GONE WITH THE TWISTER
by 古森 雲雄<ベベパパ>
<行って来ま〜す♪>
何が何して何とやらで、どういう訳かアメリカのド田舎の町に行く羽目になってしまった。
友人の娘が留学していて、その高校の卒業式にどうしても出席してほしいと請われてしまったのだ。というのも、留学の申請のときに、何かとアドバイスしたり、アメリカでのホームステイ先に伝える為の自己PRや家族紹介の英語での文章を事細かに手ほどきし、写真のコラージュにユーモラスなコピーをつけたらアメリカ人に大受けだったらしい。
そんなこんなで留学した娘より、一緒に写っていた変なオッサンの方がアメリカの田舎では有名になっていたようだ。
それで、是非変なでっかい日本人のオッサンを見たいからと、遙々日本から呼び寄せられた訳なのだ。
出発当日、朝から猫の甘え方が異常なほどに思えた。
どうやら置き去りにされるのに感づいたようだ。
1週間だけの留守番だから、大目に見てねと猫に諭して、小さく纏めたバッグに衣類とパソコンだけを詰め込んでひょいと表に出た。
「あれえ、今日はバイクじゃないの?」
近所のうるさがたの主婦が話しかけてくる。
「うん、ちょこっとアメリカに行って来るから、バイクじゃ無理なんだよね。」
「へえ、そんな軽装で行くの?」
「旅は軽い方がいいんだ。」
「また、べべちゃんが寂しがるわね。」
「夜に五月蠅く騒ぐかもしれないけど、よろしくね。」
ツツジの咲く小径をバス通りまで降りる。
バスなんて久しぶりだ。
出かけるのはいつもバイクか車だから、よほどのことでないとバスに乗る機会はない。
一般的には平日の朝だから通勤ラッシュの時間なのだが、連休前でもあり、さほどの混雑はないようだ。折良く川崎駅行きのバスがやって来た。
一駅先から乗れば川崎市内の料金で200円なのだが、横浜市内料金の210円を支払うしかない。
10円をケチって歩くのも面倒だ。
車内に入って座席に座ろうとするが、狭いことこの上ない。
平均的日本人体型から逸脱している身の上故、窮屈に体を折り曲げて前の座席に膝を押しつけながら座る姿勢を余儀なくされる。
やがて、バスは川崎駅に着き、窮屈な格好から解放される。
「みどりの窓口」で成田エクスプレスのチケットを購入するが、4000円近い値段にびっくりする。
何と交通費の高い国だ。
いつもバイクで動いていると、公共交通機関の値段に疎くなってしまっている。
東京発の成田行きだから、京浜東北線で川崎から東京まで行き、乗り換えが必要となる。
ラッシュ時間でありながら、ゆっくり座れた。
東京駅では地下4階のホームまで降りなければならない。
地下深くエレベーターで下っていくとガランとしたホームが待っている。
少し早く着きすぎてしまったようだ。
1時間ほど待って「成田エクスプレス」がホームに滑り込んできた。
指定席だが車内には数人の客がいるだけだ。
ゴールデンウイークなのだから、本来ならばどこに行っても大混雑の筈なのに、交通機関はどこもガラガラなのだ。
尤も、飛び石で纏まった休みがとれないからかもしれない。
1時間ほどうつらうつらしているうちに、成田に到着した。
ホームに降りても人影がまばらだし、手荷物検査では立っている職員の方が多い。
「パスポートを拝見します。」
「写真と人相が変わっちゃったけど、大丈夫かな?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
「人間5年も経てば成長するもんね。」
軽口に女性検査官は笑顔で応えてきた。
暇そうにしている両替窓口で5万円ほどを米ドルに交換する。
パックになっており、50,20,10,1ドル紙幣が適当に入っているようだ。
米ドルはどの紙幣も同じ大きさなので、間違わないようにしなければならない。
下手すると50ドルをチップで払いかねないのだ。
もらった方は嬉しいかもしれないが、こっちはそんなに金持ちではない。
出発カウンターのある4階まで上がったが、どのフロアも殆ど人気がない。
空港職員が手持ちぶさたで佇んでいる。
これも「SARS」の影響で、東南アジアからの観光客が完全に無くなっているのと、東南アジアへの日本人観光客も皆無になっているからなのだ。
何だかゴーストタウンに来ているような錯覚に陥る。
昼食を摂ろうと和食レストランに入ったものの、客の姿が一人もない。
開店休業状態のようだ。
最後の日本食になるようだからと蕎麦とネギトロ丼を味わう。
「誰もいないね。」
「はい、寂しいです。」
ウエイトレスのお姉ちゃんは答えた。
やがて、出国審査を終えてゲートに向かったが、出発ロビーには日本人の顔があまり見えない。
日本人かと思って声を掛けたが無反応だったので、手元を見ると韓国やタイのパスポートを持っていた。
機内に入ると、思いの外満席になっている。
トランジットの客がほとんどのようだ。
ノースウエスト航空の飛行機は、何のトラブルもなく、時刻通りに滑走路に向かうと、強引な加速力で成田の空高く飛び上がっていった。
<狭いよ〜、きついよ〜、眠れないよ〜>
エコノミークラス症候群に真っ先でなりそうなほど、窮屈な姿勢を強いられる。
前の座席に膝が食い込み、背もたれを倒されると拷問を受ける状態になる。
眠ろうにも首から上がひょっこりとシートの背から飛び出しているので枕が無いに等しく、眠ると首がぐらぐらで天井を見上げる状態になり、とても眠れるものではない。
当然、尻をずらすことなど膝がつかえているので不可能。
結局、前方の画面に映し出される映画を見通しよく3本見ることになってしまった。
時折通路を通るスチュワーデス、最近はフライトアテンダントと呼ぶらしいが、彼女らが通るとそのでっかいお尻が通路幅いっぱいになり、どうしてもはみ出している腕や肩にぶつかってしまう。
"Ice Water, Ice Water."
「冷たいお水はいかがぁ〜、お水はいかがぁ〜」
"Icecream, Icecream."
「アイスクリーム、アイスクリームはいかがぁ〜」
常に首が飛び抜けていて起きているように見えるものだから、いちいち目が合ってしまい、ついつい水やアイスクリームを窮屈な姿勢でもらってしまう。
しまいには叫びそうになった。
"I scream. HELP!"
「アイ・スクリーム(私は叫ぶ、助けて!)」
11時間近いフライトの間、一睡も出来ずに、最初の経由地ミネアポリスに降り立つ。
日本時間では深夜だ。
IMMIGRATION GATE(入国審査)で、いろいろ問いただされてしまった。
もちろん早口の英語でだ。
「ナンデアンタハ、コンナイナカノマチニイクノダ? ナンノモクテキデイクノカ、セツメイシテチョウダイ」
「ダカラ、サイトシーング(観光)ダベサ。シゴトデモナンデモナイサ。」
「サイトシーングトイッタッテ、コンナイナカニハナニモミルモンナンカナイダベサ。ナニカベツニモクテキハナイノカイナ? ハッキリセツメイシテモラオウカイナ。」
「イナカッテドコヨ? アーカンソーッテイナカカヨ?」
「ダッテヨ、ココニアメリカデノタイザイチハアーカンソーノマーマデュークッテカイテアルジャン? ココハアメリカデモ、ナンブノドイナカナンダベサ。アンタミタイナニホンジンガ、ココニイクリユウガワカラナイダベサ。」
「アアソーカ、アーカンソーッテイナカナンダ。ナンダソーダッタノカイナ。サイショカラソーイッテヨ。」
「ダカラユウトルヤナイカ、コンナイナカニナニシニイクネンッテヨ。」
「アーゴメンゴメン、ソコニハ・・・ムスメガスンデイルンダベサ。」
「ムスメ? アンタハソコニスンデイルムスメニアイニイクノカ?」
「ソ・・・ソウ、ムスメニアイニイクノ。アサッテソツギョウシキダカラネ。」
「アー、ソッカー、ムスメノソツギョウシキカァ、ダッタラソウイエヨー、ワカッタワカッタ、ジャア、タノシンデコイヨ。」
と、まあ、何とか解放されたが、卒業するのは自分のではなく他人の娘だというと、余計に話がややこしくなりそうだったから、そこは自分の娘ということにして切り抜けた。
それにしても、イヤに訛のきつい英語をしゃべる審査官だ。
ミネアポリスはトランジットだけなので、国内線に乗り換えなければならない。
そこで、次に待ち受けていたのは検疫ゲートでの押し問答だ。
「ハイヨ、ココデニモツノケンサヲスルカラナ、カネメノモノヤヤバソウナモノハゼンブダシヤガレ。」
「コゼニトカ、カギモ?」
「ソウ、ゼーンブダセッテンダ。」
「ハイ、ダシタヨ、コレデゼンブダヨ。」
「ジャア、クツモヌイデココニオキナヨ。」
「エエッ?クツモヌグノ?」
「ソ、ハダシニナッテゲートヲクグレ。」
何とも身ぐるみはがされたような格好でゲートをくぐると、バッグの中のパソコンが引っかかってしまった。
「バッグノナカニハラップトップガハイッテルナ。ケンサスルカラコッチニコイ。」
自分で出そうとすると、
「コラ、サワルナ、コッチデヤルカラオマエハテダシスルナ、ソコデオトナシクマッテイロ。」
云われるままに、ボーっと立っていると、愛用の「まっきんとっしゅぱわあぶっくじー4」を引っ張り出し、何やら紙切れで周りを拭って検査器にかけていた。
どうやら細菌検査らしい。
「オッケー、ノープロブレム、イッテヨシ!」
ようやく通り抜けることができた。
ミネアポリスでの国内線に乗り換えるには延々と歩かなければならない。
空港の端から端まで歩いてしまった。
歩いている間に、何やら下腹の方で内部圧力が高まってきた。
メンフィス行きの飛行機を待つロビーのトイレに駆け込んだら、全部使用中だった。
アメリカの公衆トイレは一応個別に仕切はあるが、1.5mほどの板があるだけで、下は30cmほど開いており、中にいる人の足が見えてしまう。
ズボンもパンツも足元まで下ろしてあり、一目瞭然で用足し中であることが分かるようになっている。下腹の内圧に耐えながら、地団駄を踏んで待っているが、なかなか下から見えるアンヨは動かない。小用を足す外人たちが入れ替わり立ち替わりじょんじょろりんじょんじょろりんと目の前でスッキリしていくが、壁際でぎっとんぎっとん足踏みをしているでっかい日本人を一瞥して、何人かはニッと笑ってぴょちんとウインクしていった。
何の意味があったのだろう?ようやく3つある内の真ん中が開いたので、いそいそと飛び込み、いざ、「ばっしゅん!ばほばほ、じゅばっ!」と盛大な音響効果と共に排泄すると、隣の個室から声が聞こえてきた。
"Oh, shit!"
「くそったれ!」
はい、正しく、そのクソをたれているのでございます。
スッキリして、後は余裕で飛行機を待つ。
見回すと、当然だが外人ばっかりだ。
昔はアメリカ人といえばデカイと相場は決まっていたが、今見る彼らはそれほどでもない。
尤も、自分自身日本人離れした巨躯だからかもしれない。
だが、身長はさほどではないにしても、肥満体のレベルは日本人など到底及ばないほどの凄まじきものがある。
男も女もKONISHIKI級の超肥満体が至る所を闊歩している。
200kgなんてざらなのだ。
それでいて飛行機の料金が同じというのは些か納得しかねるところではある。
やがて、メンフィス行きの搭乗が始まり、国内線用の一回り小さい飛行機に乗り込む。
ほぼ満席だが、一人一人の体重を知った上で振り分けているのだろうか、バランスが崩れるのではないかと少々心配になった。
しかし、そんな心配はよそに、軽々と飛び上がった飛行機はミネアポリス上空へ昇ってゆく。
見渡す限り平原が広がっている。
すべて綺麗に整備された農場であり、碁盤の目のように張り巡らされた道路が、かなり上空から見ているにも関わらず、地平線の彼方まで果てしなく続いている。
全く恐れ入ってしまう風景だ。
およそ1時間のフライトでメンフィスに着くまで、眼下の風景は変わらず、広大な碁盤の端っこは地平線に飲み込まれて見ることは出来なかった。
広大な空港の中でかなりの距離を歩く。
出口では見知らぬ日本人の小娘がニコニコと笑っていた。
1年前に比べて丸々と太ってしまったようで、見違えてしまったのだ。
「何だ、太ったなあ、分からんかったわ。」
でも、返ってきた言葉は英語で、
"This is my daddy, Danny. And my sister, Sonya."
