荘川村 治郎兵衛のイチイ

水崎


私がまだ大学生だった頃の話である。
当時林業が斜陽化し、産業として危ぶまれ出した頃で、自然と共存できる産業としての林業とは、どんな物かその模索が始まっていた。
林学の学生として将来に一抹の不安を感じながら、それでも森林生態学を学ぼうとしていた私のフィールドは、治郎兵衛のイチイで知られる荘川村六厩の広葉樹林であった。
ここで寒冷地に於ける落葉広葉樹林による林業のあり方を模索することになった。

調査は、まずプロットを作るところから始められ、そしてプロットの測量や、どのような大きさの樹木がどこに生えているのか、樹木の戸籍作りが始められた。
この作業は、学生も講師の先生も参加して、毎日毎日泥まみれになり、飽きもしないで斜面に登り、木に抱きついて幹の太さや樹高を測った。
幸いにして予算があったためか、調査地で野営もせず、近隣の地域の民宿で寝泊まりすることができた。
宿から調査地への行き帰り、毎日一本の木が送り迎えをしてくれた。その木は、見た事もない樹形で株立ちのコメツガかと思っていた。

ある日、雨が降って作業ができず、久しぶりに休日となった。私はそのヘンテコな樹型のコメツガを見に一人宿を出た。遠目でもコメツガにしては変だと思っていたが、近づくにつれその違和感は大きくなった。
そのヘンテコな樹形の木の足元に立つと、やっとそれがすばらしく大きなイチイであることが解った。
幹は、株立ちが寄せ集まった様に縦に激しく凹凸があり、根元より途中の方が太くなっているように見える。
その幹のあまりの迫力に時間も忘れ、魂がどこかに吹き飛んだように立ちすくんだ。

イチイの根元には、小さな小さなお墓があった。
いつの頃からあるお墓か知らないが、ちょうどイチイの巨木が優しく包むように佇立している。
こんなお墓に入って体が朽ち、イチイと一緒に時間を超越できるなら死ぬことも悪くないと、密かにあこがれた。
その後、研究に対しては不良学生だった私も何とか卒業し、紆余曲折があったが造園会社に就職した。
仕事を通じて植木に接しながら、どうしたらより良い緑地が作れるのか悩むうち、気が付いたら樹木医になっていた。
樹木医になり、20年ぶりに治郎兵衛のイチイに会いたくなって出かけることにした。
日本でも有数の寒冷地で、冬のイチイがどうしているか見たくなたのだ。

出かけてみるとイチイは足元のお墓が雪に埋もれないように相変わらず佇立していた。

氷点下の空気に包まれ、葉は霜で凍り付いていたが、葉色は良く新芽もしっかりしており、花芽も確認できるほど、樹勢は非常に良い。

主幹に腐朽が見られるが、樹皮が巻き込もうとしており、中心部の腐朽がウロになって現れる事はまだまだ先の事だと思われる。
イチイはまだまだ医者にかかるほど老いぼれてはおらんと、私に笑いながら語りかけてくれた。
私があこがれて入りたいと思ったほどの小さなお墓は、相変わらずイチイに守られるようにして、時間の流れと一人無縁なように佇んでいる。

このイチイの写真を撮ろうと、周囲を歩き廻るうち、イチイの背後の斜面を登っていた。
そこからは、高速道路の高架をバックにしたイチイがあった。

利便性だけを貪欲に追求して、破滅への道を歩み続ける人間の生活をあざ笑うかのように、ただ一人時間すら超越したかのようなイチイが立っていた。
時間に押し流されること無い、その姿の厳しさに思わず雪の中に座り込んでしまうほどの衝撃を受けた。
そのイチイの姿は、樹木の保全なんて気取って言うけれど、樹木は保全されるほど弱々しい存在ではない。と、人間の関与を拒絶するようなその姿に、ただうなだれるだけであった。



岐阜県内で樹木医をなさっておられる水崎さん。
掲示板にもよく書き込みをなさっていただいております。
樹木の専門的な知識においては、当然ながら鋭い指摘をしていただき、やはり専門家の知識の奥深さに感心させられっぱなしです。オフ会にもご参加いただき、当ホームページにはなくてはならない存在の方です。




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