亀仙人、雨中夢幻に舞い踊る

平成14年7月之事

by 森くらうど<雲遊>
(ベベパパ) 


<嵐の前の何とやら>

 極悪極道ライダーとは人間性を指さずして云うならば、極めて悪い道を極めて悪い気象条件の中でも果敢に曲道に挑み、ただひたすらバイクを走らせるライダーのことを定義づけている。「大雨男」の異名を持つ自分としては、毎度のことながら己の運命を呪いたくなる。本州の北端の竜飛岬に集うために走り出したものの、折からの台風で全国的に災害が起こっている最中なのだ。それでも、信州松本を最近の塒(ねぐら)にしているバカなライダーは、まだ台風の影響の無い青空の下、亀仙人に鞭を入れて北へ向かった。長野市を抜けてリンゴ畑の中を走ると、まだ青い実が色づきを待ち侘びながら枝先にぶらんぶらんとぶら下がって風に揺れている。信濃の空は嵐の前の静けさを孕んで青く澄み切っていた。ただ、流れる雲はその歩みを早めていたようだ。

 高原の道から望む雄大な黒姫山や妙高山が、流れる雲に掻き消されそうになる。時折、雲の合間から覗く山肌には蒼く繁った木々の葉が清澄な空気に息づいていた。遠くにあるはずの山が澄んだ空気のレンズ効果で間近に見える。近眼乱視老眼の目にもくっきりと梢の輪郭が見て取れた。

 上越近くの鴨島で18号線に別れを告げ、三桁国道に入り込んだ。殆ど車の姿の見えない快適な道である。当然、速度も三桁に及ぶ。山間の曲道に入り込んだ時、前方の道路がいきなり空中に持ち上がって消滅していた。びっくりしてバイクを停め、よく見ると、地滑りで舗装道路が持ち上げられ、バラバラに剥がされて道が無くなっていた。自然の力の強大さを目の当たりにした時だった。

 街道を走っていると沿道に赤っぽいポヤポヤした花を付けたネムノキに出会える。

マメ科の植物なのだが、葉が夜になると閉じてしまう面白い樹だ。よくよく観察してみると、根元が白く先にいくほど淡い紅色の糸のような花びらが束ねられた根元からパアッと広がっている。横から見るとまるで扇が広がるように見えて、花の集まるところなどタカラヅカのレビューのようだ。

 あちこちで工事のための迂回路を走らされているうちに、安塚町という地名が目に飛び込んできた。思い起こせば10年前、初めて巨木に出会って、彼らの巨大さ、圧倒的な威厳に感動して、爾来(じらい)のめり込んでしまったきっかけが、この安塚にある巨大な杉だった。


<出会いの巨木たち>

 一番最初に出会ったのは「松之山の大ケヤキ」だったが、数年前台風で破損して道路の上に被さるように傾き、危険だからと根元から切られてしまった。日本で一、二を競う欅の巨木だっただけに実に残念だ。その近くにある三番目に出会った「虫川の大杉」が目の前に聳(そび)えていた。目通り幹周が10m以上あり、樹齢も千年以上という実に壮大な枝を張った巨大杉なのだ。根回りには踏み固められないように木道が設えてあり、白山神社の御神木として手厚く護られているようだ。

 

 その虫川から10キロほど山間に入り、新しくできた林道に踏入って雨上がりの泥濘の中、はっほっへっひょっと気合いとも悲鳴ともつかない声を上げつつ急斜面を上がりきった山の頂に、二番目に出会った「坊金の大杉」が鎮座していた。この杉も樹齢は千年近く、山頂にあって下界を睥睨(へいげい)するかのように臨んでいる。いずれの木にも注連縄(しめなわ)が巻き付けられ、地元の人々に崇められているようだ。山の巨木も里の巨木も確かに見た目は人の手によって保護されているようだが、周りの木々や灌木を取り払われてポツンと寂しげに佇んでいる様を見ると、何となく人間の過保護のように思えてくる。ありのままの姿が木にとっては最良の状態ではないだろうか。枝を伸ばし成長するのが自然ならば、倒れて朽ちるのもまた自然なのだ。

 松代町の山中の蕎麦屋で天ざる蕎麦を食した。山菜の木の芽や舞茸、アマドコロなどが衣を纏って蕎麦の側に添えてあったが、その中に何やら花の蕾のようなものが混ざっていた。
「この花みたいなのは何ですか?」
「はい、それはホタルブクロの花です。うちの庭先にある山菜を天ぷらにしてるんですよ。」と、自慢げに話してくれた。
確かにホタルブクロは辺りに沢山咲いてはいるが、何でもかんでも天ぷらにしてしまうと、どれも同じような味になってしまう。トリカブトの花だけは天ぷらにしないでもらいたいものだ。