「コッチハダディノダニーデ、ソッチハイモウトノソニア。」
同じようにニコニコと立っている小柄なおじさんとくちゃくちゃガムを噛んでいる女の子に紹介された。留学しているホームステイ先では、ホストが家族になる。
だから呼び名もパパとママになる。
「アア、クウコウヲデルマエニ、カエリノチケットヲヨヤクシナイトイケナインダ。」
日本のエージェントに予約してもらったら、帰りがボストンからになっていた。
だから、メンフィスからボストンまで何が何でも行かなくてはならない。
チェックイン・カウンターに行き、4日後のボストン直行便を予約した。
「オーケー、ダンナ、1ジシュッパツノボストンチョッコウビンガトレタケド、タカイヨ。777ドルカカルケドイイカ?」
「777ドル!?タッカア〜イ??デモ、シカタガナイカラソレデイクヨ。」
「オーケー、クレジットカードヲダシテチョウダイ。」
渋々財布から出たくなさそうにしているカードを引っ張り出して、カウンターに差し出した。
ほぼ10万円近い値段である。
それもアメリカの国内線でだ。
成田からメンフィスまでの往復チケットでも6万円ほどなのに、べらぼうな値段だ。
チェックインカードを受け取ると、
"Have a nice trip, sir."
にこやかに声を掛けてきた。
受けとった方は些か頬が引きつっていたようだ。
出迎えのファミリーの所まで戻ると、今度はレンタカーを借りなければならない。
何をするにも、何処に行くにも車が無いと話にならないだだっ広いアメリカのド田舎なのだ。
空港内の電話で呼び出してもらうのだが、いくつかあるレンタカー会社の中から"Hertz"を選んでボタンを押した。
受話器の向こうから訳の分からない英語がべらべらと流れてくる。
困ってしまって、ホストのパパに手渡した。
"I can't understand what she says. You talk to her, please."
「ナンダカワケワカンナイヨ。アンタデテミテ。」
アメリカ人同士で意味不明の会話があって、外に出れば迎えのシャトルバスがあるから、それに乗ってオフィスまで来いということらしい。
ホストパパの車とオフィスで落ち合う事にして、黄色いシャトルバスに乗り込む。
結構離れた場所にあるオフィスに着くと、中の職員との訳の分からない英語の会話が始まった。
南部訛なのか、やたらと舌を巻いてくぐもったような発音をするので聞き取りづらいこと甚だしい。
「クルマヲカスニアタッテイロイロチュウイジコウガアルカラ、ヨクキケヨ。・・・・・・・ワカッタカ?」
朧気ながら意味を想像して、分かったというと、クレジットカードを要求してきた。
一切現金の授受はない。
「イチニチデイイノカ、ソレトモ2,3ニチカ?」
「ア、イヤ、5ニチカンデヨロシクオネガイシマス。」
「ホケンハドウスル? ヘンキャクジニ、ガソリンハドウスル? ミチハワカルノカ? コウツウルールハワカッテルノカ? ヘンキャクジノミチジュンハキマッテイルケドワカルカナ?」
矢継ぎ早に聞いてくる事に、適当に答えていたが、何とかなってしまった。
キーを受け取り、だだっ広い駐車場のNo.15とあるゲートに行くと日本製のトヨタ・カムリが置いてあった。
トランクスペースが実に大きい車で、中で寝泊まりできそうなほどだ。
乗り込んで思ったこと、それは日本仕様とはシートの大きさが全く違っている。
日本仕様のカムリでは、シートが一回り小さく、座面が分厚く高いため、座高が1mある自分の体ではどうしても天井に頭が付いてしまう。
日本で売っている車の殆どが運転する以前の問題で体型に合わないのだ。
だから、屋根のない車に乗っている。
アメリカで乗るトヨタはシートの背もたれを思い切り起こしても、頭と天井の間にコブシが2つ入る余裕があるのだ。
右側通行の国では初めての運転ゆえ、少し緊張気味に発進させる。
ホストパパの車に付いて行くが、よく見ればキャデラックだった。
なぜか小さく見えてしまう。
アメ車が小さくなったのか、日本車が大きくなったのか、時代が変わってしまったようだ。
<広いよ〜、でかいよ〜、遠いよ〜>
メンフィス空港から240号線に入ってしばらく市街地を走る。
片側4車線の道だが、走っている車の量はさほど多くはない。
やがて55号線に合流して鉄橋を渡る。
ミシシッピ川だ。
川面を覗くと茶色く濁った水を満々と湛えている。
渡りきった所で、"WELCOME TO ARKANSAS"とでっかい看板が出た。
MEMPHISはTENNESSEE州の都市で、すぐ南にはMISSISSIPPI州があるのだ。
いずれの州もミシシッピ川流域の大平原にあり、見渡す限り地平線まで山ひとつ見あたらない。
運転しているとゆっくり景色を眺めている余裕はない。
見失っては大変と、前のキャデラックにぴったりくっついて走っていた。
ジャンクションをくるくる回って、63号フリーウエイに入る。
3車線の広い道だが、制限速度は80マイルとあり、一応高速道路となる。
アメリカまで来てスピード違反で捕まるのも厭なので、せいぜい90マイルほどでのんびり流していた。
前のキャデラックもそんな遅い車に合わせてくれていたようだ。
ところが、140キロあまりのスピードで走る車を馬鹿でかいトレーラーがバンバン追い越してゆくのだ。
確実に100マイル(160キロ/h)は出ているのだが、如何せん、だだっ広い平原の中を通るだだっ広い道では馬鹿でかい車が猛スピードで走っていても全くスピード感がない。
データ上の速度数値と環境の中での相対的速度感は全く異なるものなのだ。
JONESBOROという町に着いて、キャデラックは道沿いのスタンドに入った。
この国では、ガソリンスタンドとコンビニのような店が併設されているようだ。
降りてきたホストパパのDannyがボソッと言った。
"Oh, I hate driving."
「もう、運転するのいやだよ。」
確かに、どこまでも続く平坦な道では運転する楽しみはないかもしれない。
店に入ると何らかの食べ物を買っているようだ。
娘のSonyaと日本人留学生のTAEKOが何やらどぎつい色のキャンディらしきものを買っていた。
ぐるりと店内を見て回ったら、並んでいる商品の殆どがどぎつい着色料たっぷりの甘ったるそうなスナックばっかりで、ドリンク類もやたら炭酸飲料が多く、ジュースなどは蛍光色ぎらぎらのえげつない代物ばかりなのだ。
「何だよ、これ、こんなのばっかりかいな。おにぎりとかお茶はないんかよ。」
「あるわけないじゃん。もう慣れたよ。」
TAEKOは1年間アメリカで生活しているうちに、どぎつい食べ物に慣れてしまったらしい。
「あと、どれくらい?もうすぐかいな?」
「まだ、半分だよ。これからもっと田舎に行くからね。」
このJONESBOROでも十分田舎だと思うのだが、とにかく広い土地ゆえ、道沿いに人家らしきものが殆ど見あたらない。
再び車で走り出す。
スタンドの横の道をひたすら北上するのだ。
63号線が国道だとすると、カントリーロードの県道49号線というところか。
大平原を突っ切る鉄道沿いの道を走る。
MEMPHISへの貨物鉄道らしく、沿線の農場や工場からの輸送に使われているらしい。
Hertzからもらった地図にも載っていない小さな町Marmadukeに着いたのは、JONESBOROから小一時間も走ってからだった。
MEMPHISからちょうど2時間、200キロあまりを走った計算になる。
人気のない街の一画にある"TANNING
SHOP"「日焼けサロン」が、ホストファミリーの営む店らしい。店内に入ると、典型的なアメリカ人のおばさんが出迎えてくれた。
「こっちがマムのMaxie。で、マム、これが以前話していた日本の変なオッサン。」
余計な事を吹き込んでいたらしく、おばさんは握手を求めてきた。
「HEY, SAIKINDOUYO!」
最初は何を云ってるのか分からなかったが、どうやらTAEKOが教えた変な日本語だったようだ。
「最近どうよ?」と云ったつもりらしい。
だから、その返事に適切な日本語を教えておいた。
"OK, I'll teach you some casual greeting of Japan. When you go
well, say like this, MAAMAADENNA. And when you feel bad, say like this, IYAA SAPPARI
WAYADENGANA. Can you do that?"
「オーケー、じゃ、日本の正しい挨拶の仕方を教えてあげよう。うまくいってる時には、こう云えばいい、まあまあでんなぁ。で、あんまり良くないときは、いやあ、さっぱりわやでんがな。どう、出来る?」
この些細な会話から、このでっかい変なオッサンは完全にうち解けてしまった。
やたら英語でギャグやジョークを連発し、一言一言がネイティブなアメリカ人の笑いのツボをぴっちんぷっちん刺激しまくるようになってしまう。
本人的には、生まれ育った関西お笑い芸能の吉本新喜劇的発想に基づく駄洒落を単に英訳しただけなのだが・・・。
それまで、でっかい髭面の日本人を人見知りしていたSonyaも、やたらまとわりつくようになり、翌日には沢山友達を紹介するからぜったいここに居てよ、とおねだりし始めた。
ホストファミリーのWard家には、ダディのDanny, マムのMaxie, 娘のSonya, 他にも息子のBoとあと二人娘がいるらしいが、一緒に住んでいないのだそうな。
飛行機の中では殆ど眠れなかった為に、猛烈な睡魔が襲ってきた。
しばらく眠りたい旨伝えると、TAEKOとDannyが2台の車に分乗して家に戻ることになった。
店からほんの5分ほどの所に家がある。
平屋造りの200uほどの家だが、アメリカでは小さい家なのだそうな。
日本では結構な豪邸になりそうな広さだが、これも相対的なスケール観の違いなのだろう。
TAEKOは、その夜は友達の家に泊まりに行くというので、彼女のベッドで寝ることになった。
些か空腹ではあったが、睡魔の方に軍配が上がっており、土俵の上でシーツにくるまって眠ってしまった。
"Tanning
Shop"は、夜10時半まで営業しており、みんなが帰ってくるのは11時頃になる。
ということは、翌朝まで何も食べられないと分かったが、分かった時にはすでに夢の世界に踏み込んでいた。
文字通り、アメリカンドリームの世界に。
<アメリカの朝>
「アメリカの夜」は、フランソワ・トリュフォー監督の映画であったように、ハリウッドの、まだ高感度フィルムの無い時代の映画で、夜のシーンを撮影するのに真っ昼間の青空の下でレンズにNDフィルターを被せて暗く潰し、さも夜のように見せていたことから、そう云われるようになった。
だから、西部劇などで、夜にも関わらず俳優が眩しそうにしていたり、映り込む夜空が真っ青だったりしていたのだ。
ジェームズ・ディーンやスティーヴ・マックイーンがいつも眩しそうな眼差しで世の女性ファンを魅了していたのは、「アメリカの夜」のような撮影事情があったからかもしれない。
くっきりぱっちり見開いた目のジェームズ・ディーンだったら、そんなに人気が出なかったかも。
そんなごまかしの撮影法とは無縁なアメリカの朝を迎えた。
もそもそと起き出してリビングルームに行くと、Dannyがコーヒーを入れていた。
"Good morning, have'ya good sleep?"
