「樹木受難時代」

井蛙

 

娘が通っていた幼稚園の園長さんの家には、巨大なケヤキの樹が聳えていました。遠くからめだつ見事な大木でした。そのケヤキのしたのしゃれた洋館が園長さんの住いでした。あるとき、園長さんは、敷地の一部を新聞屋さんの集配所として売却しました。不幸なことに、ケヤキの大木はそれに隣接していました。集配所の日当たりの邪魔になるということで、巨大なクレーンがやってきて、無残にも、ケヤキを伐採されてしまいました。このまえをわたしは、通勤で毎日のように通ります。

 こんなふうにして、昔からの屋敷の大木は、次々と姿を消していきます。まちのなかで、大木の目立つのは、お寺の境内ぐらいになってしまうでしょう。 

 わたしは、公団の分譲住宅に住んでいます。となりは国立病院です。これは、陸軍の衛戍病院だったのが、戦後、国立病院となったものです。敷地には、桜を中心にして、さまざまな木が植えられています。木々のしたを、戦争で傷ついた軍人さんが、看護婦さんに手を引かれて散歩していたこともあったでしょう。病院は、敷地の一部を住宅公団に売却し、そのお金で病棟を新しくしました。公団は、そこに分譲住宅を建て、わたし達に売却したのです。敷地には、陸軍病院時代のなごりで、大木がそのまま引き継がれました。春は桜がみごとです。住宅地にある桜並木としては、誇るに足るものとおもっています。

各棟の前庭には、ケヤキ、コブシ、ヒマラヤスギなどの大木があります。ところがあまりに大きいものだから、前から、「日あたり」が問題となっていました。1階なぞは、湿り気で大変ということです。住宅を管理する理事長は、選挙によって決められます。理事は、各棟から持ち回りで選出されます。歴代の理事会は、「緑の保存・育成」が伝統でした。従って、団地ができてから、大木が切られることはありませんでした。数年前、住民の不満が噴出して、大木を切るかどうかは、その棟で決めてよいことになりました。賛成、反対で、賛成派がやや多いところでは、大木は、伐採をまぬかれるのが精一杯で、先端がちょん切られ、無残な姿となりました。「ねこの首に、鈴をつけるのは誰か」、一旦、鈴がつけられると、大木は毎年剪定され、誰も不思議とおもわないようになりました。通勤の帰り道、団地にさしかると、ケヤキの木々たちは夜のやみのなかで、首うなだれて、泣いているようにみえます。

 樹は紫外線を遮蔽する最前線にあるものです。数年後の統計を取れば、当団地の皮膚ガン患者は倍増するとわたしは確信しています。

 

 ある高名な都市計画家に、「日本の並木は、なぜ貧弱なのか」訊いたことがあります。「日本の道路は狭いから大木は適さない」ということでした。わたしの事務所に通うのに外濠通りを歩きます。トウカエデの並木道です。太いものは、直径50センチほどあって、かなりな年数になるとおもいます。もし、すんなり成長させたとすれば、おそらく10メートルを超すとおもわれます。しかし、毎年先端が剪定され、伸びることはありません。並木は背丈をつめ、枝を落とし、矮小に剪定するのが日本のやり方とみえます。日本の街路樹をみて、かわいそうにおもうのは、わたしだけでしょうか。道路は狭くともよい。わたしは、すんなりと成長した巨大並木の間を、すり抜けるようにして歩くのを選びます。多分、交通事故も減少するでしょう。

 

巨樹の会の皆さんに問いたい。

   住居にある巨樹で、外国と日本の比較したもの:

日本の住宅に大木が育たない理由

   並木の大きさについて、外国と日本を比較したもの:

街路担当課の街路樹の規準が、諸外国とちがうのではないか

   日本人の伐採癖について。

日本には、「木の文化」があるといいながら、樹を切るのをなんとも思っていない。きられないようにするには、「注連縄をはる」ぐらいの対策しかもちあわせていない。悲しいかな、現代日本人は、樹木の巨大な時空間の観念を失ったのではないか。

 


井蛙(せいあ)さんは、私が新入社員の時の直属上司です。
ご本人から「百人一樹という趣旨には合わないかもしれません。近時の、樹木に対する感想です。」とのコメントがありましたが、信念の吐露として読ませて戴きましょう。「馬の骨」さんもそうですが、ハンドルネームに人柄が表れてますね。そし不肖の弟子である私は、「井蛙」が読めずにネット検索でやっと知り得ました。

                          瀬川英二

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