あかべこ日記新春房総編
「塞翁が鉄馬」
平成15年如月
by 古森 雲雄<ベベパパ>
<闘病>
振り返れば散々な正月だった。元旦に長野善光寺に参詣して人混みにまみれ、寒さも手伝って、一晩経ったら耳の下がぷっくり腫れ上がってしまった。おたふく風邪は幼少の頃に罹って免疫があるから、単なる耳下腺炎なのだが、只でさえ太り気味の丸顔なのに、下ぶくれのお多福顔になってしまった。その時は、ひょっとこ面を付けたあかべこGSとお似合いだなんてふざけてはいたが、それから始まる悲惨な闘病生活の前触れであったようだ。
正月三が日でもあり、松本市内の開いている耳鼻咽喉科の門を叩いた。前もって聞いた話では、そこの医者は怖い爺さんの筈だったのだが、目の前に居るのはマスクはしていても妙齢の女医さんだった。
「すみません、この顔、本来の丸顔とは違うんですけど、普通の丸顔に戻りますか?」
「はあ? 初めて会って、元の顔なんて知りませんよ。」
「ごもっとも。あのね耳下腺が腫れちゃったらしくて、ほら、ほっぺがパンパンになってるの。」
「はい、あ〜んして・・・ああ、耳下腺の口が赤くなってるわね。抗生物質出しておきますね。」
「あ、あの、ボク、アレルギー体質でセフェム系の抗生物質だと薬疹が出ちゃうんですけど・・・。」
「ええっ、困ったわねえ、セフェム系のが何かとあるんだけど・・・。」
「はい、いつも医者は困ってます。このデカイ図体のくせに、やたらデリケートなもんで・・・。でも、注射なんかは馬用の使ってるみたいですよ。何せ、ボク、馬並なもんで、へへへ・・・。」
「・・・じゃ、別の薬出しておきます。」
この女医さん、あまり冗談が通じないようだ。
薬はもらったものの、普段から飲み付けないものだから1回だけで止めてしまった。
その数日後、新宿での新年会に顔を出し、雑踏の中をウロウロして横浜に帰ってから、いろいろ様々な症状が出始めたのである。
最初は嘔吐と下痢に始まり、食中毒かと思ってやたら正露丸や胃散を飲んで寝ていたが一向に収まらず、微熱が続いて肩や腰の関節がずきずき痛んだ。そのうち、くしゃみ、鼻水、咳、悪寒と続いてきたので、風邪かと思い、新薬は薬疹が怖いからと漢方薬を数種類飲んでいたが、なかなか収まりそうにない。すると突如心臓が下手なサンバやボサノバで踊り出してしまった。スットコドッコイパカポコトットコステテコタッタカトックン・・・・コトトトトパコッ・・・とまあ、祇園太鼓の乱れ打ちのような有様なのだ。
時折2,3秒、黙りを決め込むこともあり、びっくりして心臓が止まりそうになった、いや、実際止まってしまったのだ。慌てて、こらっ、動け!止まるな!とドンドン胸を叩くと、心臓もはっと気が付いてトコトコトコトコ弱々しく鼓動を始めてくれた。おちおち寝てもいられない。ちょっと油断すると心臓がすぐにサボってしまいそうだ。そんな心臓に悪い出来事が2日ほど続いてしまった。
やがて不整脈も収まって、規則正しい鼓動を打ち始めたので、寝ていれば治ると思っていたら、今度はいきなり39度5分の高熱に襲われてしまった。
意識は朦朧とし、呻吟しながら布団にくるまっていると、愛猫が心配してか、ずーっと付きっきりで看病してくれた。といっても、ただ枕元に丸くなって寝ているだけなのだが、寒いと肩口からごそごそと潜り込んで膝のあたりをちょんちょんと突っつく。脚を持ち上げると、狭い所にグイグイ入り込んでしまう。横になって膝を曲げた後ろの三角地帯がお気に入りの場所なのだ。ところが、40度近い高熱でうなされていると布団の中は暑くなるのだろう。
背中の方を通って首の後ろから顔を出すと、ぷふぁ〜と気持ちよさそうに息を吐き、べったりと暖かい毛皮を顔に押しつけて来る。そのうち枕の真ん中を占領してしまい、病人が隅っこの方で小さく遠慮して寝ているのだ。可愛いやら憎たらしいやらで三日三晩39度線を徘徊していた。その後、38度線の非武装中立地帯まで熱が下がったので、ふらつく体を車に押し込み、横浜の耳鼻咽喉科の門を叩いた。
