あかべこ日記会津譽れ編

「穂立つ桐に房垂る藤の紫花」

by 古森 雲雄<ベベパパ>


<雨の日の猫は眠い>

 何の因果か行く先々で雨に降られる。嵐に見舞われる。災害に遭う。
だが、それは感覚としては被害者意識だろう。
実際は、雨男の異名を持つ身として、雨を降らせ、嵐を巻き起こし、災害をもたらすというのが周囲の見解のようだ。
日本国内のみならず世界に通用する我が神通力というところか。

 関東地方も入梅したのか、三日をあけずに雨が降っている。
雨の日は外に出る気がしない。
尤も、バイクで走っている途中で雨になるのは慣れているが、端から雨の中をバイクで走るほど酔狂ではない。
朝から雨模様だと、その日は終日(ひねもす)のたりのたりと小人は閑居して不善を為すのが常となる。
傍らでは愛猫も同じくのんべんだらりと長く伸びて、ひたすら惰眠を貪っている。
我が家に転がり込んできてから半年を過ぎようとしているが、押し掛け女房の如き振る舞いだ。
2キロ半のほんの子猫だったのが、今や4キロを越すほどになった。
夜はずーっと枕を共有して、途中から占領されてしまうのだが、用足しに少しの間だけ外出するものの、すぐに帰ってきてひたすら眠る。
昼間も雨が降っていると、濡れるのを嫌って家の中で寝ている。
だから、猫に付き合って人間も雨の日はごろごろと・・・。


<皐月晴れの空の下で>

 五月も末というのに夏日になっていた。
バイクで走っている時は体感温度が下がるとはいえ、ブルゾンの下のTシャツは吹き出る汗で濡れそぼっている。
東北道の白河で下りて国道4号線をしばらくゆき、薄葉から294号白河街道に入ってのんびりとひょっとこバイクを走らせる。
沿道にはハリエンジュが白い花房を垂らし甘い蜜の香りを漂わせていた。
にせアカシアとあまり有り難くない呼び名を持ってはいるが、蜂が集めるその蜜は「アカシアの蜜」と名付けられ最高級の蜂蜜として売られている。
白い花房は、他にもクヌギが甘い香りを放ち、傍を通るだけで虫歯になりそうだ。
この時期の会津地方は、紫の花房があちこちに見られる。

上に向かって穂を立てるように桐の花が咲き、下に房垂れる藤の紫花が杉や檜に絡み付いて咲き乱れている。
正しく「穂立つ桐に房垂るる藤の紫花」が会津の山と里に彩りを添えているのだ。
会津では家に娘が生まれると、庭に桐の苗を植えるという。
娘が嫁入りの時、その桐で箪笥を作るのだそうな。

時折大木になってしまった桐を見かけたが、そこの娘は嫁に行き損なったのだろうか。
邪推の桐が時折見られるようだ。

 あたりの新緑が青々と色鮮やかに映えるこの時期、まさに「青春の輝き」が百花繚乱の街道となって彩られているようだ。
路傍の草むらに目を転じると、タンポポが黄色い花弁から白いポンポン玉のような種の穂に姿を変えていた。

ひとつひとつが沢山の種の集まりであり、ひとつの宇宙<ギャラクシー>を形成しているようでもある。
顔を近づけるとそよ風が鼻をくすぐり、くしゃみをした瞬間、小宇宙は弾け飛んでしまい、小さな星くずのような種が風に乗ってふわふわと飛んでいった。
その星くずを追いかけるようにひょっとこバイクを走らせていると、橋の袂に見事なエンジュの木が聳えていた。

根元には赤いポストがあり、真新しい郵便局の看板が見えた。
「こんちわぁ、郵便局って新しい体制になったんだってね。じゃあ、記念に貯金していくね。」
「はい、ありがとうございます。」
と、いきなり入り込んだでっかいオッサンに、以前の郵便局にはなかった明るい笑顔が迎えた。
終始事務的な態度だったのが、どことなく和やかになったようだ。
いわば笑顔のサービス向上なのだろうか。
貯金通帳に記入している間、辺りをきょろきょろしていると、カウンターの上に「新千円札発行記念」という文字の入った冊子を見つけた。
表紙には野口英世の肖像があり、ぱらぱらページをめくると功績や生い立ちなどが書いてある。
新千円札はまだ発行されていないのだが、記念切手を1000円分買えば、その冊子がもらえるらしい。
「へえ、野口英世の記念冊子なのね・・・あれ?確か野口英世って、この会津あたりの出身じゃなかったっけ?」
「はい、そうですよ。この先をずっと行ったところで、今、記念館が建ってますし、生家もそこに移転されてますから、どうぞ見ていってください。」
と、結局千円の冊子も購入していると、横から局員のおじさんがスッと湯飲みを置いた。
「お茶どうぞ。」
郵便局も変わったものだ。
客にお茶のサービスまでしてくれる。
そして、記念冊子と通帳と一緒に、ポケットティッシュと飴玉までついてきた。

