亀仙人、秋の彩りに謳う
平成15年10月
by 古森 雲雄<ベベパパ>
<黄金の彩り>
阿武隈路のかつて通った道を、数年ぶりに走ってみた。
時期は同じ頃の筈だが、全く違う顔を見せていた。
道の行く手には、黄金色の稲穂が広がり、刈り取られ、干されている。
いつもの風景なのだが、いつでも新たな感情が湧いてきて、豊かな実りに感動を覚える。
黄金の国ジパングの原風景は、日本人の心の原風景なのだろう。
茨城から福島に跨る国道349号と福島のいわきから始まり山形に至る339号は、阿武隈山地を縫うように通っている。
初春の新緑の美しさもさることながら、秋は広葉樹の混交林が織りなす錦の彩りが鮮やかに映える。
あぶくまの綾錦を縫って走っていると、いつしか万華鏡の中にいるような感覚に陥る。
路傍に一際華やかな彩りの花を見つけた。
農婦がひとりにこやかに花たちを眺めている。
立て札があって、近くの農家が植えたダリアの花壇らしい。
園芸種のダリアで、多様な交配によっていろいろな花の顔を持っている。
色の違いは当然ながら、その花弁の形の多様性には驚かされる。
「みだれ髪」と名付けられたダリアに至っては、まさに強い寝ぐせのついたカーリーヘアとしか見えない。
別の花に目を遣ると、きちんと整髪された日本髪の如く、また、あるものは幾何学模様の如く、葉を見れば同じと分かるものの、花の顔は千差万別の表情を持っている。
いつまでもダリアに夢中になっているオヤジに呆れてか、農婦はどこかへ行ってしまった。
小川の傍に鮮やかな黄色い木立を見つけた。
甘い香りの一嗅ぎで「カツラ」と分かる。
カツラの落ち葉が分解するときに、葉に含まれるマルトールという成分が実に甘ったるい香りを出す。匂いだけで虫歯になりそうだ。
水辺を好むカツラだけあって、渓流の中に深く根を下ろしている。
見上げると、丸っこいハート形の黄色い葉が、太陽の光を透かしてステンドグラスのように美しい。
秋に黄色い葉を繁らすカツラであるが、春には真っ赤な小さい花をほんの少しの時間だけ咲かせる。いずれの色も一番輝くのは、一年の内のほんの一瞬に過ぎない。
どんな木々もどんな花も、必ずや一番光り輝く時がある。
それらは時の雫の滴るリズムに合わせて輝く。
だが、悲しいかな人は皆、一生のうち必ず輝くとは限らない。
若くして花咲く人あらば、年老いて花咲く人もある。
ある人はいつまでも花を開いているのに、あれ、もう散っちゃったの?という人もある。
中には蕾のままで一生を終える人もいる。
木や花の世界とは違い、人の世はかくも移ろいゆくものだろうか。
花の彩りが羨ましい。
岩代町に「杉沢の大杉」という巨木がある。
全国の杉の中でも屈指の美しい樹形を持つ。
真っ直ぐに伸びて先の方にだけ梢がある杉は、人の手によって作られたもの。
自然のままで育った杉は、気候風土によって様々に形を変える。
この大杉は、殆ど人の手が入らなかった為に本来の美しい姿を目の前に現している。
美しい木の姿とは、自分の力で長い年月を生きてきた姿であろう。
枯れたから、折れたからと根元から大きな枝を切り落とされ、不必要に伸びた枝に支柱を立てられて余計な養分を送る為に幹を細らせている。
木は自分たちの知恵で枝を落とし葉を落としてバランスを保っている。
人が保護保全と称して枝を切り、支柱を立て、樹脂を充填するのは、本来の木の生き方を阻害しているのではないか。
「自然」を「美」とするなら、「生き抜く」のも「美」であり、「朽ち果てる」のも「美」なのだ。
人間が、自然に対して何もしないことが、美しさを保つ秘訣なのかもしれない。
茨城から福島に入った辺りから、稲を干す風景に変化が現れ始めた。
以前から気になってはいたのだが、関東地方や中部地方から西の方では稲の干し方が横に渡した竿に掛けて干してある。
新潟など大規模な稲作地域では横に掛ける竿を何段にも積み上げて掛けてある。
ところがみちのくの福島から北の県に入ると、一本の立てた竿の周りに積み上げるように干してある。
