『 巨樹に見る人生と宇宙 』

石村 雅幸(日本美術院院友)




 
樹を描く事は日本画の勉強の「基礎」と言われるが、「葉っぱ一枚を描ききることができれば、宇宙を描く事ができる」とも言われるほど、その奥は深いとも言われる・・・。 最近その難しさを痛感させられるようになった。

 思い起こせば・・・学生の頃、私は2度ほど「巨樹」を描いている。1点は当時住んでいた目黒区内の大欅の冬の裸木、もう1点は京都の青蓮院の早春の大楠。大学の課題は時間的に制約があり、2作とも未完成に終り、自分の気持の中に何かモヤモヤとした不完全燃焼感が残っていた。いずれ納得が行くまで取り組む日が来る・・・と予感していたのか、その時をじっと待つかのように「巨樹」に関する記事や資料は集め続けていたのだが、その後10年以上「巨樹」を描く事はなかった。

 大学4年から日本画家の登竜門とも言える、「院展」に出品するようになった。3回目の出品で初入選し、以後10年連続で入選する。テーマは一貫して日本の「古建築」だった。毎年入選すると、入選して当たり前、出せば入るものだという空気が周囲の目にはできてくるらしい(本人は毎回必死なのだが)。そして、34歳で結婚。
私にとっても家族にとっても結婚第1作目の大事な作品であったが、結果11年連続は成らなかった。私本人の落選のショックだけでなく、大事な新生活のスタートに「今まで当たり前であった事が出来なかった」と言う、極めて厳しい周囲の批判の目が・・・、家族の心の絆までがガタガタになり、私の精神状態もどん底、ボロボロ状態になる・・・。自分の非力さや今までの家族への甘えを思い知らされる本当に辛い時期だった。

 経済的にも社会的にも弱者である「絵描き」が結婚すると言う事は人がイメージする以上に大変な事である。結婚までの1年間に5年分くらいのエネルギーを費やした感が確かに私にはあったし、また、結婚前後のバタバタ感で絵に集中出来なかったと言うことも少なからずあったかもしれないが、本質的な問題は別にあった気がする。
当時、私は既に大きな壁にぶち当たっていた。実は・・・私自信が「古建築」を テーマとすることに行き詰っていたのだった。 古建築は、絵に描く以前に既にそこに人工の完成された美が存在し、私には作品の中 でそれを打ち破るだけの力がなかったのである。ただ古建築が好きという事だけで、 その既存の人工美の再生の域を出る事がどうしても出来ない・・・。そんなもどかしさを感じながら、制作を続けていく気力が既に失せていた。生きたもの、生命感に溢 れ、自分に力をくれるものが描きたい・・・。失意の中で、自然にそういう気持が沸 いて来たのだった。

 その後、「巨樹」を描き始める転機となったのが、ある大銀杏との出会いである。
常陸の高野山と言われる天台宗西蓮寺内の大銀杏(茨城県行方郡玉造町大西蓮寺、樹
齢約千年、幹回約9m、高さ25m)と出会った時に、これだ!と思った。 以前から資料によりその存在は知ってはいたが、実際に現地に足を運び、この目で見てみると、凄まじいスケールに圧倒されてしまった。12月の取材ですっかりと裸だったが、それがむしろ樹の真の姿を見せつけてくれた感があり、上へ上へと伸びていくその枝の勢いに、なんだか勇気を与えてもらっているような気がした。15号くらいで描 きとめるつもりだったが、気が付くと、半月も通いつめて、最終的には日本画の為のスケッチとしては異例とも言える50号の大画面の上で、無心で樹と格闘している自分がいた。生きているものの素晴らしさを感じていた。

 

 

第54回春の院展「樹響精聆」(茨城県、玉造町、西蓮寺境内の大銀杏)


 そして、その秋の院展には霞ヶ浦町の大椎と、家内と息子(その年に生まれた)を描いた作品「椎朴」を発表する。大樹に母子が抱かれて休息しているような構図。知らず知らずのうちに、この樹にオヤジとしての自分のあるべき姿を投影して描いていたような気がする。 以後、私は樹を描く時、そこに人間の人生や宇宙を感じ、またそういう樹を探し求めるようになっていた。

 これからも作品を通して、自分の生き方の師として「巨樹」との出会いを大切にしていきたいと思っている。

 

第85回院展「椎朴」(茨城県霞ヶ浦町の大椎、大法輪の表紙となる)

 

 

第56回春の院展「静寧」(茨城県龍ヶ崎市、蛇沼公園雑木林)

 

 

第86回院展「椎心」(茨城県、雨引山楽法寺の宿椎)

 

 

第57回春の院展「精爽」(千葉県成田、松虫寺門前の大椎)

 

 

第87回院展「木魅感慕」(茨城県、裏筑波、椎尾山薬王院の大椎)

 

 

第58回春の院展「葉風光芒」(茨城県、つくば市、月読神社御神木の椎)

 


<まだ見ぬ石村さんへ>

まだ見ぬ石村さんですが、いや、昨年の上野での秋の院展で、後姿を見たのですが、何か絵のイメージとは異なると思ったのを覚えていて、声をかけられず、今までに至っています。
前から正面の顔をとくと見れば、またお話をすれば納得するかもしれません。
実に繊細で、暖かい絵の中に何か透き通ったものを感じるのは私だけでしょうか。
題材を無生物から生物へと転換された必然がこの百人一樹に記されているのがこの文でよくわかりました。また、すばらしい銀杏と椎たちのいのちの息吹が描かれた石村さんの絵は本当に素敵です。これからもご活躍いただき、いい樹木等を皆さんにご披露ください。楽しみに待っています。
なお、蛇足ですが、石村さんの絵のタイトルはいつどういう風に生まれるのですか。

雲流太郎2003.6.2


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