通輪抄

「伊豆快走乱麻顛末記」

by ベベパパ


【出立】

 久しぶりの合同通輪で心浮き立つものの五十肩の痛み未だ治まらず、ひたすら忍耐の走行になることが予測できた。
前日、四輪のBMWZ3を車検に出したので、その空いた駐車スペースにアルミ岡持三点セットを着けたひょっとこ面あかべこGSを停める。
物置や台所を引っかき回して、アルミ大鍋、ステンレス寸胴鍋、天ぷら鍋、業務用中華鍋の4つの鍋を積み込む。
他にもポータブルガスコンロや秘蔵調味料などをケースに押し込み、翌朝の出発に備えておく。
そして深夜、左首左肩左腰左股関節がしくしく痛み出し、熟睡できぬまま窓の外に黎明が訪れた。
どうやら荷造りで痛めている筋肉に無理がいったようだ。
それでも、今回は料理長を任されている手前行かざるを得ない。
軽く朝食を済ませ、やや過積載のひょっとこバイクで走り出す。
見送る愛猫には、留守は一晩だけだからと言い聞かせる。
住宅地を抜けると生け垣に咲いているジンチョウゲの強い香りが鼻先に届く。
コブシのつぼみがふくらんで今にもたなごころを開きそうだ。

 天気のいい土曜日の朝とあって、路上には箱車があふれていた。
なぜか至る所で白バイの姿がある。
早朝から取り締まりに躍起になっているようだ。
ここはおとなしく走るに限る。
ひょっとこ面と同じく辺りの風景をのんびり見ている風に装って東名高速道に乗る。
最初の待ち合わせ場所の港北PAに入ると、お馴染みの顔ぶれが数人待っていた。
「お久しぶりです。」
声の主を見ると、今回のメンバーに入っていないN君が懐かしそうに歩み寄ってきた。
「あれ、珍しい人だなあ。どうしたの?」
「はい、また復活しました。色違いのロイヤルスターです。」
N君は、以前乗っていたヤマハ・ロイヤルスターのクラブメンバーだったが、一時、故あってバイクを降りていたのだ。
「前のような仲間もいなくなっちゃって寂しかったんですけど、たまたまメールを見たら今日ツーリングがあるって分かって、もう会いたくなって来ちゃいました。今日はこのあと仕事があるんで、すぐ帰ります。」
「じゃあ、今度機会があれば誘うよ。」
「お願いします。走りたいんですよ。」
N君は、生活も仕事も変わって思うように時間がとれないようだが、心なしか表情に疲れが見えた。

 今回の通輪はアメリカンバイクが中心なだけに、車種も多様でホンダGL1500、V4マグナ、CB1300、CB750、スラッシャー、ヤマハV-MAX、DS1100、スズキLC、ハーレー、BMW-RT、BMW-LT、BMW-R、そしてBMW-GSと関東周辺からの参加者がほとんどだ。
やがて、次の待ち合わせ場所の海老名SAまで群をなして走る。
SAの駐車場はどこもいっぱいで一番奥に停めたが、参加者の女性ライダー二人がなかなか戻ってこない。長老のOさんが探しに行った。
「彼女たち、パン買うんだって並んでるよ。買うまで戻らないみたい。仕方がないから待つか。」
どうやら海老名SA名物メロンパンを意地でもゲットするつもりらしい。
女の「食」への執念が垣間見られた。