「いやあ、この前39度5分の熱でぶっ倒れてたんです。インフルエンザですかね。」
「ああ、その時に来ればよかったのにね。今、インフルエンザのいい薬があるんだよ。タミフルとかリレンザってのがあってね。惜しいなあ、もうインフルエンザを通り越して普通の風邪になってるよ。」
「あのね、そんな高熱の時に来れる訳ないでしょ。意識も朦朧としてるのに。で、その薬出してくれるんですか?」
「いんや、もうインフルエンザじゃなくなってるから、効かないよ。普通の風邪薬出しとくからね。はい、じゃ、お大事に〜。」
この医者は冗談がキツイようだ。近くの薬局に行って処方箋を渡すと、謎めいた事を切り出した。
「え〜と、一週間前に出した薬と同じのを調合しておきましたよ。いや、長いですね、まだ治らないんですか?」
「はあ? 今年初めて来たんですよ。」
「へっ?・・・ああ、平成14年か、これ去年のだ。な〜んだ。」
「そっかぁ、去年の今頃も風邪引いて寝込んでたもんなぁ・・・。」
去年の正月も時ならぬ大雪に見舞われ、東海道雪中ちゅるりん行軍をして横浜に辿り着いてから、やはり3週間大風邪を引いて寝込んでいた。何だか毎年正月の恒例行事になってしまったようだ。
それから一週間、38度線あたりを乱高下しながら布団の中で悶々としていたが、猫に人間の風邪はうつらないのか、寝ている病人の周りで嬉々としてはしゃぎ回っていた。
メニエル症のようなめまいが続き、目を開けると世界がぐるぐる回転してしまう。そのままでいると三半規管の異常から胸がむかむかしてきて嘔吐を繰り返す。
最初の一週間はあまり食欲がなく、毎日うどん一杯だけで過ごしていた。
2週目は高熱のため、ほとんど何も食べられずお茶ばかり飲んでいた。
3週目はめまいと微熱で全く食欲がなく、やはりお茶とビタミン剤1錠だけで過ごしていた。
あまりにも体力が落ちてしまって風邪も治らないのかと思い、内科の病院に行ったら、何と栄養失調だそうな。3週間、ほとんど何も食べずによく生きてこられたものだ。
「あんたのようなデカイ体は、存在するだけで相当のエネルギーを消耗するんだから、基礎代謝分だけでも栄養摂らないと駄目だよ。今時栄養失調なんて流行らないんだから。」
この医者マジで冗談がきついようだ。それにしても、体重が1キロしか落ちていないのは、どうにも納得がいかない。
ようやく1月も末になって人間の体も快復したが、去年の暮れから入院していた鉄馬のあかべこも、クラッチ、サスペンション、タイヤ、オイルなどなど中身はほとんど新品になって退院してきた。その代わり、人馬共々、大勢の福沢諭吉さんと人質交換となってしまった。
<病み上がりの暴走>
日本列島に寒波が押し寄せ、各地で雪が舞っていた。
バイクで走るのに雪は避けねばならない。となると南房総が適当であろうと単純に理解して、人馬共々健康を取り戻した早朝、愛猫の見送る姿に後ろ髪引かれながら三浦半島を目指した。
首都高速横浜線から横浜横須賀道路に向かう路上は寒風吹き付け、3桁速度を出すには些か勇気が萎えてしまう。久里浜のフェリー乗り場で、温かい朝粥を啜り込み一息ついた。30分あまりで東京湾を横断して房総の金谷に着き、館山方面に南下して走るのだが、国道127号線は狭く、トンネルが多い上にダンプカーがやたら走っている。
いつまでも付き合っていられないとばかりに、富山町の県道に入り込んだ。
ミズナラやコナラ、マテバシイなど広葉樹の林が沿道に広がっている。低い山並みが続く此のあたりは「南総里見八犬伝」の伝説の地でもある。細くうねうねと続く道には、ほとんど行き交う車の姿がない。
