【早春の河津桜】
歴史的にはまだ浅い河津桜、昭和三十年頃に地元の人が河津川の畔に芽吹いていたのを庭先に植え替えたのが始まりで、その後の調査で新種の桜と分かり、昭和五十年に「河津桜」と命名された。
大島桜系と寒緋桜系との自然交配でできた新種とあるが、あくまでも推定である。
沖縄を除く日本列島で、一番早く咲く桜なだけに、近年は人気を集めているようだ。
熱海や湯河原、小田原の梅園に梅の花を見に来る人が、同じ時期に桜も楽しめるのが河津の桜なのだ。
この数年、花追い人となったライダーは、愛車を駆って毎年のように訪れているが、桜見物に来る人よりも、それを目当てに商売する人の数の方が多いように思える。
出店が立ち並び、紅白の幔幕を張り巡らせて、それぞれの店の陣地を仕切っている。
川沿いに植わっている河津桜を見るだけならば、土手の道を三百メートルほど行き来すればよいのだが、如何せん道幅が狭く、立ち止まる人も多くて人混みの大渋滞が起きている。
そこで土手から降りた人を捕まえるべく、沿道に居並ぶ出店の売り子が盛んに呼び込みをかける。
海産物の店などは近くに漁港があるから分かるのだが、縁日に出るような店もあり、綿飴、チョコバナナ、飴リンゴ、カルメ焼き、イカ焼き、たこ焼き、お好み焼き、そして、キャラクターお面、置物などから、地元の指物なのか箪笥や木工細工まで売っている。
花追い人は、出店の呼び声などに振り向きもせず、ただ河津桜の艶やかな花の色に酔っていた。
桃の花に似た濃いめのピンクが真っ青な空に際だって映えている。
土手には真っ黄色の菜の花も咲いており、青、ピンク、黄色のトリコロール模様がなおさら心を浮き立たせてくれる。
梢には数多くのメジロが群をなし、盛んに花の蜜を吸っている。
そのメジロも幼鳥が多く、人慣れしているのか、すぐ目の前の枝にとまって夢中で花びらの中にくちばしを突っ込んでいる。
一時、何を思ったのかおばさんの頭上をメジロの幼鳥たちが十羽近くぐるぐる舞い飛んでいた。
「うわあ、なによ、これ、コワイわよ。」
「可愛いじゃない。」
「あぁ、桜の花と見間違えるくらい、あなたが美しいんじゃないの。」
「あぁら、おにいさん、嬉しい。」
「なぁに、ほんのちょっと冗談がうまいだけですよ。」
花追い人のおにいさんの周りで笑いが起こった。
カメラ片手にきょろきょろしている若い女性と目が合った。
「すみません、カメラのシャッター押してもらえます?」
「はい、いいですよ。何をバックにします?」
「あ、この桜の花を入れて下さい。」
「はい、じゃ、笑って・・・ハイ、チーズ・・・」
「どうもありがとうございました。」
「いえいえ、花の笑顔よりも、あなたの笑顔の方が素敵でしたよ。」
「え、えぇー、うわぁ、嬉しい。」
このおにいさん、相当口がうまいようだ。
今度は、おばさんがカメラを差し出してきた。
「すみません、私たちも撮っていただけます?」
「え、あ、はい、いいですよ。何をバックにしますか?」
「この桜と菜の花と両方入りませんか?」
「欲張りですねえ、どっちかにしてもらえませんか。」
「じゃ、桜の花で・・・」
「・・・ハイ、チーズ・・・うん、いいのが撮れたみたい。河津桜と姥桜の競宴かな。」
「きゃははは、いやだぁ。」
「もちろん桜の花の方が勝ってますよ。」
呆気にとられるおばさんを後目にさっさと歩み去った。
花に群がる小鳥たちを見て、おばさんたちが言い合っていた。
「あれ、ウグイスよね、ね、ウグイスだわよね。」
「うん、梅にウグイスっていうから、桜はどうなんだろ、でも、うぐいす色ってあんな色だったわね。」
見るに見かねてつい口を挟んでしまった。
「あの小鳥はメジロです。ちょっと色がうすくてポヤポヤしているのは幼鳥で、首もとに黒いネクタイをしているのがシジュウカラですね。」
「あらぁ、小鳥にお詳しいんですね。」
「いえ、こういうときの女性に詳しいんです。」
「はっ?・・・」
またもや呆気にとられるおばさんたちを置いて、さっと歩み去った。後ろできゃっきゃと笑い転げる昔の少女たちの声が聞こえていた。
満開の桜の花に群がり飛ぶ小鳥たちを見ていると、緑の体のメジロに混じって、白黒タキシードのシジュウカラやヤマガラ、それにスズメも見受けられた。