 次は足柄SAで集まることにして、自由走行で出発する。
それでも10台ほどの隊列を組んで、かなりゆっくり走った。
遙かに雪衣をまとった富士山が白い雲の冠をいただいている。
大井松田あたりまで聞こえていた女性ライダーの無線が途絶えていた。
足柄SAに入って電話で確認すると、途中でタンクバッグが強風にあおられて飛んでしまったとのこと。
高速道路の上で物を落とした場合、自分で取りに行くのは危険である。
当人は貴重品一切が入っているバッグゆえ慌てて取りに行こうとしたのだが、居合わせた仲間に止められて、設置電話でJHを呼んだらしい。
足柄に残って待つ人と分かれて、取り敢えず先行することにした。
まさに飛んだハプニングで時間をロスしたので、三島の寿司屋まで急ぐ。
裾野で東名を下りて、裾野駅前から県道を南下する。
半年ほど前に店舗を少し南に移して大きくなった回転寿司屋に一同ドヤドヤと入り込んだ。
そこで静岡からの参加者が一人加わった。
今回の通輪のいわば影の主催者である。
ネットサイトの管理運営者であり、みんなそのサイトを通じて知り合い、集まったのだ。

 「魚がし」という回転寿司だが、それぞれのネタが大きいのであまり多くの種類は食べられない。
普通の寿司屋の半分ほどの皿の枚数で満腹になってしまう。
沼津漁港で揚がった新鮮かつ珍しいネタが沢山ある。
一同食べ終えても、まだトラブル組は追いついてこない。
外で待っていると、店の場所が分からないらしく、無線と電話で誘導してようやく辿り着いた。
「すみませ〜ん、いきなりトラブル起こしちゃいましたぁ。」
茨城から来た彼女は、東京より西に来るのが初めてという。
まだ大型バイクに乗るのも慣れないらしく、見ていても肩にかなり力が入っておりハンドルがふらついている。
とにかく早く食べてくるように言うと、きゃっきゃとはしゃぎながら店の中に消えていった。
すでに食べ終えた連中は、のどかな日差しの中、ぼんやりと時を過ごしていた。


【曲道】

 何とか全員腹を満たしたところで、そこまで付き合っていた二人が帰っていった。
残るは宿泊組で、伊東の南の赤沢まで道案内をすることとなった。
「ここからは裏道獣道を行きますから、はぐれないように付いてきてくださいよぉ。前の車をしっかり見ておくようにね。」
マス通輪の先導で一番辛いのが、最後尾までを常に確認しながらペースを合わせて走ることなのだ。
速すぎても後続が離れるし、遅すぎると思わぬ接触事故を招きかねない。
まして、枝道分かれ道が多いので適度な間隔を置かないと誰かがはぐれてしまう可能性がある。
そして、今回はすべてのバイクの性能が異なることも先導者にとっての悩みの種だった。

 寿司屋を出ると直ぐに左折するのだが、早速後続の数台が信号に引っかかってしまう。
路肩に寄せてバイクを停めて待つこと数十秒で、再出発する。
急坂をずーっと上ってゆくと、後続の隊列が丸いバックミラーに映り込む。
その最後尾を確認しつつ次の鋭角に曲がる角で速度を落として車間が詰まるようにする。
「ここから結構枝道が多いんで、車間を詰めてください。」
農道に入ったところで、信号が変わりそうになったので、早めに停まる。
「このまま国道を突っ切って真っ直ぐ道なりに行きます。」
各自の無線で返事が返ってくる。
「了解。」
「はいよ〜。」
「わっかりました〜。」
信号が変わり一気に速度を上げて先に行かないと、後続がもたもたする内にまた信号が変わりかねない。ある程度突っ走ったところで確認する。
「最後尾は信号抜けましたかぁ?」
「抜けましたよ〜。大丈夫です。」
箱根の山中のくねくね入り組んだジェットコースターのような曲道をゆっくり駆け抜ける。
自分一人で走る時の半分の速度だが、全体のペースを乱さないようにするには仕方がない。
それでも、無線で驚嘆や歓喜の声が入ってくる。
「うわぁ〜、怖いぃ〜!」
「おもしれぇ〜!」
「気持ちいい〜!」
「いつもはこの倍の速さで走ってるんだけどね。」
「やめてよ〜。」
途中何カ所か交差する道があったが、真っ直ぐ突っ切って尾根道を行く。
ようやく信号で一旦停まるが、何とか全員付いてきていたようだ。
「この信号左折して、直ぐに右折しま〜す。」
「は〜い、了解。」
発進して左折し、数十メートル行ったところで右に曲がる。
「函南ゴルフの看板のところを右折ね〜。」
下りの急カーブだが一気に加速して曲がろうとすると後続の慣れないバイクだと危険だ。
心を鬼にしてアクセルを閉じ気味にゆっくり曲がってゆく。
「最後尾は曲がり終えましたか?」
「は〜い、全員付いてますよ〜。」
再びうねうねくねくねの曲道乱麻で長い隊列は山道を快走する。
「この先左折して月光天文台の横を通って、しばらく先でまた右折で〜す。」
「は〜い、ちょっと前と離れちゃいましたぁ。」
「じゃ、ゆっくり行きます。」
こういう時ほど無線が役立つのだ。
やがて右折し、後続が全員曲がり終えるのを待って隊列を整え走り出す。
ハーレーの図太い音が山間に響き渡っていた。
右折せずに真っ直ぐ行った「函南原生林」にみんなを案内したかったが、興味を持っている人が少ないので諦めた。
山を歩くよりバイクで走っている方が好きらしい。
マス通輪の先導者は、みんなに自分の趣味を押しつけることはできない。
あくまでも同じ価値観を持って動くことが大切なのだ。

