材木坂のナツツバキ逝く

花じい石澤



百人一樹にお誘いをいただいた際、即座に心に浮かび上がったのは「ユズリハ」だった。
そのユズリハは、私の養父(私が小さいとき、母がもうだめだというので養子に行ったが、その後生き返って元の家に戻った。しかしその後もその養父母とは行き来があり、この2人の葬儀は私が喪主を務めることとなった)とその義父の2人で植えたものと聞かされていた。
その養父母も死にさらにその家も取り壊されてしまった今となってはユズリハだけがその家の想いでとして私に残されたものだった。そして皮肉にも家が絶えた今大きく立派な葉を茂らしていた。

 「絶えし家(や)に ユズリハ一本(ひともと) 今盛りなり」

 昨年私が詠んだものだが、素人の慰めの句であり季語がどうなっているのかなど野暮なことは聞かないで欲しい。
ところが、最近そのユズリハは切られてしまっていた。駐車場にするのに邪魔だったということだ。もちろん土地は人手に渡っていたので私には何の権利もなかったのだが、しばらくはショックで立ち直れなかった。ちょうどその頃百人一樹のお誘いをいただいたというわけである。

 さて、心の傷も癒えたところで「何かいい樹がないかなあ」と思ってみたが、私にとって心に残るもう一つの大事な樹は、立山の材木坂の大ナツツバキ(この材木坂の中では最も「大」なのです)であった。
立山駅(標高500m)から美女平(標高1,000m)への登山道である材木坂へ、春まだ浅き頃ルイヨウボタン、キバナイカリソウ、ニリンソウ、イワウチワなどを見に訪れると、その中間地点にこの大ナツツバキがある。そしてこの樹の下に憩いつつ「今年も会えたなあ」と再会を喜んだものである。いや、「ものであった」というのが本当のところである。


実はこの老いたナツツバキは写真のとおり、2年前に雪の重みに耐え切れず、ついに折れてしまったのだ。
「なんだ、切られた木だの折れた木ばかりか」とお思いの方もいらっしゃることと思う。しかし、富山の象徴「立山」の旧登山道入り口ともいえる場所にあったその樹は、私だけではなく、材木坂を愛して通った人々、さらに旧登山道から立山(雄山)を目指して歩いた人々など多くの方の心に残っている樹だと思う。そして何よりも、その折れたことによりできたギャップはまた新しい命を育むことになるのである。

 ユズリハは残念ながら切られてその地をアスファルトに固められただけだったが、この老ナツツバキは次の世代に命をつなぐことができるのだ。そう思うとこの折れた樹に涙するばかりではなく、命の神秘とともに新たな希望をも感じたのであった。これもまた自然の営みなのだ。そう思ってこの写真をみていただければ幸いである。

 「雪深み 折れし老樹と 夢語る 一本咲ける 幼樹(おさなぎ)の春」  


富山の「花じい」こと石澤さんは、私のHP「このきなんのき」で最初に常連さんになってくれた方です。立山を中心とした登山経験が豊富で、植物に大変詳しいばかりでなく、何でも味見毒味したり、壮絶な遭難記をお持ちなど、とても頼もしくてユニークなじいさんです。


(このきなんのき所長)


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