうそう、薄味のお吸い物風にしてずずずずずって啜り込みたいんで。」
「あんな魚、地元の人は結構喜んで食べますけど、お客さんは大抵結構ですって断られますよ。」
「そ、ボクはふつうの客じゃないから、たくさん出してね。」
長年の望みが叶う時ぞ来る。期待に胸を膨らませて、宿の沓脱にあった小さな下駄を大きな30cmの足に引っかけてぶらりと散歩に出かけた。
福井県越前町城ヶ谷がこの海岸縁に張り付くようにある所の地名だった。小さ
な漁港を囲んで100軒余りの民家や商店が並んでいる。防波堤に出てみると夕日の沈み行く水平線から鮮やかな茜色の雲が立ち上っていた。その雲はまるで亡き母の書のように赤い筆使いをしていた。
「お母さん、茜雲で書いてるんだ。きれいだなあ。」
眺めている内に夕焼けが霞んできてしまった。

海辺の道をからころ下駄を鳴らして歩いていた。ある民家の塀に「さばのへしこあります」と大書してある。なんじゃろなと庭先で花の手入れをしているおばさんに問うた。
「このさばのへしこって何ですか?」
「ああ? もう切らしてしもうた。売り切れたわな。」
「そ、そうじゃなくて、さばのへしこって何ですか?って聞いてるんですけど・・・」
「ああ、鯖の糠漬け、生の鯖に塩をして糠に漬け込むんだけど、もう切らしてしもうた。また、今度買いに来て。」
「はいはい、まあ、どういう物かが分かったんで・・・・・」
と、そそくさと退散した。それからしばらくうろうろしていたが、漁村らしい佇まいがあちこちに見られる。海の神を祀ってあるのだろう、港のすぐ傍に祠が建ててあり沢山の供物があった。少し先には鉄工所があり、若い兄ちゃんがグラインダーで船のスクリューを削っていた。その先の民家の甍を見上げると珍しい形の鬼瓦があった。よく見ると鳳凰を象ってあった。鬼瓦もよく観察してみるとそれぞれに独特の形があって、手作りの瓦の味わい深さが見て取れる。からころからころ行くうちに、次第に足の裏や指の付け根が痛くなってきた。何といっても
30cmの大足に小さな下駄である。とても普通に歩くことはできない。ひいひい悲鳴を上げながら宿までとって返した。そして、その半時後、件の料理が出てきた。
もずくの酢の物、ハタハタの味噌焼き、カレイの煮付け、黒鯛、甘エビ、鯵、イ
カの刺身、そして例の「げんげ、ぐべ、ずべ、げんげんぼう、みずうお」と各地でいろいろな呼び名のある魚が出てきた。ぶつ切りにした魚を醤油と砂糖だけで
煮てあり、少し味付けが濃いようだが、紛れもなく探し求めていた魚を口に入れた。ちゅるんとした舌触り、ぐにゅっとした歯触りに噛みしめるとプツッと歯先に引っかかる柔らかい骨、舌で押しつぶすようにして喉の奥に送り込むと、ちゅるりんと喉元を滑り降りていった。
「うんみゃあ。」じゅるん、ちゅるん、じゅじゅじゅ、じゅるん、くちょくちょ、にゅるん、ぺちゃぺちゃ、ごっくん・・・じゅるん・・・次から次へと口に入れ、飲み込んでいった。殆ど咀嚼の動作は要らない魚の煮付けなのだ。確かに見た目や口の中に入れたときの感触は初めての人には、今風に言うと些か「キショイ」とか「キモイ」かもしれない。でも、これらの表現は古い人間である自分には些か「気持ち悪い」ように思える。
やがて、厨房への電話をとった。
「すみませ〜ん、ご飯のおかわりと、あればでいいんですけど・・・さっきのあの魚まだありますぅ? あったらそれもおかわりお願いします。」
大きな丼いっぱいの「みずうお」を2杯平らげてしまった。もちろん他の魚も綺麗にしゃぶり尽くしてしまった。正式名称は「シロゲンゲ」「ノロゲンゲ」「クロゲンゲ」などといい、300m以上の深い海に生息しているゲンゲの仲間で、
地元以外の市場には出回らない魚らしい。
「ごちそうさまあ〜、ところで、この魚この辺では何て呼んでるんですか?」
「みずべこですよ。」
「へ??みずべこ??水の牛ですか? ボクのバイクの愛称はあかべこなんですけどね・・・」関係ないこと甚だしい。だから、女将さんの返事は、
「・・・はあ??・・・で、味付けはどうでしたかぁ? それぞれの家の味があるから、お口に合いました?」
