<なぜか、寒い>
中秋の名月が夜空に明るく輝いていた。窓から差し込む月明かりの中、丑三つ時までもぞもぞと布団の中で大きな生き物が蠢いていた。その日の夕方には京都で法要が営まれるので、横浜を早めに出なくてはならない。なのに、寝付けなかった。一晩中続いた嚔(くしゃみ)と鼻水で枕元には丸まったちり紙の山ができていた。
暗闇の中、新聞配達のバイクがやって来る。砂利を飛ばして停止し、荷台に積んである新聞の束の中から1軒分を抜き取ると、タタタタと駆ける音がする。玄関のドアの新聞受けにカサッと新聞を突っ込む音がする。いつも近所中で一番乗りの新聞配達がウチに来るのだ。
「ありがとう、お疲れさま」
「うぇっ!・・・あ、どうも・・・」
暗い玄関のドアの中からいきなり声がしたので驚いたのだろう。逃げるように駆けて行き、激しく砂利を飛ばしながらバイクは走り去っていった。
時折、朝早く目が覚めると新聞配達を待ち伏せして驚かすのが楽しい。夏の朝ぼらけの中、ボーっと玄関先で立って待っていると、一瞬驚いて身を引く姿が面白い。何せこちらは柄パン一つのでっかいオッサンなのだ。罷り間違えば変質者で通報されかねない。流石に秋も深まった早朝には寒くて表に出る訳にはいかなかった。どうもこのところ日々の気温の変化が激しく、体の方がついていけなくなっている。だから一晩中、嚔と鼻水が続くのだ。
朝刊の天気図を見ると、九州あたりに低気圧が近付いている。夕方、京都に着く頃には雨になりそうだ。関東・東海地方は快晴だから、濡れずに済ませるには今すぐにでも出発するに越したことはない。そそくさとライダーブルゾンと厚手のオーバーパンツを着込み、数珠を持ったのを確認して、亀仙人BMWR1200Cを引っぱり出した。外の気温は12度、寒い筈だ。思い切り鼻水を啜ると、黎明の道へ走り出した。
幹線道に出るとかなりの数の車が走っている。行楽に出かけるにしても首都圏の住人は大変なのだ。
関東地方周辺の行楽地に行くには最低1,2時間かけて関東平野を抜け出さなくてはならない。しかも、それはスムーズに道路上を流れての話で、どっと車が押し寄せて道路が混雑しようものなら3,4時間どころか半日がかりになってしまう。下手をすると行き着けない場合もあるほどだ。
その点、バイクはましだ。小回りが利いてすぐ裏道に入り込めるし、すり抜けも可能だ。
数珠繋がりの箱車の中でイライラしている人々を横目に、気持ちよく前に進める。
週末の早朝ともなると幹線道路や有料道路などは走るのが馬鹿馬鹿しい。一本裏道を行けばウソのように空いている時がある。しめしめとほくそ笑んで快走するのだった。
横浜環状2号からR1号を戸塚に抜けて、ひたすら箱根湯本まで走り、箱車連なる箱根新道やターンパイクを尻目に畑宿方面の細い裏道を駆け上がった。箱根の峠に近付くほど気温がどんどん下がってくる。下界とは5,6度の差はあるようだ。
三島まで下りのワインディングを殆どノーブレーキで駆け下りる。車高の低いバイクゆえ大きくバンクさせるとステップを擦る。ただ、馬鹿でかい靴先が先に地面に触れるため、油断するとバンと思い切り地面に蹴飛ばされて脚が後ろの方に跳ねられてしまう。仕方なくステップから足を外してずりずりと路面を滑らせながらコーナーをクリアする。これではすぐに靴底が擦り減るだろうなと思いつつもずりずりずりずり滑らせる。
三島から沼津にかけて朝の大渋滞に引っかかってしまった。片道4車線あるのにぎっしりと詰まってしまい、
すり抜けもままならない。とりあえず吉野屋の牛丼を腹に入れている間に渋滞が解消してくれればと期待して、狂牛病騒ぎでガランとした店内に入った。
「並と卵とみそ汁ね。それにしても、大変だね。やっぱりあの騒ぎで客足は相当落ちたんじゃないの?」
「はあ、さっぱりです。」
と、店員は諦めたような表情で答えた。
牛丼店や焼肉店は軒並み売り上げが落ちているが、スーパーや小売店などでも店頭に並べないのだから、売れる訳がない。マスコミの過剰な報道に過剰な反応を示す消費者にも困ったものだが、それを起こさせた行政はもっと困ったものだ。
<なぜか、煙い>