 やがて丹那の集落に入り、別荘地に抜ける道を曲がり損ねてしまった。
そこは細く曲がりくねった複雑な道なのだが、行かなくて良かったのかもしれない。
自分が何度走っても迷う場所なのだ。
少し大回りして熱函道路に出る。
そして、再び尾根道に入ろうとして失敗に気が付いた。
その道の先は一部砂利道になっており、しかも前日降った雨でぬかるみ、落ち葉が路面を覆っていたのだ。とてもアメリカンの大型バイクで走れる道ではない。
まして初心者のバイクでは到底無理だろう。
「ごめんなさ〜い、この先はみんなのバイクじゃ無理だから、Uターンします。」
「大丈夫じゃないの? 行けるよ。」
「いや、ハイパワーのオンロードバイクじゃ危ないし、女の子じゃ無理。」
自分の過積載GSでは全く問題ないのだが、大型アメリカンバイクでは道を選ばなくてはならない。
さっさとUターンして戻ると、なかなか後続が付いてこない。
細い急坂での反転は難しいらしい。
バイクから下りて坂を駆け上ってゆくと、案の定女の子のバイクを二人がかりで方向転換していた。
更に上に行くと長老のOさんがぬかるみに滑って転かしていた。
「あらら、転けちゃったんだ。」
「あそこのぬかるみで踏ん張ったら、ずるって滑っちゃったよ。」
小柄なおじさんがV-MAXに乗っていると、ただでさえバレリーナの足付きになるのだから、急坂での反転となると至難の技になるようだ。
右のブレーキレバーがくねっと曲がっていた。
「ここからは広い道を行った方がよさそうなので、このまま熱海峠から伊豆スカイラインに入りましょうね。途中大きな看板があるから迷わないでしょう。」
と、安心したのも束の間で、いきなり後続の数台がとんでもない方向にすっ飛んで迷ってしまった。
熱海峠の伊豆スカイラインの入り口で待っていたが、無線で入るのはとんでもない方向に行こうとしている。
「今、十国峠にいるんだけど、ここのゲートから入っちゃおうか。」
「ええっ、だめだめ、そんなとこから入ったらターンパイクで小田原に行っちゃうよ。伊豆スカイラインは熱海峠が起点なんだから、何が何でもこっちに来てよ。」
「熱海峠ってどこにあるの? そんなのなかったよ。」
「ないはずないでしょ。みんなここで待ってるんだから。」
どうやら後続集団の先頭を走っていたOさんがナビばかり見ているうちに、伊豆スカイライン入り口の看板を見落とし、迷える子羊たちを引き連れてあらぬ方へ導いてしまったようだ。
ナビに頼っていると時により路頭に迷うことがある。
今回の場合、伊豆スカイラインの大きな標識を目当てに走っていれば迷うことはなかったはずである。

