あかべこ日記
「亀仙人、秋の峠に憂う」
平成15年9月
by 古森 雲雄<ベベパパ>
<初秋の道>
遅ればせながらやって来た夏の日差しが、季節の順列を狂わせているように思える。
連日の熱帯夜で寝苦しく、汗に濡れたシーツの海で一晩中溺れていた。
そのため寝不足が続き、昼間から睡魔がたびたび訪れて、脳裏に行燈を灯す状態になっている。
何をするにも無気力になりがちで、体調も思わしくない。
ここは、ひとまず避暑を兼ねてバイクでかっ飛ばすに限るようだ。
亀仙人BMWR1200Cに、今回初めてのAVON VENOM-Xというタイヤを新調してみた。
ネーミングは「毒液-X」という怪しいものだが、ロゴマークがカッと牙をむいたコブラなのだ。
見るからにおどろおどろしいタイヤではある。
まずは混雑する関東平野を抜け出すべく、横浜青葉インターから東名高速に乗り、100キロをキープして流す。
最初乗り出した時は、やたらと硬い印象があったが、高速で走る分にはさほど気にならず、かえってしっかり路面に食いついたコブラの如く安定感があるようだ。
タイヤノイズも殆ど気にならない程度で、レーンチェンジも軽く膝と腰を動かすだけでスパッとこなしてくれる。
あまりの好感触に、つい口元が綻んでしまう。
日差しは強いが高速の風は心地よく頬の肉を震わせていた。
中井から足柄までのワインディングでは、少しアクセルを開けて攻めてみた。
微塵の不安もなく車体をバンクさせて滑らかにラインをトレースしてゆく。
右に左にひらりひらりと高速で切り返してゆくが、路面の継ぎ目での車体のぶれも無く、Rのきついカーブでもアクセルワークひとつで敏感に反応する。
視点を曲がってゆく方向に置くと、すっと適正なバンク角度を保って走り抜けてくれる。
富士インターで下りて、トラックの多い国道1号は避け、並行している県道を行く。
人通りも少ない商店街を抜けると、由比で1号バイパスに合流する。
トラックばかりだが、かなりの速度で流れており、並行する高速道路の車より速く走っていたようだ。
寸又峡方面に向かうべく、地図を見ようと適当な所でバイパスを下りたら、偶然にも図星の麻機街道の入口だった。
国道362号は以前通った道なので、未知の県道29号を目指す。
安倍川沿いにしばらく走っていたが、この川も大井川と同じく荒れた川のようだ。
河川敷には土砂と岩が広がり、川とは云うものの水の流れが殆ど見当たらない。
端の方に辛うじて細い流れがあったが、水量は見るからに乏しい。
油島から県道27号に分かれ、中河内川を渡ったところで路傍に時間制限通行止めの看板が目に入った。
この時期、どの道路も工事ばかりしている。
仕方なく西河内川沿いに急峻を駆け上る県道189号に向かう。
安倍川の支流だが、数キロも行かないうちに山間の渓流に変わる。
身延山地から赤石山脈に至る山々は急峻迫り来る険しい岩山が多い。
フォッサマグナの南端地域にあたり、地質的にも海洋性のレキなどの堆積層に火山性の堆積層が入り組んでいて複雑な地層を形成している。
だから、脆い地盤の山間を縫って走る道は、まさに危ない橋を渡るが如くに、至る所で危険を孕んで
いる。
一旦大雨などが降ると、それこそ崖崩れが多発してしまうのだ。
井川ダムあたりまで一気に標高1000m近くまで駆け上がる。
細い山道の沿道には、植林された杉林に始まって、ミズナラ、カエデなどの落葉広葉樹を含む雑多な樹種の木々が樹林を作っている。
初秋の日差しを遮って、路面にコントラストの強い木漏れ日を落としていた。
そうなると路面の情報が読みにくく、ぎゅんぎゅん倒し込んで走りながら、時折暴れるステアリングに驚いて悲鳴を上げてしまう。
以前履いていたM社製やB社製のタイヤでは、とかくコーナリング時に、くにゃっと腰砕けのようになって冷や汗を流した事があった。
だが、このAVONの「毒液-X」は、重量級のバイクの度重なる強引なスラロームにしっかり踏ん張ってくれる。
しかも、サイドウォールの硬さが程良い蹴っ飛ばしをコーナーの路面にくれてやるのか、実にリズミカルな切り返しがひょいひょいとできるのだ。