満タンになった胃袋を揺すりながら再び亀仙人に跨ったが、その牛丼屋のある信号から先はすっかり渋滞が解消していた。
富士山の雄大な風景を横目に軽快な音を奏でて走り抜ける。やがて由比に差し掛かり駿河湾の磯の香りを楽しんでいたら、清水の入口でまたもや箱車の数珠繋がりが始まってしまった。
漁港の近い幹線道路には大型の輸送トラックが多く、盛んにディーゼルの黒い煙を吐き出している。
磯の香りを吸い込んだつもりが、煤煙だらけの空気に噎せ返って咳き込んでしまった。もともと喘息気味のため、一度咳き込むと発作が起きたようになってなかなか治まらない。
げっほげっほげえ〜っほ!と、バイクに跨ったまま咳き込むオヤジの横を無情なトラックが黒い排気ガスを浴びせかけて通り過ぎる。中にはわざとらしくシュッポン!と、まともにガスを吹き付けて行く輩も居るほどだ。何とか咳が治まってのろのろと走り出したものの、居並ぶトラックの後に付くのは御免だ。清水から東名に乗ることにした。
高速道路に乗ったものの大型トラックが繋がって走っている。追い越そうと加速し出すと、必ずひょいと前を塞ぐトラックがいるのだ。しかも、100キロのスピードで走るトラックを103キロほどで実にゆったりとゆっくりとのったりと追い越す。
イライラジタバタイジイジしながら追い越しトラックの後に付いて走ることしばし、相手が走行車線に戻るのを待ちかねたように一気に追い越し振り切ってアクセルを開け続ける。120・・150・・180・・と、ひょいっ!とトラックが飛び出てきて、グググーッ!と右手を握りしめ右足を踏ん張って急減速を強いられる。とろとろゆったり
ゆっくりのったりがあった後、再びぎゅいーんと加速して、ひょいっ! そんなこんなが何度も繰り返されるのが高速道路なのだ。
結局、精神衛生上好ましからざるバトルに終止符を打ち、浜松で下りてしまった。
浜名湖バイパスならば遙か遠州灘を眺めながら潮風に吹かれて気持ちのいい走りができるはず。延々と続く白砂の浜に打ち寄せる太平洋の荒波が踊っていた。
程なくして国道1号線に合流し、豊橋の街に入るとまたまた渋滞が始まる。
相も変わらず煤煙吹き荒れる街道に辟易してしまった。びくとも動かない箱車の列。すり抜ける路肩もなく、やたら工事中のフェンスが連なっている。思い切って国道から裏道の住宅街に入り込み、細い畑の畦道を通ってちょこまかと右往左往しながら何とか岡崎のインター近くまで来てしまった。また、高速道に乗らざるを得ない。
名古屋インターまでジッと我慢の走行をし、料金所でおじさんに思わず言ってしまった。
「もう、高速道路も一般道路も煙くってしょうがないよ。トラックばっかりだもん。」
「ははは、ここからもずーっと煙いでやあ。」
その言葉通り、名古屋市内を抜ける長いトンネルが前方に待ちかまえている。思い切りすーはーすーはーした後、いっぱい息を吸い込んで止めると一気に加速してトンネルに突入していった。結構長いトンネルだ。息が続かなくなって目の周りがちかちかしてくる。プフアーッと大きく息を吐き、スッと吸った瞬間、げほっげほっとまたもや咳き込んでしまった。目尻に苦しい涙を溜めながら今度は鼻がむずむずしてくる。
ふあっくしょん!と思い切り嚔した途端、目の前がべしゃっと曇ってしまった。慌ててシールドを持ち上げると猛烈な風圧で目が開けていられない。で、シールドを下ろすと辛うじて曇りの隙間から前方が見える。アクセルグリップを握ったまま、手袋を填めた手をシールドの内側に差し込み拭おうとこねこね動かすと、指先を鼻の穴に突っ込んでしまった。一瞬視界が歪んでしまう。片手でハンドルを握っている手前、ぐらっと揺らぐ。アクセルを緩めるとかえって危険だと頭の中で赤い信号が点滅した。中途半端に拭った見えにくいシールドのまま、斜に構えた上目遣いで走り続けるしかない。
結局、東名阪の料金所まで斜めの格好を余儀なくされた。
<なぜか、旨い>
子供の頃から慣れ親しんだ関西味のうどんだが、30年近く東京の味を口にしていると、濃い色と味が当たり前のようになっていた。伊賀上野のドライブインできつねうどんを注文したのだが、出てきた丼の中を見て一瞬疑問を感じてしまった。
「なんじゃ? この薄い色は?」