「おはよう、よく眠れたかい?」
"Yah, I had no American Dream last night."
「ああ、昨夜はアメリカンドリームも見られなかったよ。」
起きがけの朝一発目のギャグだった。
同じように起きていたMaxieが、あきれた表情で云った。
"Oh, you are good at american joke. Even american can't say that
witty joke. Are you really Japanese?"
「ホント、あんたはアメリカンジョークがうまいわね。アメリカ人でもそんな気の利いたジョークは云わないわよ。本当にあんたは日本人なの?」
朝食を造る材料を買ってなかったから、食べに出ることにした。
Tanning
Shopを開ける時間もあり、キャデラックで出かける。
"This car is not ours. We just got a new car. So, I go to change thisafternoon."
「この車はうちのじゃないんだよ。ちょうど新しいのに買い換えたばかりでね。今日の午後、取り替えに行って来るね。」
裏通りに車を停めると、小さな店の裏口から入っていった。
そこはDining
Shop(大衆食堂)で、薄暗い店内には数台のテーブルと表の方に2台のビリヤード台が置いてある。
Maxieは、表に出て向かいのTanning Shopを開けに行ってしまった。
Dannyが、店の女主人のDonnaに紹介してくれた。
"Hi, Donna, this is TATSUO from Japan. He is TAEKO's ・・・uncle?
father? who?"
「ハーイ、ドナ、こちらが日本から来たタツオで、タエコの・・・おじさんじゃなくて、お父さんでもなくて、・・・何だっけ?」
"Just a friend of her, but I know her from her babyhood."
「ただの友達さ。でも、赤ん坊の頃から知ってるけれどもね。」
詳しい説明をすると長くなる上に、英語のボキャブラリーの限界を感じて、後は想像に任せることにした。
実の娘のように可愛がっている事だけは分かったようだ。
"Well, what do you wanna eat?"
「で、何食べたい?」
"Well, well, and what's menu?"
「んと、んとね、メニューは?」
"Hey, look up. That's all."
「ハハ、上を見てご覧。あれしかないよ。」
見上げると、簡単なメニューが書いてある看板があった。
バーガー類が数種類とサイドメニューのオニオンリング、ポテトなどが数種類、あとはソフトドリンクが数種類あるだけだ。
"breakfast"(朝食)とあったので、それを注文した。
"Bacon and Eggs? What about eggs, poached eggs or scrambled
eggs?"
「ベーコンエッグだね? 卵はどうする? 目玉焼きかスクランブルエッグにする?」
"Scrambled eggs, please. And a cup of coffee. No sweet."
「スクランブルでお願いね。それと、コーヒーも、砂糖抜きね。」
ただ、英単語を並べただけで十分会話は成り立ってしまうようだ。
数分後、Donnaが皿を持ってきた。
目の前に出された皿にはカリカリに焼いた塩味の強いベーコンにスクランブルエッグと小鉢にオートミールが入っている。
この"Oatmeal"「オートミール」を長い間 "Automeal"とばかり思い込んでいた。
つまり「噛まなくてもいいように自然に飲み込める流動食」の"auto"と解釈していたのだ。
ところが"oat"は「カラスムギ」のことで、挽き割りにしたカラスムギに牛乳と砂糖を加えた「お粥」のようなものだったのだ。
知らなかったとは言え、初めて食べる"Oatmeal"は、なかなか食べやすい健康食品という感じで気に入ってしまった。
久しぶりの食事を済ませると、向かいのTanning Shopに入っていった。
Maxieが手持ちぶさたでスツールに腰掛けている。
Dannyが入ってくると、入れ替わりにDiningShopへ行ってしまった。
しばらくボサーッとしていると、次々と客がやって来て、Tanning Roomに入っていく。
店の奥に小部屋が3つあり、それぞれにTanningMachineがある。
Machineといっても、照射ランプがずらりと並んだ棺桶のようなカプセルなのだが、その中に20分ほど入り、肌をこんがりと焼いて出てくるのだ。
日本人にはあまり馴染みの無い代物だが、アメリカでは結構利用者が多いようだ。
尤も、黒人の客は一人もいない。
そうこうしているうちに、何やら表で街の人々が忙しく動き始めた。
テーブルを運んできてShopの前に置き、それぞれ持ち寄ったパイやクッキーを並べ始める。
向かいの空き地では、何やら楽器が準備され、ドラムセットやマイクにスピーカーアンプなどがセッティングされている。
道路の端には黄色いテープが張られ、車両の進入を防いでいる。
店の中では、Dannyが電源を準備して長い延長コードを伸ばしていた。
"What's going on?"
「一体何事なの?」
"Festival."
「祭りさ。」
納得がいった。
ちょうど日本の村祭りみたいなもので、出店があったり、アトラクションがあったりで、街中の住民が繰り出すのだ。
前の歩道のところで、一生懸命風船を脹らませている女性がいた。
それらを段ボール箱の中に入れているのだが、風が吹いて全部飛んでいってしまう。
数人が風船を追いかけていった。
更に、脹らませた風船を一枚のボードにステイプラーで留めようとするのだが、うまくいかずにいる。するとまた、風が吹いて風船がふわふわと飛んでいってしまうのだ。
見ているとあまりにもじれったいので、とうとうでっかい日本人は手助けをしに行ってしまった。
"Well, can I help you?"
「どれどれ、お手伝いしましょうかね。」
"Oh, thank you, please."
「まあ、ありがとう。お願いするわ。」
それから、一生懸命ぷーぷーと風船を脹らませ、ポリ袋に溜め込んでいたら、これもまた見かねたDannyが、自前のステイプラーを持ってきて、ボードにぱっちんぱっちんと風船を留め始めた。
何のための風船か分からずにぷーぷーやっていたが、全部風船を留め終えたところで、ようやくそれがダーツで割る的だと理解した。
3本のダーツを投げて割った風船の数で景品がもらえるのだ。
沢山の風船を脹らませた為に、ほっぺたが痛くなってしまった。
顔を歪めて頬をさすっていると、一人のおばさんが近づいてきた。
"Oh, boy, balloons pain your cheek, oh, boy."
「あらら、可哀想に、風船でほっぺが痛くなったのね、お気の毒さま。」
Dannyがそのおばさんを紹介してくれた。
"This is Mayor Irene. Irene, this is TATSUO coming from Japan.
TAEKO's friend."
「こちらはアイリーン市長。アイリーン、こちらは日本から来たTAEKOの友達のタツオです。」
何と、そのおばさんはMarmadukeの市長だった。
"Welcome to Marmaduke. Thank you for your help. Enjoy this
festival."
「マーマデュークへようこそ。お手伝いしてくれてありがとう。祭りを楽しんでね。」
アメリカの田舎町の祭りなど、そう滅多に見られる物ではないだけに、楽しみになってきた。
まだまだ準備に時間がかかりそうなので、Dannyが、ちょっとドライブに行こうと誘ってきた。
車に乗り込むと、
"Well, what do you want to see?"
「で、何が見たい?」
"Well, what is good to see?"
「じゃ、何かいい物あるの?」
"Nothing, nothing here. There are many fields."
「何もない。農場ばっかりさ。」
そう言うと、広野の中の道を走り始めた。
右を見ても左を見ても、だだっ広い平原があるだけで、まだ何も生育していない。
"Cotton Field."
「綿花畑だろ。」
しばらく走ると、ほんの少し30cmほどの青い草地が見えた。
"Corn Field."
「とうもろこし畑だろ。」
ずーっと走ると、何もない原っぱで、
"Wheat Field."
「小麦畑だろ。」
さらに走り続けて、
"Some.....Field."
「何かの・・・畑だろな。」
本当に何も無い広野の中の道をひたすらぐるぐる走ったが、そんな不毛の地で盛んに飛び交っている黒い鳥に目を惹かれた。
羽の一部が鮮やかに赤いのだ。
鳩と同じくらいの大きさだが、美しいソプラノの歌声で囀っている。
"What's that black bird. It's so cute."
「あの黒い鳥は何? 可愛いじゃん。」
"Oh, it's Red-winged Blackbird. It's a popular bird around
here."
「ああ、レッドウイングブラックバードって鳥で、この辺じゃざらにいるよ。」
"But we can't see them in Japan."
「でも、日本じゃ見られないもんね。」
Dannyは、あまり興味なさそうに運転を続けた。
30分ほどで街に戻ると、店にはTAEKOとSonyaが友達を連れて来ていた。
他にもお爺ちゃんお婆ちゃんお姉ちゃんお兄ちゃんたちでごった返し、それぞれに紹介されるのだが、皆祭りで浮かれてるのか、元々そうなのか、やたらテンションが高く、ついていけそうにない。
中でも小太りで腕に入れ墨を入れたお兄ちゃんなんかは、奇声を張り上げて弛んだ贅肉をぶるんぶるん震わせながら店の中で踊り出してしまった。
"Yeh, Japanese man, wow, karate man, hyahooooo!
hyahohohohyahohoho,woo!"
実にクレージーな連中ではある。
"C'mon, be cool, be cool, come down, take it easy, OK?"
「まあまあ、落ち着け落ち着けってば、大丈夫かいな?」
でっかい日本人が、猿の惑星に降りたって、興奮するチンパンジーをなだめているような風情である。
何とかうるさい猿どもを追い出して、TAEKOの友達だけになったところで、ようやく落ち着いた会話ができるようになった。
そこでちょっと気になったことがあった。
日本人の留学生であるTAEKOを、みんながタコ、タコと呼んでいるのだ。
タエコのエが抜け落ちている。
発音しにくいのかもしれないが、呼ばれる本人はあまり気にしていないようだ。
尤も、日本に居るときから、「もう、このタコが、バカタレ。」と叱られていたので慣れっこになっているようだ。
"Now, you call her TAKO, but in Japan, TAKO means octopus and
ass-hole, you know?"
「あのね、みんな彼女のことをタコって呼んでるようだけど、日本じゃ、魚の蛸という意味と、もう一つ、ボケナスって意味もあるんだよ。」
"Oh, you know that meaning. Oh my God!"
「あれまあ、そんな言葉の意味まで知ってるの。やあねえ。」
この日本人のオッサンは結構アメリカの裏事情にも詳しいようである。
その時から、一応タエーコとエを強めに発音して呼ばれるようになったようだ。
<MarmadukeのFESTIVAL>
なぜか美人コンテストの審査員を依頼されてしまった。
町を上げてのフェスティバルでカントリーウエスタンの生演奏や出店が並び、音楽に合わせて路上で歌い踊るのだ。
ちょうど日本の盆踊りのようなものだ。
他にもブルースやロックの演奏もあり、老いも若きも小さな子供までも腰を激しく振りながら踊っている。
陽気な連中ではある。
巨大な日本人が珍しいのか、殆ど全員の注目を浴びてしまう。
そんな折り、幼児の美人コンテストに続いて10歳の女の子たちのビューティ・コンテストのジャッジを
頼まれてしまった。
最初に写真審査でミス・フォトジェニックを選ぶのだが、小太りでファニーフェイスの女の子をピックアップした。
もう一人の審査員のドイルという名のおじさんと一緒に晴れ晴れしく表の審査員席に着くと、8人の若きアメリカン・ビューティたちが次々と目の前まで歩いてきて、ある娘はにこやかに、ある娘はぶすっとして、くるっと回り歩いてゆく。
それぞれの女の子の印象と笑顔、ドレス、歩き方を10点満点で点数をつけてゆき、最終的には二人のジャッジで相談して決まるのだ。
自分ではミニドレスの金髪美女が気に入ったが、もう一人のジャッジが別の娘を一押しにしたので、そこは場所がアメリカでもあり、譲歩してしまった。
いずれも金髪碧眼の麗しい小娘だったが、10歳にして女の色気を十分感じさせる娘もいたようだ。
でっかい日本人は、やたら子供に人気があるようで、SonyaとLorraineという名の二人の女の子がくっついて離れようとしない。
"Come on, let's play bascketball."