「ちょっと甘いかな? でも美味しかったですよ。」


実際、福井の醤油はやたら甘いのだ。煮物には良いが、漬け物や刺身につけるとちょっと甘さが口に残りすぎるきらいがある。甘い醤油には岩手県の遠野あたりでも出会った。店に置いてある醤油の表示が例え全国区のキッコーマンでも「甘口」とあり、原材料に砂糖が付け加えてある。だから、岩手方面に行くときは必ず「辛口」の醤油を持参することにしている。だが、今回の福井ではすっかり忘
れていた。
深夜、いきなり外で漁船のエンジン音が響いた。そうだった、ここは漁港のすぐ傍だ。漁師の朝は早い。いや、夜遅いのか、時計を見るとまだ2時。起きあがって窓から海の方を見ると、沖合の漁り火が水平線に並んでいた。眼下の岸壁からイカ釣り船が出ていくところだった。見渡すとまだ3隻ほど残っている。ということは、あと三回エンジンの音で起こされるのかもしれない。覚悟を決めて再び床に就いたが、朝までの間、漁船に起こされたのは1回だけで、2回は大きな蚊の襲来にあって目が覚めてしまった。

朝食には「さばのへしこ」が出てきた。やたら塩辛い。塩ジャケと同じようなものだと納得してしまった。思えば鯖は日本海で沢山獲れる。だからこそ越前から京都まで鯖街道ができたのだ。京都の鯖寿司、大阪のばってらは越前の鯖を昆布締めにしている。その昆布も元は北海道からの北回船や樽回船で鰊などと運ばれてきた物だ。京都名物とはいうものの、「鰊蕎麦」や「昆布巻き」「昆布の佃煮」などはすべて北の海の恵みを加工したのだ。となると京都独自の食べ物で名物とは?・・・京野菜と京漬物ぐらいしか思い浮かばない。京菓子はご飯のおかずにならないから省く。越前の海の恵みの朝食を綺麗に平らげると、ゆっくりと旅支度を始めた。
越前から若狭の海岸を走って丹後の海を見てから京都に戻ろう。前日見事な茜雲の大書を見せてくれた空は、澄み切った秋の青い色で塗りつぶされていた。
<風の囁き>
国道305号は越前海岸の波に触れ合うが如くに敦賀まで通じている。遥か日本海の水平線を眺めながら心地よい潮風に吹かれてのんびりとバイクを走らせる。
急ぐこともなく殆ど車の通りもない道を3000回転ほどの軽やかな音で走っていると、様々なことが脳裏を過ぎり、風の話しかける声に耳を傾けようかという気になってくる。敦賀に近くなってきて対岸を見遣ると人工的に作られた海岸線の上に無粋な原子力発電所の施設が見えてくる。道路際にはやたらコンビニエンス・
ストアが目に入ってくる。潮騒という自然の声を耳にしながら、目に入るのは人々の便利さを極めようとする施設ばかりだ。便利さとは一体なんだろう。先人が努力をして子孫に苦労をさせまいとした結果が便利さなのだろうが、不便と感じている時の方が努力して苦労を克服するという生き甲斐を感じていたように思える。現代に生きる人間は確かに先人の努力の結果の便利さに甘んじている。しかし、先人は便利になったと実感するのに対して、当然の事実として受け止める現代人には便利だという感覚は最早存在しない。便利になったと喜ぶ人は、心の片隅に先人に対する感謝の気持ちがある。それが人間の本来の姿なのだと思う。感謝の気持ちを無くした人は、悲しいかな便利さに隠された「失ってしまったもの」に気づかないでいるのではなかろうか。人が「働く」ということは、ある意味ではよりよい便利さを求めて努力することとは言えないだろうか。やり甲斐のある仕事、生き甲斐のある人生。それらを求めていながら人が失うもの、それは今社会的に問題になっている。失業、失職、失望、失意・・先人への感謝の気持ちを失うことは「失礼」なのだ。
敦賀から27号線丹後街道に入ると、三方五湖をかすめて小浜から高浜海岸へと通っていく。40年ほど昔、子供の頃毎年海水浴に来ていた海岸があった。懐かしく思ってバイクをその「和田浜」に向けた。しかし、海辺に近づくに従って失望と絶望を感じるに至ってしまった。昔は遠浅ではしゃぎ回っていた筈の海岸が消え失せている。面白い磯場があってよく潜ってサザエやウニを採っていた所には、これまた新しい堤防ができて原子力発電所が聳えている。子供の頃遊んだ美しい海岸が完全に消え失せていた。同時にあれほど賑わっていた人家や人の姿