色の薄さから自ずと味の薄さも連想してしまいがちだが、口に入れるとしっかりダシのきいた汁なのだ。最近は冷凍保存のうどんが出回っているので、讃岐のようなコシの強いうどんが何処でも食べられるようだ。群馬の水沢うどんもコシの強い讃岐に似た旨いうどんだが、大抵はつけだれで食される。
そもそも東京では店の看板には大体が「生そば」とあり、蕎麦中心の麺食文化と言えよう。だが、関西は「うどん」が大勢を占めており、都市部で蕎麦を注文しても、あまり旨い蕎麦とは出会えない。
「うどん」は関西特有かというとそうではない。小麦の食文化は北から南までいろいろ形を変えて昔から食されている。尤も、最近はラーメンが席巻しているようで、札幌、旭川、喜多方をはじめ佐野、東京、横浜、和歌山、九州の博多、熊本等々、枚挙にいとまがない。昔ながらの小麦食と言えば、うどんやすいとん、ほうとう、きしめん、だんごになるだろう。それぞれにその地方で食すと旨いものだ。その形はそれぞれの地方の気候風土に合わせて工夫し作られているものだから、その場で食すのが一番旨い食べ方だと思う。だから、関西に帰った時は必ず何処でも「きつねうどん」なのだ。
得てして東京などでうどんを食べると、店によって味の善し悪しの差が大きく出るが、関西ではどの店でもさほどの味の差が感じられない。大抵どの店でもきつねうどんは旨い。油揚げの味付けには多少の差はあれど、うどん汁の味はなぜか何処も同じように旨く感じてしまう。場末のうどん屋でも立ち食いうどんでも町中の繁盛している店でも、汁の味は共通しているかのようだ。それは、薄味だからこそ、しっかりダシをとって作らないと客が寄りつかないということもあるのかもしれない。薄味だからこそ、大きな味の差が出にくいのかもしれない。 どこで食べてもきつねうどん、なぜか旨い。
<なぜか、知らない>
前にも後ろにも殆ど車の影が見えない信楽の道を走っていた。
見えるのは大きな狸の焼き物で、至る所で人寄せタヌキを気取っている。しかしながら、人影も殆ど見えないのはどうしたことか、余りにも寂しい風景なのだ。
信楽の道端には余り標識らしきものが林立していない分、実に走りやすい。道幅も広く、綺麗に整備されているため、ついついアクセルを開け気味に走ってしまう。
宇治に近付いたところで三桁の422号線に入り込むと、途端に道幅が狭まって車一台ぎりぎりになる。対向に大型トラックなどが来たときには、小さなバイクは路肩に外れたり、少し広い場所までさがらなくてはならない。おまけに所々砂が浮いているためコーナーでは冷や汗をかく。
寒いかもしれないと厚着をしてきたので、ブルゾンの中は汗みどろになっていた。
細い三桁国道を何とか抜け出し、瀬田から大津に入ろうかというところで京滋バイパスの脇に「岩間寺」という標識が目にとまった。
前日のネット上での情報で「岩間寺の大桂」のことが記憶の片隅にあったので、ひとつ見に行くかとバイクの鼻先を変えてしまった。
五時からの法事に間に合えばいいのだからと、うねうね続く山道を駆け登って行った。やがて駐車場に入り込み、ラインの枠外の片隅にバイクを停め、とことこ本堂の方に歩みを進めようとすると、
「あ、あのう・・・200円頂きたいんですが・・・」
と、実に遠慮がちに老人が声を掛けてきた。
「えっ? 金とるの?」
どこでもかしこでも金をふんだくられる世の中である。このまま行けば拝観料も取られるのではと危惧したが、幸い"TollGate"でとられることはなかった。
小高い山の上にある寺だけに、車を利用しない人はかなりの距離の階段を上ってくるようだ。
境内に入って最初に目に付いたのが若々しいイチョウの木だった。
まだ黄色く色づいてはいないが青々とした扇形の葉を繁らせている。その傍らに細めの桂の木が二本寄り添
うように立っており、まさかそれが大桂ではあるまいと銘板を見ると、「夫婦桂」とあった。どこでもそうだが、なぜか二本の木が並ぶと必ず「夫婦」という名前が付けられてしまう傾向にあるようだ。木にしてみれば兄弟かもしれないし親子かもしれないし、ひょっとしたら何の縁もない他人同士かもしれないのに、勝手に人間の都合で名前を付けられ、そのまま世間に通ってしまって見る人が何の疑問もなく受け入れている。いい加減それら固定観念を植え付けてしまうような勝手な命名はやめてもらいたいものだ。