気持ちよく走っていると、「くすの木」の看板が目に入った。
地図では「上三原の大樟」という表示があるのだが、県道の番号が違っている。最初は地図を信じて行き過ぎてしまったのだが、現場の表示が正しいと判断して看板通りに走っていった。やがて神社の境内にこんもりと繁るクスノキを見つけた。
千葉県指定の天然記念物で安房地方最大のクスノキとある。

目通り幹周り12mで樹齢750年とあったが、どうもこういう数字は信用ならない。
相手は生物なのだから日々成長しており、数字も変動するものなのだ。どこでもその数字に踊らされて、おらが木が最大だ、日本一だと喜ぶ人間を巨木はどう思っているのだろう。その数字のこだわりに疑問を感じてしまう。
「大きな木は大きいね。きれいな花はきれいだね。」それが自然でいいのではなかろうか。
そんなこだわりをすぐに頭の端から消し去って、再び県道や農道ばかりを選んで走っていった。
ふと眼前に黄色い花畑が広がった。ナノハナが満開で美しい黄色い絨毯だ。
やはり南総は暖かい。春の色に溢れていた。
館山から410号線を更に南下して白浜町に入った。ちょうど昼時でもあり、病み上がりの胃袋が空腹を訴えていた。やはり海の幸のおいしいものを食べたいものだ。
野島崎灯台の近くで「新鮮魚料理」の看板を掲げる店が林立している。
ふと店の前で佇むおばちゃんと目が合ってしまった。途端に満面の笑顔で「どうぞ、どうぞ、おいしいお魚ありますよ〜。」と、おいでおいでする手に誘われてひょっとこ面のあかべこを乗り付けてしまった。
「あんらあ、ひょっとこがよく似合うわ〜、この籠とぴったしだねえ。へえ、こりゃいいわあ。」
「このひょっとこ評判いいんですよ。さっきも通りすがりの女子高生がきゃっきゃと喜んでましたもんね。」
確かに道行く人々には好評のようだ。
まず、子供たちは必ず指さして大笑いする。

若い女の子たちは一瞬目を見張るが「ひょっとこぉ!」ときゃっきゃと大笑いする。
対向車の目も一瞬釘付けになるが、すぐにニヤッと笑顔になる。前の車のバックミラーにも笑顔が写る。道端で旗を持って立っているお巡りさんもひょっとこ面に目が固まってしまい、ふっと笑って旗を出し忘れていたようだ。結構オーバースピードの筈だったのだが・・・。
店に入って「海女定食」なるものを注文したら、アワビ、サザエ、アジの叩きにイカ、マグロの刺身オンパレードにアジの煮付けが出てきた。
久しぶりのまともな食事に、ひたすら無言で頬張り食らい付き貪りかぶりついてあっという間に平らげてしまった。満足した病み上がり人は、笑顔のおばちゃんに見送られて、ひょっとこ鉄馬に鞭を入れた。
白浜町の神明社の横から始まる林道を行くと不思議な光景に出会える。
素堀のトンネルの内壁が見事な地層の褶曲を表しているのだ。白色や灰色や黒い縞模様がバウムクーヘンのように美味しそうな姿を見せている。


近くに寄って見ると、それぞれの層が砂岩、泥岩、凝灰岩で構成されている。凝灰岩の層はスコリア質と呼ばれる非常に細かいシルト状で、所によってはごま塩のように白や黒の粒が混じっていたり、真っ白な石灰のような層にもなっている。それぞれの層が規則正しく積み上がっているのを見ていると、太古の地殻変動の凄まじさと共に、自然の作り出す造形の「綾の美」を感じざるを得ない。
資料によると房総半島の南端は新生代新第三紀の清澄層と天津層と呼ばれる地層で、当時はまだ海の底であり、富士山が元気にドッカンドッカン噴火して盛んに火山灰を降らしていたのだろう。細かく軽い火山灰が先に沈んだ砂や泥
の上に積もり、それぞれが砂岩、泥岩、凝灰岩になっていったのだ。長い年月をかけて何度も何度も噴火して、幾層もの地層を形成していったのである。