コーナーの立ち上がりにアクセルをぐいっと開けると、強烈なトルクがタイヤに加わるにも関わらず、コブラがしっかりと路面に噛みついてグイグイと加速してくれる。
楽しい気分で、心おきなく曲道を駆け上がっていった。
富士見峠でトイレ休憩を済ますと、いくつかのトンネルを抜けて井川ダムに出た。
大井川の源流にあるダムだ。
いつの間にか、西河内川の源流を追い抜いてしまった。
そこは、中部電力の発電ダムで、大井川流域では最大のダムらしい。
堰堤の上から見下ろすと高所恐怖症の人間はめまいがしそうだ。
一瞬、くらっときたついでに、ひょいとタイヤを見ると、ショルダー部分に彫り込んであるコブラのロゴマークが、うっすらと消えかかっている。
まだ、300キロほどしか走っていないのにもう消えるとは、少しコーナーを攻め過ぎたようだ。
ダムから数百メートル行くと、ミニ列車の駅があり、土産物の店を兼ねた小さな古びた食堂があった。
暖簾をくぐると、お婆ちゃんが二人テレビを見ていた。
傍らでは、おでんが旨そうな匂いを漂わせている。
「はい、いらっしゃい。」
「はぁ、おなか空いたぁ。んとねぇ、あ、椎茸丼って、甘辛く煮た椎茸がのってるの?」
「はい、そうですよ。」
「じゃ、それもらおっと。それと、このおでん美味しそうだからもらうね。」
と、四角い鍋からおでんを皿にとろうとした時だった。
「バーン!」
テレビで、いきなりビルの爆発シーンが映し出された。
「うわっ!びっくりしたぁ、なんじゃ、あれぇ?」
まさに、名古屋のビル立て籠もり事件で、中継中の爆発があった瞬間だった。
「うわぁ、うわぁ、うわぁ・・・」
と、言葉にならない声を出しながら、おでんと椎茸丼をパクついていた。
モツとコンニャクと大根と薩摩揚げと昆布にはしっかりと出汁が染みていて、なかなか旨い。
椎茸丼には、ゴボウとピーマンの天ぷらとタケノコとニンジンの煮付けものっており、ちょっと甘めの味付けが素朴な風合いを醸し出して美味であった。
井川から寸又峡に行くには接阻峡を経由するミニ列車の線路沿いを走るしかない。
極端に狭い道を、落石や苔を避けながら走っていた。
途中で峡谷を見下ろすと、井川ダムの高さとは比べものにならない深い谷が眼下にあった。
またもや、くらっと来たが、気を取り直して走り続ける。
接阻峡にある閑蔵(かんぞう)駅のところからようやく2車線の広い道路になる。
バイクを降りて閑蔵駅周辺を歩いてみると、少し高い場所の小さな墓が目に入った。

『ネコ之墓』
ポツンと草むらの中にあるネコの墓は、寂しい山村に住む人々の優しさを象徴しているようだ。
人気のない駅の周辺には、椎茸のホタ木が並んでいる。
錆の浮いた線路の行く手には暗いトンネルがぽっかりと口を開けていた。

しばらく走ると、やがて新しく出来た長島ダムの開けた場所に出る。
ちょうどミニ列車が離合するところで、紅白に塗り分けられた可愛い客車には大勢の乗客が乗って
いた。

バイクで旅する人間には羨ましい気持ちがある反面、閉所&高所恐怖症の自分にとってはおぞましい乗り物でもある。
長島ダムの堰堤から谷底を見下ろすと、三度(みたび)くらっときてしまった。
怖いのなら見なければいいのに、怖いもの見たさでついつい見てしまうでっかい体の小人なのだ。
やがて寸又峡温泉方面に道が分かれ、これまた結構な曲道をぐいんぐいん倒し込んで駆け抜けていく。
行き着くところには寸又峡温泉郷の大きな駐車場があり、奥の事務所で公共浴場の場所を尋ねた。
『美女づくりの湯』と、銘打った露天風呂を目指して温泉街の中を行く。
街の一番高まった所にその露天風呂はあった。

細い丸太を組んで仕切ってあり、入り口に入場券の自販機が置いてある。
道の反対側にあるベンチにお爺さんがひとり座っていた。
100円玉を4枚、投入口に入れながら声を掛けてみた。
「男だけど、この温泉に入ると美女に変身できるの?」
「あぁ、美男になれるずら。券をそこの函に入れてくだせぇ。」
どうやら、温泉の管理人だったようだ。
