「霜柱と枝垂れ栗」の巻
「その壱」
この霜月、関東地方は乾ききっている。雨は殆ど降っていない。水を遣り忘れた鉢植えの植物達が茶色い枯れ葉を縮らせて悲しそうに垂れている。庭を歩くだけで土埃が舞い上がる。しかも昨夜は風が強く吹き荒れ、そこかしこにうっすらと降り積もっている。窓ガラスに指を這わすと文字が書ける程だ。猫の体を撫でるとぱちぱちと静電気が起きる。盛んに体中を舐め回してグルーミングしているが、すぐに乾いてしまう。よく見ると細かい土埃が毛の中に入り込んでいる。ぶるんと体をふるわすと陽の光に埃が輝いて見える。やがてその猫にしばしの別れの挨拶をすると、旅人はあかべこに跨って走り出した。秋の日のあかべこの音色が静寂に響きわたる。頬を撫でる風が冷たく感じられる。
「その弐」
青葉から東名に入る。天気の良いこともあり、行楽に行く車で溢れていた。今回は両側に巨大なサイドケースを取り付けたためすり抜けがし辛い。50リッターのトップケースに40リッターのサイドケース二つ、30リッターのタンクバッグで合わせて160リッターの積載量となる。一体何を積もうというのか。只でさえ巨体の単車がより一層巨大になり、巨人が跨ったら将に辺りを睥睨して走る様になる。前行く車がいそいそと行く手を開けてくれる。
御殿場まで一気に走り、富士山の裾野の樹海の中を抜ける。空気が澄み切っており富士山の頂上の観測所まではっきりくっきり見ることが出来た。朝霧高原から本栖湖に至るまでの間に富士は様々な横顔を見せてくれる。だが今日の富士の素顔は少々お肌が荒れ気味に見えた。
本栖道を身延まで抜ける途中、山の木々は紅葉の衣装をまとい、はらはらと舞い落ちる枯れ葉が行く手をよぎる。道を覆う落ち葉達が走り抜ける風に煽られて舞い上がり渦を巻く。八ヶ岳の嶺嶺もうっすらと雪をかぶり、透明な空気の中に静かに立ち並んでいる。動かざる事山の如し、走り過ぐ事疾風の如し。その八ヶ岳の麓に広がるコメ栂、唐松の林が見事に紅葉している。恰も山裾から紅蓮の炎が燃え上がるような風情でもある。「風林火山」はこの風景からくるものではあるまいか。
「その参」
爽やかな秋風の中、心地よい鼓動に乗って北アルプスの嶺嶺を臨みながら走っていた。少し冷えた体を早く湯の温もりの中に浸したくていつもの美ヶ原温泉の宿に入ったのだが、着くなり「車のタイヤをスタッドレスに替えてね。」ときた。客扱いの荒い宿である。尤も客とは端から思っていないが。そう言えば、そのスタッドレスタイヤは去年買いに行かされたものだった。すべて面倒見ろということか。悪戦苦闘の末四本のタイヤを取り替えたのだが、倉庫に置いてあった時に猫が小便を引っかけたらしく、ものすごい匂いが服に移ってしまった。古い猫の小便ほどすさまじい匂いのするものはない。ようやく温かい湯に浸れたときにはとっぷりと日が暮れてしまっていた。
そして明くる朝、再び試練が与えられた。「バッテリーが弱いから替えてきてね。」「はーい。」素直に言うことを聞く客人である。昨夜は一週間遅れの誕生日祝いにショートケーキをごちそうになったから仕方がないのか。
46歳にもなって誕生日おめでとうもないもんだ。ご愁傷様がいいとこだ。
昼前になって早々においとますることにする。このままいると、白馬まで子供を迎えに行かされるやもしれない。そうなったら雪中行軍だ。まだ雪の道は走りたくないから、とっとと逃げ出すに限る。
「その四」
塩尻峠を岡谷の方に下り、途中のやまびこ公園方面に入り込んで山道を行く。しばらく曲がりくねった道を進むと、「枝垂れ栗公園」という標識が見えてくる。辰野町に下って行く道の途中の山の斜面に、その一帯だけに自生する枝垂れ栗が見られる。標高950mから1200mに及ぶ約3.4haの地域に800本以上の枝垂れ栗が自生しており、その奇妙な枝振りを晒している。目通り周囲1m以上の大木だけでも200本ほどあり、最大のものは周囲4m余りの巨木である。
解説板によるとこの独特の樹形は突然変異により「しだれ」と「頂芽が数年で枯れて側芽が成長する」という二つの性質を併せ持ったためにつくられたもので、いわば盆栽の仕立てを枝垂れ栗自らが行っているようなものであるとある。
葉の繁っている時にはその奇妙な樹形は隠れているが、秋から冬にかけての落葉期には曲がりくねった阿波踊りを踊っているような枝振りを露わに見ることができる。福島の「中釜戸のしだれ紅葉」と同様にその奇妙な枝振りに惹かれて毎年の如く通っている。来る度にその表情が異なって見えるのが面白くて仕方がないのである。
一頻り栗の木たちと話をした後、帰途に就いた。秋晴れの行楽日和もあって道路の混雑は甚だしい。しかし、このところの冷え込みで一時ほどの無茶苦茶な混み方ではないようだ。年末になれば行楽ならぬ帰省で混雑することだろう。あかべこではどうか。どこでも走れるバイクだけに裏街道を行けば道無き道を通って京都まで帰れるに違いない。
ああ、それにしても八月に乗り始めて一万キロを走ってしまった。懲りないライダーであり、懲りないバイクである。
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