「ねえ、バスケットボールしに行こうよ。」
"Now, shall we go looking at horses."
「ねえねえ、馬を見に行かない。」
"Will you taste this candy? Oh, let's go see that shop."
「このキャンディ食べてみる? あっ、あっちのお店見に行こう。」
でっかいオッサンを二人の女の子が引っ張り回している。
"Hey, he is Japanese. So cool, you know."
「ねえ、彼、日本人なのよお、どう、かっこいいでしょう。」
何だか見せ物になっている。
握手を求められたり、抱きつかれたり、ぺたぺたさわられたりと、全く「猿の惑星」のチャールトン・ヘストンそのままではないか。
"Now, let's go playing Pool."
とうとう、ビリヤードをやろうと店の中に引っ張り込まれてしまった。
35年前は毎日のようにビリヤード場に入り浸っていたから、腕には結構自信があったのだが、
Sonyaは結構巧くて、あっさりと負かされてしまった。
なかなかのハスラーなのだ。
金を賭けてなくてよかった。
フェスティバルも終わり、すべて片づけが済んだ頃、TAEKOがイブニングドレス姿で現れた。
「なんじゃい、アメリカの七五三かい?」
「ちがうよ、卒業パーティだよ。」
「ほぉ、それで盆踊り踊るんだ。」
「アホ!」
よちよち歩きの頃から知っているだけに、大人っぽくなった小娘の姿に些か面食らって、ついつい憎まれ口をたたいてしまう。
だが、彼女の顔は実に嬉しそうな表情で輝いていた。
慣れないドレスで歩く姿が何ともぎこちない。
アメリカ人たちは、口々に誉め上げ煽て上げている。
"So beautiful, so cute, oh, my pretty princess!"
「まあ、きれい、すっごくステキ、プリンセスみたい。」
しかし、日本人の口には、とてもそんな言葉が出てこない。
「なーんだかなあ、出っ張りが全然ないじゃん。悔しかったら胸の谷間見せてみろい。歩き方が、変! 右手と右足同時に出して歩くなよ。ほら、もっと腰を振って。今日のミス・コンの8歳の女の子の方がもっと色っぽかったぞ。」
誉めるのが恥ずかしいのだから仕方ない。
しばらくすると表にやけに胴長の白いリムジンがやって来た。
ドアが開くと、中からタキシードやイブニングドレスで着飾った卒業生たちが現れる。
TAEKOを迎えに来たのだ。
一人の男の子が彼女の腕にコサージュをつけると、ちゃんと手をとりエスコートして車の中に迎え入れる。
プリンスやプリンセスたちを乗せた長大なリムジンは、しずしずと走り去っていった。
"Hey, Tatsuo, let's go driving by brand-new car."
「よう、タツオ、新車でドライブに行こうや。」
Dannyが誘ってきた。
表に出ると、真新しいオールズモビルの4WDがあった。
朝とは違う道を行く。
だが、風景はあまり変わらないようだ。
道の上に、車に撥ねられた動物の死骸が点在している。走りながらそれらを確認していった。
"Raccoon!"
「アライグマだ!」
"That's Skunk!"
「ありゃ、スカンクだな。」
"Look Danny, what kinds of wild animals are found around
here?"
「ねえ、ダニー、どんな野生動物がこの辺にはいるの?」
"Ah, humm, deer, armadillo, raccoon, opossum, skunk, wolf, coyote,
anaconda, and man."
「あー、うー、シカに、アルマジロに、アライグマ、オポッサム、スカンク、オオカミ、コヨーテ、アナコンダ、それと、人間かな。」
"We can't see every animals in Japan. Only wild man I can see. Yes, I
am."
「日本じゃ見られない動物ばっかりだなあ。でも、野生の人間だけは見たことあるよ。ボクがそうだから。」
"A, anaconda!? Big snake lives here? "
「ア、アナコンダ!? そんなでっかいのがいるの?」
"Yah, many, many snakes are here."
「ああ、ウジャウジャいるよ。」
"Oh, my God, I hate snakes."
「やだなあ、ボクは蛇が苦手なんだよ。」
結局、ぐるりと回って戻ってきたが、あまり変わらぬ風景の中で、唯一黄色いキンポウゲ(英名;buttercup)の花が一面に咲いている場所を見つけた。
そして、途中の道端でアルマジロがあるまじき格好でひっくり返っていた。
店に戻るとすぐ家に帰ろうと云われた。
パーティをみんなで見に行くのだという。
一旦、家に戻り、MaxieとSonyaと三人で学校に向かう。
Dannyは、店に残っていた。
このアメリカのド田舎では、ちょっとそこまで行くにも車を利用する。
殆ど歩くことはしないようだ。
それというのも、余りにも広い土地ゆえ、歩いて行くには遠いのと、治安があまり良くないらしい。
道を一人で歩いていると変な人間、危険な人間と見なされる。
だから、子供たちは決して一人での外出は許されない。
学校への行き来も、全国的に同じ黄色いスクールバスが送迎する。
アメリカでは黄色いスクールバスはどこでも最優先で、停止している周辺は、どんな所でも通行する車は最徐行しなければならない。
アメリカでは、大人はどんな時でも子供を保護する義務があるのだ。
<卒業パーティ>
Marmadukeの学校は、"elementary school"小学校、"junior
high school"中学校、"senior high school"高校、がひとつの建物の中に収まっており、教室は、その建物の中で区分けされている。
それと、別棟に体育館やホールなどがある。
ホールの前の広大な駐車場の入り口に、あの長大な白いリムジンが横付けされていた。
ロビーでは正装の若い紳士淑女たちが、集まった家族と談笑している。
そんな中に、でっかい日本人が入っていったのだが、どういう訳か、みんな口々に挨拶してくる。
どうも、顔が知れ渡っているようだ。
TAEKOが、どこにいても目立つオッサンを引っ張って、白髪の小柄な老人に紹介した。
"This is Mr.B, my teacher of American History. Mr.B, this is TATSUO I
talked about.
He is a writer in Japan."
「こちらが、歴史の先生のミスターB。で、こっちが以前話していたタツオです。日本では一応作家なんです。」
"Oh, I'm glad to see you. I have heard about you from TAEKO."
「いやあ、会えて嬉しいですよ。タエコからいろいろ話は聞いてますよ。」
"Well, what did she talk about me? Bad rumor? I am a rider and
a writer.
So, people call me riding writer or writing rider."
「えぇ、何を云われてんだか。悪い噂かなぁ? ボクはバイクに乗ってるし、物書きでもありますがね。で、こう呼ばれてますねん。『ライディングライターもしくはライティングライダー』ってね。」
"HAHAHAHA, that's interesting, pleasant name. You are a humorous boy,
hahaha."
「ハハハ、そりゃなかなか面白い、楽しいね。アンタはホント面白い人だ、ハハハ。」
ダジャレの肩書きはアメリカ人にも受けたようだ。
やがて、家族ら立会人はホールの席に着いた。
中央の席は大きく空いているが、そこはこれから入ってくる卒業生たちの席らしい。
場内の照明が落とされ、ステージのカーテンの真ん中だけが少し開いている。
ホールの後ろから次々とイブニングドレスとタキシードで着飾った卒業生たちがステージ袖に歩いてゆき、ポディアムのMCが呼び上げる名前に応えて、二人ずつペアでステージ中央からスポットライトを浴びて降りてくる。
まさに華やかなスポットライトを浴びて登場するヒーローとヒロインたち。
彼らはこれから大人として羽ばたいてゆこうとしている。
ステージから降りるステップの両脇には、Tシャツ短パン姿の在校生がエスコートしているが、その格好も、大人として華やかにドレスアップした卒業生たちを引き立てるためなのだ。
全員が着席したところで、いきなりMCが叫んだ。
"Rise!"
「起立!」
すると、会場の全員が一斉に立ち上がった。
そして、同時にパシッと右手を左胸に当て、「星条旗への誓い」を大声で唱え始めたのだ。
"I pledge the allegiance to the Flag of the United States of America
and the Republic on which we stand, one nation under God indivisible with justice
and liberty for all."
「アメリカ合衆国国旗と我が共和国、絶大なる神の元、すべての国民に正義と自由を与え賜うひとつの国に忠誠を誓います。」
"Be seated!"
「着席!」
一糸乱れぬ彼らの言動に、現代アメリカの縮図を見た気がした。
良くも悪くも、これが彼らの愛国心の現れなのだ。
折しも、アメリカ議会では、この「星条旗への誓い」が違憲ではないかとの議論がなされている。
何といっても、この宣誓はアメリカ全土の殆どの公立学校で行われているのだ。
問題にされている部分は、"one
nation under God indivisible"「絶大なる神の名のもと」というのが、政教分離の原則から逸脱しているのではということらしい。
だが、本来キリスト教の国であり、宗教が国民の精神基盤となっている以上、それはそれで仕方がないのではと、無宗教の日本人は一部羨ましい思いで見ていた。
ブッシュ大統領が、その違憲だという意見に同意を見せたことから、議会の猛反発を受けているらしいが、日本人は傍観するしかないようだ。
意見を挟む立場ではないことを十分承知している。
在校生と卒業生の歌による送辞と答辞がステージで行われた。
彼らは高校を卒業すれば、社会的にも大人として認められ、それぞれが個人の権利を主張できる自由を持つこととなる。
同時にアメリカ市民としての自己責任を認識することで独立してゆくのだ。
同年代の頃の自分自身を振り返ってみると、何とも幼稚だった。
社会は大人として見てくれていなかったし、社会自体も大人ではなかった。
他力本願で責任転嫁ばかりしていたような気がする。
そして、今尚日本の社会は幼児性が抜けきらないあやふやな形態に甘んじているようだ。
ステージから降りてくる日本人のTAEKOが、その時には急に大人っぽく見えた。
パーティが終わり、みんな家に帰るのかと思ったら、TAEKOはドレスのままボーリングをしに行くという。
卒業生グループでそれぞれの車に分乗して遊びにいくらしい。
彼らは高校生で車を運転している。
アメリカでは16歳で運転免許をとれるのだ。
若いうちから車を運転できないと、ホントどこにも行けないほど広い国土なのだ。
家に戻ると何をするでもなく、ソファで寝転がっていると、Sonyaがビデオを見ようとテープを持ってきた。
"Dude! Where's My Car?"というドタバタ喜劇なのだが、ちょうどアメリカに来る2日前にたまたま買って見たDVDが、それと同じ映画だった。
邦題は「ゾルタン星人」とついていて、Austin Powersに劣らぬアメリカでの大ヒットというふれこみだった。
内容は実にたわいないおバカギャグの連続なのだが、中でもチャイニーズのドライブスルーの注文で、スピーカーから出てくるおばさんの"And
then......and theen......and theeeeen........and then......."
「ほぃで・・・ほぃで・・・ほぃで・・・・ほぃで・・・」という吉本新喜劇のギャグ同様のセリフが大いに受けてしまい、以後、"and
then..."が挨拶代わりになってしまった。
Helloの代わりにAnd theeenという風に、みにょ〜と[e]を伸ばして発音するのだ。
朝起きると"And then." 電話に出ると"And
theen." おやすみの挨拶も"And theeen." 学校でも、街の食堂でも、道で会っても"And
theeen."が飛び交うようになってしまった。
そもそも映画ビデオの中のひとつのセリフが、なぜにこのMarmadukeの街で流行るようになったのか。
どうも、一人のでっかい日本人が、辺り構わず誰彼構わず"And theeen."を連発してきゃっきゃと喜んでいたらしい。
数日後、店で出会った市長が、でっかい日本人を見つけて大声で話しかけてきた。
"Hi, Tatsuo, and theeen!"