 バイクに跨り、飴玉を口の中でれろれろしながらしばらく走ると、眼前に猪苗代湖の美しい湖面が広がる。

風も無く鏡のような水面に空の雲がくっきりと映り、水平線を境にシンメトリーの風景を現している。
まるで雲が鏡に自分の姿を映して遊んでいるかのようだ。
しばしバイクを停めて、その希有なる風景に見とれてしまった。
希有と云ったのは、雨男の異名を持つ身として斯様な静かに晴れ渡った風景に出会えることがそうであるからだ。
岸近くの湖水はあくまでも澄み切り、打ち寄せる波も無く、底の石や砂をくっきりと見せている。
遠くを見遣れば、霞がかかって空の色に微妙なグラデーションの演出をしている。
朧気に見えるのは会津磐梯山だろうか、雲がいないいないばぁをして隠しているようだ。
少しばかり雲の遊ぶ五月晴れの空は、路傍の花々に柔らかな光を投げかけていた。



<欅の群>

 磐梯熱海温泉近くの山中に巨大なケヤキの群生地が見つかったという知らせを受けて駆けつけた訳だが、果たして自生のケヤキが群を作るのか些か疑問ではあった。
温泉街の中にある穴守稲荷神社(別名;源泉神社)の横の遊歩道を200mほど行き、沢に落ち込む尾根を100mほど登ると、途中の四阿に数人のおばさんたちが屯していた。
ほんのちょっと登っただけで息切れしてしまい、ぜえぜえ云いながらおばさんたちの群の中に入り込んだ。
「はぁはぁ、あーしんど、自分の体が重すぎるぅ・・・」
「きゃははは、大変そうねえ、若いのにこんなのでへばったら駄目じゃないの。」
「へぁへぁ、若いって、もう50歳のオッサンだよ。」
「あらぁ、そんな歳に見えないわねえ。私たちより上だったのぉ?」
「えぇ?ボクより若いの? そんな歳に見えなかったなぁ。」
「・・・? えっ? どっちだろ、私たちが・・・若く・・・いや、老けて見える・・・えー、どっちぃ?」
「あーっと、あまり詮索はしないしない、こんな自然の中じゃ年齢は分からなくなるってこと。
だって、あの木なんか樹齢300年くらいだよ。それに比べれば、アナタなんか若い若い。」
「あははは、ありがとう。そう言っていただくと嬉しいわ。で、この先に行くんですの?」
「そ、なんかでっかいケヤキの群生地が見つかったって聞いて来たんだけどね。皆さんも行って来たの?」
「いいえ、ここまで登ってきたけど、疲れちゃって、戻ろうかって云ってたとこ。旅館の写真で見たけど、大きい木があるそうよ。」
「はいな、その大きな木に会いに行って来ますね。んじゃ、気を付けてね、お嬢様たち。」
「ハーイ♪」
と、昔の少女たちは口を揃えて応えた。

 更に300mほど行くと、鬱蒼と生い茂った樹海が現れた。ふと下の方を見ると、温泉街の屋根が直ぐ近くに見える。
こんなに近くにあって最近まで群生が見つからなかった事自体不思議ではあるが、それは人々の関心の有無で大いにあり得る事だ。
自然志向が強まったことで、ようやく身近な自然に目を向けるようになり、その貴重さに気がついただけなのだ。

 樹海といってもほんの数百メートル四方の山の斜面に、ケヤキを中心とした混交林を形成している。
他にもコナラやイヌシデが樹冠に豊かな葉を繁らせてケヤキと共に斜面を覆っている。
所々木漏れ陽が見られるものの、葉っぱの傘の下は薄暗く、斜面にはあまり下生えは見られない。
辛うじてシダの類が放射状に葉を広げている。
見回すと、確かに一抱えもありそうな太さのケヤキがあちこちに歪んだ姿を見せている。
だが、いずれのケヤキも幹の中が空洞になっていたり、歪(いびつ)にゆがんでいたりと、かなり樹形に暴れの傾向が見られる。
中には朽ちて倒れたのや、根元で折れて倒れたのが下のケヤキにもたれ掛かるようにして辛うじて生きている。
どれひとつとっても素直に伸びた木はないようだ。
不思議に思って斜面を上ろうとしたら、足元がガラガラと崩れてしまった。
見ると花崗岩の岩場らしく、細かく割れた掌大の石が積み上がっている。
土の層があまり無いために至る所に穴が開いており、風通しはいいようだ。
ライダーブーツでお構いなしに石を踏んづけていくと、いきなりずぼっと穴に落ち込んでしまった。
引き抜くと、何と靴先にヘビが噛みついてぶらんぶらんとぶらさがっているではないか。
ヘビにしてみれば我が家にいきなりでっかい侵入者があったので噛みついたのだろう。
「ナンジャイ!!ナニスルンジャイ!!」とヘビだけにジャマモノが来たと思ったに違いない。
「あ、ごめーんなジャイ、許してくだジャイ。」
と、ブーツの先をフリフリしてヘビに放してもらったが、辺りを見回すとあちこちにヘビの姿があった。
「えっ?あっちも?こっちも?そっちも?・・・えーっ!?ヘビだらけジャン!!」
どうやら、この岩場の斜面はヘビの団地だったようで、「ナン蛇タウン」に足を踏み入れてしまったのだ。
模様と色からマムシではないようだが、もしマムシならば、さっきのおばさんたちのようなパンプスやサンダルで「ナン蛇タウン」に足を踏み入れたら、それこそ笑い事では済まされなくなってしまう。