男女別の浴場で、狭い脱衣場を抜けると直径4mほどの丸い岩風呂が設えてあり、少し白濁気味の湯が二本の竹樋から滔々と流れ落ちている。
二人の先客があったが、互いに無言で岩に腰掛けていた。
かすかに硫黄の匂いが漂い、見上げると半透明の屋根から差し込む光で明るく、遠くにやや紅葉しかかった山の木々が薄く霞んで見えた。
少し熱めの湯が、秋風で冷えた肌に心地よい。
十分温まったところで、地図と相談を始める。
時間も午後4時近く、山間の日暮れは早い。
とりあえず来た道を井川まで戻り、更に北上して山伏峠を越え、身延まで出ることにした。
国道まで出れば、日が暮れても何とか走れる筈だ。
何しろ近眼乱視老眼で視力が衰えているため、見知らぬ道のナイトランは極力避けるようにしている。
ミニ列車の線路沿いの道をすいすいと走り抜け、ダム湖の畔を軽快に走っていると、対岸に架かる吊り橋が目に入った。
地図で見ると山伏峠への近道のようだ。
バイクでも通れそうだからと恐る恐る渡ったが、ゆらゆら揺れる橋は怖い事に変わりない。
斜面に植え付けられた茶畑の中の小径を行くが、次第に細く険しくなってきて、最後は泥濘の山道になってしまった。
近くにいたお婆ちゃんに問うた。
「この先、山伏峠の方に抜けられますか?」
「あぁ、やめた方がええ。あっちの吊り橋渡って、向こう岸の道を行きない。」
「はぇ、またあの吊り橋渡るのかぁ。」
やはり地元の人の言葉を信じるしかない。
とって返すと、再びゆらゆら揺れる吊り橋を渡り、元の道を湖水の奥に進んだ。
そして、山伏峠に続く林道の入口のゲートに、無情な張り紙を見た。
『山梨県側通行止』
ここまで来て通せんぼうを食らってしまった。
がっくりと肩を落とし、引き返すものの走る速度もがっくりと落ちていた。
人気のない村落を抜ける途中にオートキャンプ場があったが、生憎日帰りのつもりでキャンプ道具は積んでいない。
案の定山里の日暮れは早い。
夕闇が迫り来る湖畔の道をたらたら走っていると、『簡易旅館』の看板が目に入った。
急坂を逆落としのように下りて玄関先に立つと、奥から若い女将さんが出てきた。
「何かご用ですか?」
「ご用って、いや、こんな時間になってすみませんが、泊まれますか?」
「はあ、私じゃ分からないんで、ちょっと聞いてきます。」
と、外に出ると畑の奥の方に行ってしまった。
しばらくすると、お婆ちゃんと一緒に戻ってきた。
どうやらお婆ちゃんが旅館の主のようだ。
「すみませんねえ、休みの後でお客さんがいないから何の用意もできないですけど・・・。」
「あ、いいんですか? 泊めてもらえますか?」
「はい、すぐにお部屋を準備しますね。」
「よかった、雨露さえ凌げればいいんですよ。」
その夜は、家族と同じメニューの夕食にありついて早々に床に就いた。
昼間の暑さに比べて極端に気温の下がる夜中には、寒さで何度も目が覚めてしまう。
結局、巨大な胎児のように丸まった物体が煎餅布団に転がっていた。
<うつろいの道>
湖畔の朝は、しっとりと冷たい風が吹いていた。
人影の見当たらない山里を遠慮がちにエギゾーストノートを響かせて通り抜ける。
井川ダム堰堤を過ぎる辺りから、再びアクセルを煽り曲道をひらりひらりと舞うように駆け抜ける。
安倍川沿いまで戻るのに同じ道を行くのはつまらないと、口坂本温泉経由の県道27号に入り込んだ。
それが、その日出くわす苦難の道程への導入だったとは・・・。
少々荒れた簡易舗装の道を下っていると、いきなり前方から道幅いっぱいの巨大なダンプカーが上ってきた。
方やそそり立つ岩壁、此方ガードレールの向こうは切り立った崖、後退はできないので、岩壁のくぼみにバイク共々身を寄せてダンプをやり過ごす。
足元ぎりぎりの所を巨大なタイヤが砂利を踏み砕いて転がってゆく。
何もこんな細い道を通ることはないだろうと、ぶつぶつ不平を言いつつ、再び道を下り始めるが、路面には至る所に砂利が浮いており、舗装が捲れ上がっていた。
そうなると軽快にひらりひらりとはいかず、ややへっぴり腰になりながらバイクを走らせる事になる。
1000m近い急峻から一気に下るだけあって、傾斜はかなりきつい。