 ようやく合流した一同は、料金所で冷川までの片道チケットを購入する。
ここでもバイクの集団は一台一台買うので時間がかかってしまう。
14台ともなると10分は覚悟しなければならない。
「みんな冷川で下りてくださいよ。そこまで一本道だから強風に気を付けて走ってね。」
折からの強風でみんなかなり煽られていたようだ。
伊豆スカイラインは迷いようがないので、自分のペースで走ったら、あっという間にひとりぼっちになってしまった。
走りきって、念のため冷川の料金所の手前で待っていると、しばらくしてぞろぞろやってきた。
「ふわ〜、もう風が強くて怖かったぁ〜。」
「ふらふらしてたよ〜。」
「反対車線に飛ばされちゃったなあ。」
料金所を出たところで隊列を組み直し出発となる。
「次の信号伊東方面に右折ね。真っ直ぐ行っちゃ駄目よ〜。」
「は〜い。」
返事だけはしっかりしている。
右折し終わって、しばらく走ると、標識では伊東方面となっている有料道路の看板があった。
「次の標識は伊東方面でも曲っちゃだめだよ。真っ直ぐ熱川方面に行ってね。」 
「は〜い、ちゃんと見えてま〜す。」
くねくねうねうね峠の曲道を何とか通り抜け、遠笠山道路を走る。
道の両側には樫や椿などの照葉樹林が広がり、前方に大室山のきれいな円錐形の姿が見えてくる。
「あの前に見える山は人工の山ですかね?」
「いえ、あの大室山は古い噴火の跡です。
富士火山帯の一部で前方に見える大島の三原山と同じで地下ではマグマがつながってるんでしょうね。夏頃の緑に覆われた山はきれいですよ。」
先導者は観光案内までしなくてはならない。
「次の信号で猫の博物館の方に右折します。」
「は〜い。」
「猫の博物館って何があるんだろ?」
「えっと、この博物館は世界の猫属の展示があって、ベンガルタイガーやシベリアタイガー、ユキヒョウにライオン、ヒョウ、チータなどの剥製が展示してあります。
生きてるものはいろいろな種類のネコちゃんがさわれますよ。」
「へえ、よく知ってるなあ。」
「へえ、猫大好きなもんで。」
やがて桜並木の坂を下る。
「この桜並木も、もう少ししたら桜のトンネルになってきれいですよ。」
「うわあ、この桜が全部咲いたら見事だろうなあ。」
「人の波もすごいよ〜。この先左に曲がります。」
と言って曲がった途端、大失敗に気が付いた。
センターラインにブロックがあって右折できないのだ。しかも南方向は大渋滞している。
「あちゃあ、失敗したぁ。しょうがないから一旦左折してどっかでUターンするしかないか。」
「どうする、このまま近くで買いものしていく?」
「いや、荷物を下ろしてからでないと、何も積めないから、一旦別荘まで行きましょう。もうすぐそこだから。」
少し迂回してUターンをすると、大渋滞の車列の中に大型バイクの隊列は突っ込んでいった。
伊豆高原のここらあたりは年中渋滞を起こしている。
幾つもの信号が重なるのと、その信号のタイミングが合わないのが原因のようだ。
何とか渋滞をすり抜け、一気に海沿いをまわって赤沢の別荘地に入る。
毎年訪れる仲間の会社の保養所なのだ。
思い思いの路上にバイクを停めていたが、ふと見るとこれまた長老のEさんのバイクが寝っ転がっていた。
やっとこさ着いて気が緩んだのだろう。バイクもお疲れのようだ。