黄色い菜の花に埋もれて写真を撮るべくポーズをとる人、その横で弁当を開いておにぎりをパクつく人、急ごしらえのベンチに腰掛けてカップ酒をちびちびやる人、路傍に陣取って絵筆を振るう人、その絵を見ようと周りを囲んでいる人々、そして、絵を描く手を休めて集まった女の子達になぜか手相占いをしているおじさん。
河津桜の並木の下で、そんな人々の人間模様が描かれている。
出店の並ぶ沿道を歩く。
魚を焼く香ばしい匂いに引き寄せられる。
伊豆の海で獲れたキンメダイの干物がきれいに並べられて円筒状に積み上げられていた。
「はい、いらっしゃい、キンメ安いよ安いよ、今が一番脂がのって旨いよ。二枚で千円、二枚で千円だよ、いらっしゃい、いらっしゃい。」
「ほい、おにいさん、このキンメのここ見てご覧。この身の縁が白くなってるだろ、
これ脂がのって旨い証拠。どう、二枚千円、まけとくよ。」
「じゃ、三枚で千円になるの?」
「あっ・・・いや、やっぱり二枚で千円かな?」
「じゃ、何をまけてくれるの?」
「うーん、じゃあね、消費税サービスしちゃおう。」
「そんなのおまけになんないよ。」
「だったら、この焼けたキンメ味見して、旨いよ。」
「味見がおまけなのぉ? だったらい〜らない。」
結構シビアな商売をしているようだ。
大きな駐車場にはバスが何台も停まっていた。小さな町の小さな一画で開かれている「河津さくら祭」には、全国から観光バスを仕立てて押し寄せてきている。
アクセス道路が限られている上に、狭い道ときているから、期間中は大渋滞になってしまう。
河津桜の並木のど真ん中に伊豆急の河津駅があるのだから、花見だけなら電車で来るのが最良の策だと思うのだが、どうしても箱車で来たがる人々が多いようだ。
そんな駐車場の脇に「甘酒」の幟がパタパタ揺れていた。
花追い人のおにいさんは、子供のころから甘酒が大の苦手とあって、その幟でさえ遠巻きにして通り過ぎた。
臭いを嗅ぐことさえ厭なものは厭なのだ。
あえて「臭い」と書くのは、嫌いな人間にとって決して「匂い」ではないからだ。
おなじ「におい」でも「いい匂い」と「いやな臭い」と区別される。「臭い」は「くさい」とも発音されよう。
子供の頃、家で甘酒を作る時には必ず外に逃げ出していた。
それもかなり遠くまで出ていないと、近所では臭いが漂ってくるおそれがある。
そして、外から公衆電話で終わったかどうか確認して家に戻っていた。
「もしもし、もう甘酒終わった? 臭い残ってない?」
「大丈夫やで、もう匂わへんから、帰ってきぃや。」
と、走って家に戻るが、恐る恐る玄関の戸を開けてくんくん嗅いでみる。
「うわ〜ん、まだ臭いやん、お、お、おうぇー!」
大げさではなく、甘酒の臭いを嗅いだだけで嘔吐したのだ。
ある時、女友達の家で雛祭りだからと「白酒」を出された。
「はい、タツオくん、白酒どうぞ。」
「あ、ボ、ボク、白酒とか甘酒あかんのです。」
「何ともないよ、お酒ゆうてもアルコール分は抜けてるわよ。」
「あ、いや、わや、う、うわや、いやや、いやや、いややー!」
脱兎の如く友達の家を飛び出し、走って家まで帰ってしまった。
家に帰り着くと、友達の母親から電話が入っていた。
「タツオくん、自転車置いて帰ってしもたけど、どないしはる?」
それほどまでに「甘酒」が大嫌いな花追い人だった。
【恵比須島】
人混みに揉まれて疲れ果ててしまった。
河津から海岸線を南下して下田に入ると、伊豆半島からぴょこっとでべそのように突き出ている場所がある。ひょいとハンドルを切って、脇道に逸れると須崎という漁港に出た。
小さな街をうろうろしていると、観音寺という古い寺院の周りの崖に目を奪われてしまった。
それは、石灰岩のようでも砂岩のようでもあるのだが、薄いミルフィーユのようなヒダ状の地層が堆積してい
るのだ。
砂岩だと脆くてあれほどまでに薄いヒダ状にはなりにくいから、恐らく太古の珊瑚などカルシウムを多く持つ生物が何億年もの年月を重ねて堆積したものだろう。
そもそも伊豆半島は、太古には遙か南の海からずんずらずんずらとフィリピン海プレートに乗って動いてきてドスンとぶつかり、グイグイニュリニュリと頭を押しつけたものだから、もこもこ押し上げられて箱根の山塊ができたらしい。
今でも、伊豆半島南端の一部には珊瑚礁があり、熱帯魚が泳いでいる。