そのまま積もっただけならば平板な地層なのだが、折しも房総半島は太平洋プレートの真上に鎮座しており、ハワイ沖から押し寄せる地殻移動によってグイグイ押し込められ、造山運動でしわしわになってしまった。ちょうどボブ・サップが頭皮をぐいっと押し縮めて出来る皺のように、房総半島に低い山並みを形成していったのだ。
その山に真横からトンネルを穿つと、かくも美しく妖しい奇妙な地層の綾を描き出したのだろう。細い林道にいくつも穿たれたトンネルは、いずれにも縞模様が顕わになっている。このような地層は、少し内陸に入ったところではトンネルなどで見ることができるが、三浦半島先端の城ヶ島の磯でも、外房の野島崎や白浜海岸、勝浦の鵜原海岸でも顕わになっている。
あかべこをとろとろ走らせながら、いくつものトンネルをくぐって行くと、何か不気味ささえも覚えるようになった。
細い林道は山奥の畑村まで続いているが、途中マダケやメダケの群落の中を通ったり、ヤマモモやバリバリノキ、バクチノキやホルトノキなどの南方系の木々の群落を抜けたりもした。
低い山々は一面にマテバシイで覆われており、常緑広葉樹だけあって冬枯れもなく蒼々とした葉を繁らせている。
林道は途中で幾度も枝分かれしていたが、適当にひょいひょいハンドルを向けて走っていると、いつの間にか千倉の海岸に出てしまった。あちこちに「くじらのたれ」の幟がはためいているが、今はほとんどが調査捕鯨で獲ったミンククジラかイルカで作ったもので、さほど旨いとは思えない。
どうも我々の世代の感覚では、小学校の給食で出たクジラの竜田揚げのイメージと赤く着色されたベーコンの独特の臭みが思い起こされてしまう。
時代の中では牛肉の代用品とされていただけに、今になって食指が動かないのは飽食の世代に生きる人間にとって、クジラはもう無用となってしまったのだろうか。
鴨川を過ぎるあたりから、頬に当たる風が冷たく感じられてきた。勝浦の海中展望塔に立ち寄るべく、国道を外れて海岸に向かった。
22年前、アルバイトで入った会社で最初に手がけたのが、勝浦海中展望塔の仕事だった。図面の修正から海藻標本作り、そして魚類図鑑を複写して切り抜いて作った種名板など、いろいろちまちまとやっていたのだ。
海の資料館には22年経った海藻標本がまだそのまま残っていた。
かなり色は褪せてはいたが見られないことはない。海流を表すテクナメーションは、全く動いていなかった。奥で偏光板が回って動くはずなのだが、空回りするモーターの音だけが虚しく唸っている。
海中展望塔の中に入って海中を泳ぐ魚を覗く窓があるのだが、その窓の横に27歳の時の自分の作品が、今尚活躍しているのを見て、懐かしさがこみ上げてきてしまった。ひとつひとつカッターで切り抜いた時の自分の姿が、つい最近の事のように思われてしまう。
ふと、展望窓のガラスに映った人の顔を見て、50歳のオヤジを別人のように再認識してしまった。ぐるぐると螺旋階段を昇る足取りが厭に重く感じられる。
勝浦を過ぎて御宿に入った時は4時近く、頬を撫でる風の冷たさが尚更応えるようになってきた。
見回すと「民宿、素泊まり2500円、一泊二食5000円」の看板が目に留まった。一旦行き過ぎたが、九十九里までまだかなりの距離があり、今が決断の時とばかりに信号でくるりとUターンしてしまった。
海岸通りを行くと、サーファー相手の海の家という風情の宿が砂浜に面して建っていた。
あかべこを駐車場に停めてふらりと玄関先に向かうと、足元にミニチュアダックスフントが人懐こく寄ってきた。
犬が客寄せに一役買っているようだ。玄関に入ると若いお姉さんが出てきた。
「でっかいオッサン一人泊まれますか?」
「はい、どうぞ。素泊まりですか?それとも食事もですか?」
「この辺に食べるところありますか?」
「居酒屋がすぐそこにありますよ。」
「ああ、酒飲めないから、食事付けてください。」