鍾乳洞の観光洞窟などに入ると、至る所に勝手な名前が立て札よろしく並んでいる。しかも、その形から連想するような下卑た命名が剰りにも多い。木でも石でもそのままの姿を写真に収めようとすると、必ずそれらの看板や銘板が真正面にでんと据えられ、邪魔なこと甚だしい。自然の木々や造形を私物化しているとしか思えないのだ。
寺の境内を更に奥へ行き、竹藪を切り開いた中に御本尊の大桂が聳えていた。
ここに至る小径の要所要所に「日本一の大桂」と大書した案内板が立ててあり、いい加減食傷気味になってしまう。何でも日本一とつければ人が見に来ると思っているのだろう。人が来れば足下を整備して何かと手を入れるのだ。そうなると木々は寿命を削られてしまう。それが分からないはずはないのだが、目先の利益に惑わされてしまっている。そんな人間の愚かな行為を見ているのか、桂の木は伸び伸びと高く聳え、割と
スマートな出で立ちで株立ちをしていた。桂の周りには孟宗竹が跳梁跋扈しており、その存在を脅かしているように見える。

寺の方で竹を伐採しているが、その成長が非常に早く、根の張りが強いため、かなりの苦労を強いられている。寺の住職がぼやいていた。
「なんぼ伐っても伐っても、竹は強いからねえ、次々と生えてくるんだわ。だから桂の周りをコンクリートで固めて竹が生えんようにしようかと思うてるんですわ。」
「ええっ?コンクリートなんかで固めたらだめですよ。大変かもしれないけど、根気よく竹を伐っていくだけにとどめておいて、桂の周りには一切、手を加えないでくださいよ。桂が可哀想ですよ。」
「へえ、そんなもんかなあ。」
「それと、水の流れを止めないでくださいよ。水が沢山流れていれば桂は喜ぶし、竹は嫌いますから、それに竹が生えるとその辺りの土は乾いちゃいますよ。」
「へえ、そりゃええ事聞いた。よっしゃ、ほならそうしますわ。」




どうやら桂の生態をあまり知らずにいたらしい。これで岩間寺の大桂も長生きできそうだ。
<なぜか、長い>
母の忌明けの法事に間に合うように走ってきたが、バイクだからこそ時間が読めるというものだ。渋滞でも関係なく裏道脇道に逃げてどうにでも走って行ける利点がある。大津まで北上して、母の入院して亡くなった病院の脇を通り、病院に通った山の中の裏道をちょこまかと走り、吉田の家に着いたのは午後三時だった。薄汚れたライダースーツから軽い正装に着替え、庭の木を眺めていたら、汗を拭き拭き階段を上がってくる和尚の姿が見えた。
「おや、お早いんですね。」
「早いに越したことはないやろ。いやあ、ここまで来るとやっぱり高台は眺めがいいねえ。」
予定時間より早く着いたので、姉たちは慌てていた。
「ええっ、もう来はったん? いや、かなんわぁ、何にも準備できてへんやん。」
それでも、和尚は、
「いや、かまへんかまへん、なんもいらんから、ちょっと着替えさせてもらいまっさ。」
と、玄関からずかずか上がり込んで墨染めの衣から、緋の衣と錦の袈裟に着替えると、
「どっちにいはります? 上でっか?」
黒い漆の位牌を持って、まだ遺骨のある離れ座敷へとことこと上がっていってしまった。和尚の後を追いかけるように姉たちがふーふー云いながら離れに来ると、早速読経が始まった。
「忌明けのお経はちょっと長いでっせ。楽に座っておくれやす。」
何から何まで気さくな和尚さんではある。
確かに長いお経が吉田山の高台にある屋敷に響き渡る。爽やかな秋の風が開け放たれた離れ座敷を吹き抜けてゆく。木魚がリズミカルに打ち鳴らされ、時折鐘がちーんと鳴る。まだ焚いている蚊取り線香の煙と抹香の煙が入り交じって和尚や居並ぶ家族の周りで渦を巻き、やがて外へ流れ出してゆく。雰囲気を察してか、巨大な白いピレネー犬とシャム猫も神妙な面もちでじっと和尚の読経の声に聞き入っているようだ。
京の都路に秋が訪れると、観光客も数多く訪れる。いつもと同じ風景が繰り返されていく。だが、ここ吉田の家では人数が一人減った分、大きな変化が訪れようとしていた。