【宴会】

 他のみんなは衣類と小間物だけの小荷物だが、自分のは大鍋4つにコンロに食材と大荷物を汗だくで解いた。
中に入ると、勝手知ったる常連組はてきぱきとそれぞれの役割を果たしてゆく。
雨戸を開けて部屋の掃除をする者、風呂の掃除をして湯を張る者、天然温泉だけに蛇口をひねれば温泉が出るのだ。
「買いだしに行くから、荷物を積めるバイクの人は付き合ってね。」
三台のバイクが付いてきたが、残った連中は早くも宴会モードに入っていたようだ。
先ほどの渋滞の切れ間から路地に入り込んで、裏からスーパーマーケットに入る。
カゴをもって店内をまわるが、鮮魚売り場にめぼしい魚が見当たらない。
予定したメニューの材料がないので、急遽メニュー変更を余儀なくされる。
ワタリガニ、タイのあら、カニ風味かまぼこ、エビ、ベーコン、豚バラ肉、白菜、ネギ、キャベツ、キュウリ、セロリ、リンゴ、タマネギ、そして調味料と適当に飲み物やつまみをカゴに入れてレジに持ってゆく。
「食材は全部ボクが買ったけど、酒類は管轄違いだからお任せするね。」
何といっても、この料理長は全くの下戸なのだ。
別の店で酒類を買い込み、別荘に戻ると、すでに宴会は始まっていた。
「材料を買ってきたけど、天ぷらのタネになるものがなかったんで、せっかく鍋を持ってきたけど天ぷらはなしね。他のメニューを考えます。」
早速料理の仕込みに入る。まず、タマネギを人数分皮を剥き、丸のまま寸胴鍋に入れ、浸るぐらいの水を加えて火に掛ける。
ベーコンをみじん切りにして放り込み、ブイヨンとコンソメスープのもとを入れると、あとはじっくりことこと煮込む。大鍋に半分ほど水を入れ火に掛けて、ワタリガニ、タイのあらを放り込む。
そこで味噌を買い忘れたことに気が付いた。
「ありゃぁ、味噌を忘れちゃった。塩味だけで我慢してね。」
白菜とネギを大ざっぱに切り分けて放り込み、ことこと煮込む。

 リンゴとセロリを細かく刻み、レーズンとクルミを合わせてマヨネーズで和える。
コショウでぴりっとさせるとワードルフサラダのできあがりだ。

 コリアンダーがなかったのでセロリの葉っぱを代用する。
キュウリを短冊に切り、水で柔らかくしたライスペーパーの上にカニカマボコとエビを合わせてくるりと巻く。
ベトナム風生春巻きのできあがりだ。
「一人一本ずつしかないけど、召し上がれ。」
そうこうするうちに海鮮鍋が煮上がり、それぞれ器に盛って食べ始める。
野菜がなくなれば、うどんを放り込んで煮込む。
そして、オニオンベーコンスープも柔らかく煮上がり、丸のままのタマネギをひとつずつ取り分ける。
「うわー、このタマネギ柔らかくて旨い。」
「このスープ最高。」
「この春巻きが旨いんだよなあ。」
「ねえねえ、作り方教えて。家で作ってみるから。」
みんな料理の味は好評だったが、料理長の腰は悲惨な状態に陥っていた。
ただでさえ巨大な幼児体型なのに、キッチンが低く、ずーっと中腰の状態で料理をしていたのだ。
「ちょっと休憩。腰が痛くてたまらないよ。このあと回鍋肉(ホイコーロー)作るけど、食べたい人。」
「は〜い。」
何人もの手が挙がった。
お茶を一口飲んだだけで、料理長は立ち上がった。
大きな業務用中華鍋を取り出す。
キャベツを大きく刻み、豚バラ肉を炒めた上に投げ入れる。
ジャッジャッジャとリズミカルに鍋を回してまんべんなく熱が行き渡るように手早く炒める。
ごま風味の調味料を加えてもうひと回し全体に絡めたところで、火から下ろす。
全体に熱を伝えるように鍋を回すから「回鍋肉」なのだ。
「はいよ、できあがりぃ。」
周りから沢山の手が出てきた。
「うわあ、美味しい。」
「いい味出てるぅ。」
「あれ、もうないの?」
「じゃ、次のを作るから待って。」
あっという間に鍋が空になってしまった。
再び低いキッチンの前に立つと、ごま油を鍋に注ぎ、豚バラ肉を炒め、キャベツを加えてジャッジャッジャと鍋を回す。
ごま風味調味料を加えてひと回し。
「はい、もうこれで材料はおしまい。料理長のお役目も終了です。」
またもや手が伸びてきてそれぞれに取り分ける。
結局、料理長が口にできたのは、春巻きひとつとキャベツの残り少々とうどんだけだった。
お茶をがぶ飲みしていたから、水腹でたっぷんたっぷんになっていた。

