「お寺柿とドエラボウ」

雲流太郎

 

 今日は2本の異なる柿について書く。その1本は私の故郷、信楽の家の庭にあった「お寺柿」で、もう1本はその隣の家にあった「ドエラボウ」という柿の木である。 

「お寺柿」は基本的には甘柿であるが、あわてて青いのを食べると、柿の「こう」がふいておらず、渋い。また通常より早く赤橙に染まった柿はじゅくじゅくであり、おいしくない。やはりおいしいのは種子が沢山できていてその周囲に一杯柿の「こう」がふいているちょっと硬めやつである。柿の木はさくいので、親達は登るのは危ないと忠告してくれたが、その柿の木にはよく登って遊んだものである。 しかし、思いで深いのはその柿の木で遊んだことではなくて、今は亡き父が私をその木に月夜の晩に縛りつけたことである。それは小学校の4、5年生の時に何が原因でそうなったかは定かではないが、ともかく意地っ張りの私が何かについて謝らなかったのを父が怒って私を柿の木に縛ったのである。頑固な父であったが、私を怒ったのは後にも先にもその時だけである。それだけに強烈に頭に残っているのである。果物やうどんが好きであった父は野球がともかく好きで、よく甲子園や西京極球場へ連れて行ってくれたし、歴史好きな父は安土城址や柳生の里、月ケ瀬の梅林にも連れて行ってくれた。それが今懐かしく思い出される。その父は15年程前に亡くなり、その柿の木から遠くないところの「さんまい」に最近亡くなった母と一緒に眠っている。 

 もう一本の柿の木は私の隣の家の江戸屋橋近くにあった「ドエラボウ(「大きい」という意味の方言か)」と呼んでいた大きな実をつける大木のことである。この木は三角形のおにぎりのような形をした大きな実をつける渋柿である。その渋柿はそのままでは食べられず、籾殻の中でしばらく放置して、渋を抜いて柔らかくして食べたものである。それは噛んで食べるのではなくて、吸って食べたものである。今もその柿はどこかにあるのであろうか。また食べてみたいものである。その柿は背が高く登って遊べなかったが、夏ともなると日陰ができて、その下で近所の子供たちがきて、「うろこ」を地面に書き、その陣地取りをして遊んだものである。そして午後の暑い日には隣町から自転車で鐘をチンチン鳴らしながら、1本5円のアイスキャンデーを売りに来るのである。もう1つこの柿で思い出すのはその隣の家にはおばあさんに育てられていた「ときこ」さん(「時の記念日」に生まれたのでこの名前がついていた)という背の高いお嬢さんがいたが、その彼女は今はどうしているだろうか。ある年、台風が襲い、水害に遭ったときはちょっと高台にあった私の家に避難していた彼女が思い出される。しかし彼女が住んでいた藁葺きの家もその「ドエラボウ」のももうその場所にはなく、今あるのはトタン葺の陶器屋の仕事場があるだけである。その前を「国道」となった細い道を勢いよく車たちが我が物のように走っているだけである。 

 今回は巨樹のことは書かなかったが、故郷の柿の木を思い出し、ちょっと文をしたためました。お口に合うかどうか知りません。ひょっとしたら渋柿を食べた後に残るえぐさを感じられたならば、お許し下さい。  (2002年6月10日(時の記念日)の夜、巣鴨にて)  

 

<次回の指名>

 山東智紀さん:関西一帯を根城とし、動き回る植物図鑑のような若者である。私と私の妻を京北町の伏条台杉群や花脊の天然伏条台杉への道を親切に昨年の秋に案内してくれた。その後、どういう訳か瀬川夫妻へのお付き合いの橋渡しをしてくれた。また最近、東北の巨樹へも足を向け、活躍中。その巨樹巡りの途中、関西では余りみかけなくなった「ヒメシャガ」を見つけメロメロになった好奇心旺盛な好青年である。





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