<AMERICAN LIFE>
日曜日の朝は全員寝坊している。
一番早起きのDannyが、コーヒーを入れてくれた。
このアメリカのド田舎では、朝食もランチも夕食も決まったものがない。
誰もが好き勝手に適当に食べている。
特に日曜ともなると街の食堂も休みらしく、やむを得ず家で何か作るようだ。
彼らがいう"Bar-B-Q"なる代物が、大きな鉄製のトレイに作ってあった。
CORNED BEEF(コンビーフ)を塩・胡椒で炒めてあるだけなのだが、それを丸いパンにはさんでかぶりつく。
大きなマグカップのコーヒー片手にベランダに出て食べていた。
前の日に食べたものを思い出そうにも、何も食べていないことに気が付いた。
朝にベーコンエッグとオートミールを食べた後、午後2時頃、Sonyaが持ってきてくれたバーガーを1個食べただけなのだ。
家族が揃って食卓につくことがない。
そもそも家の中に食卓そのものが見当たらない。
もそもそ起きてきたTAEKOに聞いてみた。
「この家では家族揃って食事をするってことはないの?」
「ないよ。だって、料理なんかしないもん。」
日本とは全く生活様式が違っている。
アーカンソーの田舎だからかもしれないが、みんなのべつ幕なしに何かしら食べており、主食などというものはなく、間食ばかりで毎日を過ごしている。
しかも、どの食べ物もやたら甘い。
生野菜は一切なく、飲み物もコーヒーかこれまたやたらと甘ったるい炭酸飲料ばかりなのだ。
それでいて歩くことはせずに車で移動しているので、街で見かける殆どの人は、ぶくぶくに太った超肥満体ばかりなのだ。
日本では肥満体のデブに属する自分がやたらスマートに見えてしまう。
しばらく外でSonyaと犬のMikieと一緒に遊んでいたら、俄に空が曇ってきて突如大粒の雨が降り出した。
スコールの襲来だ。
遠くから雷鳴も聞こえてくる。Dannyがテレビを覗き込んで云った。
"Look at TV, the Twister Warning is announced. Wow, many
twisters are coming now."
「テレビを見てみなよ。竜巻警報が出てるよ。ワオ、沢山竜巻が発生してるなあ。」
テレビでは、ひきりなしに警報が流れ、天気図を前にキャスターが盛んに解説をしている。
雲の動きを早送りしているのだが、ちょうどARKANSASとMISSOURI,TENNESSEEあたりを巨大な雲の固まりがくるくる渦を巻きながら通っている。
暗くなった家の中でSonyaと遊んでいるうちに、外の様子は雷雨となっていた。
1時間ほどで雨は止み、青空と強い日差しが戻ってきた。
Dannyが誘ってくる。
"OK, let's go shopping. It's fine day, isn't it?"
「さあてと、買い物にでも行くか。いい天気になったもんなあ。」
"Why not? Ok, let's go. And then, and theeen!"
「行かぁでかぇ。よっしゃ、いこいこ。ほいでかぁら、ほいでかぁら♪」
SonyaもTAEKOも一緒に車に乗り込む。
レンタカーで借りているトヨタ・カムリがやっと登場だ。
雨上がりの道を走ると、爽やかな風が車窓から吹き込んでくる。
やたらちょこまかとあっちに曲がれ、こっちに行け、そっちの道だとDannyが指示を出す。
"All right, all right. But not all right.Sometimes go left. Sometimes
go right."
「よっしゃよっしゃ、でも、いつでもよっしゃじゃないよ。時には左に行ったり、時には右に行ったりするもんね。」
と、このギャグには大笑いで受けた。
日本語に訳すと何でもないが、"right"の意味をギャグに使っただけだ。
それにしても、英語のギャグを日本語で説明する事ほど難しくアホらしいものはない。
Dannyもノッてきて、自分なりにギャグを考えるようになってきた。
何せでっかい日本人が英語でギャグを連発するのだから、本場のアメリカ人としては対抗して面白い
ギャグを云わなければならないのだろう。
神妙な面もちでギャグを一生懸命考えている様子がありありと窺えて、このアメリカ人のおじさんが可愛く思えてしまった。
道端に見える木々の名前を次々と云っていた。
"Oak tree......Pine tree.....Maple tree....."
"Country......"
ボソッとDannyが云った。
してやったりの表情でちらっとこっちを見て笑った。
彼としては会心の一発ギャグだったようだ。
"Yah, country! Here's country of Arkansas. ♪Country road, take me
home....♪"
「イエィ!カントリーね。ここはアーカンソーのド田舎だもんね。♪カントリーロード、テイクミーホーム♪」
と、歌い出したら、Sonyaも加わって車内は大合唱となった。
やがてParagouldという町のWALMARTという大きなショッピングセンターに着いた。
大規模なホームセンターという感じだ。
売っているものは日本と大した違いはない。
デジカメのバッテリーを買おうとしてカメラ売り場で探していると、"Duracell"のアルカリ乾電池しか置いていない。
日本のように、ニッケル水素、ニッケル-カドミウム、リチウム、水銀、リチウムイオンなどのバリエーションはないようだ。
その時は何の気にもせず単4の電池を買ったが、後に驚愕の事実を知らされることとなる。
日本で売っているデジカメのバッテリーは、殆どが充電式を採用しており、「リチウムイオン」もしくは「リチウム電池」の指定になっている。
携帯電話にしても、内蔵バッテリーにはリチウムが使われている。
そして、それらを日本人は当然のように使っているが、ここアメリカでは「リチウム」はドラッグに指定されており、「危険物」として扱われている。
しかも、持っているだけで犯罪となり、見つかれば即刻逮捕されて投獄され、30年の実刑を受けるというのだ。
リチウム乾電池を粉砕して精製して取り出された「リチウム」は、ほんの1gのものでも4000$で取引されるらしい。
日本では全くそのようなリチウムに関する情報が無いために、無防備に無意識にデジカメや携帯電話に付けたままアメリカに入っているが、内蔵されている分には、取り出して検査することはなくても、スペアのつもりでリチウム電池を持ち歩くと、とんでもない事になってしまう。
空港などで持ち物検査されて「リチウム電池」が見つかれば、その場で手錠を掛けられるのだから、何も知らない日本人はまさに「青天の霹靂」状態で、訳の分からないまま30年刑務所に入って泣き寝入りとなる可能性大なのだ。
尤も、そんなリチウムまでドラッグに利用しようとするアメリカの裏社会こそ罰せられていいはずなのに、リチウムそのものとそれを持っている人間を罰すること自体、理不尽としか云いようがない。
存在そのものを罪とするならば、地球上にある元素Liを駆逐しなければならなくなる。
万物は神が創り賜うたと信じるアメリカ人が、神の創りしものの存在を罪と見なしているのだから、矛盾している。
そんなことをもし抗議して云おうものなら、即刻銃を突きつけられて"Freeze!"で"Cuffs!"で"Jail!"で30年!・・・恐ろしや、リチウム。
恐ろしや、アメリカなのだ。
そのことを成田の税関で話したが、誰も知らなかった。
知らぬが仏とは云っても、知らないでは済まされない事態になりうる。
アメリカでは、リチウム電池を「作らない」「持たない」「持ち込まない」の「非Li三原則」があることを心に銘記すべし。
夕方になって家に戻ると、家族全員が日本から贈った「キモノ」を着て卒業式に行くのだとはしゃいでいる。
MaxieとSonyaには浴衣を着せ、息子のBoには作務衣を着せた。
TAEKOも浴衣を着たが、やはり日本人に一番ぴったりしているようだ。
体の凹凸の激しいアメリカ人が着ると裾もはだけてみっともないこと甚だしいが、誰も着付けを知らないのでそのまま平気でいる。
外では再び激しい雷雨が降っていた。
2台の車で学校に向かうが、駐車場にはどこから集まったのか、街中の車が押し寄せて大混乱
になっている。
体育館に入ると、そこはMarmadukeの総人口2400人余りの殆どが集まっているように見えた。
<卒業式>
アメリカのハイスクールの卒業式に初めて立ち会ったが、実に華やかであり、健やかであり、格調の高いものだった。
卒業生の家族のみならず、町中の人々が一同に会して大人になってゆく彼らを祝福するのだ。
白いガウンを羽織り、四角いキャップを被った卒業生たちが、大きな体育館のアリーナに設えた椅子席に座るのだが、まずは入場するにあたり、一人ずつが両側の入り口から歩いて来て中央付近でペアになり、一緒に並んで椅子席に向かう。
行進曲を在校生のブラスバンドが演奏しており、曲にあわせて歩いてゆく。
全員が着席すると、いよいよ卒業式の始まりとなる。
周りの観客席は町中の老若男女でぎっしり満員だ。
まず最初に、全員で神への祈りを捧げる。
牧師の言葉に従って頭を垂れ、
「この場に集いし人々に、日々の糧を与えてくださった神に感謝します。家族が、隣人が互いに愛し愛されてこの日まで生きてこられたことを神に感謝します。アーメン。」
最後の「アーメン」だけ分かったので、思わず唱和してしまった。
そして、卒業生代表なのだろう、男女一人ずつがかなりの長文を演説するかのようにポディアムに立って語った。
殆ど何を云っているのか分からないが、誓いの言葉を沢山並べていたようだ。その後、日本での贈る言葉にあたるのか、ドレスで着飾った在校生たちがコーラスを歌う。
それも、なかなかメロディアスなブルースであり、しんみりと歌って聞かせる美声なのだ。
それが終わると、今度は卒業生の代表数人が、同じようにコーラスで歌う。
この時には卒業するにあたって感慨深かったのだろう、声がうわずっていたり、涙ながらのソロが入って途中で詰まったりしていた。
それでも、しんみりと聞いてしまった。
なぜか知らないけれど、少々涙腺が弛んでしまったようだ。
変な日本人である。
更に、教師でもある神父が登場した。
いきなりものすごく巧い口笛でブルースを吹き出す。
指ぱっちんでリズムをとり、終わると皆の喝采を浴びる。
それを制して早口の南部訛の英語で説教が始まった。
「ここに集いし卒業生の諸君、ゲストの皆さん、ひとついい話をしよう。今我々が暮らすアメリカは、いわば『ノアの箱船』なのだ。世界は洪水で覆われている。過去から何年も何年も続いている。その船の中で、人々は暮らしている。若い男女が出会い愛し合い、結婚し、子供を作り、育て、そして、その子供たちが出会い、愛し合い、結婚し、子供を作る。子孫がどんどん繁栄してゆく上で、人々は日々の糧を得なければならない。それには、多くの食べ物が必要となる。多くの植物、動物もすべて船の
中にいる。人々は愛し合うが、植物も動物もそれぞれが愛し合い、子供を作り、子孫を増やしている。そう、人々が愛し合うように、植物も動物も愛し合うことで生きている。だから、人々は植物も動物も愛さなくてはならない。自分を生んでくれた父と母に感謝すると共に、親子で愛し合い、兄弟で愛し合い、日々の糧を愛し、植物を愛し、動物を愛する。そう、船の中にはすべての命を育む愛があるのだ。君たちは今卒業して、大人になっていくだろう。しかし、今、ここで船を降りたらどうなるだろう。
外は洪水だ。そこには命を飲み込もうとして待ちかまえる邪悪な存在がある。その者たちに立ち向かうのは君たちではない。これから大人として愛し愛される存在になり、生きる力を身につけてかねばならない。
神は汝、己を愛せよと云われた。神は汝、隣人を愛せと云われた。神は汝、敵を愛せと云われた。我々はすべてのものを愛することで生きることを許されるのだ。今、君たちは船に乗っている。このアメリカという大きな船の中で、新しい愛を見つけて生きていってほしい。決して船を降りてはいけない。船の外には愛は存在しないのだ。今、私の話したことはすべてこの本に載っている。そう、聖書だ。私の授業を受けた諸君は分かってるだろうけど、そのほかの人々は、聖書を読んでください。我々に愛を与えてくださった神に感謝しよう。神は君たちを見放しはしない。すべての人々に神のご加護のあらんことを祈る。アーメン。」
朗々と語る神父は会場のすべての心を引きつけていた。
かく言う自分自身も、その流暢な南部訛のきついべらべら英語に聞き入ってしまった。
それで殆どの意味が分かってしまった。
だが、聞いているときには、頭の中で日本語への通訳はいなかったようだ。
なぜか、日本語は浮かばなかったし、英語の言葉がそのままイメージとなって残っていたのだ。
だから、そのイメージを翻訳して上記のような神父の言葉を延々と書くことができた。
結構これでも英語の理解力が上達していたのかもしれない。
確かにこの数日アメリカのド田舎で生活していて、彼らの言葉の中にいると、日本語の登場が殆どないようだ。
だから、考えることも英語でしていたりする自分に、時々びっくりしてしまう。
どんな外国語を修得するにも、日本語の世界で授業を受けて机上で勉強しても殆ど身に付くことはない。
中学校から英語教育を受けているにも関わらず、自由に話せる日本人が一体どのくらいいるだろう。やはり言葉は頭で覚えるものではないようだ。
その言葉の世界にどっぷり浸かって体と心で覚えるのが最良の策だと確信した。
豪雨の中、家に戻ると、MaxieもSonyaもキモノの帯はどこかにやって、前を大きくはだけてしまっていた。
もっとも、下にはTシャツと短パンを着けてはいたが、あられもない格好には変わりない。
テレビでは、相変わらずTwister
Warningが流れ、キャスターが盛んに注意を促している。
Dannyが叫んだ。
"Wow, seventeen twisters came out in one day today. Let's go see the
broken house, tomorrow."