 料理をしている間、各人自己紹介をしたりわいわい話していたが、立ち働く料理長との間には分厚い壁があったようで、背中の後には別世界の宴会が進んでいた。
「お風呂に入ってきま〜す。」
痛む腰をかばいつつ風呂場に行くと、ちょろちょろとかけ流しながらも、立派な温泉の湯船があった。
髪と体をささっと洗って、とっぷりと湯船に体を沈める。
じっと浸かっていると鍋を回さなくても湯の熱が体の中にしみ込んでくるのが感じられる。
じっくりことこと巨大幼児体型のダシがとれたところで、猛烈な睡魔が襲ってきた。
風呂から上がり宴会場に戻ると、相変わらずわいわい大騒ぎが続いている。
奥の畳部屋の廊下にマットとシュラーフを広げて潜り込んだ。
Tシャツとジャージだけなのだが、風呂上がりのせいもあってシュラーフの中が蒸し風呂状態になってくる。
眠いはずなのに汗まみれになってしまい、目が冴えて起きてしまった。
宴会場に戻ると、まだ騒ぎは続いている。
酒の勢いもあってみんなボリュームいっぱいに大声を出している。
一通り騒ぎが収まったところで、一番若いMちゃんがストレッチ体操の指導を始めた。
彼女はアクロバット体操の演技をしているだけあって、体が柔らかい。
他の連中が真似をして脚を組んだりしたが、固い体ではすっころんでしまう。
そう、彼女たちがいなければ、今回は敬老会通輪になるところだった。
平均年齢が高い分、肉体運動をすればすぐに疲れてしまうのは当然で、ひとりふたりとねぐらに散っていった。

 再びシュラーフに潜り込んだが、今度はイビキが凄まじく聞こえてくる。
廊下との間仕切りの障子を閉めても、イビキは聞こえてくるのだが、それよりもガラス戸一枚隔てた外の冷気が湿ったシュラーフの中の熱をどんどん奪ってゆく。
堪らなくなって板間の宴会場に移動する。
テーブルを出しっぱなしにしてあり、あまった隙間に三人が寝ていた。
ひとつのテーブルを片づけて、一人の布団を少し引っ張って動かし、空いた場所にシュラーフを敷いて寝ころんだ。
ところがすぐ横の布団から、またもや凄まじいイビキが響いてくる。
頭までスッポリかぶってもイビキは空気の振動を伝えてくる。
やがて起きあがり、風呂の脱衣場に入ると、洗濯機と風呂場の間にシュラーフを敷いて潜り込んだ。
戸を閉めれば何とかイビキは遠のいてくれる。
しばらくうつらうつらしただろうか、いきなり戸が開いて誰かがトイレに入った。
出てくるとカーテンの下から覗くシュラーフを発見したのか、驚く声がした。
「うわ、なんだ、こんなところに誰か寝てるのか。」
気をつかってそっと戸を閉めていった。
また、しばらくすると、誰かが戸を開けてトイレに駆け込む。
今度は大便らしく大きな排泄音と共に何とも言えない臭いが漂ってくる。
その後、三人が小便で二人が大便だった。
朝方、寒い寒いと言いながら風呂に入ろうとしてどでんと寝ている巨大な物体に気づき、あきらめていった人もいた。
結局、一睡もできず音と臭いに追い出されるように宴会場の隙間に戻ったが、イビキの主はずーっと演奏を続けていたようだ。