 斜面に点在するケヤキを一本一本見て回ったが、どれもほぼ300年ぐらいの樹齢で、自生ではなく誰か人の手によって植えられたものと思われた。
考えてみれば、「会津塗り」に代表されるように、会津地方は「輪島塗り」に並ぶ「漆塗り」の本場であり、その木地にはケヤキが多く使われている。
昔の山師たちが、会津の伝統工芸の材木を入手するのに遠くまで行かなくて済むように、近隣の山にケヤキを植林したのではないだろうか。
まして、材となるような素直に伸びた木は伐採して木地に使うが、歪にゆがんだり空洞ができて材に不向きな木はそのまま放置されて、今に至ったのではないか。
利用されなかったケヤキが残って群を作っているとすれば、納得がいく。
しかもみんなほぼ同じ年輪を重ねているのだ。
だが、なぜ、最近まで見つからなかったのか、謎は直ぐに解明できよう。
葉の生い茂る春から秋にかけては、下から見上げてもその樹幹まで見ることが出来ない。
そして、冬枯れの葉を落とした姿でも、周囲がみんな同じ大きさの木ばかりだと、遠目には個別の大きさを判別できない。
どんなに巨木でも、遠く離れれば人の目には付かないものなのだ。
巨木は、近くで見て初めてその大きさに気づく。
植物のタイムスケールと質量スケールは、人間のスケールとは次元の異なるものと判断すべきだろう。
同じ次元に並べようとすること自体、人間の傲った考えそのものなのだ。


<かくれんぼの湯>

 大汗かいて山を下ると、そこは磐梯熱海の温泉街だ。温泉に入らずして何になろう。
前もってインターネットで調べていた「楽山」という宿を探した。
大岩を組んだ「かくれんぼの湯」と謳った露天風呂があり、釜飯が名物とある。
「源泉神社」からほんの100mほどのところにあった。

「ごめんくださーい、日帰り温泉OKってあったんでいいですかぁ? いやあ、今、山に登ってきたんで大汗かいちゃったぁ。」
「はい、どうぞどうぞ、山に登ってこられたんですか?」
「そ、このちょこっと先のケヤキの森を見てきたんだけどね、話しに聞いたほど古い木じゃなかったみたい。」
というと、奥から宿の女将さんが聞きつけて玄関に出てきた。
「私ほど古い木じゃなかったんですか?」
「はあ、アナタほど肌がすべすべじゃなかったみたい。あっちの木は結構肌荒れがひどかったですよ。」
「まあ、よかった。あそこのケヤキを見せるんで遊歩道を造ろうかって、今計画中なんですよ。距離も近いから、温泉のお客さんが浴衣で下駄履きでも行けるようにしたいんですけれどね。」
「ええっ!? だーめだめぇ! そんな簡単に行けるようにしたら、あのケヤキの森そのものが死んじゃうよ。それに、下駄履きで行ったらヘビに噛みつかれるし危ないよ。マムシだったらえらいこっちゃ。」
「へぇ、ヘビがそんなに・・・。遊歩道造ってもだめですか?」
「あのね、今のままの自然な木の姿を見せたいのなら、今以上の遊歩道を造っちゃだめ。それに、下駄履きでも行けるって、そんな自然をナメた考えじゃ絶対いけません。ヘビが棲みついているのも自然ならば、木が倒れて朽ちるのも自然なのだから、そこに遊歩道造ってヘビを駆除して倒木を整備してしまったら、そこは自然じゃなくなっちゃうでしょう? もっと自然に対して謙虚な気持ちを持たなきゃ、いずれ自然からしっぺ返しを食らっちゃいますよ。あのケヤキの森を生かしたいのならば、今以上の道を造っちゃだめ。どうしても温泉客を下駄履きで行かせたいのならば、あの山を全部切り崩して新たな公園を莫大な金を使って造るしかないです。でも、そんな不自然な公園造ったって、意味ないし、誰も見に行かないですよ。だから、ホントに見に行
きたい人だけが、ちゃんと自然の中に入り込む装備をして、それなりの覚悟をもって行くならば、今のままにしておくのが一番いいんですよ。とにかく自然をあるがままに残したいのならば、人間は何もしないのが一番いいんです。下駄履きで山に登る? そんな甘っちょろい考えじゃ、大怪我しますよ。」
「へえ、いい話を聞けましたぁ。確かにそうですよねぇ。早速、町の委員会に話さなきゃ。もう直ぐにでも遊歩道の工事を始めようとしてますからね。私、これから行って来ます。あ、お風呂ゆっくり入っていってくださいね。それと釜飯も召し上がってくださいな。」
女将さんはそそくさと町の委員会に出かけていってしまった。
残された汗だくのオッサンは、従業員に案内されて奥の温泉に向かった。
「誰もいない貸し切りですから、ごゆっくりどうぞ。お風呂から上がられる頃に、釜飯が出来るようにしておきますね。」
風呂場に入ると、内風呂は普通に洗い場と浴槽があるが、外の露天風呂に出ると大きな扁平な岩を組み合わせて、いわば岩の仕切になっている。