 十日町でガソリンを入れていると、空からポツポツと雨粒が落ちてきた。
いよいよ来たかと合羽を着込んで走り出した。雨足は次第に激しさを増し、フロントスクリーンを通り越してヘルメットのシールドに直接雨滴が体当たりしてくる。座高が高いので、フロントスクリーンなどあってもあまり効果はないのだ。比較的流れていたので、一桁国道を三桁ですっ飛ばして新潟市街をやり過ごし、聖籠町からは海沿いの松林の中をやはり三桁で駆け抜けた。笹川流れの辺りでどうやら台風に追いついてしまったらしい。激しいステップで舞い踊る雨足を蹴散らしてアクセルを開け続け、びゅいんっと雨雲をぶち抜いたら、よほどびっくりしたのだろう、台風がギョッと目を剥いてあんぐりと口を開け見送っていた。

 山形県に入って「おけさおばこライン」と銘打った国道7号線を突っ走っていても、一向に雨足の衰えは見えてこない。それどころか、ますます激しいステップで踊り狂い、至る所から雨水が浸入してきて全身ずぶ濡れになってしまった。仕方なく10年前にも泊まった鶴岡のビジネスホテルに駆け込んだ。
「馬鹿デカイ濡れ鼠一匹、泊めてもらえますか?」
水を滴らせた巨大な生き物を、そのビジネスホテルは心地よく受け入れてくれた。そのホテルは「α-1鶴岡」といい、これからも贔屓(ひいき)にすることにしよう。
何といっても各部屋のトイレがウオッシュレットになっているのが嬉しい。


<嵐の名残雲が邪魔で邪魔で>

 翌朝、心地よく目覚めた生き物は自分がカフカ的ナメクジになっていないことを確認してにやりと笑った。窓の外は雨こそなけれど、どよんとした暗い雲が低く垂れ込めている。早々に荷造りをして表に出ると、遙か南東の方角を見遣った。しかし、低く垂れ込めた雲に隠れて、月山はその姿を御開帳には及ばない。これで一体何度目だろうか。チャンスがあるのに見られない。見えた時は5月の連休中に、酒田であかべこGSのクラッチロッドが折れ、虚しく置き去りにして帰る電車の窓から鳥海山と月山が悲しく見送ってくれた。

 ホテルα-1から酒田方面に走り出してすぐに「文下(ほうだし)」という地名が目に付いた。ここにもケヤキの巨木があった筈だ。ちょこまかと細い路地に入り込むと勝手知ったる場所とばかりに人家の庭先に立つ「文下の大ケヤキ」の下に降り立った。
やはり樹齢は千年近く、樹周は11mにも及ぶ。過去数百年の間一度も斧を入れられていないということで、殆ど傷も無く、美しい佇まいを見せている。ケヤキは根の成長が著しく早く強いため、周りに障害物があったりすると根回りが暴れまくって歪な格好になりがちだが、文下の土は軟らかいのだろう、根元はすっきりとして伸び伸びと成長している。辺りには赤い百合の花が咲き乱れ、強い香りが漂っていた。十年前と同じく、大ケヤキの背景には黒い雨雲が垂れ込めて写真に収まった。

 文下から再び一桁国道に戻って数キロも行かないうちに、またもや巨大なケヤキが大きく枝を広げている。「山の神のケヤキ」という巨木で、樹齢は四百年ほどだが、文下のケヤキと同じく根元はすっきりとしている。ただ、大きく斜めに傾いだ幹から四方八方に太い枝を広げている姿は、どことなく科(しな)を作った熟女のような艶っぽさを感じてしまう。敢えて云うならば、「横膝に崩した着物の裾から覗く白いふくらはぎが眩しく、片手を付いてそっと目元に指先を沿わす日本髪を結った芸者の風情」とでも云おうか。

 そうこうしているうちに酒田の町外れへとやって来た。思えば五月の連休の最中、いきなりあかべこGSのクラッチロッドがポキンと折れて立ち往生した場所である。
同じ場所に亀仙人12Cを置いて思い出の写真とした。当時はくっきりと見えた鳥海山も、低く垂れ込めた雲に隠れて拝むことはできない。今だに直ってこないあかべこに心を馳せながら、亀仙人に鞭を呉れてやると海岸通りをのんびり二桁の中位で走らせた。

 遊佐町の吹浦海岸、鳥海ブルーラインの入口に「十六羅漢」がある。解説には「現曹洞宗海禅寺、二十一代目の石川寛海大和尚が、日本海の荒波の打ち寄せる奇岩の連なる数百メートルに点綴(てんてつ)して刻んだ十六羅漢がある。」と、まあ、江戸時代の終わりから明治初年にかけて、僧侶がこつこつと海岸の岩に仏像を彫り刻んだのだそうな。釈迦牟尼佛や普賢菩薩、文殊菩薩、観音菩薩などは耳にするが、他の十
六羅漢の名前がチュダハンタカ尊者、ピンドラパラダージャ尊者、パジャラプタラ尊者、カナカバッサ尊者、パダラ尊者とかいう名前を見ると、どうにもオウム真理教の信者たちの名前を思い浮かべてしまう。尤も、これらの尊者の名前からとったのかもしれない。罪な事をしたものだ。仏陀の弟子の名を騙る不届き者ではないか。羅漢とは仏教の修行者で悟りを開いた者であり、阿羅漢(Arhan)なのだ。