大陸移動は今でも起こっており、ハワイが毎年数センチずつ日本に近づいている。
いつかは、九十九里浜とワイキキ海岸が繋がるかもしれない。
そうなると、国境線はどうなるのだろう。
ハワイが日本の領土となって、千葉県ハワイ町となると、鳥取県羽合町との地名の区別がしにくくなりそうだ。
それとも、プレートテクトニクス理論によれば、九十九里の目の前で太平洋プレートは日本海溝に沈み込むので、ハワイは海岸で並ぶ日本人に見送られながらズブズブと太平洋の波間に沈んでしまうのかもしれない。
「やっとこさパスポートなしでハワイに渡れると思ったのに・・・」
と残念がる人もいるだろう。ただし、6500キロの距離をハワイが一生懸命泳いで渡ってくるのに、二千億年以上かかってしまうが・・・。
観音寺のところから海岸に出ると、小さな島があり、橋で渡れるようになっている。
「須崎恵比須島公園」とあり、島全体が造山運動の名残か、砂岩や石灰岩や安山岩の複雑に入り組んだ褶曲が露出した崖で囲われている。
海岸段丘が平坦な磯を形作っており、打ち寄せる波が島の周りを洗っていた。
磯の潮だまりには小魚が沢山群泳ぎ、アメフラシやウミウシが実にのんびりとのたくっている。
一面に緑のイワノリが岩に着いており、下手に乗るとちゅるんと滑ってしまいそうだ。
島の外周を巡る遊歩道が造ってあった。
一周しても、ものの数百メートルしかないが、海の生き物たちの様々なかたちを見ることができる。
また、地層にも様々な変化があり、砂岩層の上に礫岩層が堆積しているかと思えば、砂岩層だけで構成されて、あるところでスパッと断層が走っている。
小さな島ではあるが、つぶさに観察すると様々な表情を見せてくれる。
殆ど人の訪れることがないようで、一時間近くうろうろしていたが、釣り人が一人と島の上の広場で若いカップルが一組いちゃついていた。
【温泉】
下田から少し北に行った蓮台寺温泉街の河内温泉に金谷旅館がある。
そこには「千人風呂」という湯量豊かな広い温泉が涌いている。
旅館だが風呂だけでも入れるので、時々利用する。
一度、バイク仲間と来たときには、とんでもないことをやらかしてしまった。
浴槽のひとつがちょっとしたプールのような大きさで、勇んで平泳ぎで三往復したら胸の筋肉がつってしまった。
そこで、途中からクロールに変えて泳いだら、頭が湯の中に入った途端、眼鏡が外れて浴槽の中へ・・・
「あれーっ!眼鏡が、眼鏡が、湯の中に落ちちゃったぁ!」
あの時、仲間はみんな笑ったけど、マジに慌てた。
普段眼鏡がないと全く見えないのに、深い浴槽の中に落としてしまったのだ。
潜って湯の中で目を開けても見えないものだと実感した。
結局、落ちたであろう場所を足で探ってもぞもぞもぞもぞ・・・指先に触れたときは、あ、あった!と思って手を突っ込むと、浴槽の中には潮流があるようで、もうどこかに動いてしまった・・・そして、また、もぞもぞもぞもぞ・・・あ、あったぞ・・・今度は足の指で押さえ込み、そっと潜って眼鏡を取り上げた。
底がザラザラのコンクリートらしく、レンズに筋状のキズが付いてしまった。
眼鏡を掛けたままクロールで泳ぐのはよくない。
これが海でなくてよかった。
足の届かない深さのところだったら足でもぞもぞもぞもぞできない。
そして、半年ほど経って千人風呂に入り、あのプールのような浴槽で平泳ぎをしたのだが、足で底を探ると、ツルツルの玉砂利が敷き詰めてあった。
眼鏡のレンズにキズが付くからと、気を遣ってくれたのだろうか。
ひとしきりゆったりまったりしてぐったりなったところで温泉から上がり、玄関横の広間でゴロンと寝転がると、ついついうとうとしてしまった。
三十分も寝れば、気分もシャッキリと爽やかな湯上がり気分になる。
【大クス】
下田の蓮台寺から北上すると河津に戻り、ちょうど湯ヶ野の伊豆の踊り子ゆかりの温泉街に出る。
そのあたりにも河津桜は咲いており、川の土手の桜より少し遅れて開花するようだ。
そこから少し河津方面へ戻ったところに、「杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社の大クス」があるのだが、平安時代からある古い格式ある神社で「河津来宮神社」とも呼ばれている。
大クスは目通り周囲14メートルあり、平安時代からあるとすれば樹齢千年以上になる。