も見あたらず、小さな狭い砂浜に静かな波が打ち寄せていた。堤防を造ったために潮の流れが変わり砂を持ち去ってしまったのだろう。失ったものはあまりにも大きい。そして二度と元には戻らない。
<鉄路の響き>
舞鶴から宮津に入ると、やがて天橋立の美しい白砂青松の砂州が見えてくる。
この姿だけは消さないで欲しいものだ。以前この地を訪れたとき、成相寺の山頂から「天橋立の股覗き」をやったのだが、実に馬鹿な事をしたのを思い出した。
股覗きの風景を写真に撮るつもりで、後ろを向いて思い切り腰を曲げ、逆さに見える風景をパチリとカメラに収めた。その時は「やったあ!股覗きの風景をバッチリ撮ったぞ。」と悦に入っていたのだが、後日現像が上がってきて写真を見ると、そう、逆さまの写真などあるはずがない。確かにフィルムを見れば1コマだけ天地が逆になっているが、プリントしてみればどっちも同じ天橋立なのだ。実にバカである。本当にその時は現像が上がってくるまで気が付かなかったのだから、正真正銘のバカである。
馬鹿な思い出にヘルメットの中でゲラゲラ笑いながら国道312号を峰山から久美浜に向けてバイクを走らせた。40年ぶりに訪れる田舎道である。昔はSL(蒸気機関車)の曳く汽車に乗って遙々やってきたものだった。京都二条駅から山陰線でゴトゴト走り、福知山で切り返しがあって宮津線回りで久美浜の父の実家に帰っていたのだ。幼い頃から通っていた鉄道だけに、線路際を走っていると当時の事が次々と思い出されてきた。
二条駅のホームで待つ三人姉弟、小学生の姉二人と幼児の私がいつも汽車の旅をしていた。駅の売店で買ってくる冷凍ミカンと柿羊羹が汽車の旅の定番メニューだった。柿羊羹は丸いゴム風船のような袋に充填してあり、本来ならば爪楊枝で突っついてぷっぴゅるんと剥くのだが、三人の子供はそんなことはしない。指でぐにゅぐにゅ押しつぶしながらちゅうちゅうちゅうちゅうちびちびちびちび吸って、いかに長い間保たせるかで競い合ったものだ。圧倒的な迫力を持ち真っ黒な煙を吐いて疾走する機関車は、子供の目に実に頼もしい姿だった。
しゅっぽしゅっぽしゅっぽしゅっぽ・・・一生懸命激しい息遣いで走ってくれている。がたんごととったたん、がんごととったたん、がたんごととったたん・・・レールの継ぎ目つまりは線路の転轍の音の響きがリズミカルな応援太鼓のように聞こえていた。長い鉄路の旅では時折居眠りをする。そんなとき、がた
んごととったたん、がたんごととったたん・・・は心地良い眠りを誘う子守歌のように聞こえていた。時折駅に差し掛かったり支線との交差の所では、鉄路の語り口調が変わるのを楽しんでいた。がたんごととったたん、がたんごとごとったたん、でかどかでかどかごとととん、でどかったたん、どこどこでっでん、でかでかどこどこっどっととん・・・でかどこどどっととん、がたんごととったたん、がたんごととったたん、がたんごととったたん・・・再び安心してそのリズムに聴き入っていた。そして、トンネルや鉄橋に差し掛かると、ボーッボッボー
と汽笛が鳴る。慌てて窓を閉める。さもないとトンネルに入った途端窓から真っ黒い煙が吹き込んできてしまうのだ。だが、大抵どこかの窓が開いていたり、開け放されたデッキから入ってくるので、汽車の旅が終わると顔や手足が真っ黒になっていた。
ほぼ半日かかって京都二条から宮津線周りで久美浜の一つ手前の甲山という無人駅に着く。駅には祖父や叔父たちが迎えに来ており、幼い私を自転車の荷台に括りつけてテクテク歩いて田舎の家に帰るのだ。田圃の畦道を通って、小川の堤に登り、土手路を歩くと遥か遠くの田圃の向こうに小さく家が見える。夏はまだ青い柿の実だが秋になると黄色く熟した柿の実が青空に映えて美しい。草葺きの屋根、豚小屋の中でふぃっふぃっぶぐぁぶぐぁと迎えてくれる豚、鶏小屋では騒がしく鶏たちが鳴いて山羊がうんめぇぇぇぇと話しかける。いろいろな家畜の匂いと竈から立ち上る煙の匂い、糠漬けや味噌蔵から漂ってくる匂い、自転車の荷台にいて殆ど見えない状態でも、匂いの変化で段々家に近づいているのが分かる。荷台から下ろされて子供には高い階段を上がり、大きな引き戸をがらがらがらがらがらがらと開ける。
