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巨木と巨人
その昔、京の都から江戸に落ちた鉄馬の武者がおったそうな。その武者は皆から
「巨大幼児体型」とか「でくのぼう」と呼ばれて自分の大きな体をいつも小さく縮めて暮らしておった。ある日、ふと思い立って北の国へ旅立ったんじゃ。鉄馬に跨ったその姿は些か釣り合いが悪く、傍目には重そうに走る鉄馬の方に同情の目が集まったという。 東の海沿いにひたすら北を目指した鉄馬の武者は十和田の外れにある「法量の公孫樹」に出会ったのじゃ。その大きさに感動し、千年の長い命に心動かされ、省みて己が小ささ、命の幼さに改めて気がついたのじゃ。人間の大きさをはかることは馬鹿げているのではないか。体の大きさで人格までも判断する事は愚かしいことではないか。いや、そもそも人も動物も植物も命あるものの「大きさ」というものを比較する事が無意味なのではないかとな。人の目には小さな蜘蛛の子や蟻にも必死に生きようとする命がある。だが生き続ける為には食べねばならない。「食べる」ということは他の「命」を奪うこと、一つの命を生かすには別の命の死が不可欠となるのじゃ。武者は考えた。あらゆる生命の数だけ死がある。「生」と「死」の間には本来無駄というものがない。なぜなら、命は死を糧にして生き長らえているのだから。 「出川の欅」を見て武者は確信したようじゃった。真ん中の太い幹は朽ち果てているものの横に張り出した逞しい根っこから若い幹が何本も立っているではないか。「夏泊の椿」は朽ちた花びらや葉を糧に次々と若い木々が育っているではないか。「北金ケ沢の銀杏」の垂乳根も命の糧となって垂れ下がっているではないか。 江戸に戻った巨大幼児体型ででくのぼうの巨体武者はそれまでとは違い胸を張って暮らすようになったとさ。そして、普段見かけるほんの小さな虫や動物たちの姿に 「命の尊厳」を見るようになったそうじゃ。 ・・・とうびんと・・・
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