広い田圃の中に整然と並んで、蓑を着て佇んでいる風に見える。
稲の干し方にも、それぞれの地域性が出ているようだ。
まだ、刈られていない稲穂が夕陽に映えて黄金色に輝いていた。
<蔵王のお釜>
米沢のホテルを夜明けと共に出立した。
辺りは朝霧が立ちこめ、20mほど先は白い帷に包まれていた。
蔵王に登れば雲の上に出るのではないだろうか。
淡い期待を胸に曖昧な方向感覚で走っていた。
霧の中に道標を見出すのは一苦労だ。
細かい水滴がヘルメットのシールドに付着して、さながら曇りガラス越しに見るが如し。
何度も手で拭いながらトロトロ走っていると、バックミラーにいきなり巨大なトラックの顔が迫ってくる。慌てて加速して難を逃れるものの、今度は前方にヌッと車のお尻が現れる。
地元の車なのか、慣れているとはいえ無灯火で走られては危険極まりない。
何とか蔵王の登り口を見つけて、一気に駆け上がっていった。
ほんの数キロ走っただけで霧が晴れ、視界が明るく広がった。
路傍にはススキの穂がそよぎ、ナナカマドやヤマウルシが紅く葉を染めている。
更に高く登るとブナやミズナラ、カエデなどが黄色く輝きを放っている。
ふと今朝方出てきた米沢方面を望むと、霧に包まれていた街は白い雲海の底に沈んでいた。
青い山並みの間に広がる雲海は、秋の色をより濃く際だたせている。
蔵王のお釜を見ることができそうだ。
「お釜登り口」とあるが、リフトはまだ動いていない。
時間はまだ七時、九時からの営業を待つわけにはいかない。
横の登山口からリフト沿いに登り始めた。
馬鹿でかいライダーブーツは山登りには適さない。
中で足が滑って動くものだから、踏ん張りが利かないのだ。
30分ほど登って汗の小一升もかいたところで、ようやく尾根に辿り着いた。
すると、何やら軽装の女性が歩いてくる。
来た方向を見遣ると、何とほんの200mほどの尾根に車で来られる駐車場があるではないか。
へなへなと足腰の力が抜けてしまった。
しばらくして気を取り直すと、「お釜」の方に下りていった。
以前見た草津白根の湯釜は、青白く妖しい色の水を湛える火口湖だったが、眼前に現れた「お釜」は、青緑に澄んだような湖面だった。
空の色を映している訳でもなく、水そのものの色のようだ。
自然にできた火口湖は、そのままで美しい。
まさに絵になる風景といえる。
しばし額縁のない自然の絵画を楽しんだ。
再び汗にまみれて山を下り、バイクの所まで戻った時には、両の膝小僧が満面の笑みを浮かべていた。
よろめく足取りで鉄馬に跨り、鞭を入れる。
ちょうどお釜の裏手になるところへ回り込むと、小さな滝と見事な紅葉が広がる谷があった。
火口湖の水が小さな滝となって流れ出しているのだろうか、色鮮やかな紅葉に覆われた谷間は、まるで錦絵を見ているようだ。
展望台に群がる人々の口からは、感嘆の声が漏れ続けていた。
いつまでも眺めていたい美しい風景に後ろ髪を引かれながら、蔵王を駆け下りていった。
<栗駒>
栗駒の街で、熊の肉入り蕎麦を食した。
少し臭みがあるが、やたら脂身の多い肉ではある。
その脂の浮いた汁がいつまでも熱い。オヤジが云った。
「熱いから気を付けてくださいよ。なかなか熊の脂は冷めないからね。」
実に保温力が強いのか、蕎麦を食べ終えても汁を飲むことが出来ない。
「40分は熱いままでいるよ。」
なぜかパンを囓りながらニコニコ笑っている蕎麦屋のオヤジは、冬場にはマタギをやっているとのこと。
自分で撃った熊の肉を店で出しているのだそうだ。
この脂の保温力があるからこそ、厳しい冬の寒さに耐えて冬眠できるのだろう。
「この丼一杯で40分だから、熊の体だと4ヶ月保つんだね。へぇ、大したもんだね、熊の脂って・・・。」
体脂肪率50%以上の熊に感心している体脂肪率29%のオッサンだった。
もう少し太れば冬眠できるかもしれないと思いながら・・・。
栗駒山の裾野を回り込んで平泉から衣川に差し掛かるところで、「菊の滝」という案内看板が目に入った。
