あかべこ日記最上編

「時の雫(しずく)」


森には命の源があり
森には命の終焉がある
悠久の時を刻み
無限の営みを繰り返す
ひとたび過ちを犯す者あれば
時の雫は森の命の営みに
偏った時の穴を穿つ
そして気づく
命ある心の水面に
限りない波の輪のあることを


by 森 くらうど<雲遊>
(ベベパパ)  


<虹を望む>

 心の支えを失った時、人はどういう行動をとればいいのだろう。その場に佇んで時の過ぎゆくのをただ待って、心の奥底に活路を見いだすのか。
否、生来の旅人ならばそうはしない。自ら足を踏み出して走り去ろうとする時を追いかけていく。旅先には何かしら望みがあるはずと信じて・・・。

 愛するものを立て続けに失ってしまった旅人は、ひとりバイクを駆って旅に出た。
折から激しい雨が降ってはいたが、涙雨を振り払うようにみちのくを目指した。関東平野を常磐道で突っ切り、常陸からは三桁国道や県道を選んでひたすら曲道に挑んでいた。稲刈りを終えた田圃の中を走ると、なぜか寂しさを感じ、まさに心の中を秋風が通り過ぎていく。打ち付ける雨粒が涙とともに頬を伝って流れ落ちてゆく。男だって泣きたいときもある。泣きたいときは泣けばいい。涙は男の勲章だ。
強がってはいるものの、本当は根っからの寂びしん坊なのだ。とっくに気がついてはいる。福島飯坂あたりでようやく雨が上がり、米沢に至る栗子峠を一気に駆け抜け高畠町まで来たとき、美しい虹の架け橋を望むことができた。虹の向こうには何があるのだろう、きっと何かがあるに違いない、望みを持って虹の橋を渡りに行こうと、脳天気さを取り戻した旅人は鼻唄を歌いながらバイクを走らせていった。

 虹の向こうには夕鶴の里があり、鶴の羽二重が納めてあるという鶴布山珍蔵寺は紅葉の盛りだった。モミジの葉が緋毛氈のように敷き詰められた石段を踏みしめてゆくと山門に至る。

そこからはイチョウの葉の黄色い扇が一面に広がる。

苔生した境内にはモミジとイチョウとコケのトリコロール絨毯が敷かれていた。見上げると陽の光が紅葉を通してステンドグラスのように輝いている。

 虹と紅葉というみちのくの色彩豊かな風景を見ていると、次第に心の中から悲しみ色が薄らいでいくような気がした。


<大きな栗の木の下で>

 夕鶴の里を後にして、小滝街道をゆく。山形のこのあたりは「蕎麦街道」としても有名である。農家のまんまの「源蔵蕎麦」に上がり込み、冷たく締まった歯ごたえの蕎麦をすすり込む。味の染みた大根の煮付けと菊の花のおひたし「もってのほか」はみちのくの食の楽しみのひとつだ。胃袋を満たして機嫌良く走り出したものの、空模様はご機嫌斜めのようだ。冷たい雫が頬を濡らす中、寒河江に向けて鉄馬に鞭を入れる。大江町から川沿いに遡り、大井沢の村落で林道に分け入った。真新しく砂利を敷かれた道はふかふかに厚く、重量級のあかべこではハンドルをとられてしまい走りにくいこと甚だしい。その危なっかしい路面に気をとられて、枝道への入り口を間違えて通りすぎてしまった。いつのまにか山を下っているのに気がつき、慌てて方向転換して戻るが、ふかふかのグラベルのお陰で腕が痛くなった。ようやく枝道を見つけて入り込むと、今度は雨水流れる泥濘の道になっている。そして、行き着く先には巨大な「大井沢の大栗」が枝を広げていた。

秋も深まり毬も葉もすべて落ちていたが、塗れた木肌に触れていると、悠久の時を生きてきた巨木のぬくもりが伝わってくるようだ。この栗の実のなる頃は、冬眠に向けて忙しい熊がやってくる。栗、栃、椚などの木の実は森の動物たちの貴重な食べ物なのだ。周囲に木道を作って、さもこの巨木を護っていますよと思いがちだが、それは人間の思い上がりに過ぎない。森の木を護っているのは、森の住民である動物たちなのだ。木肌から伝わってくる思念に叱られたような気がして、その場をすごすごと立ち去ってしまった。