「おばあちゃん、来たよお。」
孫たちの顔を見るのが楽しみだったようで、いつもにこやかに出迎えてくれたものだ。
そんな心の原風景を思い出しながら走っていたので、ついつい昔の道を辿って行こうと思ってしまった。巨大アルミ岡持三点セットを付けた巨大バイクで嘗てのままの無人駅である甲山まで行き、昔通った筈の田圃の畦道に踏み込んだ。そこはちょっと勝手の違う草で覆われた狭い畦道で、脇を進むと路肩が巨大バイクの重みでずるずると崩れてしまう。ずりんじゅりんにゅるりんとハンドルをとられ蹌踉めきながらも何とか立て直して小川の堤に向かった。土手道に上がるのもガレ場のかなりの急坂である。思い切りアクセルを吹かして勢いよく登ったら、1mほどの狭い路を通り越して反対側の草ぼうぼうの土手にありゃりゃありゃりゃと下りていってしまった。流れのあるところまで2mほどあったが、今度の土手には上がる路がない。何とか転けずに方向転換すると草の少ない場所を狙って一気に駆け上がった。そして、トンっと狭い土手路に着地すると同時に、まずリアブレーキで反対側に落ちないように勢いを殺し、フロントタイヤが落ち込む寸での所でフロントブレーキを掛けて踏みとどまった。さながら映画「大脱走」でスティーブ・マックイーンがバイクで疾走してジャンプするシーンのようだった。尤も映画のシーンほど格好よくはないが・・・。その後、狭い土手路を少し広い道まで出ようと行くと、河原の草の中にいる黒い大きな牛に出くわした。あかべことくろべこの対面だ。しかし、くろべこは何の興味もなさそうにもぐもぐ口を動かしてちらりとあかべこの方を一瞥しただけだった。
<心の赴き>
40年昔の記憶を頼りに少し迷いつつも何とか田舎の家に辿り着いた。豚小屋はすでに無く、鶏小屋にも動きは見えない。それでも玄関先まで行くと心の中の原風景の画像とぴったり一致した。少しも変わっていない。古い大きな家だが、40年前と比べると少し小さく縮んだように思える。その家には今は叔母が一人で住んでいた。
「おばちゃん、来たよお。」
昔と同じように声を掛けたが人の気配がない。家の中を探したが不在だった。田舎の家だけに戸締まりなんかする習慣がない。そもそも扉に鍵が付いていないのだ。仕方なく近所を歩き回ってみたが、村には人が住んでいないのではと勘ぐりたくなるほど人気がない。先祖代々の墓地に足を運び、久しぶりに訪れた巨大な孫は手を合わせた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、オヤジもここにいたんだ。あれ?オヤジは長男だよね。ボクも長男だし、てことはボクがこの家の直系の跡継ぎってことになるんかいな?」
先祖代々の墓の前で私は心に決めてしまった。というより、先祖が墓の前に私を誘き寄せてそうし向けたのかもしれない。ぶらぶら村の中の小径を家まで戻ってもまだ誰もいなかった。昼時でもあるし、書き置きでもして帰ろうとした時、畑仕事から叔母が帰ってきた。
「なんだあ、たつおちゃんかいなあ、あんな大きな単車が置いてあるしきゃあ、誰かと思うたがな。」
嬉しそうに笑う叔母の姿は腰の曲がった老婆そのものだった。幼い頃に会ってから、30年ほど経った時に一度会い、その後10年経って人相も風体も大きく変化しているにも関わらず、顔を見てすぐに分かったと言う。
「昔と全然顔は変わらんじゃあにゃあきゃあ。5歳ぐらいの時の顔に戻っとるでえ。」
どうやら齢50にして自分の顔は幼児退行を起こしているらしい。
「ほな昼ご飯一緒に食べよか? 何にもないで、畑にあるもんだけだしきゃあな。」
「十分、十分、それが一番の御馳走や。」
野菜中心だが素朴な味付けの懐かしい田舎料理が並んだ。