すっぽり岩の間に入り込むと見えなくなるから、「かくれんぼの湯」と呼ぶらしい。
泉質は単純アルカリ泉で熱すぎず、肌に柔らかい湯だ。
女将さんのすべすべお肌の理由が分かった気がした。
たった一人でかくれんぼをしてもつまらないが、カメラの自動シャッターでいろいろ遊んでいた。
でっかいいい歳のオッサンが内風呂の浴槽で、ひとり、潜望鏡遊びや大波津波遊びをしてきゃっきゃとはしゃいでいた。
端から見れば、何とバカなことやっているのかと思われたに違いない。
だって、バカなんだから仕方がない。と、ここで開き直ってどうする?

 1時間も風呂で遊んだら、完全にのぼせてしまった。
またもや大汗かいて釜飯を食べ、宿のフロントで料金を払ったが、キッチリ正規代金を請求された。
あれだけいい話をしたにも関わらず・・・。


<会津の譽れ>

 会津若松に近い河東町に巨大な美女が佇んでいる。
彼女は身長57mあり、会津慈母観音像と呼ばれて幼な子を抱いている。
切れ長の目をうっすらと開け、口角の上がった優しい微笑みを浮かべている姿は、遠目にもハッキリ美女と分かる。
最初はどこぞの寺院の建立物かと思ったが、よく見ると、「会津村」という遊戯施設を備えたテーマパークのようだ。
別に宗教的な施設という訳でもなさそうで、敢えて彼女の胎内に入ろうとはしなかった。
それよりも、その美貌にうっとり見とれてしまい、少しばかり恋心を抱いてしまったようだ。
この際、子持ちでもいいか・・・。

 会津若松の街外れの高瀬という所に、「高瀬の大木」と呼ばれるケヤキの巨樹がある。
慶長年間に上杉景勝が築城した神指城跡の東北隅の土塁上にあって、幹周10m以上の大木なのだ。

こちらのケヤキは城の象徴としてあったようで、木地の材木とはならずに生きてこられたらしい。
近くに寄って見ると、その幹の太さには圧倒される。
だが、柔らかい土塁の上にあるだけ根元の暴れは見られず、素直に生長して巨大に育ったようだ。
同じケヤキでも、生まれ育った環境で斯くも姿形が変わるものなのか、何だか人間と同じような生き方をしているようだ。
周りの田圃の畦道には、小さい花が沢山咲いていた。
カラスノエンドウのピンクで可愛い花、黄色いキツネノボタンの花、それらが地面に近い所で精一杯咲き競っている。

見上げる巨木あらば、誰しも気がつき崇め護ろうとするだろう。
だが、地に咲く小さな花にも、小さな命の営みが無数に見られるのだ。
大きな木がひとつの命ならば、小さな花も、また、地球の上の「ひとつの命」なのだ。

 猪苗代湖の水が澄んできれいなのは、あまり生活雑廃水が流れ込まず、湖岸の多くが自然のままにあるからなのだろう。
護岸工事は人の生活を護る工事であって、自然を護る工事ではない。
しかも、現代人の生活は自然を蔑ろにすることで成り立っているようだ。
しかし、本当の人間らしい生活とは何だろうか。
自然と共存し、自然から恵みを受け、あるがままの生活をすることが一番いいのではないか。
虚飾を捨て、野心を持たず、もっと大らかに生きることが求められているように思える。

 猪苗代湖の湖面には、空に浮かんで自由に遊ぶ雲の姿が映っている。
ひょっとこバイクは脳天気なオッサンを乗せて、のんびりと青空の下を駆け抜けて行った。



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