「うわあ、今日一日で17個の竜巻が発生したんだってさ。明日、あの壊れた家を見に行こうか。」
結構、野次馬根性旺盛なオヤジである。
<Gone With The Twister>
朝、目覚めた時には、BoとSonyaは学校に行き、Maxieは店に行ってもういなかった。
寝起きの悪いTAEKOをDannyが引きずり起こしていた。
日本にいてもアメリカにいても、同じ事の繰り返しのようだ。
"Hey, wake up, you Japanese crazy girl, my pretty princess.C'mon!
Wake Up!!"
とは言え、DannyはTAEKOを実の娘のように可愛がっている。
彼女のいないときにDannyは、沈痛な面もちで話していた。
「あと1ヶ月で日本に帰ることを思うと、寂しくて悲しくてとても辛い。」
何とか起き出したTAEKOを連れて、まずDonnaの店へ朝食を食べに行く。
相変わらずのメニューの中から、フィッシュバーガーとコーヒーだけを注文する。
そろそろご飯とみそ汁とサバの塩焼きが恋しくなってきた。
食べ終えてしばらく休んだ後、カムリで走り出した。
カーラジオからは、ひきりなしにTwister情報が流れている。
前夜の雨で流されたのか、あるまじき格好で寝っ転がっていたアルマジロの姿が消えていた。
竜巻に吸い上げられて、今頃、空を飛んでいるかもしれない。
Jonesboroを過ぎて更に南下する。
150キロほど走った町の一画に入り込んだ。
"That's the house, oh, no roof."
「あれがそうみたいだな。ありゃりゃ、あの家屋根が無くなってる。」
三軒並んだ真ん中の家だけ、屋根が飛ばされて無くなっている。
両隣の家は全くの無傷なのに、竜巻が通った狭い範囲だけ、ことごとく吹き飛ばされているのだ。
他にも野次馬がいるようで、数台の車がそろりそろりと被害にあった家の周りを彷徨いていた。
更に1キロほど行った住宅地の中には、もっと酷い状態の家があった。
密集しているにも関わらず、1軒だけが完璧なまでに破壊されており、無惨に散らばった家財道具の中で、家主が呆然と佇んでいた。
そんなところにでっかい日本人が見物にやって来たものだから、気分を害したのであろう。
大声で怒鳴ってきた。
"Hey, you, what do you want. What did you come for?"
「おい、こら、何なんだよ。何しに来やがったんだよ。」
咄嗟に英語が分からない振りをして、早々に立ち去った。
竜巻の凄まじいばかりの威力を目の当たりにして、声も出ずにいたのだ。
辺りには分厚い鉄板や鉄骨がアメのようにねじ曲げられ、バラバラになった車の破片が散らばり、直径1mほどの木がねじ切られるように引きちぎられていたのだ。
"Gone With The Twister"の表題通り、竜巻の通った後には何も残らず消えてしまうのだ。
「すっごいなあ、恐ろしいなあ、竜巻って・・・。」
「あんな被害にあった人のとこなんか近づけないよ。写真なんか撮れる雰囲気じゃないもん。」
最初は面白半分の野次馬で来た二人の日本人は、あまりの凄まじさに怖じ気づいてしまった。
Dannyもまた、"Oh, my God. It's terrible."と、首を振っていた。
気を取り直した三人は、Jonesboroに戻ると、まず本屋を探してあちこち回る。
見つけた本屋で必要な本を買ったのだが、何気なく棚に並ぶ漫画本を見ると、見覚えのあるキャラクターが並んでいる。
「クレヨンしんちゃん」「ドラゴンボール」「らんま1/2」など、棚の漫画の殆どが日本の作品なのだ。
キャラクターたちは達者な英語で話していた。
途中あちこちで買い物をしながら店に戻ると、Sonyaが学校から帰ってきていた。
"Hey, Tatsuo, bet on pool?"
「ねえ、タツオ、一勝負する?」
"OK, what d'ya bet?"
「いいよ、で、何を賭ける?」
"Hum, me in the future."
「へへ、未来の私ではどう?」
"If I won, I'm gonna get you in the future, you don't eat sweet foods
too much. Sweet food makes you fat, you know."
「もし、ボクが勝って、未来の君を手に入れることになったら、甘い物を食べ過ぎちゃだめだよ。甘い物を食べるとデブになっちゃうんだからね、分かった。」
その後、日本とアメリカのハスラー対決は、2勝1敗で日本人の勝ちとなった。
"OK, Sonya, see you in the future. Never get fat."
「さてと、ソニア、未来で会おうね。太るなよ。」
11歳の少女は、負けて嬉しそうに笑ったが、腹の周りには結構な脂肪がぷるんぷるんと揺らめいていた。
翌朝は、一人で運転してメンフィスまで行かねばならない。
来るときはDannyの車にくっついて走っていたから、道を全然覚えていなかった。
標識があるから分かるさと簡単に云われても、不安は募る一方だ。
Sonyaは、朝早く学校に行ってしまった。
先生にも挨拶したかったので、MaxieとTAEKOと一緒に学校へ向かった。
小学校のSonyaのクラスで記念写真を撮った後、別れのHugをしたが、TAEKOが
"Oh, don't cry, don't cry."
「こら、泣くな泣くな。」
と冷やかしても、
"I'm all right, we can see in the future, soon."
「平気だもん。ほんの未来にすぐ会えるんだもん。」
と、少女は言い返していた。
次にTAEKOの恩師のMr.Bに会いに行った。
日本から持ってきたお土産の日本酒を渡す。
かなりの酒好きらしく、上機嫌だ。
"Don't drink too much."
「飲み過ぎないようにね。」
と、何度も釘を刺しておいたが、後で聞いたら直ぐに全部飲んでしまったようだ。
1リットルパックを2本渡したのだが・・・。
朝食を食べようとMaxieが誘うので、直ぐにでも出発したかったが、Donnaの店に行く。
やはりフィッシュバーガーとベーコンとコーヒーだけを注文するが、どれも熱くて舌をヤケドしてしまった。
メンフィスまで迷わず走って2時間だから、迷うかもしれない不安な時間をプラスしても、3時間は見ておかねばならない。
次々と入ってくるお爺さんたちが、出発しようとする日本人に話しかけてくるが、刻々と時間は過ぎ
て、気は焦るばかりだ。
"Now, I have to go, I have to go. I have no time. Bye, bye,
everyone."
「うわあ、行かなきゃ行かなきゃ、時間がないよー。バイバイ、みんな。」
熱々のフィッシュバーガーを頬張ったまま、ようやく解放されて車を発進させた。
Jonesboroで49号線から63号フリーウエイに入る所にきて、不安は的中した。
右側通行での左折のタイミングを逸してしまい、変な細い路地に入り込んでしまった。
あっちこっちうろうろしていると、来た時に立ち寄った覚えのある店を見つけた。
喜んで一旦その店に入り、勢いよく道に合流して走り出したものの、どうもおかしいことに気が付いた。
来た時と同じ方向に走っている。
ということは、メンフィスとは逆の方向に走っていたのだ。
また、Marmadukeに戻ってどうする!? 慌てて脇の工場の敷地に入り込んでUターンする。
何とか63号フリーウエイの入り口に辿り着いたものの、ジャンクションの複雑な構造に惑わされてしまった。
で、思い切って入り込んだら、またもやメンフィスとは逆の方に走っていた。
高速道路ゆえ、次のジャンクションまでひた走る。
今度は間違えないように、ぐるりと回ってフリーウエイに戻った。
逸る気持ちと焦る気持ちを抑え、ついでにスピードも抑えて突っ走る。
時計を見ると、40分のタイムロスだった。
まだ、何とか間に合う。90マイルを維持しつつ、走行車線をひたすら走っていた。
1時間ほど走ったところで、見覚えのあるミシシッピ川の鉄橋を渡る。
ほっとして交差点を真っ直ぐ突っ切った所で、また失敗に気が付いた。
川を渡ったら直ぐに右折して55号線に入らなければならないのだ。
またまた見知らぬどこかの会社の敷地にお邪魔してぐるりと鼻先を回すと、55号線に左折して入る。
しばらく行くうちに240号に合流して、やがて前方に飛行機の姿が見えてきた。
確かどこかのジャンクションで空港に入る筈と思っていたが、示してある番号を覚えていない。
地図に書いてあるのだが、余りにも小さくて老眼の目には見えないのだ。
道路の標識に25,24,23,21とあって、22が無いのに気が付いた。
21まで来たとき、飛行機の姿が無いのにも気が付いた。
思い切ってジャンクションを降り、一般道の脇に停めて地図を確認したら、空港へのジャンクションは23と実に小さく書いてあった。
こんなの車を運転しながら読みとれる訳はない。
通り過ぎてしまったのだが、それも22がないから気が付いたようなものだ。
今度は慎重に240号に戻り、23番ジャンクションで確実に降りる。
"RENTAL
RD."というレンタカー専用の標識を頼りにやっとの思いで"Hertz"に辿り着いた。
最終的には60分のタイムロスではあった。
メンフィス空港でのチェックは実に厳重だった。
「ハイコッチニキテ、リョウテヲヒロゲテ、アシヲヒライテ、アッチムイテ、クツヲヌイデ、ポーチノナカヲミセロ、ラップトップヲミセロ、バッグノナカヲミセロ、ヨシイイダロ、イッテヨシ。」
テーブルの上には全部さらけ出されたバッグの中身があった。
ひとつひとつ詰め込むのに、また10分のタイムロスだった。
ボストン行きの飛行機に乗り込んだときには、もうへろへろになっていた。
<個人主義と自由>
アメリカの自由とはなんだろうか。
それは、自己責任をもって国家から保証された
権利を主張し、行使できる自由なのだ。
彼らはシニアハイスクールを卒業した時、社会から大人として認められ、自分に誇りと自己責任をもって自由を勝ち得るのだ。
法の名の下に平等であり、法を犯す者は厳しく罰せられる。
彼らとて人間である以上、完璧ではあり得ない。
それでも、国家の庇護を受けて、家族を愛し、国を愛している。
子供の頃から「星条旗への誓い」を立てている彼らは、国を愛する一方で、国も国民を愛している。
リンカーンの云った言葉で、「人民の、人民による、人民のための政治」という根本的な精神が今尚アメリカには息づいているのだ。
何をやってもいいというのは「自由」を履き違えた人間の考え方であり、法の下の自由を犯す者は、その権利を剥奪されても文句は言えない。
だが、アメリカ市民である以上、最低限の生きる権利は保証されている。
一旦法を犯して投獄された者は、その罪状によっては刑期中であっても保護監察の元で自由に生活出来る場合がある。
そして、刑期を終えて出てくると、新たな生活に向けての指針が与えられる。
特に、政治犯などは一旦法を犯せば、その政治生命を完全に失うのだ。
日本のように、政治犯罪を犯して投獄され出所してきても、「禊ぎは済んだ」などと嘯いて大手を振って選挙に立候補し、当選してしまうなど、アメリカではあり得ないことなのだ。
立候補する者が愚かならば、それを当選させてしまう国民も愚かだと云わざるを得ない。