何とか口坂本温泉の山里に入ったものの、朝が早すぎて温泉の営業もしていない。
朝風呂は諦めて、そのまま走り続けた。
すると、いきなり道の真ん中にバリケードが出現した。
『時間制限通行止』
前日、中河内川を渡った所で見た看板の工事箇所だったのだ。
峠まで引き返して、また下るのは相当の時間がかかってしまう。
バイクなら通れるかもしれないと、バリケードを通り越して数百メートル行くと、巨大なショベルカーが道幅いっぱいに陣取って土砂を掻いていた。
運転していた若い作業員が、呆然と佇むバイクを見て降りてきた。
「時間制限で9時からは通すなって云われてるんですよねえ。」
「でも、峠から下りて来たけど、何の看板も無かったよ。」
確かに、下から上がってくる車に対しては看板が出ていたが、上から下りてくる車など無いと思っていたのか、何の案内も無かった。
時計を見ると9時10分だった。
「それに、まだ10分しか過ぎてないし、ここから峠まで引き返せっちゅうのもあんまりじゃない? それに、バイクだからちょっとの隙間で通れるよ。」
「じゃあ、今回だけですよ。先のバリケードを避けたら、ちゃんと元に戻して置いてくださいね。」
不満そうな表情でお兄ちゃんは云った。
舗装を捲られてキャタピラーの跡がくっきりついた道をえっさほいさと通り、ガードレールとキャタピラーのちょこっとした隙間をすり抜けた。
云われたとおりにバリケードを避けてきちんと元に戻し、再び舞うように走り出す。
ほんの1キロほど走って、看板のある橋の所に出た。1キロ手前には看板は出しても、10キロも先の峠の入り口には出す必要はないのだろうか。
事業者としての怠慢だと思えるのだが・・・。
再び安倍川沿いの道を、今度は上流の梅ヶ島温泉方面に向かう。
途中の有東木(うとうぎ)という所で、路傍に多くの幟がはためいていた。
『わさび栽培発祥の地』とある。
何となく気になって、県道からの脇道を上ってゆくと、山間の斜面にこぢんまりと茶畑と山葵田が広がっていた。
解説によると、およそ400年前の慶長年間の頃に、有東木の村人が渓谷一面に自生しているわさびを採って、湧水地に試しに植えたのが山葵栽培の始まりだと伝えられている。
そこから全国に広まったというのだ。
思わぬ所で、歴史的な場所に出くわした。
更に、山里の奥に入ってゆくと、白髭神社に大杉が10本ほど聳(そび)えていた。
樹齢は720年ぐらいと記してあり、この地に人が住みついたのが500年ほど昔のことで、元々自生していた杉らしい。
年輪を見たのか、同じほどの太さの切り株があった。
ということは、この地一帯の自生していた杉を切り開いて茶畑を作り、山葵田を作ってきたのだろう。
偶然に歴史的事実を知って、へぇ〜へぇ〜を連発しながら、山里を駆け下りた。
安倍川沿いに遡ること小一時間、どこまでも続く岩だらけの河川敷。
安山岩を主体とした黒っぽい礫(レキ)が多く見られる。
つまりは火山岩であり、フォッサマグナ南端の地表を覆っていた急峻の岩が風雨にさらされて崩れ、安倍川なり大井川なりに流れ込んだのだろう。
荒涼たる河川敷の風景には、地質的な要因があることが分かった。
梅ヶ島温泉の脇から安倍峠に上ってゆくと、かなりの急斜面を細い道が縫っている。
途中に30mほどの高さの滝があり、『鯉ヶ滝(恋仇)』と命名してある。
説明を読むと、昔の色恋沙汰で身を投げた男女の話がくどくどと書いてあったが、最後に「〜という謂われがあるが定かではない」と括ってあるのには、思わず笑ってしまった。
1500mあたりの峠には、嬉しいトイレがあった。
『峠の香和家(かわや)』
鯉ヶ滝の話やトイレの命名に、地元の人々のユーモアのセンスが光っているようだ。
峠周辺では、下生えには笹が生い茂り、カエデが樹林を形成している。
そのカエデも『オオイタヤメイゲツ』という樹種で落葉大高木とあり、かなりの樹高で辺りを覆っている。
そして、路傍のあちこちに『熊出没要注意』の看板が置いてあった。
大きな音を出していれば大丈夫だろうと、そこから下りの道では、無闇な空ぶかしをしてしまった。