古来より「来の宮様の大クス」と呼ばれ、御神木として崇められてきた。
伊豆半島には、他にも「熱海来宮神社の大樟」や「伊東葛宮神社の大樟」など、日本有数の大クスが現存している。
ただ、熱海と伊東の大樟はいずれも腐朽がひどく、支柱と補修箇所だらけで悲惨な状態なのだが、この河津の大クスは、一本の支柱もなく樹勢も旺盛で生き生きとしている。
やはり巨木として生き残っている姿には、それなりの生命力と神々しさを持っている。
山の中の野性味溢れる巨木とは違った、人々の信仰の対象となりうる神の宿る木なのだ。
クスノキの巨木がなぜ伊豆半島に多く存在するか、本来南方系の温暖な土地に生息する常緑樹だけに、場所を見れば明らかだろう。
湯河原、熱海、伊東、河津と、いずれも温泉地であり、地熱が高い。
冬でものんびりと温泉につかってまったりしてきたからこそ、伊豆の地で巨木に成長したに違いない。
【干物】
河津のループ橋をぐるぐるぐるぐると目が回りそうになって駆け抜けると、峠近くの場所で何やらメリーゴーラウンドのような物体がぐるぐるぐるぐる回っていた。
よく見ると、魚の干物製造機で、洗濯物よろしくリングにびっしりとつり下げられたサンマが、ぐるぐるぐるぐる振り回されていた。
横には大きな網棚にいっぱいにサンマの丸干しとアジの開きが広げられていたが、ぐるぐるぐるぐる振り回す方が早く乾燥するのだろう。
「あのぐるぐる回っているサンマちょうだい。」
思わず買ってしまった。
キンメの干物三枚の値段で、サンマの干物が十本買えた。
はるかにお得である。
さらには店の中でエビ汁が無料で振る舞われていた。
エビ味噌の香りが実に芳しい味噌汁を三杯もおかわりしてしまった。
身も心も温まって天城峠を越え、湯ケ島から裏道ばかりを通って大仁に抜ける。
更に裏街道を進むべく山間の道に入り込んだ。
すると、いきなり路傍の木々の梢から梢に白く長いものがびっしりとぶら下がっている。
見回すと、道路脇の木々のみならず、畑の向こうの林の際にも、まるで万里の長城のような白い簾が続いていた。
よく見ると、それらはダイコンで、漬物用の大根干しをしているのだ。
これだけの大根干しを見るのは初めてだった。
まさに白い簾がそこかしこに掛かっているのだ。
壮観としか言いようがない。
ある種の感動さえ覚えた。奇妙な果実のようで、美しいと思った。
日本中を旅して、各地で買う物にやはり干物が多い。
伊豆ではサンマやアジの干物、房総半島ではクジラのタレ、九十九里あたりではイワシの干物、福島の小名浜ではメヒカリ、仙台ではホヤの干物もしくは塩漬け、青森ではホタテの貝柱やヒモの干物、秋田ではハタハタの干物、富山ではなぜか小アジの煮干し、山陰では干しワカメ、紀州和歌山ではイカの一夜干しと梅干し、四国高知では鰹節、九州大分ではヒメガイの干物、佐賀では数種類の煮干しを買ってしまった。
小さなジャコから大きなジャコまで、それぞれが味わい深い。
ジャコに関して言えば、出汁をとるだけでなく、そのままお茶請けにジャコをつまむのが好きだ。
子供の頃から好きだった。
おやつといえば、ジャコかナスの塩もみで、田舎では畑からナスをとってきて十字に切れ目を入れ、塩を擦り込んで揉み、さっと水で軽く塩を洗い流してかぶりつく。
今でもプリプリの新鮮なナスがあれば、必ず塩もみで食している。
子供の頃から薄い塩味が好きだったようだ。
そして、歯ごたえのある物を好んで食べていた。
ジャコやスルメはもちろん、海外のお土産は必ずビーフジャーキーで、いつまでも口の中でくちゃくちゃ噛んで歯ごたえを楽しんでいる。
だから、タラコなどはツブツブの卵よりまわりの薄皮が好きで、卵をさっさと飲み込んだ後、いつまでも舌でれろれろしながらくちゃくちゃやっている。
甘い物には見向きもせず、酒の肴になるようなものには目がない。
子供のころには、将来大酒飲みになるぞと言われ続けたが、結局のところ、一滴の酒も飲めない大下戸になっている。
誰が何と云おうと、私は「干物」が好きだ。
しかし、酒は嫌いだ。
甘酒などは身の毛がよだつ。
ここまで書いてきて、気が変わった。
敢えて最後に表題を書き示す。
「酒と干物と我が人生」
歴史的にはまだ浅い河津桜、昭和三十年頃に地元の人が・・・・・・