 そんな俗世間の悪事を見ていたのだろうか、二十二体の仏陀と羅漢の像は打ち寄せる荒波を背に、静かに瞑想しているように見えた。

 日本海の荒波が打ち寄せる羽州浜街道、国道7号線をただひたすら北上し続けた。
時折、草むらに隠れた変なオジサンがレーダーを向けてきたが、見ない振りをして通り過ぎた。また、白と黒のツートンカラーの車がぴったりと後ろに付いてきたが、しっかりと二桁中位の速度を維持して景色を楽しんでのんびり走っていたら、何も云わずに立ち去っていった。

 八郎潟の東岸は一桁国道で、また白いバイクに出くわすとも限らない。天王町から西岸の大潟村を通る県道に回り、広大な埋立地を横目に三桁速度ですっ飛ばしてしまった。


<不老不死で千年生きるかも>

 能代の南で7号線と別れを告げ、五能線と共に海岸縁の三桁国道を更に更に北上する。右手を見れば遙か白神の峰々が連なり、緑成すブナの森が山肌を覆っている。左手を見れば日本海の青き海原が水平線まで広がり、打ち寄せる波しぶきが磯を洗っている。海が美しければ山も美しい、山が豊かなれば海もまた豊かになる。母なる海と父なる山の森に抱かれた道を走っていると、命の原風景を見るような気がする。その
所為かどうか分からないが、黄金崎の不老不死温泉にふらりと立ち寄った。
「あのう、温泉だけ入ってもいいですか?」
「はい、どうぞ。あの波打ち際の露天風呂です。」
若い女将さんがニッコリ笑って応対してくれた。
「不老不死の温泉に入ってるんだから、ひょっとしてアナタは100歳越えてるの?」
「はい、みなさんにそう聞かれます。」
さらりと受け流されてしまった。そうとう強かな千年比丘尼に違いない。
タオルを一本ぶら下げて露天風呂に向かった。囲いの向こうに浴槽があるのだが、右手は婦人用、左手は混浴と表示してある。ちょっぴり期待して混浴を覗き込んだが誰も入ってはいなかった。茶色く濁った鉄錆び温泉のようだ。40度弱の温めの湯だが、長く浸かっていられる適温だろう。湯口からがぼがばぼこっぼこっと茶色い湯が迸っている。湯の中に手を沈めて見ると5センチ程で見えなくなってしまった。ちょろっと嘗めてみる。錆び臭い塩味がした。塩化ナトリウム泉のようだ。つまりは海水が温められて地中の鉄分を酸化させて錆となって出てきているのだ。海からは盛んに波が打ち寄せて、ほんの2mほどの所まで来ている。波の荒い時は海面下に没してしまうのだろう。しばし、温泉でまったりしているとやがてぐったりしてしまった。のったりくったりと気怠い身体を千年比丘尼のところまで運んでいった。
「あのう、温泉入ったらぐったりしちゃったぁ。今晩泊まれますかぁ?もうどこにも行きたくないもん。」
「はい、いいですよ。上の新館にしますか? それとも、この旧館にしますか?」
「アナタのいる旧館がいいな。」
「ふふふ、じゃあ、八千円と1万円とがありますが・・・」
「ああ、八千円でいいです。」
またまた軽く受け流されてしまった。これは、そうとう強かな比丘尼のようだ。いろいろボケたりツッコンだりしてみたが、ひらりひらりと躱されてどうにも暖簾に腕押し糠に釘状態で、若女将との間の内堀は結局埋まらなかった。潮騒が聞こえる大食堂で、海鮮料理満載の膳をぺろりと平らげ、部屋に戻ったが、旅の疲れも手伝って、早々に夢の中へと誘われて行った。

 心地よい目覚めは夜明けと共に訪れた。窓から海の方を見ると、浴衣を着たご婦人方が露天風呂に向かって歩いている。婦人用に行くかと思ったら、迷わず混浴の方に入ってしまった。早朝の岩場の温泉に浸かってはしゃぐトドとセイウチの群が、部屋の窓からよく見えた。そこで、ゾウアザラシも乱入すべくタオルを持って出ようとしたのだが、玄関の自動ドアは施錠してあって開かない。仕方なく内風呂の扉を開けて入ると、老いたゾウアザラシが先に入っていた。
「ははは、玄関の戸、開かんでしょ。ワシもさっき出られんかった。」
どうも♂のゾウアザラシの考えることは同じらしい。三十分ほどして内風呂から上がり、玄関に出てみると、戸が開いていた。早速草履を引っかけて露天風呂に向かう。


潮風に浴衣の裾がぱたぱたと靡く。いそいそと脱衣場に入ってふと湯船を見ると、五,六頭の♂のゾウアザラシが一斉に顔を向けたが、すぐに失望の色をありありと浮かべて海の方に向き直ってしまった。何だか悲しい愚かなオスの性を見てしまったようで、湯に浸かる群の中に沈黙の波がひたひたと漂っていた。

 

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