<幽玄の桂に想う>

 最上の山々には未発見の巨木がある。しかし、昔からマタギの間で伝えられた巨木の話が聞こえてきた。現地の人に頼み込んで案内を請うた。最上町東法田の権現山の林道に入り込み、一本の沢を遡る。
「ここからずーっと登りばっかりですよ。所々流れの中を行きますけど、大丈夫ですか?」
「はい、このライダーブーツは防水ですから、たぶん大丈夫でしょう。」
とはいえ、履き替えるような一尺の大足に合う長靴はない。案内人の言う通り、沢伝いに登るのだが、道などというものはない。草をかき分け崖を登り沢を渡り滝を登り、木の根や蔓を掴んでよじ登っていった。折しも霧が出てきて、山の斜面を覆い始めた。
あたりにはシダが生い茂り、足元に絡み付くが、掴まるにはちょうどよい下生えではあった。
「このシダを裏返してご覧なさい。」
そう言われて、手元にあったシダの葉を裏返してみた。
「あれ?何だか裏も表も分かりませんね。」
ふつうシダの裏は表に比べて白っぽかったり反り返っていたり胞子がついていたりで顕著なのだが、手にしたシダは見分けがつかないのだ。
「これは、この辺に群生する両面シダっていうんですよ。」
ひとついい勉強になった。
案内人は還暦を過ぎているのだが、毎日山を歩いているだけあって健脚そのもの、とても都会人が付いていけない早さでぐんぐん登ってゆく。ぜえぜえはあはあ喘ぎながら登る様子を、先の方で立ち止まってニコニコしながら待ってくれている。小一時間ほどかかって登った沢筋の谷間で、突如霧の中から巨大な姿が現れた。「権現山の大桂」は何本もの太い彦生えが合わさった合体木なのだが、苔生してごつごつと歪になった木肌は樹齢千年近い老獪さを見せている。

主幹の根元は空洞になっており、潜り込むと内側は黒く焼け焦げた跡がある。聞けば、マタギが猟に来て、空洞の中で休んだ時、火を焚いたりして焦げたものだそうな。よく燃える松や杉と違って、桂や栃などは水辺に育つ上に保水量が桁違いに多く燃えにくい。山火事にも耐えうる木だからこそ、千年近くも生きてきたのだ。近くで見上げる大桂は凄まじいばかりの威容を誇っている。
「まだまだすごいのが、この最上にはありますよ。」
御大は事も無げに言い放った。計り知れない山の神秘である。
半ば滑り落ちるように山を下り、泥だらけになったライダーブーツのまま、次の巨木を目指した。いちいち洗っている暇はない。新庄を抜け真室川から小又の林道を走る。
相変わらずの雨の中、ただひたすら泥濘の道をゆく。今度は比較的低い山間の道端に車を止め、沢沿いの道を行くことになった。
「今度は楽そうですね、どれくらい歩きますか?」
「1時間半くらいかな。」
またもやニコニコと返事が返ってきた。
颯爽と歩く山の民の後をヨタヨタとおぼつかない足取りの大男が付いてゆく。次第に道は細くなり険しくなってきて、途中に大きな桂を見つけた。
「あっ、これ大きいですね。すごいですね。」
「いやいや、こんなの目じゃないです。この先もっともっとすごいのがありますよ。」
そう言うと、へなへなとしゃがみ込んだ大男を見て、手にしていた杖を貸してくれた。
「何だか大変そうですね。これ使いなさい。」
老人から杖を借りる情けない中年である。
道なき道を進み、崖っぷちにへばり付いて下を見ないように渡り、沢沿いの斜面に大桂が群生しているところへ辿り着いた。そして、谷間の奥に王者然たる巨大な桂が聳えていた。

「権現山の大桂」と同じく太い彦生えの合体木で、明るい南斜面に屹立して周辺はリョウメンシダが覆っている。群生している中の存在ゆえ、遠目には一際目立つようなことはないのだが、そばに寄って見ると圧倒されそうになる。環境省のリストにはまだ載っていない最近発見された「万助川の桂群」であり、日本最大級の巨木がこの最上にはごろごろしているのだ。

 幽玄な姿の桂の巨木を巡り、その威容に感動すると共に、近くで漂う桂の葉の出す甘い香りに酔いしれたひとときだった。


<幻想の森に遊ぶ>

 翌日は、別の案内人を立てて土湯に向かった。最上川のゆったりとした流れに、両岸に迫った山々の紅葉が美しく映えている。川岸からいきなり斜面に上がり込むと、すぐ眼前に「神代杉」と呼ばれる杉の古木が何本も立っていた。ゆうに千年は越えているというそれらの杉は、最上川峡谷一帯に自生しており、雪害や風害などいろいろ要因が重なってタコ足状態に枝が分岐している。直径が1m以上あろうかという太い枝が横に張りだしている様からは、凄まじいばかりの質感と量感が伝わってくる。これらの巨大杉が生き残ってこられたのも、結局その形状から材木とならないからだろう。どんな巨木でも、人間の手にかかれば簡単に切り倒されて材木にされてしまう。

これが真っ直ぐな木ならば、切り倒されて目の前の最上川にドボンと放り込まれ、筏にされて運ばれていった筈である。山や森の木々にとって異形に育つことが長生きの秘訣なのかもしれない。人間社会とは逆だといえる。平均的体型で平均的人間ほど社会に受け入れられ、人生を平穏に全うできよう。しかし、特異体型の特異人間は容易く社会には受け入れられない。何だかはみ出し者同士で共感を覚えてしまった。いずれにせよ、人間社会のエゴの中で生きているのだ。違うのは自然の生命力は、人間の遙か及ばないものであることだろう。