昔、平泉全盛の頃は、高さ11m幅8mの立派な滝で、周りに高い岸壁や奇岩があって、菊の咲き乱れる頃はそれはもう見事な風景だったそうな。
だが、今は浸食されて低くなり滝壺の方も埋もれて、昔の面影はなくなってしまった。
それでも、淀みを覗くと沢山の小魚が泳ぎ、流れ込む水流で沸き上がる泡の中に遊び戯れていた。ところどころ自然に穿たれた岩の穴の中で小さな渦が巻いている。
緩やかな水の流れは、激しい戦乱の時の汚れを洗い流すかの如く、穏やかな表情を湛えていた。
<人間のカス>
この数年、バイクの仲間内で密かに広まっている行事がある。
奥花巻温泉郷の大沢温泉で、終日のたりのたりと過ごし『人間のカス』になることだ。
敷きっぱなしの布団にくるまり、惰眠を貪り、適当に食べ、大いに酒を飲み、温泉に浸かってまったりと過ごし、布団にくるまりたわい無い話に笑い転げて惰眠を貪り、食べ、飲み、浸かり、眠り、食べ、飲み、浸かり、眠る・・・という、柵に雁字搦めにまとわりつかれた社会生活から脱却して、原始的生活を満喫するのだ。
ついに年中行事化してしまい、『人間のカス』願望の参加者は年々増加の一途を辿っている。
尤も、下戸の人間は、「飲む」と「食う」の時間に、カスたちのエサを「作る」という作業が加わるのだが・・・。
それでも今年の『人間のカス集会』では、人数の多さと天候の良さもあってか、カスになりきれない人間が多かったようだ。
思い思いの時を過ごし、秋の彩りを満喫してやってきた者あれば、全く釣れない釣行でマシントラブルに見舞われヨレヨレになってきた者、途中で事故に巻き込まれ、新車を田圃に転がしてボロボロになってやって来た者、それぞれが『人間のカス』という心の安らぎを求めて大沢温泉に集い、しがらみを忘れてわずかな時間を楽しむのだ。
何にしても、時の雫は規則的に止まることなく滴り落ちる。
その時の軸にぶら下がって生きるものは、均等なバランスを保たなければならない。
相対的な時のバランス、それは緊張と緩和、社会生活とカス生活、人が自分の意志で行える範囲内のバランスが重要なのだ。
そのバランスを失った時、本当の人間のカスになってしまう。
あくまでも「人間のカスごっこ」であることを忘れずにいれば、実に有意義な年中行事ではないだろうか。
ただ、本来の「人間のカスごっこ」には、雨という気象条件が必要のようだ。
その必須条件を大雨男は行事終了時にもたらしてしまった。
「雨雲をどっかに持っていってよ。」
そんな仲間たちの非難の目線を浴びながら、ひとり逆方向に走り去っていく寂しい雨男の姿があった。
<雨の彩り>
みちのくの山の彩りは、雨に洗われるとよりその鮮烈さを増す。
奥花巻温泉から更に奥へ進むと和賀山の懐深く入り込む。
ヤマモミジやハウチワカエデ、イタヤカエデやミネカエデなど、モミジやカエデの数多い種類の紅葉が、それぞれ独特の彩りの変化を見せつけるかのように掌を揺らしている。
黄色い縁取りで緑の葉を囲むおしゃれなカエデが誇らしげに立っているかと思えば、カツラが黄色いハートを高鳴らす。
トチノキが巨大な黄色い団扇で風を起こせば、ブナやミズナラがギザギザの小さな落ち葉を舞い散らしている。
いつまでも、どこまでも、眺めていたい錦の絵巻物が道の奥へと続いていた。
和賀山から南下して湯田の里を越え、筏の村落に入ると、秋田杉の巨木「筏の大杉」が聳えている。
樹周11m以上の千年杉だが、最早樹勢は衰え、余命幾ばくもないように見える。
人の世の移り変わりを見続けてきた老樹が、最後の力を振り絞り、天に向かって双手を突き上げているかのようだ。
そこには命の尽きる最後の瞬間に光り輝く「滅びの美」がある。
横手から本荘を回って象潟にかかる頃には、またもや霧の帷が下り始めた。
鳥海山の紅葉を愛でようにも、白い御簾内にては能わず、麓の海辺で「十六羅漢」に見えることと相成った。
鈍色の空の下、打ち寄せる白波に洗われて、羅漢像は静かに座している。