個人主義は利己主義とは全く異なる。
アメリカの個人主義は、自己の権利を守ると同時に、家族を守り、国を守るという大儀がある。
互いの権利を尊重し、自分を、家族を愛する上で、彼らは自らの命を投げ出す勇気を持っている。
更に、犯罪者においても、アメリカの法を犯すことには命がけである。
そのための銃社会なのだ。
本来の銃を所持する目的は、自分自身と家族を守る為あったはずだ。
それが、銃の氾濫によって、歯止めが利かなくなっていることも彼らは分かっている。
だから、犯罪に使われる銃は違法であり、当然その犯罪者は撃ち殺される事を覚悟している。
彼らは捕まった時に悪あがきをしないし、責任を転嫁する事もない。
ところが、日本ではどうだろう。
犯罪者は一様に責任逃れをしようとするではないか。
日本人には責任感というものが希薄になっているとしか思えない。
その無責任さが利己主義となっているし、アメリカとは違って銃のない社会では簡単に殺されることはないと高を括っている。
だからこそ、悪あがきをし、責任転嫁をし、自己主張することなく、長々と国家の裁判が続いて、当人はのうのうと生きているのだ。
アメリカでは犯罪者は捕まると即刻投獄され、裁判が結審するまでそんなに時間がかからない。
殺人罪ならば、罪状が加算されて人によっては300年とか400年などという刑期を受ける。
日本のように、例え殺人を犯しても、最長15年で大手を振って出てくることは、アメリカではあり得ない。
そのことをアメリカ人に云うと「信じられない、クレージーな国だ。」と呆れかえっていた。
アメリカが「大人の国」だとすると、日本はどうだろう。
幼稚な国家、幼稚な社会、幼稚な国民としかアメリカ人には映らないのではないだろうか。
アメリカン・スピリットが、徹底した個人主義の愛国心に満ちたものだとすれば、それは日本の「武士道精神」に共通する。
銃と刀の違いはあれ、古来日本の刀は己を守る為のものであった。
武士は己に誇りと自信を持っていた。
「武士道とは死ぬことと心得たり」とは、愛する家族のため、国のために命を投げ出すことを厭わない精神だ。
それは、まさに現代のアメリカン・スピリットではないか。
ただ、根本にあるキリスト教の精神で、汝隣人を愛せよ、汝の敵を愛せよ、ということが行き過ぎてしまい、非常にお節介な他国への侵攻となっている事は周知の事実である。
だが、良くも悪くも、それがアメリカなのだ。
アメリカのド田舎であっても、大都会であっても、彼らの心には陽気なアメリカン・スピリットが息づいている。
多くの子供たち、多くの町の人々に出会って彼らの持つ心の純粋さと暖かさを身に染みて感じた。
至る所で巨大な日本人は、大歓迎を受けた。
そして、一期一会の短い時間にでも、愛する心を伝えてくれた。
言葉の壁があって十分意志の疎通が出来なかったけれども、互いに思い合う心の繋がりは確かなものだ。
そんな多くの出会いに心を癒されたが、些か「憂国」の思いを胸に抱いてしまった。
<BOSTON P-PARTY>
灼熱のメンフィスからボストンに降り立つと、そこは冷たい雨が降っていた。
Twister(竜巻)とThunderstorm(雷雨)の続いていた同じアメリカとは思えない気候の変化である。タクシー乗り込むと、早速ドライバーに頼み込んだ。
"Will you take me to the casual hotel near the Museum of Fine Arts?
And I have no reservation to stay, you may choose the hotel as you
recomend."
「Boston
美術館の近くにあるカジュアルなホテルに連れて行ってくれる? 予約はないから、アンタの方で選んでくれればいいからね。」
"All right,sir. No reservation, and any hotel near the Museum of Fine
Arts.
OK.Howard Johnson, that's good. I'll take you there."
「へい、ダンナ、予約は無いんだね。で、美術館の近くのホテルだね。OK、いいホテルがあるよ。HOWARD JOHNSONってのがあるから、そこに連れて行ってあげるよ。」
"Thank you, much obliged."
「ありがとう、恩に着るよ。」
タクシーは東京の首都高のような道をびゅんびゅんかっ飛ばしていった。
周りの車もまるでレースをしているかの如く、割り込み、急ブレーキ、急な進路変更を勝手気ままにやっている。
ボストンのドライビング・マナーはかなり悪いようだ。
やがて、こじんまりとしたホテルの前に滑り込んだ。
料金を払おうとすると、
「おいおい、ダンナ、まずはフロントに泊まれるかどうか聞いてこいよ。予約なしなんだろ?」
「あ、そっか、分かった、じゃ、ちょっと行って来るね。」
フロントで尋ねた。
「予約は無いけど、2日間泊まれるかいな?」
「Two Nights(ツーナイト)ですね。」
「ああ、いや、Tonight(今夜)じゃなくて、2nightsなんだけど・・・」
「だからTwo Nightsだっていってるでしょ?」
聞き取りが不自由だと、とんだ誤解を招くようだ。
「OK、大丈夫ですよ。で、支払いはカードで?」
「あ、ちょっと待って、その前にタクシーを待たせてるから、荷物をとってくるね。」
表で待っているタクシーにサムアップ(ThumbUp)をしてOKサインを出すと、30ドル支払ってトランクの荷物を受け取った。
フロントに戻ると、クレジットカードを渡し、チェックを済ませて部屋のカードキーを受け取る。
「210号室です。どうぞ、ごゆっくり。」
「あんがと、もう疲れたからちょっと寝るよ。」
部屋の入ると、馬鹿でかいベッドがでーんと居座り、枕が3つ並んでいる。
真っ直ぐに寝ると、足先がベッドの端からはみ出しそうだ。
でっかい日本人はアメリカンサイズよりでっかいのだ。
四角いベッドを斜めに使って対角線に寝ることにした。
そうすれば、寒い思いをしなくて済む。
とりあえず、すっぽんぽんの裸になって、シャワーを浴びようとバスルームに入った。
日本と違ってシャワーの口は上の方に固定されていており、取っ手を持って下から煽るような浴び方は出来ない。
水圧もあまり高くないので、ちょぼちょぼとしか出ないのには閉口してしまった。
それでも、何とかメンフィスでの汗を洗い流して、さっぱりした気分でごろんとベッドに寝っ転がった。
1時間ほどウトウトしただろうか、空腹を覚えて目が覚めた。
腹ごしらえに出かけようと思ったが、タクシーで連れてこられたので、今の自分の居場所が分からない。
部屋から出て、ロビーの方に行くと、傍らにいろいろなチラシやパンフレットが収まったキャビンがあり、それらの中に"FREE MAP"という文字を見つけた。
その地図を持ってフロントに行き、尋ねた。
"Well, where am I?"
「今ボクはどこに居るのでしょう?」
しょうがないやっちゃなあというような表情で、ペンで地図にマーキングしてくれた。
"Oh, here I am. I see, thank you."
「へえ、こんなとこに居るのか。分かった、あんがとね。」
地図を片手にぽいと表へ飛び出した。
ホテルはBoylston
St.(ボイルストン通り)に面していて、適当なレストランはないかと見回したものの、目に入るのは「マクドナルド」と「バーガーキング」だけだった。
アーカンソーでは毎日がハンバーガーとコーヒーだったので、久しぶりにまともな食事がしたいと考えた。
ぶらぶらと歩いていると、FENWAY PARKという野球場の周りの道に入ってしまった。
どうやらボストン・レッドソックスの本拠地らしい。
店らしい店が見あたらず、結局ぐるーっと回ってホテルの前に戻ってきてしまった。
ホテルには香港のチャイニーズレストランが入っている。
仕方なく、中華料理を食することにして、レストランの席に就いた。
中国人の女の子がメニューを持ってきてくれる。
メニューには漢字と英語の両方が表記してあり、両方を見比べて料理の内容が把握出来る。
「海老チャーハン」と「ナスと野菜の炒め物」と「海鮮スープ」を注文する。
最初にスープが出てきたが、でっかい器になみなみと入っている。
「これで一人分なの?」
「はい、そうですよ。」
やがて、チャーハンと野菜炒めが出てきたが、これまたでっかい皿にてんこ盛りになっている。
そういえば、15年前にもやはりロス・アンジェルスのチャイナタウンでひどい目に遭ったことを思い出した。
あの時は5皿も注文してしまい、ハーフディッシュでありながら、今回と同じくでっかい皿にてんこ盛りになって出てきた。
全部平らげたものの、後半は惰性と艱難辛苦の食事だったのだ。
若かりし頃の過ちを繰り返してしまった。
それでも、久しぶりにまともな食事にありついたと喜んで、全部平らげた。
食べ終えると、女の子がやって来て、
「デザートは何にしますか? コーヒーかアイスクリームか杏仁豆腐ですけれど・・・
。」
「デザートのメニューはないの?」
「ええ、ありません。3つの内から選んでください。」
「じゃあ、アイスクリームをもらおうかな。」
この選択が後に地獄の苦しみを味わうことになろうとは、お釈迦様でも気が付くまい。
「はい、どうそ、アイスクリームです。」
目の前にソフトボール大の丸い固まりが、生クリームのお供を従えてデンと置かれた。
「なんじゃ、これ!?」
生クリームを剥ぎ取ると、まさに手で丸めましたと云わんばかりの指の跡がくっきり
と残ったナッツまみれのアイスクリームが現れた。
スプーンを当てるとこつんこつんと如何にも固そうな音がする。
それでも、溶けるのを待つのももどかしく、強引に刮げ取って口に運ぶ。
口の中で実に甘ったるいアイスクリームがとろけて広がる。
野球のボール大まで食べたところで、気分が悪くなってきた。
それでも、残してはもったいないと浅はかな考えで何とかビリヤードボール大まで漕ぎ着けたが、最早これまでと残してしまった。
22ドル75セントの勘定書の上に、25ドルを載せて店を出た。
ちょっと食べ過ぎたかなと、くちくなった腹を撫でながら部屋に戻った。
ベッドに横になり、テレビでやっているエディ・マーフィの「NUTTY PROFESSOR」を見ながらげらげら笑い転げていた。
もちろん日本語の字幕もなければ吹き替えも無いが、エディのギャグは十分笑える。
映画も終わり、11時を回った頃、安らかな眠りに就いた・・・筈だった。
何だか腹の具合が芳しくないようなのでトイレに駆け込む。
便器に腰掛けた途端、ぴっしゃー!じょぉー!全く固形物のない液体が肛門から迸った。
"Piss from ass hole."「ケツの穴からオシッコ」状態なのだ。
同時に口からも、何とも言えないものがこみ上げてきた。
まさにさっき食べた中華料理の味が口腔内に広がる。
ぴっしゃー!おえーっ!ぴっしゃー!おえーっ!上からも下からもどうぞと云わんばかりの激しい下痢と嘔吐の繰り返しなのだ。
一通り出し終えると、ふらふらしながらベッドに戻る。
1時間ほどうつらうつらしたところで、再び下腹に急激な内圧を感じてトイレに駆け込んだ。
ぴっしゃー!じょぉー!さっき食べたチャーハンや野菜炒めはどこにいったのだろうか。
全く固形物の姿が見あたらない。
"Where is my twister? Gone with the twister."