 そして、夜明け。
老人の朝は早い。長老のOさんが真っ先に起き出して、冷めてしまった風呂の湯を入れ替えて朝風呂としゃれ込む。
他のおじさんたちも起き出して外に出ると、自分のバイクを磨き始める。
「いつまで寝てるの。もう朝だぞ、起きろよ。」
可哀相な料理長は、ほとんど一睡もしないまま追い立てられるようにシュラーフを片づけた。

 やがて宴会場は朝の食堂となる。
レトルトのご飯を電子レンジで温めて茨城から持ってきた納豆をおかずに食べている。
「ほら、納豆ご飯だぞ。おいしいよ。みんな食べなさい。」
「ボク、納豆嫌いだもん、食べられないよ。」
「ええーっ、こんなおいしいものを食べられないの。可哀相だなあ。」
と、納豆をコキコキ掻き回している。
納豆嫌いの人間にとって、あの臭いは風呂の脱衣場で嗅いだ便所の臭いに匹敵するのだ。
それでも、夜中空腹に堪えていたので、キムチの残りでレトルトパックのご飯を食べた。
「あらあ、みなさん早いのねえ。もう起きてるの。」
別棟で寝ていた女性陣が起きてきた。彼女たちは前日海老名で買ったメロンパンを朝食にしていたようだ。
「今日は、ここから河津に行って桜を見てから天城越えをします。そして、大仁から網代に行って、お勧めの店で昼食となります。また裏道を通るので、ちゃんと付いてきてくださいよ〜。」
「は〜い。」
相変わらず返事だけはいい。
てきぱきとゴミを片づけ、部屋を掃除して、荷造りすると、戸締まりをしてみんな表に出る。
お約束の記念写真を撮るとようやく出発となった。


【天城越え】

 熱川まで旧道を行く。
混雑する国道に比べれば、高い所を走るので天国に近い道なのだ。
見渡す大海原が朝陽にきらきら輝いていた。
国道に合流してしばらく走り、稲取のセルフスタンドで燃料補給をする。
自分で給油するのが初めてという人もいて、結構手間取っていた。
全員そろったところで、河津の街に入る。
「みんなどうします? バイクを下りて桜見物しますかぁ?」
「いやだ、下りずに見ながら走る。」
とことんバイクで走りたいらしい。
一旦橋を渡って回り込み、川沿いの桜を見ようとしたが、もうすでに花は散り終えており、葉桜満開になっていた。
それでも、黄色い菜の花は華やかに咲いていた。