 案内人が山道を歩きながら、そばのシダを手にとって聞いてきた。
「このシダの裏を見てご覧なさい。表と同じでしょう。何ていう名前か分かりますか?」
前日の案内人に聞いてすでに「リョウメンシダ」だと分かっていたのだが、せっかくの知識のお披露目で、プライドを傷付けては失礼だと思い、
「さあ、何ですか? 珍しいもんですねえ。ホント、裏も表も同じだぁ!」
「これはね、リョウメンシダっていうんですよ。」
さも誇らしげに言うと、案内人は満足して歩を進めていった。知ったかぶりは自分の恥になるが、知らないふりは時に人を幸せにする。

 更に奥まった所には、「幻想の森」と謳われた異形の杉の群生地がある。

あたり一帯が「材」になり得ない異形の森で、あるものは身をくねらせ、捩り、歪み、絡み合って、中には杉の幹の中に桜が入り込んでウロから枝を出していたりして、まさに異種格闘技のような木々の葛藤絵巻が展開されているのだ。それらは、いずれも何百年もの年月によって形作られたものであり、到底人間の入り込める余地などない。静かに
森の中に佇んで、彼らの命の精気を分けてもらうことしかできずにいた。

 戸沢村から鮭川村に入ったところの曲川に、その姿形で子供に大人気の大杉がある。
「トトロの木」というのだが、本名は「曲川の大杉」で、角度によって耳が二つ立っているように見える樹形からそう呼ばれている。近くでおにぎりを頬張りながら休んでいると、何人もの親子連れがやって来た。子供は、きゃっきゃとはしゃぎながら駆けてくる。

「わーっ、トトロだトトロだ。かっわいい!」
大人がアニメの主人公にこじつけて名付けたまでだが、ここまで人気者になってしまうと、いったい自然の形とは何なのだろうかと悩んでしまう。
長い年月で滴り落ちる時の雫は、思わぬところで偏った穴を穿っているようだ。


<瑞々しいブナ林に憩う>

 更に北上を続けて、女甑山(めこしきやま)に入り込んだ。案内人は年長者で、杖は常備品らしいのだが、腰にちゃりんちゃりんと鳴る鈴を付けている。
「ここからは、熊がよく出るんで、気を付けてください。わいわいと賑やかにしてれば熊も怖がって出てきませんから。」
至って恐がりの大男は、たわいもないことをしゃべり続けることとなった。わりと平坦な山道をゆく。あたりは若いブナが形成する明るい林になっていた。

落ち葉を踏みしめながら歩いていると、時折陽が射して柔らかな影を投げかけてくる。そんなブナの木肌に所々熊の爪痕が残っていた。
「あれは結構新しい爪痕だなぁ、この辺にいるのかもしれん。ほれ、あそこの岩陰の穴の中に熊が寝てますよ、きっと。」
軽く言ってくれるが、こちらは慣れていないのだ。へっぴり腰になって、やたらきょろきょろ見回しながら、ぴったり案内人の後ろにくっついて歩いていった。しばらく行くと、立ち止まってあたりを見回している。
「何ですか、熊でもいましたか?」
「・・・いや、道に迷った・・・」
「えーっ!?そりゃないでしょう。」
とはいえ、端から道などありゃしないのだ。所々木に付けてある目印を頼りに歩いている。遠くに見える女甑山の頂上を目安に歩いていると、何とかその「道」に戻れたようだ。ここでもブナ林の中に桂の巨木がぽつぽつと聳えている。いずれもかなりの古木ではあるのだが、木の性質上どの木も歪に捩れ歪み絡み合って桂の葛藤図を現出していた。

 女甑山の「女」はなぜ付けられたかと疑問に思い、案内人に問うた。
「あの岩山の頂上からちょっと下がったところに穴があいてるでしょう。それで女なんです。それで、左手の男甑山の頂上付近にちょこっと出っ張った岩があるでしょう。
あれで男なんです。はは、名前なんてそんなもんですよ。」
たわい無いことで名前が付けられ、正式名称となってまかり通っていることが多々ある。人の勝手な思いこみや憶測で決定され誤解され、常識となってしまう世の中の知識は、自然の造形に対してあまりにも無意味ではないだろうか。時の雫が形作ってきた自然の知恵を学ぶべきであって、人がこじつけた知識を得ても、自然の中では何の役にも立たないということを思い知った。

 ブナ林の中を熊に出会わないことを祈りながら早足で駆け下りる。来たときとは打って変わった秋晴れの奥の細道をあかべこが快走する。路傍にはコスモスが咲き乱れていた。

それはまるで天国の花園のようだ。ぼんやり眺めていると、亡き母と愛猫がコスモス畑に遊ぶ少女と子猫となって戯れていた。



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