身延に下りる林道は急勾配が続き、路面もひび割れだらけで、路肩が崩れかかって窪んでいる箇所が幾つもあり、低速でのびびり走行を余儀なくされる。
とても急峻を見晴らしている余裕はないのだが、時折木立の間から見える尾根の山肌には、熊の爪
痕のような崩落の箇所が随所に見られた。
いつまで走っても山裾までの距離が縮まないように思える。
入り組んだ尾根伝いに縫われた曲道はなかなか高度を下げないようだ。
ようやく里に下りてきた時、田圃では稲刈りが行われていた。
「あれ、もう稲刈りしてるんですか?」
「ああ、これは早稲種だから今刈ってんだ。でも、出来は良くないな。」
やはり今年の冷夏は、各地で悪影響をもたらしている。
まだ刈られていない黄金色の稲穂と稲干しは、黄金の国ジパングの原風景を見ているようだ。
<耕された道>
身延の52号線まで下りてくると、いきなり大渋滞が始まった。
片側を止めて交互通行をしている。
一般の車よりもダンプカーの数が相当多く目に付く。
年中行事ならぬ年中工事をしているようだ。
先の見えない大渋滞に業を煮やして、早川沿いの南アルプス街道に入り込んだ。
大井川、安倍川と同じく黒っぽい安山岩質の礫や岩が堆積している。
名前からすると本来の川は急流であったのだろう。
それが、長年の土石の堆積によって流れが少なくなり、伏流となっている。
しかし、大雨などで急激に水量が増すと、一気に名前の通りの激流に変わるのだろう。
昼時でもあり、途中の蕎麦屋でざるそばを食し、更に上流を目指した。
流域としては変化に乏しい川ではある。
所々、小規模な発電ダムが点在しているものの、風景としては大井川や安倍川と同じ広葉樹と照葉樹の混交林が峡谷を覆っている。
やがて湯島という集落に差し掛かった。
路傍の観光案内看板を見ると、『湯島の大杉』という巨木がある。
行き過ぎていたので、Uターンして、脇道に入り込む。
狭い路地を入っていくが、民家が密集していて巨木らしき姿は見えない。
玄関先で立ち話している人に問うた。
「すみません、湯島の大杉ってどこにあるんですか?」
「あ、ここまで来てまったかぁ、んーとね、下の道に下りてぇ、この先の神社の鳥居を上ったとこにあるがや。」
「あ、そうですか、今、通ってきたけど、目に付かなかったなぁ。そんなに大きくないのかな?」
「いんやぁ、大きいぞ。」
軽い会話の中から、大した巨木ではないのだろうと期待せずにいた。
教わった神社の鳥居の前にバイクを止めて、階段を上がってゆく。
赤い鳥居には『山王神社』とあった。
そして、鳥居の奥の黒い影を見て、一瞬呆気にとられてしまった。
それは、急峻の山腹にあるために大きさが目立たなかっただけで、眼前にある大杉は想像以上の迫
力を持って聳えていた。
由縁ははっきりして、1200年前天平勝宝年間に、里人が紀州熊野より杉苗を持ち帰って山王神社境内に植えたとある。
地上0.4mの樹周は11m弱で、樹高は45m近くもある。
まさに千年杉プラス二百年の巨樹なのだ。
見上げると天空に突き刺さる槍のように真っ直ぐ伸びていた。
静岡県内に大杉は数あるが、この『湯島の大杉』は、最大級になろう。
思わぬ出会いに興奮しながら、周りをぐるぐる回って一頻り触れ合いを楽しんだ。
再び早川沿いを遡る。
地図で確認したところ、広河原まで行けば、夜叉神峠を通って芦安温泉のある白根まで下りられそうだ。
緩やかなカーブの続く南アルプス街道をリズミカルに倒し込んでタイヤのグリップを楽しんでいた。
ところが、奈良田まで来たところで、またもや看板のバリケードが立ちふさがった。
『奈良田〜広河原間』
『時間制限通行止実施中』
『注意!甲府方面には通り抜けできません』
大書した看板が林立している。
そして、時間制限を見ると、4:00~12:00までが奈良田から広河原までの一方通行だった。
時計を見ると12時20分、蕎麦を食べていた時間分オーバーしていたようだ。
次の通行時間は18:30~20:00とある。
待っていたら日が暮れてしまう。
仕方なく地図と相談すると、すぐ横から、増穂に抜ける『丸山林道』があった。