人の命の移り変わり、木々の彩りの移ろい、それら時の移ろいを見つめる彼らは、未来がやがて過去となり、生あるものの滅び行く様を、ただ慈悲の目で見つめている。
我々衆生の生き物は、ひたすら「今」という時を刻み続けていくしかないのだろう。未来への夢を抱いて・・・。
<晴れた美空のもとで>
鶴岡のホテルで一晩過ごし、翌朝表に出ると有り難いことに雲間から陽が射していた。
天気図では全国的に雨模様ではあったが、日本海沿岸は辛うじて晴れ間が見えていた。
「笹川流れ」を眺めながら走っていると、海はかなりの荒れ模様で、白波が渚に打ち寄せていた。
道沿いに一軒の小屋があって、「藻塩」と大書してある。
塩の専売がなくなってから、少しではあるが各地で昔ながらの塩作りが復活している。
能登や瀬戸内の揚げ浜式塩田では、砂浜に海水を撒いて天日で乾かし、それを集めて更に上から海水を掛け、濃い塩水(かん水)を作る。
それを煮詰めることで塩をとるのだが、その鹹水(かんすい)を作る段階でいろいろ手法が異なってくる。
藻塩は砂の代わりに海藻に海水を掛けて乾かし、何度も繰り返して海藻に白く結晶が付いた段階で、また海水に漬けて鹹水を得る。それを煮詰めてできるのが藻塩なのだ。
その際、海藻の成分が塩水に溶けだしているので、ヨード塩などと銘打っているが、ヨー化塩(ヨー
化ナトリウム)とは全く別物であることを心に銘記すべきだろう。
というより、紛らわしいのでヨード塩とは呼ばない方がいい。
あくまでも『にがり』に含まれる成分であって、塩の結晶は無垢の塩化ナトリウムなのだ。
それでも、JTのイオン交換膜で作った精製食塩より、味がまろやかで甘い塩ではある。
最近、にがりが花粉症に効くと報じられていたので、粗製海水塩化マグネシウムなる天然にがりと藻塩を購った。
村上から黒川、中条を通って内陸部を走っていると、次第に空を覆う雲が多くなってきた。
新発田の街中を抜けて栃尾に向かう途中で、『いい湯らてい』という温泉施設に立ち寄った。
各地に日帰り温泉施設が林立しており、温泉旅館やホテルが軒並み営業不振に陥って倒産が相次いでいる。
温泉がないところでもスーパー銭湯という大型浴場ができており、風呂好きには好都合ではあるが、昔からの温泉街が寂れている現状を見ると、何だかやりきれない思いがする。
熱海など、大通りに面した巨大なホテルが殆ど潰れて廃墟の街になっている。
貫一がお宮を突き飛ばして、富山の金剛石(ダイヤモンド)にかわり、「世の日帰り温泉に目が眩んだか。」とでも云っているように見える。
「ねえ、いい湯らていの『らてい』ってどういう意味?」
と、受付のお姉ちゃんに問うた。
「ああ、えーっと、方言でぇ、ですよ、とか、だよ、っていうことです。」
「あぁ、じゃ、『らてい』っていうのはものの名前じゃなくて、いい湯だよ〜ん、っ
ていう話し言葉な訳ね。」
「え、あ、うん、まぁ、そ、そうですね。」
どうも回りくどい解釈の仕方に戸惑ったような返事だった。
湯上がりの火照った頬に心地よい秋風が当たる。
道の脇にはススキが大きく開いた穂をうち振っている。
小出から17号に入ってしばらく走ると、浦佐駅前に銅像のおじさんが「いよっ」と手を上げていた。
田中角栄先生の見下ろす広場で、そそくさと合羽を着込む。
ぽつぽつと降り出した雨は、やがて大粒の雨となり、湯沢から三国峠を越える頃には土砂降りになっていた。
どんな時でも、どこへ行っても、雨雲に付きまとわれる運命の旅人。
時の雫が雨の滴を伴って、身も心も潤しているのか、はたまた、闇雲に雨雲が頭上に滞って、人生の道を滑りやすく濡らしているのか、いずれにせよバイクがバランスよく走るのと同様に、人生もバランスよく歩まねばと心に念じる旅人である。
一週間のバイクの旅の後、一週間病床に伏して布団の海に溺れていた。
「カスごっこ」をしに行ったつもりが、本物のカスになってしまったようだ。
それでも、愛猫は優しく枕元で添い寝をしてくれていた。
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