 大通りに入り、天城に向かう。途中で観光案内をしながら走る。
「左に見えますこんもりした杜は、河津来宮神社の大楠でございます。
樹齢は千年以上で、熱海来宮神社の大楠と伊東葛宮神社の大楠に並ぶ伊豆の巨木のひとつでございます。」
一人として近くに行って見ようという声は上がらない。
「今、右手にありますのが河津桜の原木でございます。すでに散っておりますが、国内で早咲きの桜として有名でございます。」
「へぇ〜。」
更に行くと、山間に入ったところで桜がちょうど満開の場所があった。
「おっ、あの桜は今が満開ですね。やはり気温が低いだけに開花が遅れるみたいですね。」
「ほう、きれいだぁ。」
だが、停まることはない。そのまま走っていくと、山間にループ橋が見えてくる。
「わぁ、あれがループ橋なの、ワクワクするぅ。」
「そう、これからグルグルするよぉ〜、目を回さないようにね。」
「は〜い。」
グルグルグルグル回ってループ橋を通り抜けると、空気が冷たくなってきた。
一応防寒具を着込んでいたが、袖口や襟元から入り込む冷気に震えが走る。
薄い手袋だけの手があまりの冷たさに痛くなってくる。天城峠の気温表示を見て思わず叫んでしまった。
「うわぁ、気温0度だって、寒いよぉ〜!」
トンネルを抜けると、少し寒さが収まった。
「次の道の駅に入りますよ〜。」
「は〜い。」
長い隊列が道の駅に入ると、警備員が飛んできた。
「何台ですか?」
「えーっと、14台かな。」
「じゃ、あそこのバス用のスペースに停めてください。」
「は〜い。」
ぞろぞろとバス専用のスペースにバイクを停めると、全員一斉にトイレに駆け込んでいった。
「いやあ、寒いとオシッコが近くなるね。」
「うん、でも走りのキレはいいんだけど、オシッコのキレが悪くて困っちゃう。」
トイレから出ても、暖かい屋内に入って温かい飲み物を探してうろうろしていた。
一息入れて、また走り始める。
「この先の湯ケ島で裏道に入ります。ちゃんと付いて来てね。」
「は〜い。」
国道から狩野川を挟んで対岸の道を行く。
ほとんど車の通らない快適な道なのだ。
修善寺の街に入っても、裏街道ばかりを選んで走る。
大仁まで全く渋滞に掛からずに走る。
宇佐美に抜ける亀石峠を目指していたが、途中で急に方向を変えた。
「宇佐美から混む道行くのいやだから、山伏峠を越えます。」
またもやうねうねくねくねの山道曲道を快走する。
後続のバイクも迷子になるのを怖れて必死に付いてきた。
山伏峠からの下りの急坂に怖れおののきながらも何とか無事に下界まで辿り着いた。
「この先、海沿いの道を右折します。真っ直ぐ行くと海に飛び込んじゃいますからね。」
「は〜い。」
網代の「味くらべ」という店に、何とか混み合う時間前に飛び込んだ。
店の表にも中にも生け簀があり、イカやタコ、タイやヒラメが舞い踊っている。
「ここの名物は何といってもイカやタコの躍り食いだよ。カワハギなんかも刺身がもぞもぞ動いてるもんね。」
と、お勧めしたものの、誰一人活刺身を頼んだ人はいなかったようだ。
座って料理が来るのを待っていると、無性に眠くなってきた。
バイクで走っているときはあまり眠気を感じなかったが、一旦落ち着くと猛烈な睡魔が襲ってくる。
やがてイカアジ二色丼が来たが、半分眠りながら食べていたようだ。
周りではわいわいと賑やかな食事が進んでいた。
やがて食べ終え、食事代の精算を済ませて表に出る。
「ここからは海沿いの道一本ですから、みなさんどんどん行ってください。ここで一応解散とします。」
料理長兼通輪マスターは、睡魔のお供もあって一番最後に付いて走り出したが、熱海の街中で渋滞にもたついている間、結局一気にすり抜けて先頭に出てしまった。
あとは睡魔との闘いあるのみなので、自分のペースでどんどん駆け抜けてゆく。
西湘バイパスのパーキングでトイレ休憩したときは、遙か後方に置いてきてしまった。
その後も、何とか睡魔にうち勝って、三時過ぎには家に辿り着いた。
そして、荷解きもそこそこに布団に倒れ込むと、待ちかまえていた睡魔に身をまかせ、一気に夢の世界へ旅
立っていった。

 不眠不休の通輪マスター兼料理長は、気苦労もさることながら肉体疲労も相当なものだったようで、帰ってから二日間寝込んでしまった。
そして、今なお毎日肩と腰の治療に病院通いをしている。
快走乱麻とは、実際のところ怪走乱麻だったのかもしれない。枕元には愛猫が丸くなって眠っている。

 



あかべこ日記TOPHOME |

 

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