近頃はどこの林道でも舗装してあるところが多く、大丈夫だろうと高を括って奈良田の温泉郷の中をくねくねと走り抜けた。
そして、林道本線に合流した途端、不安感を覚えた。
昼尚薄暗いその道は簡易舗装とはいえ、ひび割れてあちこちが捲れ上がっている。
おまけに砂利が浮いており、狭い上にガードレールもない。
いやな予感がしたものの、他には来た道を戻るしかないのだ。
一瞬躊躇した後、決意してハンドルを切り込み、アクセルを開けながらクラッチを繋いだ。
ザザッとタイヤが砂利を跳ね飛ばして空転したが、すぐにグリップを回復して急坂を上る。
オンロードタイヤのAVON VENOM-Xは、こんな道を走りたくないらしく、イヤイヤをするようにハンドル
を小刻みに振らしながら、じゅりっずりっと小さなスリップを繰り返している。
数百メートル進んだ時、前方からいきなり巨大なダンプカーが現れた。
しかも、二台が土砂を満載して狭い林道幅いっぱいに向かってくる。
朝方の時は岩壁の窪みに避難したが、今度は路肩の草むらに身を寄せた。
二台のダンプカーをやり過ごした後には、耕耘機で耕されたような路面が残っていた。
更に数百メートルの耕された簡易舗装路を進んだところで、未舗装の砂利道に変わった。
前日にでも降ったのだろう、水溜まりがあちこちに出来ている。
いちいち避けていたら速度が落ちる上にふらついてしまう。
思い切ってアクセルを開け、腰を浮かして悪路を乗り切ろうとした。
水溜まりにはまろうがお構いなし。
時々泥で滑って後輪がずりっと横に動いたようだ。
坂道に差し掛かり、小砂利道の深い轍を外すと尖った角を持つ石の小山に突っ込みそうになる。
うねうねと曲がりくねった丸山林道は、数キロ続いていた。
そして、その数キロの間、急峻の谷間に気合いとも悲鳴ともつかない奇妙な叫び声がこだましていた。
林道を舗装するのは結構である。
だが、薄っぺらい舗装で、ダンプカーなどが通るとすぐに耕されるようでは、いたちごっこではないだろうか。
急峻を縫うように走る林道では、オーバーハングした法面にモルタルを吹き付けて崩落防止をしてある。
それでも、自然の力の前では無力で、あちこちでモルタル諸共崩れ落ちている箇所があり、ユンボが土砂をほじくり、ダンプカーが来て土砂を運んでゆく。
もちろん道を耕しながら。
公共工事とは、果てることのない土木工事を地元の業者に委ねる癒着した治水治山事業なのではないだろうか。
交通量の多い都会の道を走れば、よほどの事でないかぎり真っ昼間に通行止めをして工事などしていない。
郊外や山間部など、あまり人の目につかない場所では、大っぴらに無駄と思える工事が堂々と行われている。
更に、地元を潤すことのない高速道路やバイパス道路などが、需要の如何に関わらず作られている。
それは、貴重な自然を破壊する行為であると同時に、その地に住む人々を孤立させ、いずれは立ち退かざるを得ない状況に追い込んでいる。
「道」とは、人の前に無く、人の歩いてきた後に出来るもの。
そして、後から来る人のために残すもの。
昔からある道は、その先に居る人のためにある道。
本来、道には無駄が無いはず。
だが、どうだろう、今ある道は無駄な道が多すぎる。
便利になったというかもしれないが、その便利さの裏には、見失ってしまった多くのものがある。
路傍の小石や草花こそ、人の心の糧になるのだ。
新品タイヤの皮むきのつもりが千キロ近くも走ってしまった。
だが、ようやく自分の走り方に見合うタイヤに出会えた感がある。
四輪車のタイヤが葉書一枚分の面積ならば、バイクのタイヤは名刺一枚分の面積で、道と接している。
そして、その小さな触れ合いにライダーは命を預けている。
走っている時には、道を選んでいる暇はない。
タイヤと道との確かな触れ合いを信じて走るしかないのだ。
信じられるタイヤに出会えたからには、道に裏切らないでほしいと願う求道者であった。
| あかべこ日記TOP
| HOME
|
|
Copylight(C) Unyuh Komori 2003. All rights
reserved.
|