「あんなぁ、さっきお墓に参ってきて決心したんやけど、ボクこの家継ぐわ。今すぐとはいかへんけど、何年か後には帰ってくるわな。」
突然の申し出に叔母は一瞬びっくりした様子だったが、すぐに喜色満面になった。
「ほんまかあ、そら嬉しいわあ、たつおちゃんが長男やし、あんたが継いでくれるんが本当なんや。何にもややこしいことないもんなあ。そうとなったらおばちゃん、あんたが帰ってくるまで留守番してるしきゃあなあ。へえ、そらあ嬉しいなあ。」
あちこちの親戚の間で長い間悩み続けてきた問題だった。10年ほど前に来たときは二度とこの家には帰らないと断言していただけに、叔母は跡継ぎをどうしたものかといろいろ画策をしていたらしい。しかし、私の申し出に長い間の肩の荷が下りてほっとしたようだ。
このところ弔事が続き、多くの心の拠り所を失ってしまった。また、その事が自分の本来の居場所がどこなのかを探す契機ともなった。そして今、身と心の居場所を見つけた訳である。やはり心の原風景に戻るのが幸せなのかもしれない。
たった一日で思いも寄らなかった決心をするに至ったのは、どうやら母や先祖の霊がそうし向けたようで、ここに来る時、どうも勝手にバイクが走っていくような気がしてならなかった。
<風のため息>
敢えて不便な田舎暮らしを選択するに至ったのには理由がある。都会での便利な暮らしに慣れてしまったことで、逆に精神的な不便さを感じてしまった。生活が合理的になればなるほど単調になり、便利になればなるほど生きていることの感動が無くなってしまっている。金さえあれば何でも手に入るという便利さは、
金が無ければ何も手に入らない、何もできないという不便さに行き着く。高速鉄道、高速道路と時間を金で買うことによって、早く目的地に着ける。しかし、その早さは旅の楽しみを失わせている。「便利」は物事の「結果」を短時間で到達させるだけで、そこには人間の生き様に対する感動をもたらしてはくれない。のんびりとした旅は自然とのコミュニケーションを楽しむことができる。いろいろな人との触れ合い、商店街での店の人とのやりとりには買い物の楽しさがある。
スーパーマーケットやコンビニではレジでの会話は殆ど無く、金銭と物品の交換という味気ないものになっている。日々の生活の中で人々は街の繁栄を願っている筈だった。しかし、店の繁栄は人が集まってこそ成り立つのであって、無味乾燥な大型店舗ではいずれ衰退するのは目に見えている。昔繁盛した駅前商店街が大型店舗の出現によって一時は人が集まったものの、やがて衰退して大型店は撤退し、あとには抜け殻のような寂しい廃墟が残っている。そんな街がバイクで走っていると至る所で目につく。人を集めるには人が介在しなければならない。
合理化、便利ということで機械が介在しても人の心が無ければ誰も寄りつかなくなってしまう。世の中便利になればなるほど、人は堕落していっているのではな
いだろうか。
田舎暮らしを始めるのは、敢えて不便さの中に身を置くことで生きている実感を味わうのが目的なのだ。
帰り道では、来たときと心の赴きが変わっていた。50歳を区切りに新たな生き方をするという強い決意を持ったのだ。都会で社会の歯車の一つとしての生き方を清算して、独立独歩の道を歩む。いろいろ山あり谷ありの茨の道ではあるが、それらを乗り越え克服することで得られる新たな満足感がある筈だ。消極的になって冒険をせず、やっておけばよかったと後悔するよりも、例え失敗しても冒険する方が人間らしい満足のゆく生き方ではないだろうか。「やらなきゃよかった」と後悔するより「やっちゃった、でも、やってよかった。」と、後で笑い話のネタにできる方が自分にとって有意義なのだ。「人生意気に感ず」・・・
他人が何と云おうが自分が満足のいく生き方をすれば後悔もなく、幸せなのである。
秋の実りで深く頭を垂れる稲穂、黄色く熟した柿の実が青空を背景に鮮烈な輝きを見せる。爽やかな秋風に乗ってあかべこが疾走して行く。草をはむくろべこが一声モ〜ッと挨拶をした。
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