下戸の人間が居酒屋に入るときほど場違いなことはない。酒も飲まずにお茶ばかりがぶ飲みして酒の肴を食べまくっても、一向に腹の足しにならない。それどころか、酒を飲まないのに勘定は異常なほど高く付いてしまう。
夕食までの空いた時間に、近くのクアハウスに行った。
天然温泉の謳い文句に期待して入ったのだが、アメリカンコーヒーのような褐色の温泉でぬるぬるのアルカリ泉だった。高圧浴槽、打たせ湯、歩行湯、蒸し風呂、寝湯、ジャグジー浴とあり、それぞれに入ってみたのだが、透明度が5cmほどしかないので、湯の中の段差が全く見えない。
しかもそれぞれの浴槽には何かと段差が多く、ヌルヌルしているから、へっぴり腰で進まざるを得ないのだ。それでも1時間以上入っていると、冷え切った体もポカポカに温まった。
自販機でバニラアイスを買って、ぷらぷら食べながら歩いていると実に気持ちがいい。
ちょうど食べ終わる頃に宿に着くと、西の空に夕日が沈むところだった。夕焼けがないところをみると、翌日は天気が悪いのかもしれない。
部屋に上がって、ごろんと横になっていたら何時しか眠ったらしい。インターホンの呼び出し音で目が覚めた。
「夕食を取りに来てください。」
階下の廊下の棚に料理山盛りの皿がずらりと載ったトレーがあり、2つ持って上がって部屋で食べるらしい。
一度に持てないから2往復した。一つのトレーには細かく砕いた氷の上に刺身がこれでもかというぐらい盛ってある。
イカ、タコ、ボタンエビ、サーモン、マグロの新鮮なお造りにアジの叩きがあり、ハマユリの花が添えてあった。
もう一つのトレーにはキャベツの千切りが山盛りになって、鶏の唐揚げが並んでいる。
2食付きで5000円とは思えない、お得な宿であった。
満腹したら瞼が重くなってしまい、再びごろんと横になって眠ってしまった。
夢うつつ遠くで犬の鳴き声と「鬼は〜外、福は〜内」の声が聞こえていた。
ふと潮騒の音で目が覚めると、まだ深夜2時を回ったところだ。目は冴えてしまい、喉にも渇きを覚えてお茶を立て続けに3杯飲んでしまう。
寝る気もなくなり、仕方なく持ってきたノートパソコンを叩き起こして明け方まで原稿作成を手伝わせてしまった。
6時過ぎになって東の空が赤く燃えていた。朝焼けは天気が悪くなる予兆だ。やがてインターホンが鳴った。
「朝食の用意ができましたよ、どうぞ。」
とんとんとんと階段を下りて厨房のところまで来ると、足元でびちぶちぐちゅと何かを踏み潰した。
「なんじゃ、こりゃ!?」
「ああ、昨日まいた節分の豆です。」
そうだった、この日をもって正式な未年となった訳だ。午年は昨日までで、鉄馬にとっても馬並の自分にとっても厄年だったのかもしれない。
ボリュームたっぷりの朝食を平らげると、宿の勘定を済ませ、爽やかな朝の潮風を受けて、新たなる年の旅立ちをした。頬を撫でる風は尚冷たく、鼻腔に満ちる冷たさに軽い痛みを感じてしまう。
一旦、勝浦に戻ってお目当ての銀杏の巨木を訪ねることにした。
10年前に来た記憶は、墓場の中に立つお化け銀杏としかない。
とりあえず勝浦駅前の交番にひょっとこ面のデカバイクを乗り付けた。中にいた数人の警官の顔が一瞬固まったが、ひょっとこを見てすぐに綻んでしまう。なかなか癒し系のバイクとして役立っているようだ。
「あのねえ、勝浦の町中でお寺の墓場の中に立ってるでっかい銀杏の木があるはずなんですが、どこでしょうね?」
「ああ、前にもそんな木を探して来た人がいましたね。高照寺じゃないですか?」
「寺の名前までは覚えてないけど、とにかく墓場の中にある馬鹿でかい銀杏の木です。」
あっち行ってこっち行ってそっち曲がってどん突きのお寺だと教わって交番を辞した。
終始にこやかなお巡りさんの表情だった。走り出してすぐに間違えてしまったが、何とか右往左往してお目当ての銀杏の枝振りを見つけることができた。