敢えて日本語にはしないが、「おひねり」の形状を想像すれば、何かわかるだろう。
結局、朝まで1時間おきにトイレの便器と親交を深めてしまった。
8時を過ぎた頃、ぐずる下腹に少々不安を抱きながら、かねてからの目的である美術館に向かう。予定では、半日を美術館で過ごし、あとの半日はアクエリアム(水族館)を巡るつもりだった。
パークウェイを通って公園の反対側にある美術館の方に歩く。
春のボストンの街角では八重桜と彼岸桜が満開になっている。
花だけ見ていると日本に居るのかの如くに感じてしまう。
美術館の正面に回り込むと、まだ開いてないようだった。
ドアの表示を見ると10時オープンとある。
1時間以上も待たねばならない。
その間にも下腹の方では騒がしくなってきている。
しかし、玄関先ではあちこちに佇んだり腰掛けたりして開館を待っている様子の人がいるようだ。
気が長いのだと思って、とりあえず近くにトイレはないものかと歩いて行く。
次々と美術館を訪れる人々の姿を見ていて、持っていた時計の時間に不安を感じ、偶々居合わせた初老の警備員に尋ねた。
「すんません、今何時でしょうか?」
「えーっと、9時半を回ったところかな?」
自分の時計を見ると針は8時半を指していた。
そう、メンフィスからボストンに来た時、東部時間に合わせ忘れていたのだ。
「ありゃりゃ、1時間も遅れてる。」
「ははは、このところ寒い日が続いてたから、時計も凍えて遅れたんだろ。なかなか洒落た時計だね。」
さりげなくジョークを飛ばすところなど、なかなか洒落たおじさんではないか。
「10時に開くのね?」
「そ、10時に開くからね、楽しんでおいで。」
礼を云って美術館の正面玄関に向かう。
しばらくして開館時間になり、ぞろぞろと人々が入ってゆく。
窓口カウンターで15$支払ってチケットを受け取ると、まずはトイレを探してうろちょろした。
警備員がきょろきょろしている顔色の冴えないでっかい日本人を見て声を掛けてきた。
"Can I help you, sir?"
「どうかしたかね、アンタ」
"Oh, yah, I wanna go to bathroom, now."
「はいな、トイレに行きたいんだけどね。」
腹を押さえながらもぞもぞしているオッサンに鄭重な案内をしてくれた。
早足の競歩のような足取りでトイレに駆け込む。
便器に腰掛けるや否や、ぴしゃー!もう、堪りません、この感覚。
おぼつかない足取りでトイレを出て、一応美術品鑑賞をしているのだが、気もそぞろで落ち着いていられない。
全身が気怠く、足取りが重く、下腹が緩いこともあって、2階の人気の無いところにあるソファにぐったりと座り込んでしまった。30分ほどうとうとしたが、再び下腹に違和感を覚え、近くのトイレに駆け込んだ。
そして、また・・・。
最早、美術鑑賞する気力も失せてしまい、早々に美術館を後にした。
公園の中を通り抜ける間、サクラやハナミズキ(英名;dogwood)が咲き乱れ、美しいボストンの春爛
漫を楽しめる筈なのに、うつろな目線で足早に道を急いでいた。
ホテルにたどり着き、フロントの横を通るとき、奥の中華レストランから漂ってくるニオイに思わず、うぅっぷ・・とこみ上げてきた。
もう帰ってきたのかと怪訝そうに見るフロントのおじさんに軽く手を振って通り過ぎようとした。
"You look pale. Are you OK?"
「ダンナ、顔色が悪いよ、大丈夫かいな?」
"I go to bed, today. Don't disturb me."
「もう、今日は寝るから、起こさないでね。」
白人の目から見ても、黄色人種の顔色の悪さが分かったようだ。
部屋に入るやいなや、着ている服を脱ぎ捨て、シーツの海に飛び込むと、一気に意識の海底に潜行していった。
一旦、昼頃に目覚めたが、ものすごい寝汗でシーツがぐっしょり濡れている。
水分補給をせねばと、買ってきたEVIANをがぶ飲みする。
再び意識が遠のいた。
今度は夕方近くになって高熱にうなされながら目が覚めた。
トイレに行くが、相変わらずの液状化現象が続いている。
ひょっとしたら「SARS」ではないかと疑いだした。
何と云っても食べたのは中華料理である。
中国といえばSARSの本拠地ではないか。
こりゃ、非常にヤバイことになってきたと不安に陥る。
その不安を再びEVIANと一緒に飲み込んで、ばったんとベッドに倒れ込んだ。
次に目が覚めたのは夜の11時頃だった。
高熱は続いており、シーツは乾いた所を無意識に探していたのか、よれよれになってくちゃくちゃになっている。
喉の渇きを覚えて、EVIANを飲み干す。
部屋にあったミネラルウオーターにも手を伸ばした。
トイレに行くも、依然放水状態だ。
しっかり水分補給しないと脱水症になりかねない。
更に、ベッドに潜り込む。
そして目覚めた明け方、ようやく高熱は収まってくれたようだ。
熱が下がっただけでも現金なもので、やおら元気になってしまった。
何とか平常にならないと、昼には日本に帰らねばならないのだ。
それでも、トイレでは相変わらずの放水訓練が行われているようだ。
朝9時頃、出発準備を整えて、フロントに電話した。
"Hello, this is room210, Mr.Komori speaking, I'll check out
now."
「もしもし、こちら210号室の小森だけど、チェックアウトしたいんだがね。」
"Excuse me, sir, we accepted you to ckeck out at noon."
「はあ? 申し訳ありませんが、私どもではお昼にチェックアウトと承っておりますが・・・。」
"Oh, no, you must be joke. I have to go back to Japan at noon."
「そんなアホな、昼には日本に帰らんとあかんのに・・・。」
"Well, what time is the departure of your plane?"
「じゃ、アナタの出発時間は何時ですか?」
"Hmm, at 12:15."
「んっとね、12時15分。」
"OK, you may check out at 10:00 o'clock."
「じゃ、10時にチェックアウトで大丈夫です。」
"Oh, I see. Well, I'll check out 10:00 o'clock."
「よっしゃ、ほんなら10時にチェックアウトしまっさ。」
というわけで、何とか話はまとまって、着衣のままベッドに横たわると、テレビのチャンネルをちゃかちゃかと変えていた。
WEATHER NEWS(お天気番組)の専用チャンネルでは、盛んにTWISTER WARNING(竜巻警報)が発せられており、数日前までいたアーカンソーやミズーリでの竜巻被害の映像が流れている。
1日で10個から20個の竜巻が発生して、各地に甚大な被害をもたらしており、キャスターがなぜにこの時期に集中して斯様に多くの竜巻が発生するのか不思議だと首を捻っていた。
さて、一体誰の神通力がこのような災害をもたらしたのであろうか。
「大雨男」の異名を持つ日本人が滞在していた場所と期間中に、なぜか集中的に竜巻が発生していたようだ。
不可解な神秘の力が働いたとしか思えない・・・??
暇つぶしにと、電話を掛けまくってしまった。
まず、MarmadukeのDannyに電話する。
"And theen, it's me, Tatsuo. I'm in Boston, now."
「ほぃでなー、わいや、タツオや。今、ボストンにおりまんねん。」
"And theeeeen, hahaha, how're you doing?"
「ほぃでー、ハハハ、どないしたんやねん。」
"I had dinner of chinese, and after two hours, I suffered from
terrible diarrhea. I had gone to and from bathroom all day, all night, from the day
before yesterday."
「中華料理食べたんはええんやけどな、2時間後からひどい下痢になってしもてなあ、一昨日からずーっと昼も夜も便所に通い詰めなんよ。」
"Oh, Sonya caught the same disease, too. But she saw a doctor, and
got better now. Oh, she wants to talk to you."
「おやまあ、ソニアも同じ病気になっちゃったよ。でも、医者に診てもらって、今は良くなったけどね。あ、アンタと話したいってさ。」
"And theeen, Tatsuo, I ate seaweeds too much, hahaha. Well, I
miss you,
now. But I can see you in the near future."
「ほぃでー、タツオ、私ねえ、海苔食べ過ぎちゃったみたい、ははは。でもねえ、寂しいけど、ほんのちょっと未来に会えるもんねえ。」
ソニアは、アメリカ人には珍しく味付け海苔が大好きのようで、日本からTAEKOにと送った海苔を一人でぱりぱり食べていたのだ。
普通、日本人でもせいぜいご飯にのせて食べるのは10枚くらいだが、Sonyaの場合、海苔だけを100枚200枚と一度に食べていたらしい。
あまり消化が良くないだけに、下痢してゲロするのは当然かもしれない。
"I told you not to eat everything too much."
「だから、何でも食べ過ぎたら駄目だって云っただろう?」
近い将来会うときには、どんなに太っているだろうか、心配だ。
ものはついでと日本にも国際電話を掛けまくっていた。
10時になって部屋を出ると、小さなバッグひとつでフロントに向かう。
"Well, check out, please."
「はい、チェックアウトよろしくね。」
"Yes, sir. Will you show me the charged card, when you checked
in?"
「かしこまりました。恐れ入りますが、チェックインの時にご使用になられましたカードを拝見できますか?」
最初は何のことか分からなかったが、クレジットカードのことだと理解して、VISA付きのNICOS CARDを差し出した。
"OK, thank you. Write your signature here, please."
「はい、結構です。では、ここにサインをお願いします。」
と、請求書とレシートを前にペンを差し出してきた。
さらさらとサインしながら、請求書の数字を見ると、そこには国際電話を掛けまくった証の電話番号と通話時間とえげつない数字の金額がずらりと並んでいた。
また、熱が出てきそうだ。
"Will you call a cab to the airport?"
「空港までタクシーを呼んでくれる?」
"Sure, I will."
「はい、喜んで。」
数分でタクシーは到着して乗り込んだ。
"Which AirLine, sir?"
「どこの航空会社ですかい、ダンナ。」
"Hmm,NorthWest."
「んーと、ノースウエストだな。」
"All right, sir."
「合点でさ、ダンナ。」
やたら工事中の道をちょこまか走ってタクシーは空港に向かった。
帰国の途に就く朝のボストンには霧雨が降っていた。
雨滴で歪む窓ガラス越しの街は、東京によく似た表情を持っているようだ。
美術館巡りを楽しみにわざわざ遠回りして立ち寄ったのに、下痢と高熱で終日ホテルに缶詰めになっていたとは、情けないやらアホらしいやら、一体何しにボストンまで来たのやら。
"BOSTON TEA
PARTY"「ボストン茶会事件」は歴史的事件だが、"BOSTON P-PARTY"「ボストン下痢P事件」など、三流タブロイド新聞の記事にもなりやしない。
タクシーの窓ガラスには自嘲する髭面のオッサンの顔が映っていた。
アメリカに入国の際の厳重な検査が、出国の時には嘘のように簡単だった。
パスポートにスタンプさえも押してくれない。
帰る者はとっとと帰れといわんばかりのあっけなさではある。
11時間の機内拷問に耐えつつ、成田に降り立った。
JRの横須賀線を乗り継いで横浜の家に帰り着いた時には、1週間ぶりの愛猫の出迎えがあった。無言で奥から出てきた猫は、寝癖がついたような乱れた毛を繕いつつ、寝ぼけ顔で足元に擦り寄ってくる。
何だか古女房然とした風情に愛しさを感じてぎゅっと抱きしめた。
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