墓場の中に立つ銀杏の巨木は、ニョロニョロと枝を突き上げており、さながら卒塔婆のような枝振りなのだ。
主幹は朽ちてしまっているが斜めに伸びた太い枝からは巨大な乳が垂れ下がり、地面に突き刺さって新たな幹になっているようだ。木が先か墓が先か分からないほど、墓石と枝が入り組み、墓石が支柱なのか墓石にのし掛かっているのか分からないほど、銀杏と墓が共存している。
きれいに箒で掃き清められた墓の間を彷徨いていると、前の日の素堀トンネルの中を行く時と同じ感覚に陥ってしまった。
何となく霊の存在を感じてしまったようでもある。
「一心欲見佛、不自惜身命」<傳光山高照寺>
「仏の姿を見たいと望むこと、即ち悟りをひらきたいと願うならば、一切の自分の身命を惜しまず、俗なるものへの欲を捨て去り慈悲の心を持つこと也」と、門柱に彫り込まれた文字を見て勝手に解釈してしまった。
「新緑の葉が繁ったら、また会いに来ますね。」と、世俗の欲にまみれたひょっとこバイクと馬鹿でかいオッサンは、颯爽と寒風の中を走り出した。
外房の外周道路をただひたすら北上する。
途中、茂原の沿道でセグロイワシとサンマが干してある店先を見つけて立ち寄った。
「このイワシとサンマをちょうだい。何だか最近イワシが獲れなくなって高級魚になっちゃったねえ。」
「ああ、もうほとんど獲れなくなったなあ。クジラが増えて全部食べちゃったんでねえかぁ。」
思わぬ所でクジラの被害を訴えられてしまった。昔牛肉の代用食だった鯨がいまでは高級食材になり、その鯨のせいで大衆魚だったイワシやサンマが減って高級魚になりつつある。その代わり昔は高級魚だった鯛やハマチやブリ、マグロが養殖盛んになって大衆魚になる。その裏では人間のその時代時代におけるエゴが蠢いている様子がありありと浮かび上がってくるようだ。
セグロイワシとサンマの丸干しを袋いっぱいに詰め込んでバイクのサイドケースに放り込んだ。1000円でこの量だから、安いものだ。やはり産地直売に限る。
それから2時間以上、田園の中の単調な県道をひたすら駆け抜ける。ますます気温が下がり、必死に耐えて走る姿は修験者のそれに等しい。
やはり10年ぶりに訪れた「府馬の大クス」も周囲の風景が一変していた。



この木もクスとあるが、実際はタブノキである。昔はイヌグスと呼ばれていたことから、クスと間違われていたのだ。
樹齢も1200〜1500年とあり、根回りや枝振りにも老獪さが如実に現れているようだ。
ごく最近になって真新しい鳥居と祠が建てられ、宇賀神社として奉られているのだが、保護保全のつもりで根の周りに石垣を積み上げられては木の命を縮めるようなものである。ここにも海の魚同様、人間の身勝手さが自然の命の存在を左右しているようで、虚しさだけが心の中を通り抜けていった。
成田あたりまで来て、どんよりと曇った鈍色の空から白い小雪が舞い始めた。
病み上がりの体には少々厳しい洗礼である。
昼過ぎではあったが、また布団の中の生活に戻りたくはない。さっさと東関東道路に乗ると、頬と鼻の頭を赤く染めて口をすぼめた顔のオッサンがひょっとこ面と同じ顔をして高速の風になっていた。
病み上がりの体を癒すつもりで房総半島を暴走したが、ひょっとこ面を付けた鉄馬は行く先々で人の心の癒しになっていたようだ。
横浜に戻ると、早速愛猫が嬉しそうに出迎えに来てくれた。
だが、周りにはごつい顔つきの雄猫たちが4匹も付きまとっている。恋の季節の始まりらしい。箱入り娘を抱えるパパにとっては悩み多き季節となってしまう。

お願いだからべべちゃん、変なオトコに身をまかせないでね。オトコはパパだけで十分なのだから・・・。
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